The Ship who met.(出会った船-ヘルヴァ) 作:六位漱石斎正重
一方、この話をせがんだ当の本人は、子供らしく懸命に船を漕いでいたが、彼女はやれやれといった表情でアレックスを優しげに見守るのだった。本来交わることのなかったはずの二人の未来が、今分岐を始める。
宇宙港の滑走路脇のコンクリート舗装路を全力疾走で走る男がいる。男はそのままある純白の巨大な宇宙船のタラップの前まで走ったあと、身体をくの字に曲げて上半身を支えるかのように膝の上に手を置いた。
そして、まるで今まで息を止めて走ってきたかのように口を大きく開いてゼイゼイとあえいだ。鍛えられた広い肩幅は、彼の呼吸に合わせて膨張と収縮を繰り返していた。
ほんの僅かの間そうして身体を休ませたあと、男は上半身を起こし右手で耳のインカムを抑えるようにして、目の前の宇宙船とコンタクトするための周波数に合わせた。そして息を整えながらこう言った。
「XH-834号……カペラのジェナンが……乗船許可を求めます」
それを聞いて、彼の目の前にある宇宙船はジェナンのインカムにではなく、船外スピーカーを通して優しげなトーンで答えた。
「与えます」
それは、名実ともに二人がパートナーとなったことの公の宣言でもあった。もっとも、あたりには人気がなく彼らを祝福する人間も誰もおらず、明け方の時刻であたりは薄暗くムードのかけらさえなかった。だが、二人にとってそんなことはどうでも良いことだった。
彼女の返答はジェナンの期待した通りのものだったが、彼は改めて自分をブローンとして受け入れてくれた宇宙船に対して、長年の親友であるかのような不思議な感情を抱いた。
そして、宇宙船のタラップの上の踊り場付近に視線を向けてニヤッと笑みを浮かべた。そのことをヘルヴァは心地よい気分とともに思い浮かべた。そしてゆっくりとヘルヴァの時間は現在に戻っていった。
ヘルヴァは閉じていたまぶたをゆっくり開きながら、「……と、いうわけでジェナンというブローンを相棒に迎えることになったわけ」と、目の前の椅子に座っている少年に語りかけたが、当の本人は上半身が紙でできているかのように身体を前後に揺らしていた。
ヘルヴァはそのことに少し前から気づいてはいたが、特に何を言うわけでもなく今となってはほぼ独白に近い行為を行っていた。彼女はそれで全くかまわないと思った。
無論、最初は少年に過去の話をするために話を始めた。だが、ヘルヴァは話を続けるうちに自分の思考が、最も幸せだった過去のある時点へ飛んでいってしまったことに彼女自身気づかなかった。
目の前に少年がいること、偵察員キラとの別れ、パートナーが未だ決定しないことへの不安。その他諸々を置き去りにして、彼女は短時間だが確かに幸福感を感じていたのだった。
この感情は彼女だけのものであり、誰とも共有することはできない。彼女の感情は彼女のリアルそのものであり、それは言葉にした瞬間に【加工】されて微妙に異なる別のものになってしまうからだ。
彼女の思考を中断するかのように管制室から連絡が入った。制御柱の前に設置された椅子でうたたねをする少年アレックスの父親が彼を迎えに来るという連絡だった。彼女は眠っているアレックスを驚かさないように、ささやくような優しげな声で彼に話しかけた。
「アレックス? アレックス!」
「う……ん、何、ヘルヴァ?」
「お父様が迎えに来るそうよ」
アレックスはまぶたを三分の一開けたような状態で、周囲を見回した。そして自分がここに何をしに来たのかをにわかに思い出し、彼は頬を赤らめた。そして、本当に済まなそうにこう言うのだった。
「つい寝ちゃった…ごめんね、ヘルヴァ」
「いいのよ。さあ、下船の支度をしてアレックス」
「すぐ降りられるよ、リュックしか持ってこなかったから。お菓子をありがとう、ヘルヴァ……でも、お話は難しかったよ」
そう言って舌を出して肩をすくめるアレックスに、ヘルヴァは優しげな視線を投げかけたあと、彼の語のあとをついだ。
「そうかもしれなかったわね」
そう言って彼女は微笑んだ。だが次の瞬間、あることに思考が及んで彼女は口調を改めてアレックスに尋ねた。
「ねえ、アレックス……」
「何、ヘルヴァ?」
「あなたもブローンになるの?」
「んー、わかんない」
アレックスは子供らしい素直な口調で今の自分の心境を告げた。無理もない、いい年をした大人でさえ将来の自分のビジョンが見えなくなることだってある。まだ10歳程度の年齢ならなおさらだろう。彼は自分の発言の後をさらにつなげた。
「とりあえず今は昔のお話や、物のことをいっぱい知りたいなって」
「そう…」
そう言って、ヘルヴァは何かを考え込むかのように話を区切ったが、何気なくある可能性について言及した。それは彼女に深い考えがあったわけではなく、単純にアレックスの目下の希望に最も叶う一つの可能性を示したに過ぎなかった。
「この<中央諸世界>には【考古学探検局】という部署もあるわ」
「ふーん……」と、アレックスは特に関心がないような曖昧な返事を返した。
ヘルヴァはそんなアレックスの姿を視界に捉えながら、やや硬い口調で彼に話しかけた。
「あのね、アレックス……あなたが偵察局員に……いえ、頭脳船の相棒としてのブローンになるのなら一つだけ約束してほしいことがあるの……」
アレックスはヘルヴァの声の調子が明らかに硬いものに変わったのを、子供らしい敏感な感度でキャッチして顔を曇らせ身体を固くした。そして、彼女の次の言葉をじっと待った。その瞬間、ヘルヴァのコンソールに再び係官からの連絡が入ってきた。
「XH-834号、アレキサンダーを下船させたまえ、彼の父親が下で待ってる」
「了解しました、直ちに下船させます」
ヘルヴァは強い決意を持って、アレックスに言い含めるかのように語りかけるつもりだったが、割り込んできたコンソールからの連絡にその決意を折られてしまった。彼女は話すべきかどうか判断に迷い、黙ってアレックスを見つめた。
一方、ヘルヴァの話を硬い表情で待ち構えていたアレックスは、彼が思うより遥かに長い時間彼女が黙っているのを訝しく思ったが、彼女の声の調子からなにか大切なことを伝えようとしているのはわかったので辛抱強く待った。
ところが、1分ほど立ってもヘルヴァが話しかける様子を見せないことにじれて、アレックスは思い切ってヘルヴァに話しかけた。
「ヘルヴァ、約束してほしい事って何?」
こちらから問いかけたにもかかわらず、まるで耳が聞こえなくなったかのようにヘルヴァは無言を貫き、ただ黙ってアレックスを見つめ続けるのだった。さすがに不審に思ったアレックスが「ヘルヴァ……」と再び声をかけた瞬間、まるで止まっていた時が動き出したかのようにヘルヴァから応答が帰ってきた。
「ううん、なんでもないわ」
「そう?」と、アレックスは言ったが、ヘルヴァは何か言いたいことがあったのではなかったのだろうかと彼は不思議がった。
ヘルヴァは直前の深刻な口調などまるでなかったかのように、今度はうって変わって陽気な声で「元気でね、アレックス」と言った。
彼女の口調がもとの優しい調子に変わったのに気づいて、アレックスも元の明るさを取り戻し、元気よくヘルヴァに別れを告げた。
「じゃあ、またねヘルヴァ」
それはまるで、ちょっとでかけてくるね、と言ったくらいの気楽さで発せられた言葉だった。この広い宇宙では、もう二度と二人が会うことがない可能性があるということについて、彼は気が回らなかった。
船内通路をキョロキョロ見渡しながら歩いているアレックスの姿を、ヘルヴァは船内カメラに捉えながら心の中で彼に語りかけた。
アレックス……私……ジェナンのことが本当に好きだった。自分の命よりも彼のことが大切だった……本当よ? 彼が死に瀕していた時、私は彼を助けることができず自分の目の前で死なせてしまった。今でも、そのことを思い出すと胸が張り裂けそうな気分になるわ。
彼の死は全ての要素や関わった人間に原因がある。無論私も含めてね。惑星クロエでは、ジェナンはいつもの彼らしくなく、全く冷静さを欠いていた。
彼は惑星パルシーアで亡くなった彼の父親の名誉を、惑星クロエで回復させるために躍起だった。私は私で、父親に対する彼の心理的傾斜を情報部から受け取っておきながら、その重要性を軽視してしまった。
また、避難民の長が脱出を渋った時、無理やりジェナンを船に乗り込ませるべきだったのに、ジェナンに対する心理的圧力が不徹底だった。
さらに言えば、どうあっても巡航速度での脱出時間が足りないのがわかりきっていたのだから。脱出時のGを倍、いや3倍にすべきだった。そのせいで例え、全ての避難民が衝撃で押しつぶされて死亡しようともね。
ジェナンだったらなんとかする。彼ならその程度の突発的な状況の変化にはやすやすと適応できるのが私にはわかっていたから……。
こんなことを言うと頭脳船としての資質を疑われるかもしれないけれど、その時の私には避難民を含め他の人間の命はどうでもよかったのよ……本当にどうでも良かった。私が気がかりだったのはジェナンの事だけ……ジェナンの命だけだったのよ。
そこまで、ヘルヴァは心の中でアレックスに語りかけて再び彼の姿をじっと見つめた。アレックスは元気よくスキップしながら楽しげな様子で船内通路をエアロックに向けて進んでいた。
ヘルヴァはその様子を微笑ましく思ったが、それと同時に、過去の苦い失敗と後悔、そして深い悲しみに包まれている今の彼女にとっては、彼のその陽気さは多少疎ましいものでもあった。そして、再び彼女は心の中で彼に語りかける。
でもね、何をどうあっても彼の死は避けられなかったと思うの、今となってはね。彼の死を思い出してつらくなるのは今も変わらないけど、私が一番後悔しているのは……なぜ、もっともっと、ジェナンとの会話の時間を設けなかったんだろうと、いうこと。
もっともっと、彼と笑ったり泣いたりしたかった……もっともっと、彼の声や歌が聞きたかった。そして、どうでもいい些細なことでたまに喧嘩したりしたかった。それがもう二度とできない……そのことが私には一番つらい。
だからね、アレックス……もし、あなたがブローンになるつもりなら、相棒の頭脳船を悲しませるようなことはしないで……私達頭脳船はすべての悲しみを背負って永遠ともいえる月日を生き続けなければならないから……。
ヘルヴァは語りかけを終えると目を閉じて沈黙した。アレックスという少年との別れは、ヘルヴァにとっての一つの未来との別れだった。
XH-834を離艦したアレックスは待っている父親に駆け寄って、自分の体を思いっきりぶつけて父親のふとももにしがみついた。
父親はアレックスがぶつかってきたことによる衝撃が自分の思っていたものより強いことを知って、驚きもしたがそれ以上に子供の成長を大変嬉しく感じた。そして、もう来年にはこの子を受け止められないかもしれないなと、複雑な期待を心に抱いた。
親子並んで去っていく二人の後ろ姿を船外カメラに捉えながらヘルヴァは思った。願わくば、少なくとも自分の周りの人や関わった人たちには祝福を。そして悲しみに暮れる人が一人でも少なくなりますように……これはヘルヴァの本心から出た祈りの言葉だった。
END
--エピローグ--
なお、下船した少年の事だが、彼の名前は【アレキサンダー・ジョリ=シャントゥ】。のちに考古学探検局でもっとも名の知られることになる傑出した頭脳船【ヒュパティア・ケイド】の最初のブローンになる運命を持つ。今から17年後の話だ。
まず、シリーズを通して御覧頂いている方々に感謝を、また、一部でも目を通していただいている方々にも同様の感謝を申し上げます。
さて、今拙作についてですが、【歌う船】シリーズの【殺した船】と【劇的任務】の間に物語を差し込み、【旅立つ船】に登場する幼少時代のアレックスとへルヴァの出会いをメインに作成したものになります。
そして、私がニコニコ動画にアップした【歌った船】のストーリーが極めて中途半端だったこともあり、ヘルヴァがジェナンを選んだ経緯と、彼女と偵察員たちとの交流もこの際描写しようということでスクリプトを組んでいきました。
私の場合、作成を開始するときはいつもエンディングの設定を必ずやり、そこまでの詳細なルートは設定せずに作文していくスタイルを取っています。
そのため、しばしば冗長でくどい部分が現れる欠点があります。ちょっとしつこかったかなと言うところは、タナーとジェナンの訓練学校時代の描写です。
本来のタイトルとしてはヘルヴァとアレックスの出会いについて描写するべきだとわかってはいましたが、今拙作では本来脇役のはずだったロバート・タナーの人物描写に深みを与えるために、必要以上に調味料を入れすぎてしまった、という感じが否めません。
また、ヘルヴァとジェナンのストーリーは作文前の段階から、はちみつ漬けのデザートのようにするつもりは全くなかったので、彼ら二人の描写も少々くどくなった感は否定できませんでした。
なお、今回のスクリプトの大部分をこそぎ落とし、動画を作成しております。スクリプトの大部分を削ったのにもかかわらず、35分もある動画なので本当にご興味があれば、ということでお願いします。
ちなみに本動画が筆者の最後の動画となります。今後動画作成については予定はありません。
出会った船The Ship Who Met-HELVA
https://www.nicovideo.jp/watch/sm32573840