The Ship who met.(出会った船-ヘルヴァ) 作:六位漱石斎正重
ジェナンと別れたタナーは一人宇宙港をブラブラとあてもなく歩いていたが、ふと、空を見上げて思わずつぶやいた。
「My God……It's full of stars.(なんてこった、星でいっぱいだ)」
素晴らしい光景だった。満天の星々がきらめいている。天文に関する教育も十分とは言えなかったが受けているし、それなりのウンチクもある。だが、この光景を見た感動を分かち合える伴侶がいないので、その知識を披露することもできない。彼は不満げに鼻を鳴らした。
何気なく視線を宇宙港の中央に向けると、巨大な宇宙船がサーチライトの光を浴びて駐機しているのが見えた。銀白色の船体の下部が光量の強いサーチライトの光に包まれて、まるで光の雲の上に浮かび上がっているかのようだ。
タナーにはその宇宙船がブレインシップかどうか判断がつかなかったが、なんとなく、宇宙船の方に足を進めた。
この時間帯には彼のいる場所からその宇宙船へたどり着くには哨兵の二人のいるゲートをくぐっていくしかないが、哨兵は要件のない者を近づけさせないためにそこに常駐しているので、通してくれる望みは皆無と言ってよかった。
それ以外の方法といえば、宇宙船の駐機しているエリアを取り囲むように設置されている高さ2m以上の金網を乗り越えていくしかない。ただし、金網の周囲にはさらに二人の哨兵が目を皿のようにして辺りを伺いながらゆっくりと警戒監視をしている。
様々なことを考慮した結果、彼は金網を何とかすることに決めた。そしてニヤリとずるがしこそうな笑みを浮かべた。
偵察員訓練学校のDS(訓練教官)はよく言ったものだ。『チャンスは決して逃すな。それが例えどんな小さなチャンスであったとしても、だ』と。その言葉を訓練生たちが真に受けたのかどうか真偽の程は定かではないが、いつからか訓練学校では奇妙な風習が流行り始めた。
自分たちの部屋に戻るためにドアノブをさわるとビリっとくる。ドアの鍵穴に鍵をさすと固まったガムが詰まっていて鍵をさすことができない。靴をはくとヌルっとするので何かと思って脱いでみると、昨日のランチで食べたミートソースで足がベタベタになっているなど、ありとあらゆるイタズラが横行していた。
人によっては悪質な嫌がらせだと憤りを感じる人もいるかも知れないが、そこらへんの線ひきは皆わきまえて?いる。体になにか致命的な障害が出たり、傷をつけたりするようなイタズラをするものはいなかった。そのようなことをすれば、即放校になることを想像できない者はこの訓練学校には入学できない。
DS達は自分たちが現場を押さえない限り、それら訓練生たちの『イタズラ』をいちいち咎めたりはしなかった。むしろ雰囲気的には推奨していたフシさえある。もちろん、表立ってどんどんやれ、とは言わなかったが……。
これには立派な理由がある。衆人環視の中でなんらかのアクションを起こすのは相当の心構えがいる。どんな他愛もないことであってもだ。
イタズラであればなおさらだ。監視の目が効いている時間帯を把握し、足のつかない器具をうまく使って小さな目的を達成する。無論、DSたちに見つかれば厳しい罰が待っているが、この緊張感がストレス耐性と技術の向上をもたらすのだ。
イタズラをやった方もやられた方もカラッとしたものだった。やられたのは自分の能力が足りなかっただけで、それが不快なら様々な能力の向上で相手を上回ればいいだけだ。つまり、偵察員たち全員にとってのモットーは常に【2位は負けの一番だ】ということだ。
一方、現在この偵察員寮では、厳しいDSの目は存在しない。だからというわけでもないが、この偵察員寮でも大小様々な大事にならないイタズラは続けられていた。
そこで偵察員たちに緊張感と技術の向上を図るために寮は歩哨に特別ボーナスを提示していた。偵察員たちのイタズラを現場で抑えた者には【2週間の特別休暇】が授与されるというものだった。この休暇はすべての事項に優先される。それは、<中央諸世界>が何らかの紛争状態に突入してすべての人員に対して緊急招集がかけられたとしても、である。
だから、先程の歩哨が目を皿のようにして金網の周囲を伺っていたのはそのチャンスを得んがためでもあったわけだ。だが、実際にそんな約得に預かることのできる歩哨は全くといっていいほどに存在しなかった。
偵察員達は皆知能が高く、あらゆる欺瞞行為の技術を身に着けていた。だから、歩哨達も彼らなりに知恵を絞った。彼らもイタズラをはじめたのである。
いわゆるマズローの5つの欲求段階説の最底辺、つまり生理的欲求にはいずれも人間を動物の領域に引きずり込む様々な欲求がある。
古来から女で身を滅ぼす人間は少なくないが、容姿端麗で異性のパートナーに不自由しない偵察員であればその手の誘惑にはある程度の耐性がある。だが、その理性を根本から崩壊させるような何かがあれば、あるいは……。
ある日、その夜に歩哨の当直につく兵士に一人の【シングル】(頭脳船とペアを組んでいない偵察員をこう呼ぶ)の偵察員が誘いを受けた。
体にほとんど悪質な影響を及ぼさない足のつかないドラッグが手に入ったというのだ。値段も手頃で悪くない話だとその偵察員は思った。待ち合わせは宇宙港の片隅で夜中の1時に待ち合わせの約束だった。
ちなみに、シングルの偵察員は緊急招集に対応するために寮にいる時間を制限されており、当然夜中の1時に外出していたのが発覚すれば厳罰に処せられることになるのはわかっていたが、DSの【チャンスは決して逃すな。それが例えどんな小さなチャンスであったとしても、だ】を実行に移すことにした。
当日の夜、待ち合わせの場所にその歩哨と偵察員は落ち合った。まず、歩哨は金を持ってきたかと「取引材料」の提示を求めた。
そして、偵察員の持ってきたクレジットを確認しながら、他の連中に知れると立場がまずくなるんだなどと言いながら、気の毒なほどひどく緊張した状態で周囲を盛んに伺い、偵察員をコンテナの影に誘った。
彼らは慎重に歩き、偵察員がコンテナの影に入った瞬間、偵察員は大勢の兵士たちに取り押さえられた。そう、件の歩哨が彼を罠にはめたのだ。
その偵察員は大勢の屈強な兵士たちに押さえつけられながら、ありとあらゆる悪口雑言を並べ立てたが、その歩哨がニヤニヤしながら彼を見下ろしているのに気づいて敗北を認めざるを得なかった。それ以降、偵察員が基地内で取り押さえられたという話を聞くことはなかった。
宇宙船の駐機エリアを取り囲むように設置されている高さ2mの金網から5mほど離れた場所にタナーは腰を下ろして周囲を注意深く伺っていた。タナーはまず、金網の周囲に張り巡らしてある圧感装置の欺瞞を行うことにした。金網を乗り越えようとしたり、切り裂いたりする
金網に注意深く近づいてきた哨兵がその光景を見て腹を立てて怒った。金網にはダンボール紙や、タンブルウィード(枯れると根本から折れて地面を転がり種を撒き散らす植物)、紙切れなどがくっついていた。そして彼は大声で怒鳴った。
「またかよ! 風の強い日は決まってこれだ。感知能力の高いハイテク機器も存外役に立たないぜ」
そう言って、彼はそれらの障害物を一つずつ取り除いて一息ついた後、金網のある部分を見つめた。金網には昔誰かが切断したあとが残っており、切断された穴の周りは今は金属の針金で編み込まれている。俗にモールズトンネルと呼ばれる金網に空いた穴を修復した部分だ。
無論モグラが開けた穴であるはずもなく、それはここの寮の
偵察員寮の技術及び費用で金網を交換するのは簡単だったが、それでは何の教育的効果も及ぼさない。だから、見せしめのためにここはそのままになっている。
無論、大の大人が全力で引っ張っても金網はびくともしないのは、修復作業が終了した時点で確認されている。哨兵はその部分に指をかけて軽く揺すったが、やはり金網はびくともしなかった。それを見て、哨兵は満足そうにうなずいた。どうせ今晩も何も起こらないに違いない。交代まで後3時間、せっかく勤務中に堂々とゆっくりできる大事な時間に、数分ごとに感知装置に呼び出されるのはゴメンだ。彼はそう思った。
そして、圧感装置の電源を切った。ほぼ可能性が0である2週間の特別休暇の可能性よりも
タナーは歩哨が彼の視界から消えたのを確認した後、ゆっくりとモールズトンネルに近づいた。そして彼は金網をゆっくりと引っ張ったが、金網は外れなかった。
彼は再び金網に手をかけたが今度はある角度から知恵の輪のように巧妙に力をかけたところ金網はあっさりとはずれ、宇宙港への路を開きタナーはほくそ笑んだ。
無論、偶然ではない。この穴を開けたはるか昔の偵察員がこの穴を修復したと同時に金儲けの種にしたのだ。特定の角度で力を加えると金網の一部が外れるように細工したのである。
彼はとっくの昔に亡くなっていたが、そこそこの対価と引き換えに代々この【秘密】は受け継がれ、先日、タナーはこの秘密をある偵察員から買ったのだった。
特に意味があって購入したわけではないが、彼はあらゆる無意味な束縛が嫌いだった。彼は決して秩序の破壊者というわけではなかったが、自由な気風を好むという性格は彼の生い立ちに負うところが大きいのかもしれない。
金網の穴を元通りに戻した後、彼は背筋を伸ばして堂々と宇宙船の駐機エリア目指して歩き出した。