ある夏の日の午後。天野家のリビングでは、景太が鼻息荒く一枚のチラシをテーブルに広げていた。
究極の恐怖!さくらニュータウン肝試し大会
そのチラシには、おどろおどろしい文字で大会の告知が躍っている。ルールは単純明快。「一番多くの人間を恐怖のどん底に陥れたチームが優勝」というものだ。
景「アラスター! これ見てよ、これ!」
ソファで優雅にコーヒーを啜っていたアラスターが、片眉を上げてチラシを覗き込む。
アラ「ほう、肝試しですか。現世の人々というのは、態々恐怖を買いに出かける奇妙な趣味をお持ちのようですね」
景「そんなことより、これだよ! 優勝賞品! 『エポックマン』の限定ゴールドフィギュアなんだ! ネットオークションでも滅多に出ない超レア物なんだよ。俺、どうしてもこれが欲しいんだ!」
景太の目は完全に血走っている。フィギュアへの執念は、ある意味で悪魔よりも凄まじい。
景太は身を乗り出し、アラスターの細い肩をがっしりと掴んだ。
景「そこで相談なんだけど、アラスターも一緒に出てほしいんだ! ほら、アラスターって本物の悪魔じゃん? 本気の力を見せれば、優勝なんて間違いなしだよ! 地獄の本場の恐怖をさくらニュータウンの連中に叩き込んでやろうよ!」
景太の作戦はいわば「チート」だ。地獄の有力者を地元のイベントに投入すれば、他の参加者が束になっても勝てるはずがない。景太の脳内では、すでにエポックマンのフィギュアを飾る棚のスペースが確保されていた。
だが、アラスターはいつもの不敵な笑みを崩さないまま、器用にカップを置いた。
アラ「ニャハハハ! 実に素晴らしいお誘いですねぇ。ですが……申し訳ございません。そのお誘い、お受けするわけにはいかないのです」
景「ええっ!? なんで? フィギュアに興味ないのは知ってるけど、俺の願いだよ!?」
アラスターは杖を一本の指で回しながら、困ったような、それでいてどこか自慢げな表情を作った。
アラ「実は私、この家にホームステイを始めてからというもの、町を散歩しながら色々な方々の悩みを聞いたり、ちょっとしたアドバイスを差し上げたりしておりましてね。お陰様で、この界隈では結構
景「悩み相談……? アラスターが?」
アラ「ええ。奥様方の愚痴から、商店主の経営相談まで。地獄の住人に比べれば、彼らの悩みは実にシンプルで可愛らしい。そんなことを続けていたら、なんと今回の大会運営の方々から直々に依頼されてしまったのですよ。『大会を盛り上げる特別プロデューサー』としてね!」
景「盛り上げ役……って、運営側なの!?」
アラ「その通り! 私の演出能力と、ラジオ向きのこの美声を買われましてね。当日は会場の音響、霧の演出、そして最も恐ろしい仕掛けの総指揮を任されているのです。ですから、特定のチームに加担するわけにはいかないのですよ」
景太は愕然とした。最強の味方だと思っていた同居人は、いつの間にか町の人気者(?)になり、イベントの主催者側に回っていたのだ。
景「そっか……。アラスターが運営相手じゃ、普通にやっても勝てっこないよ……」
アラ「ニャハハ! 諦めるのはまだ早い。私という『壁』を乗り越えてこそ、エポックマンを手にする資格があるというもの。せいぜい精進することですね、ケータくん!」
アラスターはそう言い残すとラジオのノイズ混じりの笑い声を上げながら軽やかな足取りでキッチンへと消えていった。
景「どうしよう……。アラスター抜きで、誰かめちゃくちゃ怖い友達を呼び出さないと……」
エポックマンへの道は、想像以上に険しいものになりそうだった。
ーーー
夜の帳が下りたおおもり山は昼間の賑わいが嘘のように静まり返り、どこか禍々しい空気を孕んでいた。木々の隙間から差し込む月光が、複雑な影を地面に落としている。
そんな中、神社の境内に集まった参加者たちの熱気だけは異常だった。
クマ「おいケータ、お前も本当に参加するんだな?」
大きなリュックを背負ったクマが、隣の景太に声をかける。
景「もちろん! あの限定ゴールドフィギュア、絶対に俺が優勝して手に入れてみせるよ!」
気合十分の景太の横でカンチが首のヘッドフォンをいじりながら感心したように頷いた。
カン「それにしても、今回の肝試しは面白いよね。『怖がる』んじゃなくて『怖がらせた方が勝ち』なんてさ。そのルールのおかげで、普段はビビりな奴らまで大勢参加してるみたいだよ」
そんな男子三人の会話に、柔らかな声が混じった。
文花「あ、みんなも来てたんだね」
景太「フミちゃん! フミちゃんも参加するの?」
文花は少し申し訳なさそうな顔をして、景太の目を見つめた。
文「うん。……あ、それとケータくん。この前の海のこと、本当にごめんね。私、とんでもない誤解をしちゃって……アラスターさんから事情を聞いて、自分の想像力のたくましさが恥ずかしくなっちゃった」
景「ぜ、全然気にしてないから大丈夫だよ! むしろ、あんな風に思わせちゃった俺も悪かったし……あはは」
景太は慌てて手を振って笑った。アラスターの見事な(そして嘘まみれの)口八丁のおかげで、あの絶望的な「ハレンチ疑惑」は、今では「熱血コーチのスパルタ特訓」という微笑ましいエピソードとして消化されている。
その時、神社の舞台にスポットライトが当たり、不気味なジャズ・ミュージックがどこからともなく流れ始めた。
観客の視線が一斉に舞台へ向けられる。そこへ真っ赤なスーツを着たアラスターが現れた。
一枚の大きなモザイクガラスを掲げながら。
(((モザイクガラス……!?)))
観客席からどよめきが上がる。そのガラス越しに見えるアラスターの姿はデジタルノイズが走ったようにグニャリと歪み、素顔を拝むことはおろか、表情さえも読み取ることができない。
クマ「な、なんだありゃ。本当にテレビや映像に映りたくないんだな、アラスターさんって……」
カン「聞いた話なんだけどさ、アラスターさん、今回の運営を引き受ける時に『絶対に映像や写真には残さない』っていう条件を絶対に譲らなかったそうだよ。あんな風に物理的に自分の顔にモザイクをかけるなんて逆に新しいよね」
アラスターがマイク―それも、30年代の古いラジオ局で使われていたような重厚なスタンドマイク――の前に立つ。その瞬間、スピーカーからは真空管が震えるような心地よいノイズが響いた。
アラ「皆様、こんばんは! この不気味で素晴らしい夜にようこそ!」
アラスターの声は、モザイクガラスで顔を隠しているにもかかわらず、驚くほど艶やかで、聴く者の心を一瞬で掴んで離さない。
アラ「本日は皆様に、自分の中に眠る『怪物』を解き放っていただきます! 恐怖を与える快感、叫び声を聴く悦び……。ああ、想像しただけで私の針ダイヤルが振り切れそうです!」
彼の軽妙で、それでいてどこか背筋が寒くなるようなトークに、会場の大人も子供も一気に引き込まれていく。アラスターが冗談を飛ばせば笑いが起き、彼が語る短い怪談には誰もが固唾を呑んで聞き入った。
クマ「やっぱりアラスターさんの話はおもしれーな! あの人、本当は何者なんだよ」
カン「うん、あの独特の世界観に惹かれる人が続出してるっていうのも頷けるよ」
会場全体がアラスターという男のペースに飲み込まれていく中、ただ一人、文花だけが眉をひそめていた。
文「…………」
文花は、景太の隣で熱狂するクマたちの影を見つめる。
アラスターの言葉は完璧だ。彼の振る舞いも、話術も、すべてが「最高に魅力的なパフォーマー」そのもの。
けれど、文花の目には、あのモザイクガラスの向こう側で、アラスターが「この場にいる全員を、ただのチェスの駒か何かのように見下して笑っている」ような、そんな寒気がするほどの違和感が見えていた。
文(アラスターさん……本当は、何のためにこんな大会をプロデュースしてるの……?)
文花の疑惑を余所に、アラスターは優雅にステッキを振り上げ、高らかに宣言した。
アラ「それでは、地獄の扉を開きましょう! さあ皆さん、私を楽しませてくださいねぇ!」
景太は興奮して拳を握りしめた。これから始まる大会が、ただの肝試しでは済まないことを、この時の景太はまだ知る由もなかった。
ーーー
おおもり山の静寂は、夜が深まるにつれて密度を増していく。
街の明かりが届かない深い森の中では、木々の葉が擦れる音さえも、誰かの囁き声のように聞こえた。
くじ引きの結果、早めに審査員としての役割を終えた景太は、いよいよ「怖がらせる側」として指定された持ち場へと向かった。そこは、竹藪と木々が立ち並ぶ山の中でも特に不気味なエリアだ。
景太は周囲に誰もいないことを確認すると、懐から悪魔ウォッチを取り出した。
景太「……出てきて、みんな!」
淡い光と共に、四体の影が実体化する。
隆起した筋肉と真っ赤な肌を持つ巨漢「妖鬼オニ」。
威厳と邪悪さを兼ね備えた翼を持つ「妖鬼ダイモーン」。
痩せこけた体に不気味な「妖鬼ガキ」。
そして、闇に溶け込むような奇妙なシルエットの「夜魔モコイ」
景「良〜し! みんなで人間をたくさん怖がらせて、絶対優勝するぞ! 目指せ、限定ゴールドフィギュア!」
悪魔「「オーーー!!」」
景太の号令に、悪魔たちは力強く応えた。やる気は十分だ。景太は意気揚々と、小道具の配置や隠れ場所のチェックを始めた。
しかし、景太が少し離れた場所で小道具を確認している隙に、四体の悪魔たちは頭を突き合わせ、低い声で囁き合った。
オニ「……おい。ケータはああ言っているが、正直最近の人間はどうだ?」
ガキ「ケケッ……ダメだ。スマホとかいう光る板ばかり見てやがる。CGだのVRだのに慣れすぎて、ちょっとやそっとの物音じゃあ、鼻で笑われるのが関の山だぜ」
モコ「……同感だ。去年の肝試しでも、俺のブーメランを見て『コスプレ乙』と言い放ったガキがいた。屈辱だ……」
ダイモーンが大きな翼を静かに広げ、鋭い瞳で闇を見据えた。
ダイ「いいだべか?今回のプロデューサーはあのアラスター様だっぺ。生半可な驚かしでは、ケータの評価どころか、我々の存在価値すら疑われかねん……人間どもが『これ以上進んだら本当に死ぬ』と本能で理解するほどの、“本物の恐怖”を刻んでやる必要があるっぺよ」
オニが鉄槌を軽く握り直し、ニチャァと口角を吊り上げた。
オニ「少々、過激にやったってバチは当たらねぇだろう。ケータには内緒だ。奴は甘いからな……。俺たちが独自に、『演出のギア』を上げさせてもらうぜ」
ガキ「ヒヒッ……生々しいのがいいよなぁ? 喉元を掻き切るような音とか、腐った肉の臭いとか……」
彼らの合意は一瞬だった。景太が望んでいるのは「楽しい肝試しでの優勝」だが、彼らが実行しようとしているのは、参加者の精神を永遠に削り取るような「ガチの魔界流・惨劇演出」だった。
景「おーい、みんな! 配置についた? そろそろ最初の参加者が来るよ!」
景太の明るい声が響く。彼はまだ知らない。自分の背後に控える四体の悪魔たちが、もはや「肝試しのエキストラ」ではなく、獲物を待つ「捕食者」の顔をしていることに。
オニは巨体を竹藪の隙間にねじ込み、薙刀にべっとりと「偽物ではない血の匂いのする魔力」を纏わせた。
ガキは木々の上を音もなく這い回り、通りかかる者の首筋に腐敗した吐息を吹きかける準備を整える。
モコイは闇そのものと同化し、影を伸ばして逃げ場を塞ぐ算段を立てた。
そしてダイモーンは、空間そのものを歪ませ、このエリア全体を一時的な「異界」へと変質させ始めた。
景「みんな、気合入ってるね! よーし、最高の夜にしようぜ!」
景太の能天気なエールを合図に、最初の参加者の足音が近づいてきた。
それは、最新のスマホを片手に「全然怖くないんだけど〜」と余裕をぶっこいている、地元の生意気な高校生グループだった。
彼らはまだ気づいていない。
これから足を踏み入れる場所が、アラスターが演出し、悪魔たちが暴走させた、現実と地獄の境界線であることを…。
ーーー
おおもり山の静寂は今や「死の沈黙」へと塗り替えられていた。景太が霧発生装置の点検で少し持ち場を離れた隙に、四体の悪魔たちは約束通り、地獄の蓋を完全にこじ開けた。
最初の犠牲者は、スマホを片手に「マジでだりぃんだけど」と笑っていた三人の高校生グループだった。
彼らが景太のいるエリアに踏み入ると同時に、気温が氷点下まで急降下した。
「……あれ、なんか寒くね?」
一人がスマホのライトを向けた先。そこには、ガキが獲物(演出の為のセット)の腹を割き、零れ落ちた臓物を貪り食っている光景があった。
「う、うわあああ!」と悲鳴を上げて逃げ出そうとした彼らの足元を、モコイの影が蛇のように這い上がり、足首を「ミシミシ」と音を立てて締め上げる。
ガキはニチャァと笑い、口いっぱいに含んだ腐敗臭のする粘液を高校生の顔面に直接吐きかけた。鼻と口に流れ込む、死体の腐ったような味。嘔吐する彼らの背後から、オニがゆっくりと姿を現す。
オニは逃げ惑う少年の一人の肩を、巨大な指で「ぶちり」と掴んだ。
「ぎゃあああ! 腕が、腕がぁぁ!!」
実際には腕はまだ繋がっている。だが、オニの魔力が少年の脳に直接「肉が引き千切られる激痛」の信号を送り込んでいた。
ダイモーンはさらに残酷だった。彼は空間を歪ませ、遠くに「出口の光」を見せたのだ。
「あ、あそこだ! 出口だ!」
這うようにして光へ向かう彼ら。だが、指が光に触れた瞬間、それは巨大な口へと変貌した。
ダイ「……残念だったな。そこが地獄の入り口だ!!イヒー!!!」
ダイモーンの翼が高校生たちを包み込む。暗闇の中で彼らが見たのは、自分たちの親や友人が無残に解体され、血の海で踊っている地獄の幻覚だった。脳が処理しきれない情報の濁流。一人の少年は白目を剥き、口から泡を吹いてその場に崩れ落ちた。
「あ、あ、あ……」
残りの二人も、腰が抜けて動けない。そこへオニが、鉄槌で地面を叩き割る。衝撃波で彼らの鼓膜は破れ、鼻から鮮血が噴き出した。
彼らの精神はもはや「恐怖」という概念すら超え、修復不可能なまでに砕け散っていた。
その惨状を離れた場所でモザイクガラスを掲げたアラスターが、悦びに震えながら見つめていた。彼の杖に備わった目玉が、獲物の絶望を余すことなく捉えている。
アラ『ハロー、エブリワン! さあ、素晴らしい旋律が聞こえてきましたね! 心臓の鼓動、肺を抉るような悲鳴、そして精神がパリンと割れる心地よい音! 10点、10点、文句なしの10点です! この若者たちの魂が真っ白に燃え尽きる様は、最高にラジオ向きな光景だ! ニャハハハ!!』
アラスターの声は、目に見えない電波となって山全体に響き渡る(一般人にはただのノイズにしか聞こえないが…)。彼はこの狂ったショーを心底楽しんでいた。
景太が「準備できたよー!」と戻ってきた時、そこにはいつもの(ように見える)悪魔たちと、気を失って「運び出される」参加者たちの姿があった。
景「あれ? 今の人たち、もう終わったの? どうだった?」
オニ「ああ。バッチリ怖がらせといたぜ。 腰を抜かして立てねぇくらいにな!」
ガキ「ケケッ、最高のリアクションだったぜ、ケータ!」
彼らは自分たちがさっきまで高校生たちの精神を文字通り「咀嚼」していたことなど、おくびにも出さない。景太は「そっか! よし、この調子で優勝だ!」と無邪気にガッツポーズをした。
オニは景太の反応に満足したのか、さらに過激な提案を口にした。
オニ「なぁケータ。もっと評価を上げたいなら、『妖鬼イッポンダタラ』も呼んだらどうだ? あいつのプレッシャーがあれば、もっと怖さが増すぜ」
景「イッポンダタラか! 良いねそれ! 一本足の怪物が闇から出てきたらみんなもっと驚くよ!」
景太はすぐさま悪魔ウォッチにメダルをセットし始める。
アラスター「素晴らしい判断です、ケータくん! さらに『本物の恐怖』を積み重ねていきましょう! ニャハハ!」
アラスターの笑い声が、闇に溶ける。
景太は気づいていない。次にやってくる参加者が、ただの肝試しではなく、文字通り「一生戻れない恐怖の迷宮」に足を踏み入れることになるのを。
召喚されたイッポンダタラが巨大な一本足で地面を蹴り、闇の中から咆哮を上げた。
イッポン「呼ばれたからには、ここの木も、ついでに人間どもの精神こころも、全部まとめて粉砕してやるぜ!!」
彼の参戦により、肝試しの会場はもはや「アトラクション」の域を完全に逸脱した。イッポンダタラが跳躍するたびに地震のような衝撃が走り、大量の竹が一気にマッチ棒のようにへし折れる。逃げ惑う参加者たちの背後で、巨大な岩石が砕け散り、鋭利な礫が礫が肌を切り裂く。
阿鼻叫喚の地獄絵図を特等席で見つめるアラスターは、杖を指揮棒のように振り回し、狂喜の笑みを浮かべていた。
アラ『素晴らしい! これですよ、これ! 暴力的な破壊音と、絶望に満ちたソプラノの悲鳴! まさに最高のジャズ・ミュージックだ! ニャハハハハ!!』
そんな狂乱の渦中に次の参加者がやってきた。景太が密かに想いを寄せる少女、文花だ。
彼女がエリアに一歩足を踏み入れた瞬間、悪魔たちがニヤリと下卑た笑みを浮かべる。
ガキ「ケケッ……おいケータ。あいつ、お前の好きな女だろ? 手加減してやるか? それとも……」
オニ「好きな女が恐怖で顔を歪め、許しを乞う姿……それもまた一興だぜ?」
景太は一瞬、激しく動揺した。文花を怖がらせたくないという本音と、優勝への執念がぶつかり合う。
しかし、悪魔たちは畳み掛けるように発破をかけた。
ガキ「おいおい、ひよってるのか? 好きな人だからって贔屓するのは、真剣に取り組んでいる他の参加者にも、そしてアイツ自身にも失礼だぜ。……『本気』を見せてやるのが、本当の誠実さってもんだろ?」
景太はその言葉に、毒されたような納得感を覚えた。
景「……そうだよね。手加減なんて、フミちゃんに失礼だ。……よし、みんな! 手加減なしだ。全力でやっちゃって!」
悪魔「「おう!!」」
文花が霧の深い森を進むと、突如として周囲の音が消えた。
―ドゴォォォォン!!
背後でイッポンダタラが、彼女が今しがた通り過ぎた道を巨大な鉄槌で叩き潰した。逃げ道を完全に塞がれた文花が悲鳴を上げる暇もなく、モコイの影が彼女の四肢に絡みつき、空中に吊り上げる。
文「嫌ぁぁっ! 離して、何なのこれ!?」
そこへガキが彼女の耳元まで這い寄り、眼球を口に含みながら囁いた。
ガキ「ケケッ……いい声だ。その声のまま、喉を掻き切ってやりてぇよ……!」
抉り取られた眼窩から溢れ出す黒い血が、文花の白いブラウスを汚していく。
ダイモーンが指を鳴らすと、文花の視界に「最悪の幻覚」が投影された。
目の前で景太が、オニによって生きたまま四肢を一本ずつ引き千切られ、内臓をぶちまけながら「助けて、フミちゃん……!」と絶叫している光景だ。
肉が裂ける生々しい音。飛び散る血飛沫の熱さ。鼻を突く鉄臭い死の臭い。
文「いやあああああああ!! ケータくん! やめて、お願い、やめてぇぇぇ!!」
極限の恐怖と悲しみで、文花の精神は瞬く間に摩耗していく。そこへ仕上げとばかりに、イッポンダタラが彼女の目の前にある巨岩を粉砕した。
飛散した石の破片が文花の頬を掠め、鮮血が舞う。
オニが彼女の髪を掴んで無理やり顔を上げさせると、そこには皮膚を剥ぎ取られ、筋肉と神経が剥き出しになった悪魔たちが、愉悦に歪んだ顔で彼女を取り囲んでいた。
文「あ、あ、あぁ……っ」
文花の瞳から光が消え、焦点が合わなくなる。過呼吸を起こし、泡を吹いて痙攣する彼女。恐怖が脳の許容量を突破し、精神がピシリと音を立てて砕ける瞬間を、悪魔たちは貪るように見つめていた。
アラスターは、その光景をスピーカー越しに実況し続けた。
アラ『 見てください、この純粋な絶望を! 信頼していた幼馴染が自分を嬲り殺している(という幻覚)を見る少女の、この世の終わりを告げるような慟哭! 骨の髄まで響き渡るような、最高に生々しいサウンドだ! ニャハハハ! 100点……いや、1000点だ! ケータくん、君は実に素晴らしい『虐殺の指揮者』だ!!』
アラスターの影が、絶望に染まった文花の周囲を踊るように駆け抜ける。
一方、何も見えていない景太(幻覚の演出中だと思っている)は、岩陰でガッツポーズを作っていた。
景「よーし! フミちゃん、あんなに叫んでる! これ、絶対に最高評価だよ! 悪いけど、優勝は俺がもらうからね、フミちゃん!」
景太の背後では、四肢を痙攣させ、廃人のように涙と涎を流し続ける文花の姿があった。
闇に沈んだおおもり山の奥深く。狂気と悲鳴が支配する中、アラスターは満足げに細長い指で拍手を送っていた。
アラ「いやぁ……実に、実に最高でしたよ! 絶望の旋律、弾ける精神の音……これこそが極上のエンターテインメントだ!
……まぁ、あの少女が『本物』であったなら、さらに芳醇な香りが楽しめたのでしょうがねぇ」
アラスターの赤い瞳が、虚空を鋭く射抜く。
彼の視線の先―そこには、無残に解体され廃人となった「文花」が転がっていた。だが、アラスターはその正体を見抜いていた。
それは肉体を持たない、ただの精巧な「幻」であることを。
ー文花saidー
文(……あれが、悪魔……。あんなに恐ろしい存在が、この森に……)
茂みの奥深くに身を潜め、文花は荒い呼吸を殺しながら、自分と瓜二つの姿をした幻が蹂躙される様を凝視していた。
彼女の隣では、同じく顔を青ざめさせたウィスパーがガタガタと震えている。
この「文花」は、彼女が新たに友達になった妖怪「まぼ老師」が作り出した身代わりだ。なぜ彼女がこんな危険な真似をしているのか。それは、審査員として山に入る直前の出来事に遡る。
ー数十分前ー
森の奥から、泣き叫ぶ声と共に妖怪たちが転がるように逃げてきたのだ。
キュン太郎「助けてぇー! 怖い、怖いよぉ!!」
ヨコドリ「悪魔だ! 本物の悪魔が現れて、森を、俺たちの住処をめちゃくちゃにしてるんだー!!」
傷だらけの妖怪たちの姿に、文花は衝撃を受けた。
文(悪魔……!? それって、あのラジオデーモンと同じ……!)
文花は直感した。あの不気味な悪魔がこの肝試しを隠れ蓑にして何か恐ろしい「侵略」を始めているのだと。
放っておけば妖怪たちも、そして何も知らない参加者たちも、みんな餌食にされてしまう。
文花はウィスパーと共に密かに森の深淵へと足を踏み入れた。そして見つからないよう、まぼ老師の力を借りて自分の幻影を囮にし、悪魔たちの正体を探っていたのだ。
そこで彼女が目にしたのは、人間の想像を絶する残虐な光景だった。
名前も知らない悪魔たちが、自分の幻を「本物の人間」だと思い込み、物理的に、そして精神的に徹底的に破壊し尽くす様を…。
文(許さない……)
文花の胸の中に、恐怖を塗り潰すほどの激しい憤りが燃え上がった。
文(自分たちの楽しみのために、妖怪たちの住処を荒らして、何の罪もない人たちの心まで壊して……! こんなの、絶対に許しちゃいけない!!)
文花は決意を固めた。この場にいる悪魔たちをすべて追い払い、森の平和を取り戻すと。
文「ウィスパー、やるよ! 最強の友達を呼ぶわ!!」
ウィス「フ、フミちゃん! 正気でうぃすか!? 相手はあの、伝説のラジオデーモンまでいるんですよ!?」
文「関係ない! 私が……私たちが止めなきゃダメなの! いって、キュウビ!!」
文花が妖怪ウォッチにメダルをセットしようとした、その瞬間だった。
ウィスパー「フミちゃん、危ないっっ!!」
文花「えっ!?」
突如として、背後の闇を切り裂き、巨大な影が超高速で突っ込んできた!
ウィスパーが身を挺して彼女を突き飛ばしたおかげで、直撃だけは免れた。しかし、その衝撃で文花の体は数メートルも吹き飛ばされ、硬い木の根に頭を強く打ち付ける。
文「……っ、あ……」
視界がぐにゃりと歪み、手に持っていたメダルが指先からこぼれ落ちた。
ウィスパー「フミちゃん! しっかりするでうぃす! フミちゃん!!」
ウィスパーの悲痛な叫びが遠のいていく。
文花の意識は、深い、深い闇の底へと沈んでいった。
ー文花saidoutー
景「あれ? フミちゃんがいない!」
霧が晴れ始めたエリアで景太は呆然と声を上げた。
さっきまで廃人のように転がっていたはずの文花の姿が、煙のように消え去っていたからだ。
オニが角の付け根をごりごりと掻きながら、不機嫌そうに吐き捨てた。
オニ「あ〜……こりゃあ、本物の人間じゃねぇな。おそらく妖怪の仕業だぜ。ケータ、俺たち一杯食わされたってわけだ」
ダイモーンも大きな翼を畳み、忌々しげに鼻を鳴らす。
ダイモーン「妖怪にはそういう幻を見せて化かすのが得意な手合いがいるからな……。オラ達、まんまと出し抜かれたっぺ」
それを聞き、景太の胸には複雑な感情が渦巻いた。フミちゃんをあんなに酷い目に遭わせずに済んだという安堵と、せっかくの「過去最高の恐怖演出」が台無しになったという、悪魔ウォッチ使いとしての残念な気持ち。
だが、その思考は一瞬でかき消された。
――ドドドドドドドド!!!
地面の揺れる振動と音と共に、森の奥からとんでもない速さの「影」が突っ込んできた。
オニ「危ねぇっ! 下がれケータ!!」
オニ、ダイモーン、イッポンダタラが瞬時に景太の前に立ち塞がり、肉の壁を作る。しかし、その影が放つ凄まじい衝撃波は、巨体を誇る悪魔たちさえも木の葉のように軽々と吹き飛ばした。
景「みんな!!」
仲間の悪魔たちが地面を転がる。遮るものがなくなった景太の目の前に、死の影が迫る。その直前―。
アラ「おやおや、危ないところでしたねぇ。ご無事ですか、ケータくん?」
景太の背後から、無数の黒い触手が影のように伸びた。
いつの間にか「悪魔」の姿へと変貌したアラスターが、その触手を檻のように編み上げ、突進してきた「ソレ」を空中で強引に絡めとったのだ。
アラスターの影から噴き出した触手に拘束され、激しく暴れる「ソレ」。雲間から差し込んだ月光が、その異形を不気味に照らし出す。
白い鬣に猿の頭、胴体は狸、手足は虎の鋭い爪を備え、そして尻尾は先端に「生きた蛇の頭」を持つ長い大蛇。
景「これって……まさか……!」
アラ「ええ。その通り、これは『妖獣ヌエ』ですね。古の時代から恐れられてきた伝説の獣だ」
ヌエ「グォォォォォォォォォォォ!! ヒィィィィィッ!!」
ヌエは猿のような叫びと、蛇の威嚇音が混ざった、この世のものとは思えない不協和音を上げて吠え散らした。よく見ると、その強靭な体には無数の深い傷が刻まれ、そこからどす黒い負のオーラが漏れ出している。
アラ「どうやら、相当に興奮しているようですねぇ。これではまともに話し合うことも、私のラジオに出演させることも叶いません。……やれやれ、野生の獣というのは実に手がかかる」
アラスターは眼鏡を光らせ、口角を吊り上げた。
アラ「戦かって、力ずくで落ち着かせるしかなさそうですね」
アラスターが指をパチンと鳴らすと、おおもり山の山頂付近を覆い尽くすほどの広大な「血のように赤いドーム状のバリア」が展開された。
アラ「これで外の世界への影響も、人間への被害も出ません。念のために、他の参加者や運営の皆様も、私の使い魔たちが安全な場所(あるいは幻覚の中)へ避難させておきました。……さあ、邪魔者は誰もいませんよ」
吹き飛ばされていたオニたちが、土埃を払いながら景太の前に再び集結した。
景「みんな、大丈夫!? さっきの直撃、凄かったけど……」
オニは口元に溜まった血を親指で拭い、不敵に笑ってみせた。
オニ「心配ねぇよ。悪魔はタフなのが取り柄だからな。……あんな得体の知れねぇ獣に、ケータは指一本触れさせねぇぜ」
イッポンダタラも巨大な足をドスンと踏み鳴らし、気合を入れ直す。
アラ「素晴らしい! それでは……狂乱のバトル、スタートです!!」
アラスターの触手の拘束が解かれた瞬間。
重力から解き放たれたヌエが、雷鳴のような咆哮を上げて景太たちに襲い掛かってきた。
赤いバリアに包まれた閉鎖空間は、一瞬にして伝説の獣と悪魔たちがぶつかり合う凄惨な戦場へと変貌した。
ヌエの動きは、その異様な巨体からは想像もつかないほど速かった。猿の顔を歪ませて吠えると、次の瞬間には残像を残してバリアの壁面を縦横無尽に跳ね回る。虎の手足が地面を削り、岩を粉砕する音が鼓動のように響く。
だが、その超高速の移動を読み切っていた者がいた。
アラ「逃げ足だけは一級品のようですね!」
先回りしたアラスターの影が爆発するように膨れ上がり、悪魔化させた巨大な腕が虚空から出現した。漆黒の爪が空気を切り裂き、必殺のタイミングでヌエの胴体を捉える。
―ドォォォン!!
凄まじい衝撃波と共に、ヌエの体はボロ雑巾のように吹き飛ばされ、石塔が並ぶ地面へと叩きつけられた。土煙が舞い上がる中、アラスターは不敵にステッキを回す。
アラスター「さあ、畳み掛けなさい!」
アラスターの号令に、三体の悪魔たちが間髪入れずに襲いかかった。
ダイ「逃さねぇぞ……こいつで穴だらけにしてやるっぺ!
『めった刺し』!!」
空高く舞い上がったダイモーンが、急降下と共に三叉の槍を閃かせる。
超高速の連続突きが、倒れ伏したヌエの背中に降り注ぐ。一突きごとに肉を裂く鈍い音が響き、ヌエの皮膚からどす黒い体液が噴き出した。
ダイモーンが飛び退くと同時に、地響きを立ててオニが肉薄する。
オニ「これでも喰らって、大人しくなりやがれぇ!!『ぶっ潰し』」
丸太のような剛腕が振り下ろされ、魔力を込めた拳がヌエの頭部を正確に狙い撃つ。大地がクレーター状に陥没し、ヌエの骨が軋む不気味な音が辺りに轟いた。
仕上げはイッポンダタラだ。巨大な一本足で高く跳躍し、右手に持った巨大なハンマーに全体重を乗せて落下する。
イッポン「『ぶちかまし』!!」
ハンマーがヌエの脇腹に直撃した。衝撃でヌエの体が「く」の字に折れ曲がり、数本の肋骨が砕ける感触が景太の元まで伝わってくる。
イッポン「一丁上がりだぁぁぁ!!」
しかしー!
ヌエ「キィィィィィィィィィィッ!!!」
これほどの波状攻撃を受けてなお、ヌエは死んでいなかった。それどころか、受けたダメージを怒りに変え、全身の毛を逆立てて立ち上がる。
その瞬間、大気が激しく震え、バリア内に強烈なオゾンの臭いが立ち込めた。
景「……っ!? なんだ、このプレッシャーは!」
ヌエがその大きく裂けた口を開き、空中に向かって咆哮する。
マハジオンガ!!
ヌエの全身から、禍々しい紫色の電撃が全方位へと解き放たれた。中威力の電撃属性全体攻撃。地面を這い、空を裂く稲妻の嵐が、回避不能の圧力でオニたちに迫る。
オニ「うおっ!? こりゃマズいー!」
直撃すれば無事では済まない。だが、その雷光が彼らの肉体を焼く直前、アラスターが指を鳴らした。
アラ「私のステージを壊されては困ります。」
アラスターの足元から噴き出した影が瞬時に巨大な傘のようなドーム状のバリアを形成した。荒れ狂う紫電は、その漆黒の防壁に激突し虚しく火花を散らして霧散していく。
オニ「……っ、ふぅ。助かったぜ、ラジオデーモン!」
バリアの中で冷や汗を拭いながら、オニが短く礼を言う。アラスターは眼鏡の位置を直し、影のバリアを解きながら事も無げに答えた。
アラ「ノー・プロブレム。ですが、この獣……予想以上に『タフ』なようですね。面白い、実に面白いですよ!!」
アラスターの笑い声に呼応するように、電撃を放ち終えたヌエが、今度はその蛇の尻尾を鎌首をもたげさせ、さらに凶悪な殺気を放ち始めた。
激しい攻防が続く中、バリア内の空気は熱を帯び、焦げ付いたオゾンと獣の血の匂いが混ざり合っていた。
流石の伝説の妖獣ヌエも地獄の上級悪魔たちを相手にし続けるには限界があったらしい。
荒い呼吸と共に、その強靭な四肢がわずかに震え、重心がガクンと落ちた。
アラスターはその瞬間を逃さなかった。眼鏡の奥の瞳が怪しく光り、スピーカーから響くようなノイズ混じりの声がバリア内に轟く。
アラ「皆さん、フィナーレの時間ですよ! 私観客を最高に沸かせる一撃を……一気に畳み掛けなさい!!」
アラスターの号令と共に、悪魔たちが一斉に牙を剥く。
オニは巨大な薙刀を頭上で旋回させ、遠心力を乗せて一気に振り下ろす。
オニ「これが最後だ、大人しくしやがれッ!!」
鋭い刃がヌエの肩口を深く裂き、肉を断つ重厚な衝撃が走った。
イッポンダタラは唯一の強靭な足をバネのようにしならせ、垂直に跳躍。
空中で弾丸のように回転しながら、渾身の『飛び蹴り』をヌエの脳天に叩き込む。
ダイモーンは傷口が開いた瞬間を狙い、三叉の槍を正確に一閃。ヌエの急所を深々と貫き、魔力を流し込んで内側から体力を削り取った。
ガキ隙だらけになったヌエの首筋に飛び掛かり、狂気的な力で『噛みつき』を見舞う。鋭い歯が肉に食い込み、ヌエの咆哮を封じ込めた。
モコイ闇の中から死角を突き、鋭利な『ブーメラン』を投擲。流れるような軌道でヌエの脚部を斬りつけ、その機動力を完全に奪い去る。
そして、仕上げはアラスターだ。
背後の影から噴き出した、家屋をも握り潰さんばかりの巨大な触手が、鞭のようにしなってヌエの胴体を正面から捉えた。
―ドォォォォォン!!!
ヌエ「ヒョォォォォォォォォォーーッ!!!」
ヌエは悲鳴を上げながら木の葉のように吹き飛ばされ、赤いバリアの壁面に激突。凄まじい衝撃音と共に、壁を伝って地面に力なく崩れ落ちた。
あたりを包んでいた禍々しいプレッシャーが霧散し、静寂が戻る。ヌエはピクリとも動かず、ただ激しい戦いの跡を物語るように土煙が舞っていた。
景「……やった……! みんな、大丈夫!?」
景太は真っ先に駆け寄り、体中から汗や煤を流しているオニたちに声をかけた。
景「オニ、今の薙刀凄かったよ! イッポンダタラも、あのキックで決まったね。ダイモーンも、ガキも、モコイも……みんな、怪我はない!? 本当にありがとう、助かったよ!」
本心から自分たちの身を案じ、屈託のない笑顔で労う景太。その様子を見て、悪魔たちは呆れ半分、感心半分といった様子で顔を見合わせた。
オニ(……おい、聞いたか。本来なら俺たち、人間に怖がられるのが仕事なんだが……まさかあんなに本気で心配されるとはな)
ガキ(ケケッ……それがケータという男だ。お人好しにも程があるだろ? だが、まぁ……悪かねぇ気分だぜ)
悪魔たちはボソボソと密談を交わしながらも、どこか誇らしげに胸を張った。
アラスターは悪魔の姿を解き、いつもの紳士的な姿で倒れたヌエの傍らに立った。ステッキの先で軽くヌエを突き、反応がないことを確認する。
アラスター「ふむ。流石にこれだけ浴びせれば、あの獣も暴れる気力は残っていないようですね。実に……実に見事なステージでしたよ、ケータくん!」
アラスターの満足げな笑い声が、月夜のおおもり山に静かに響いた。
荒れ果てたバリアの中、景太は腰の悪魔ウォッチにメダルをセットし、新たな悪魔を呼び出した。
現れたのは、妖精ピクシー。しかし、その姿は緊迫した戦場にはあまりにも不釣り合いだった。彼女の右手にはふわふわの綿飴、左手には爪楊枝に刺さった、まだ湯気の立つたこ焼きが握られている。
ピク「何の用? あたし今、屋台の食べ物を満喫してるところだったんだけど……あつっ、はふっ、はふはふ……」
必死に熱いたこ焼きと格闘するピクシー。その様子を横目で見たアラスターが、呆れたように肩をすくめた。
アラ「おやおや、貴女。最近、すっかり『食いしん坊キャラ』が定着してきましたねぇ……ラジオのゲストに呼ぶなら、食レポ番組の方が向いているかもしれませんよ」
そんな軽口を叩きつつ、アラスターは景太に視線を送った。
アラ「ケータくん、彼女だけでは少々心許ない。『エンジェル』と『リャナンシー』も呼びなさい。回復の旋律を重ねるのです」
景太は頷き、続けてリャナンシーを召喚した。しかし、エンジェルは用事があるのか悪魔ウォッチが反応しなかった。現れた彼女とピクシーは、横たわるヌエへと歩み寄り、回復魔法の光を放とうとする。しかし―。
ヌエ「……ウゥゥ……ッ!!」
ヌエは地を這うような低い唸り声を上げ、剥き出しの牙を見せて彼女たちを威嚇した。体はボロボロだが、野生の警戒心は全く衰えていない。下手に魔法を掛ければ、その瞬間に最後の一撃を放たれる可能性さえあった。
ピクシーたちが踏み込めずにいるのを見て、景太は静かに一歩前に出た。
景「ちょっとこれ、借りるね」
オニ「あ? 構わねぇが……」
景太はオニの傍らに歩み寄り、彼が持つ巨大な薙刀の石突に手を伸ばした。そこには鋭い刃が仕込まれている。景太は迷うことなく、その刃を自分の掌に押し当て、一気に引き抜いた。
―ピチャッ。
白い砂の上に、鮮やかな紅い雫が点々と落ちる。
ピク「何やってるの景太! バカじゃないの!?」
ピクシーが絶叫し、オニやガキ、さらにはヌエまでもが驚愕に目を見開いて固まった。一方、アラスターだけは「ニタリ」と口元を三日月のように歪ませ、景太の奇行を愉悦の表情で観察していた。
景太は顔色一つ変えず、血の流れる掌をヌエの目前に差し出した。
景「……ピクシー、リャナンシー。俺のこの手を治して」
二人の妖精が戸惑いながらも魔法を唱えると、柔らかな光が景太の手を包み込む。深く裂けていた傷口がみるみるうちに塞がり、数秒後には血の跡だけを残して、綺麗な掌に戻った。
景太はその手をヌエの鼻先に近づけ、静かに、しかし力強く語りかけた。
景「……言い訳はしないよ。俺たちが君をボロボロにしたのは事実だ。でも、さっきの光が君を苦しめるものじゃないことは、今ので分かってくれたよね? ……俺たちは、君を助けたい。それは本当なんだ」
ヌエの蛇の尻尾が、鎌首をもたげるのを止めた。猿の瞳に宿っていた狂気的な殺意が、景太の真っ直ぐな瞳に射抜かれ、次第に霧散していく。
ヌエ「……フシュー……」
やがてヌエは深く重い溜息を吐き出すと力なく頭を地面に横たえた。それは景太という「人間」に対して完全に警戒を解き、その運命を預けるという意思表示だった。
景「よかった……。さあ、今度こそお願い!」
ピクシーとリャナンシーが本格的に回復魔法を放射し、ヌエの巨大な体を淡い緑の光が包み込んでいく。深い傷が塞がり、失われた活力が獣の体にじわじわと戻り始めた。
アラ「ニャハハハ! 自らの肉体を担保に信頼を勝ち取るとは。ケータくん、君は時折、私ですら予想できない『狂気的な誠実さ』を見せますねぇ。実に、実に素晴らしい!」
アラスターの拍手が、静まり返ったバリア内に響き渡る。
一方、近くの茂みでは。
衝撃の余波で気を失っていた文花が…。
ピク…。
微かに指を動かし始めていた。
ーーー
アラスターが指を鳴らすと、山頂を包んでいた血のように赤いバリアが、ノイズと共に霧散した。
それと同時にアラスターが人知れず放った使い魔は、隠れて様子を伺っていたウィスパーを背後から一撃で気絶させ、景太たちの視界に入らない安全な茂みの奥へと運び去っていた。アラスターにとって余計な茶々は不要だったのだ。
ピクシーとリャナンシーの献身的な回復魔法により、ヌエの深い裂傷は塞がり始め、その巨大な体躯にわずかながら生気が戻ってきた。
荒い呼吸を整えながら、ヌエは重い口を開いた。その声は、複数の獣が混ざり合ったような、ひどく歪な響きだった。
ヌエ「オレサマ、逃ゲテキタ……」
ピクシーはたこ焼きの楊枝をくわえたまま、手をかざして光を注ぎ続ける。ヌエは遠くを見つめるような虚ろな瞳で、恐怖の記憶を語り始めた。
ヌエ「オレサマ、最初ハノンビリト過ゴシテタ……。山ノ奥デ、誰ニモ邪魔サレズニ……
デモ、アル時、奴ガ来タ。前触レモナク、突然……」
景太「奴……?」
ヌエ「オレサマ、ナニモ、シラン……。奴ハ『猿神(さるがみ)』ヲ探シテイルト言ッタ。オレサマ、顔ハ猿ダケド、ソレ以外ハ全ク別ノ生キ物。キット、サル違イダ……」
ヌエ「デモ彼奴、ハナシ聞カナイ。問答無用デ、オレサマノ首ヲ撥ねヨウト、襲イカカッテキタ……。オレサマ、必死デ逃ゲタ。ケド彼奴シツコカッタ……」
景太はヌエの痛々しい姿を見て、胸が締め付けられるような思いだった。あの凄まじい耐久力を持つ妖獣が、戦意を喪失するまで追い詰められていた理由。それは、あまりにも理不尽な「人違い」ならぬ「猿違い」による一方的な狩りだったのだ。
アラスターは顎に手を当て、楽しげに目を細めた。
アラ「失礼ですが、貴方を襲った犯人の特徴をお教え願えませんか? 容姿、あるいは何か口にしていた言葉などがあれば、私のラジオのネタ……おっと、解決の糸口になるかもしれませんのでね」
ヌエ「良ク覚エテイナイ……。暗闇ノ中デ、アノ後モ速クテ姿ガ見エナカッタ。ダガ、奴ノ言葉ハ少シ覚エテイル……。確カ……『トウミ』ト言ッテタ」
「トウミ」……。景太は首を傾げ、オニやダイモーンたちも顔を見合わせる。
オニ「トウミ? 飯の名前か、それとも場所の名前か?」
ダイモーン「聞いたことがねぇっぺ……。この辺りの地名でもねぇしな」
しかし、その言葉を聞いた瞬間、アラスターの口元が三日月のように大きく吊り上がった。影が揺れ、彼の周囲に不気味な期待感が漂い始める。
アラ「ニャハハハ! わかりましたよ、犯人が!! なるほど、確かに貴方にとっては最悪の天敵だ!」
その直後だった!
虚空を切り裂くような、鋭く白い閃光が森の闇から飛び出した。それは一切の予備動作なく、地面に横たわるヌエの喉笛を目掛けて一直線に突き進む。
景「危ないっ!!」
だが、景太の悲鳴よりも速く、アラスターの影が爆発的に膨れ上がった。地中から噴き出した漆黒の触手が、空中で複雑に絡み合い、頑強な防壁となってその「閃光」を受け止める。
激しい衝突音と共に、影の触手から火花が散った。影を蹴り飛ばして後方に着地したその「影」は、月光の下で微動だにせず、四肢を踏ん張って低く構えた。
ヌエ「彼奴ダ! 彼奴ガ襲ッテ来タンダ!!」
ヌエが悲鳴のような声を上げ、怯えて景太の背後に隠れようとする。
そこにいたのは、透き通るような白い毛並みに、対照的な漆黒の鬣と尾を持つ、凛々しくも荒々しい四足の犬だった。その瞳には、邪悪を一切許さぬ冷徹な神性が宿っている。
アラスターは眼鏡の位置を直し、優雅に一礼した。
アラ「『トウミ』……即ち、遠州・信州に跨る古き地名『
アラスターの声がどこか嘲笑を孕んだ響きに変わる。
アラ「「聖獣ハヤタロウ」。 霊犬とも呼ばれ、猿の化け物を狩る伝説の英雄……。まさかこんな場所で、本物の神の使いにお目にかかれるとは、光栄ですねぇ!」
ハヤタロウと呼ばれた白い犬は、アラスターの言葉に反応することなく、ただ静かに、しかし確実にヌエを仕留めるための殺気を研ぎ澄ませていた。
ハヤタロウの白い体から、神々しくも暴力的なまでの圧力が放たれ、夜の空気がピリピリと震え始めた。
きょうの悪魔大事典
アラ「ケータくん。今日の悪魔は?」
景「「妖獣ヌエ」!」
アラ「平安時代の侍「源頼政」の鵺退治が有名なヌエはトラツグミの様な声を発する事で平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえ、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したそうです」
景「結構、怖いんだね」
アラ「悪魔は皆怖いものです。ですが姿形も不明でしたからね。恐ろしいですよね」
景「だね」
二人のやりとりを見ていたピクシーとヌエ。
ヌエ「ラジオデーモン怖イ……其奴ト普通二話セテルアノ人間モ怖イ……」ブルブル…
ピク「すぐに慣れるわよ」