The Ship who met.(出会った船-ヘルヴァ) 作:六位漱石斎正重
人は自分のいる場所が安全なエリアだと確信しているとき、そこに疑問を挟まない傾向が強い。金網の外に注意深く視線を走らせている哨兵も、金網の内側にいる人物にはまるで注意を払う素振りを見せなかった。
宇宙港内を堂々と歩き回るタナーが金網の向こうから来たという発想は、哨兵の思考の範囲外だった。人は周囲の環境を本能的に観察する生き物であり、違和感のある光景には敏感に感覚器が反応する。コソコソしたり、かがんでいたりすればそれは当然人目を引く要因になる。
若い頃には得てして自己顕示欲が様々なリスクを上回ることが多いものだが、タナーたちの仕事で目立って得をすることは何一つない。
古代の指揮官たちの中には自分の名前を敵に知らしめたり、兵士たちの士気を奮い立たせるために目立つ旗指し物や、鎧に派手な飾りをつける者も存在したが、タナーらは彼らとはその立ち位置が大きく異なる。
周囲をよく観察して周りに溶け込むこと。これもタナーが訓練学校で厳しく刷り込まれた心理学的な思考傾向だった。
タナーは何隻かの宇宙船のそばを通り過ぎ、幸いにも途中で出会ったメカニックや哨兵に誰何(すいか)されることもなく、最初に彼の目を引いた宇宙船にたどりついた。
巨大な純白の宇宙船だった。全長は300m程もあるだろうか、下から見上げているので船腹しか見えないが、タナーは素直にその船を美しいと思った。
全長はそこそこの長さだが、全幅はだいぶ狭くやけにほっそりしている船体だ。ペイロード(積載量)はまあまあ大きいだろうが、S型有人偵察艦(<中央諸世界>ではありきたりの2人乗りの宇宙船)にしてはかなり大きいし、逆に戦艦のように何千人も乗り込めるような船でもなさそうだ。
戦艦だとすれば小さすぎる。そもそも武装していないようにも見える。主砲やごてごてした対空装備を設置していればこの宇宙港に駐機できない。レグルスの高重力と大気圏突入時の摩擦に耐えられないからだ。それに巨大な戦艦を大気圏内で航行させれば膨大な燃料を消費するし、大気が汚染される。そして……何より事故が怖い。
タナーはあちこち場所を変えて宇宙船を眺めた。宇宙船には船名が刻印されているがここからでは見えない。船籍IDなら宇宙船の傍の中空に浮かんでいるディスプレイに表示されているが、手元の端末で船籍を確認してみてもヒットしなかった。
つまりこの船はまだ就役していない宇宙船ということになる。いわゆるneeds to know(知る必要がある者だけ知っていれば良い)の船なのだろう。タナーはそうと分かって俄然興奮してきた。
なぜなら、ここ最近10隻の頭脳船がロールアウト(運用開始)したばかりで、近い内に就航予定であることを知っていたからだ。内3隻がこの中央宇宙港所属の頭脳船となる。実際寮内ではその話で持ちきりだった。 いったい誰が彼女たちの心を射止めることができるのだろうかと、全員が神経を高ぶらせていた。
偵察員たちは皆不安だった。あの自信過剰気味なタナーでさえだ。彼らは女性を誘うのに苦労した経験はほとんど無いし、彼女たちが口にしそうなことや好みも熟知している。彼女たちを引きつける洗練された社交方法も、訓練や彼ら自身の十分すぎる経験から身につけている。
だが、相手は頭脳船だ。彼らの持ち前のstriking(ハッとするほどの)な容姿は恐らく役に立たない。つまり、偵察員という人間そのものの価値を見定められることになるのだ。
彼らは訓練生時代も含めて【2位は負けの一番だ】をモットーとしてきたが、絢爛華麗に見える彼らであっても中身はただの人間だ。自分は他の人間より能力が勝っていると断言することができても、
並外れた美貌と頭脳を持つ彼らの中にでさえ、中身が小ねずみのような者さえ普通に存在する。持って生まれたものが大きすぎるために、今までさしたる苦労もせずに成長してきたからだ。
だから、そういう者たちは心底こう思っていた。ああ、僕のスィートハニー、どうか僕の
タナーはその宇宙船のタラップの階段の前でかすかにためらう姿を見せたが、思い切って宇宙船の船腹に向かって注意深く声をかけた。
「やあ、誰かいるかい?」
突然足下から声をかけられたその宇宙船は、びっくりして船外探査機器をせわしなく働かせてあたりの様子をスキャンし始めた。
一人の男性がタラップの下部付近でこちらを見上げているのが見えた。彼女はまだ正式に就役する辞令を受けておらず、この時間に誰かの訪問を受ける予定もなかったので少しの間迷ったが、好奇心に負けて彼に返事をした。
「もちろんよ……あなたは偵察員?」
タナーは宇宙船からの返答をそれほど期待はしておらず、何も返答がなかったら素直に帰ろうと考えていたが、程なく船体外部に設置されたスピーカーから宇宙船が返答したために、慌ててタラップの上部にある踊り場の奥の方に顔を向けた。
そこに宇宙船の人格が存在するわけではないことをタナーは知ってはいたが、なにか意識を集中できる焦点が欲しい。そうでなければ不安でたまらない。もう
「ああ、今はオフだけどね」タナーはそう短く答えた。
宇宙船はしばらく彼を見つめた。生まれて初めて自分の相棒になるかもしれない偵察員と出会って、彼女の動悸は激しくなった。
もちろんこれまでに現役の偵察員と会って会話をしたことはある。でも結局、あれは
その内、彼女の心の中から浮ついた気持ちを鎮めるかのように冷たいものが染み出してきた。シェルパーソンに刻み込まれた【条件付け】の効果によるものだった。彼女は条件付けの手助けを借りながら懸命に気を静めようとした。そして自分に言い聞かせた。
バカね、何ドキドキしてるの? まだブローンに決定したわけでも何でもないのに……ガツガツしている『軽い女』だって見られそうでみっともないわ。
しばらく沈黙が続いた後、応答がないのを訝しんでタナーが口を開こうとした途端、宇宙船は何かを探るような口調で尋ねた。
「その……もしかしてあなたが私の相棒なの?」
何かを確認するような不安そうな宇宙船のその口調にタナーの緊張は若干ほぐれた。つまり、頭脳船であっても相手はロボットでも何でもなく、確固たる感情を持った一人の人間だと再確認できたからだ。
人は見かけで多くの情報を得るが、宇宙船の船体から人格を読み取り判断するのは困難だ。だが、なんとなく攻略地点を見つけたようだ。タナーは瞬時に気持ちを切り替えて上目遣いに物欲しそうな目をして宇宙船に返答した。
「俺はロバート・タナー……君のパートナーに決定していたのならよかったんだが、残念ながらいまだシングルの哀れな身さ。君がすべきたった一つのことは、偵察員寮に今すぐ連絡して、誰かこの船に乗りたい人はいないの? と尋ねることだけだよ」
「こんばんはタナー。私はコードネームXH-834ヘルヴァよ。まだ誰も来ないわ、多分適当な相棒がいなかったのね……」
彼女は自分では意識はしていなかったが、フォーマルな口調になるよう注意しつつもすねた感情が言葉のはしばしににじみ出た口調になってしまった。そして続けてこう言った。
「<中央>からはなんの指示もないし……」
独り言のようなヘルヴァの言葉は、今度ははっきりとすねた口調になった。それを聞いてタナーは頭の奥深くのデータベースから頭脳船の情報を引っ張り出してきた。
確か、今期ロールアウトする頭脳船は全員16歳位の少年・少女だったはず。それを思い出して彼には心理的にかなり余裕が生まれてきた。そして、少女を慰めるような口調で語りかけた。
「まあ、そんなにがっかりすることもないさ。だが、ちょうどあと7人の男がヤキモキしながらいつになったらブレインシップからお声がかかるのかと、爪を根本まで噛みながらもじもじして待っているところだと思うよ」
そう言いながらタナーはズカズカとタラップを登り始めた。そしてタラップの中央付近で足を止めて、再びタラップの踊り場の奥を見つめて話しかけた。
「正規の許可を取ってないけど、乗船してもいいかい?」
乗船許可を与えていないのに勝手にタラップを上がってくるタナーに驚き、わずかに呆れてもいたヘルヴァだったが、タラップの真ん中で立ち止まって、真剣な表情でこちらを見ている彼の顔を視界に捉えた彼女は思った。
ふーん、一応、決定権は私に譲ってくれるのね? でも、どうせダメって言ったって入ってくるんでしょ? 瞬間、彼女は少し意地悪してやろうかという気にもなったし、中央司令部からの辞令がないのに現役の偵察員だとはいえ勝手に船内に招き入れても良いものだろうかと迷ったが、少しの間考え込んだ後こう答えた。
「ええ、どうぞ」
私だってまだシングルなんだし、これで
「ありがとう」
彼にとっては無論、計算づくの行動だ。乗船許可が出ていないのに勝手にタラップを上がるのは禁止された行為ではあったが、こういうものは勢いが大事だ。お行儀よく返事を待っていたら大魚を逃がす。
今回の魚は絶対に逃したくなかった。彼はヘルヴァが自分を招き入れてくれたことには心底感謝していた。もっとも彼女に断られるとは彼は微塵も考えてはいなかったわけなのだが……。