昨夜の激闘と祭りの喧騒が嘘のように、夏の朝は静かに、そして容赦のない陽光と共に訪れた。
カーテンの隙間から差し込む鋭い日差しが、景太のまぶたを突き刺す。だが、彼を眠りの淵から引きずり出したのは、光よりも先に響いた、あまりにも快活で、それでいてどこか不気味なノイズを孕んだ「声」だった。
アラ「おはようございます、ケータくん! 素晴らしい朝ですよ! こんなにいい天気にいつまでも眠りこけているなんて、人生の損失、時間の無駄、まさに悲劇と言わざるを得ませんねぇ!」
景太のベッドの脇で、人間態のアラスターがパチンと指を鳴らした。赤い燕尾服に身を包み、まるで今から生放送のステージに上がるかのような完璧な身嗜みで、彼は満面の笑みを浮かべて立っている。
景「……アラスター……元気だね……相変わらず……」
景太は枕を頭に乗せて光を遮ろうと抗ったが、無駄だった。昨夜のヌエとの激戦、そしてハヤタロウとの死闘の疲れが、全身の筋肉に鉛のように溜まっている。口からは力のないあくびが漏れ、頭はまだ夢と現実の境界を彷徨っていた。
その隣では、引き出しの上に作った仮設の寝床で、ピクシーが髪をボサボサにしたまま這い出してきた。彼女のジト目は、朝からテンションMAXのラジオデーモンを鋭く射抜く。
ピク「……ちょっと、少しは静かにしなさいよ。アタシたちが昨日どれだけ働いたと思ってるの? まだ夢の中で豪華なたこ焼きパーティーの真っ最中だったんだから……」
ピクシーは眠気に耐えきれず、ふらふらと景太の肩に寄りかかった。
アラ「ええ、ええ! 皆様の昨夜の奮闘は、この私の記憶に深く、鮮明に刻まれておりますとも。ですが、のんびりと二度寝を決め込んでいる場合ではありませんよ、ケータくん」
景「……そんなに張り切ってどうしたの? また何か怖い悪魔でも出た?」
景太がようやく上半身を起こすと、アラスターは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、その瞳を怪しく細めた。
アラ「実は、少しばかり気になることがありましてね。昨夜の騒動のあと、地獄のネットワーク……もとい、私の個人的なルートで現世の動向を調査してみたのですが。どうやら最近、この世界に降り立つ悪魔たちの数が、異常なほどに増え始めているようなのです」
アラスターの声に、わずかだが真剣な響きが混じる。
アラ「これほどの
景「悪魔が増えてる……? それって、ヌエみたいなやつが、他にもたくさん来てるってこと?」
アラ「その可能性は否定できませんね。ですので、そろそろ本腰を入れて調査をしようと思った次第です。この平穏な街の裏側に、どのような『不快な影』が潜んでいるのか……暴いてみたくはありませんか?」
景太は少し不安そうに自分のデビルコンピを見つめた。昨夜の戦いで、自分には強大な悪魔たちの力があることは分かった。だが、それは同時に、より危険な事態に巻き込まれることへの恐怖でもあった。
景「調査って……俺たちに出来るかな? 相手今まで以上にすごい奴らなんだよね……」
アラ「No, Problem! 忘れないでください。君の隣にはこの私がついているということを! 適切なアドバイスと、最高に刺激的なサポートをお約束しますよ。さあ、冒険の始まりです!」
アラスターはステッキをくるくると回し、窓の外を指し示した。
ピク「……勝手に盛り上がってなさいよ。アタシ、もうちょっと横になってるから。異変を見つけたら起こしてね、おやすみ……」
ピクシーは宣言通り、再び枕の中にダイブして深い眠りへと落ちていった。
アラスター(やれやれ。自分の世界や命にも関わることだというのに、相変わらずのんきな妖精さんですねぇ……。まあ、その図太さだけは評価してあげましょうか)
アラスターは心の中で皮肉な笑みを浮かべながら、まだ寝ぼけ眼の景太を急かすように、その背中を軽く叩いた。
静かな住宅街の朝に見えない悪意の足音が忍び寄っている。景太とアラスターの「異常事態調査」が、ここから本格的に幕を開けることになった。
ーーー
寝ぼけ眼をこすりながらアラスターと共に階段を降りると、一階のリビングから母親の困惑した悲鳴が聞こえてきた。
景母「ちょっと、何なのこれ……! お父さん、これあなたが用意したの!?」
景太が慌ててリビングに飛び込むと、そこには異様な光景が広がっていた。朝食の準備がされているはずの食卓の上に、およそ場違いな品々が所狭しと並べられている。
牛乳がパンパンに入ったパックにパンパンに詰まった米の袋、そして、金銭の数々…。
景太の父親は、寝癖のついた頭を抱えながら、魔法にかけられたような顔でテーブルを見つめていた。
景父「いや、俺じゃないよ。朝起きてリビングに入ったら、いつの間にかこうなっていたんだ。泥棒かと思ったけど、逆に物が増えてるなんて……」
両親が困惑する中、景太はアラスターをそっと部屋の隅へ引き寄せた。人間態のアラスターは、面白そうに口角を吊り上げ、テーブルの上の品々を値踏みするように眺めている。
景太「……アラスター。これってやっぱり、昨日言ってた『増えてる悪魔』の仕業なの?」
アラスター「ええ、間違いありません。この無造作で、かつ『押し付けがましい善意』の形……。地獄の住人の中でも、特定の種族が好む手口ですよ。ケータくん、例のブツで照らしてごらんなさい」
景太が悪魔ウォッチを使って悪魔を探し始めた。レンズの奥で禍々しい魔力が渦巻き始めた。赤いサーチライトがリビングをなぞり、天井付近の一角を捉えた瞬間、ノイズと共に「それ」の姿が浮かび上がった。
そこにいたのは、小柄な黒いドラゴンのような影だった。
容姿は 全身を漆黒の鱗で覆われ、頭には鶏のような真っ赤な鶏冠を冠し、翼は 黒いコウモリのような翼を持ち、その先端は燃えるようなオレンジ色に染まっている。 尻尾は尾の先には常に消えない炎が灯り、ゆらゆらと周囲を焦がし、足は鋭い爪を持つドラゴンのはずだが、足の裏にはなぜか猫のような可愛らしい肉球があった。
景「……いた! ドラゴン!? あいつが全部持ってきたの?」
アラ「ニャハハハ! やはり『邪龍アイトワラス』の仕業でしたか。地獄の端っこ、リトアニアの伝承に名を連ねる、厄介な家守ですよ」
景「邪龍……あんなに小さいのにドラゴンなの!?」
アラ「侮ってはいけませんよ。アイトワラスは気に入った家に富を運び込む習性があります。ですが、その『富』は近隣の家から盗んできたもの。放っておけば、君の家は近所中の恨みを買って、社会的に破滅することになるでしょうねぇ!」
景太「そんなの困るよ! せっかく持ってきたけど、これ全部返さないと……!」
アラスター「おやおや。せっかくのプレゼントを突き返すとは、手厳しいですね。ですが、彼らと交渉するには『言葉』よりも『力』が必要ですよ。さあ、どうしますか?」
景太は混乱する両親を背に、窓からひらりと飛び出した黒い小龍を追いかけ、家の前に出た。人目を避け、影に潜むようにして人間態のアラスターも音もなく後に続く。
路地裏の湿った空気の中、アイトワラスは生垣の上にふんぞり返り、肉球のある前足で顔を洗うような仕草を見せていた。尾の先の炎が、壁に不気味な影を投げかけている。
景「アイトワラス! 一応聞くけど……あのアレ、テーブルの上にあったものって全部盗品なの!?」
景太の切実な問いに、アイトワラスは面倒臭そうに鶏冠を震わせ、オレンジ色の羽根をパタつかせた。
アイト「バカなこと聞くなよ、ニンゲン。オイラを誰だと思ってんだ? オイラは「アイトワラス」だぞ。近所の蔵から米を抜き、寝てる奴の財布から小銭を掠め取るのがオイラのアイデンティティだ。そうに決まってるじゃないか」
景「ひ、開き直った!? なんでそんなことしたんだよ! このままじゃ俺たち、知らないうちに泥棒の片棒を担がされたことになっちゃうじゃないか!」
頭を抱える景太を見て、アイトワラスは鼻からフンと煙を吐き出し、赤い目をギラつかせた。その視線は、景太ではなく、その後ろで優雅に佇むアラスターへと向けられる。
アイト「そんなの決まってるだろ。オイラがアラスター様の配下になるためだよ! あの貢ぎ物は、オイラが仲間入りするための『履歴書』代わりの献上品さ!」
景「アラスターの、配下……!?」
驚愕して振り返ると、アラはステッキの頭に顎を乗せ、この世のものとは思えないほど愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。
アラ「ニャハハハ! なるほど。私の噂を聞きつけて、わざわざ自分を売り込みに来たというわけですか。実に健気で、泥棒猫のような可愛らしい根性ですねぇ!」
アイト「そうさ! アラスター様、あんたの『ラジオ番組』は地獄の隅々まで響き渡ってる。あんたの影の下にいりゃあ、オイラももっとデカい仕事ができると思ってな! アレらはアラスター様への忠誠の証、兼、オイラの『盗みのスキル』を披露するために集めた戦利品さ!」
アイトワラスは誇らしげに胸を張り、燃える尻尾を自慢げに振り回した。彼にとって、牛乳や小銭を盗むことは悪事ではなく、自らの優秀さをアピールするための最高のアピールポイントだったのだ。
景「そんな理由で盗んできたの!? ……でも、アラスターは俺の家に住んでるんだよ? アラスターへの献上品を俺の家のテーブルに置いたら、ただの不法投棄だよ!」
景太の正論に対し、アラは楽しげに指をパチンと鳴らした。
アラ「おやおや、ケータくん。彼は彼なりに筋を通したつもりなのですよ。私がこの家にホームステイしている以上、この家を豊かにすることが私への奉仕になると考えたのでしょう。……もっとも、その手段が『近所迷惑極まりない窃盗』であるという点を除けば、ですがね!」
アイト「どうだいアラスター様! オイラをあんたの軍団に入れてくれるよな? 毎日新鮮な牛乳と小銭を、あんたの足元に山ほど積んでやるぜ!」
期待に満ちた目でアラスターを見つめるアイトワラス。しかし、景太の手元の悪魔ウォッチは、アイトワラスから発せられる「認められたい」という歪んだ魔力に反応し、じりじりと警告のノイズを鳴らしていた。
景「ダメだよそんなの! アラスター、こいつに盗んだものを全部返させなきゃ!」
アラ「ふむ。断るのも一興ですが……ケータくん、せっかくのやる気を無下にするのも勿体ない。彼を教育し、その『盗みの技術』を別のことに使わせるというのはいかがですか?」
景太は名案だと言わんばかりに拳を握りしめた。アラスターの助言通り、この小さな邪龍の「盗みの才能」を逆転させることにしたのだ。
景「確かに、アイトワラスの『瞬時に盗む力』は凄まじいよね。だったらさ、その逆……『盗んだものを元の場所に、誰にも気づかれずに戻す』こともできるんじゃない?」
景太は必死にアイトワラスのプライドを刺激するように、隠密ミッションを提案した。しかし、塀の上にどっしりと腰を下ろしたアイトワラスは、肉球のある前足で鶏冠をかきながら、鼻で笑った。
アイト「……はあ? バカじゃねえのか? オイラは邪龍だぞ。盗んだものを態々返すなんて、泥棒としてのプライドが許さねえよ。冗談じゃねえな!」
景「そんなこと言わないでさ! 頼むよ、このままじゃ俺の家、近所の人に泥棒扱いされて、本当に警察沙汰になっちゃうよ。家庭崩壊だよ!」
景太が泣きつくように懇願するが、アイトワラスはぷいっと横を向いた。
アイト「やだね。オイラが苦労して集めた戦利品だ。捧げたものを引っ込めるなんて、そんなダサいことできるかよ」
景「そこをなんとか! お願い!」
アイト「やーだね!」
景太の言葉には一切耳を貸さず、アイトワラスはまるで「格下とは話したくない」とでも言うように、不遜な態度を貫く。景太はあまりの頑固さに、額に青筋を浮かべながらアラスターの方を振り返った。
すると、今まで静観していたアラスターが、ゆっくりと、しかし圧倒的な威圧感を伴って一歩前へ出た。影が生き物のように路地裏を侵食し、彼の瞳は深紅のノイズを放ちながらアイトワラスを見据える。
アラ「おやおや、アイトワラスくん。君の熱意は素晴らしいのですがね……。今のままでは私の『快適な隠れ家』が騒がしくなってしまう。それは、私のラジオ放送を邪魔するも同然だ……。わかりますね? 私のために、その
冷徹だが洗練された、抗いようのない死神の命令。アイトワラスは、アラスターの影に当てられた瞬間、先ほどまでの不遜な態度を百八十度変えた。その赤い目をキラキラと輝かせ、まるで憧れのスターに話しかけられたかのような熱量で叫んだ。
アイト「はっ! はい! 喜んで!! アラスター様のためなら、オイラ、今すぐにでも返してきます! むしろ一秒で終わらせてきますよ!!」
景(……この態度の差、何なんだよ)
景太が唖然としている間にも、アイトワラスの行動は迅速だった。
黒い影が路地裏で爆発したかと思うと、アイトワラスの姿が掻き消えた。尻尾の炎がオレンジ色の残像となり、風が巻き起こる。彼はドラゴンとしての身体能力をフルに使い、文字通り閃光のような速度で移動を開始したのだ。
わずか数秒の間に、景太の家のリビングにあった牛乳瓶、米袋、そして盗まれた古銭たちが、アイトワラスの黒い翼に抱えられ、元の持ち主の家へと吸い込まれていく。鍵のかかった窓の隙間をすり抜け、住人が目を離した一瞬の隙を突き、何事もなかったかのように棚やテーブルの上に戻される。
そして、景太が「あ、ちょっと……」と言いかける間もなく。
アイト「ー終わりました!! アラスター様、完璧ですよ!」
アイトワラスは何事もなかったかのように塀の上に戻り、得意げに胸を張っていた。
景(……しかも、早すぎるだろ! 泥棒のスキル、高すぎて引くわ!)
景太は、自分の家が無罪放免になった安堵よりも、この小さな邪龍の異常なまでの有能さと、自分への当たりの強さに、少しだけ遠い目をした。
アラ「ニャハハハ! 実に素晴らしい仕事ぶりだ。ケータくん、どうやら彼は『善行』ではなく『私への奉仕』だと思えば、何でもこなしてくれるようですよ」
アラスターが満足げにステッキを鳴らす。アイトワラスは「へへっ、もっと褒めてくださいよ!」と言わんばかりに、肉球のついた足をパタパタと動かして喜んでいた。
景太は、自分にだけ向けられるこの冷遇に納得いかない思いを抱えつつも、とりあえずの騒動が収まったことに胸を撫で下ろした。そして、ふんぞり返るアイトワラスを見上げ、諭すように言葉を重ねた。
景「アイトワラスの個性が『窃盗』だってことは分かったし、それが君のアイデンティティなのは認めるよ。でもさ、だからって近所の人たちから盗むのは絶対にダメだよ。そんなことしたら、俺たちがこの街に住めなくなっちゃうもん」
天野景太の真っ直ぐな視線に、アイトワラスは少しだけ気まずそうに、鶏冠を震わせながら肉球のある前足で鼻先をこすった。
アイト「……チッ。テメー……あ、いや、まあ。アラスター様の居候先を困らせるってんなら、確かに悔しいがテメーの言う通りだな。近所でやるのは得策じゃねえ」
景(……良かった。なんとか話が通じたみたいだ。やっぱり根は悪い奴じゃないのかも……)
天野景太は安堵のため息をつき、これで一件落着だと胸を撫で下ろした。だが、邪龍の思考は天野景太の想像を遥かに超えて斜め上を向いていた。
アイト「決めたぜ! これからは、もっと遠くの場所からも盗んでくることにするよ! 隣町とか、もっと先の都会とかさ! 遠征ならアラスター様への献上品ももっと豪華になるし、テメーの家に迷惑もかからねえだろ?」
景(……距離の問題かよ。全然分かってねえ!!)
景太はあまりの理解のなさに、がっくりと項垂れて頭を抱えた。これでは根本的な解決にならない。アイトワラスが盗みを繰り返す限り、いつか警察や、もっと恐ろしい「何か」に目をつけられるのは時間の問題だった。
横でそれを見ていたアラスターは、ステッキを指に絡めながら「ニャハハハ!」と愉悦の笑みを漏らしている。彼はこの噛み合わないやり取りすらも、良質なコメディ番組のように楽しんでいるようだった。
天野景太は必死に頭を回転させた。アイトワラスの「盗みたい」という本能を抑え込むのではなく、別の方向に逸らせる方法はないか。
景(いや、待てよ……これなら!)
そして、一つの閃きが天野景太の脳裏を過った。
景「……ねぇ、アイトワラス。君は、そんなにアラスターに認められたいの?」
アイト「当たり前だろ! 地獄のカリスマ、アラスター様の右腕になるのがオイラの野望なんだからな!」
景「それだったらさ……
『取り返す』のはどう?」
アイト「……取り返す?」
アイトワラスが怪訝そうに首を傾げた。天野景太は身を乗り出し、悪魔ウォッチを巻いた左手を軽く振りながら、言葉に熱を込めた。
景「そう! 世の中には、悪いことをして人を困らせる悪魔や人間が隠した『奪われた物』や『盗まれた物』が山ほどあるんだ。君がそれを専門に狙って『盗み出し』、元の持ち主にこっそり返す。これなら君の『盗みの才能』を存分に発揮できるし、誰も困らない!」
アイト「……それのどこがアラスター様への評価に繋がるんだよ。ただのお節介だろ?」
景「違うよ! 他の悪魔や人間が必死に隠したお宝を、誰にも気づかれずに掠め取ってくるんだよ? それって、普通の泥棒よりもずっと高度なスキルが必要だろ? アラスターだって、他の悪魔を出し抜いて華麗に獲物を奪う君を見たら『なんて有能な部下だ!』って感心するに決まってるよ!」
アラスターは天野景太の提案に、眼鏡の奥の瞳を赤く明滅させた。
アラ「ほう……。他の輩が奪った戦利品を横取りし、彼らのプライドをズタズタにする……。それは実に、ラジオ映えする『愉快な嫌がらせ』になりそうですねぇ」
アラスターの言葉に、アイトワラスの耳がピクリと動いた。天野景太はトドメの一言を放つ。
景「それに、この街には最近たくさんの悪魔が来てるんだろ?
「盗み放題」。
その甘美な響きが路地裏に響いた瞬間、アイトワラスの赤い瞳がカッと見開かれた。鶏冠はピンと直立し、尻尾の先の炎が爆発するように大きく燃え上がる。
アイト「……盗み放題。他の奴らの鼻を明かして、お宝を奪い放題……。しかもアラスター様に褒められる……!」
アイトワラスの表情から迷いが消え、代わりに底知れぬ強欲さと興奮が満ち溢れていく。
アイト「盗み放題か……良いな! それ、最高にワクワクするじゃねえか!!」
アイトワラスの赤い瞳が興奮に燃え、尻尾の先の炎が勢いよく爆発した。天野景太の提案した「盗み放題」という言葉は、この邪龍の魂を完璧に捉えたようだった。
アイト「決まりだ! テメーの言う『取り返し』に乗ってやるよ! 悪魔だろうが人間だろうが、誰かが隠し持ってるお宝をオイラが全部掠め取ってやる。考えただけでゾクゾクするぜ!」
塀の上で身を乗り出すアイトワラスを見て、アラスターは満足げにステッキを回し、眼鏡の奥の瞳を妖しく光らせた。
アラ「中々良いアイディアですね、ケータ君。ただの『正義の味方』に収まらず、悪魔の流儀を逆手に取って利用する……。貴方の順応性と、わずかながらの『狡猾さ』が見られて、私は実に嬉しいですよ」
天野景太は褒められているのか呆れられているのか分からず苦笑いしたが、アラスターの表情がふと、より事務的で冷徹なものへと変わった。
アラ「しかし、今のままでは足りないものが一つあります」
景「足りないもの? 作戦はバッチリだと思ったけど……」
アラ「はい。それは『報酬』です。
いいですか、ケータ君。悪魔は慈善事業で動くボランティアではありません。ましてや、アイトワラスのような強欲な種族を働かせるなら、依頼人にはそれ相応の対価を用意してもらわなければ、契約は成立しません」
アラスターが指を立てて説明する。確かに、ただでさえ盗癖のあるアイトワラスを無償で働かせれば、いずれ不満が爆発して再び近所から盗み始めるのは目に見えていた。
景「報酬か……。でも、アイトワラスって何を欲しがるの? 金貨とか、高価な宝石?」
アラ「いいえ。アイトワラスという種族は、意外にも食にこだわりがあるのですよ。特に彼は、ふわふわに焼き上げられた『オムレツ』が大好物なのです。地獄でも、それを要求するために家一軒を焼き払ったという記録があるほどですよ」
アイト「ああ、そうだ! バターがたっぷり効いて、中がトロトロのオムレツだ。それさえ出せば、オイラはどんな困難な盗みだって完遂してみせるぜ!」
邪龍としての威厳をかなぐり捨て、涎を垂らさんばかりの勢いでアイトワラスが叫ぶ。天野景太は「ドラゴンがオムレツ……」と少し遠い目になったが、すぐに現実的な問題に直面した。
景「分かったよ。でもさ、どうやってそれを世の中に知らせよう? 『失くし物を盗み返してほしい人は、オムレツを用意してください』なんて、普通に言っても誰も信じてくれないよ」
アラ「ふむ……。そう言えば、この街の妖怪たちの中に、そういう情報の扱いに長けた者がいたような気がしますね」
景「それ誰!? 知ってるなら教えてよ!」
アラ「確か、『妖怪カクさん』ですね。情報の拡散と噂の流布においては、彼に勝る右に出る者はいないと聞いたことがあります。江戸っ子のような気風の良さで、あっという間に『便利屋(?)アイトワラス』の噂を広めてくれるでしょう」
天野景太はそれを聞き、パンッと手を叩いた。妖怪と悪魔、それぞれの特性を組み合わせれば、この街の異変を調査しつつ、アイトワラスをコントロールできるはずだ。
景「よし! それじゃあ、まずはカクさんを探しに行こう! 街のどこかにいるはずだよね」
アラ「ニャハハハ! 面白くなってきましたね。情報のプロに、盗みのプロ、そしてそれらを束ねる人間の少年……。これは素晴らしい番組になりそうだ!」
ピクシーはまだ二度寝を決め込んでいるが、天野景太はアラスターと、肩に飛び乗ってきたアイトワラスを引き連れ、早朝の街へと駆け出した。
ーーー
三人はまず、人が集まりやすく情報の集積地となりそうなお使い横丁の商店街へと向かった。天野景太は悪魔ウォッチのレンズをで周囲を慎重にスキャンしていく。
アイト「おい、ニンゲン。その変な時計よりオイラの鋭い鼻の方が、怪しい奴の匂いを見つけられるんじゃねえか?」
景「これ、悪魔ウォッチだよ。カクさんは妖怪だから、これで見つけるのが一番確実なんだって」
アラ「おやおや、アイトワラス君。私が作った道具の精度を疑うのは感心しませんね」
アイト「いえ!別にそういうわけでは!!」
景「いた! カクさんかな!?」
景太は、カクさんがいる事を期待しながらその影に向かって全速力で走り出した。アイトワラスは期待に胸を膨らませて尻尾を振り、アラスターはその背後を、影の中を滑るような足取りで優雅に追随する。
商店街の角を曲がった瞬間、景太の視界に人影が飛び込んできた。
ドンッ!
正面からまともに衝突し、景太は勢いよく尻餅をついた。
景「イタタ……」
お尻の痛みをこらえながら顔を上げると、そこには同じクラスの少年、「日影真生」が立っていた。右目を隠す長い前髪と眼鏡が特徴的な、クラスでも目立たない大人しめな少年だ。
景「マオくん!? ゴメン、大丈夫!?」
マオ「うん。こっちもごめんね。気づかなくて」
マオくんは淡々とした口調で答え、地面に落ちた自分の荷物を拾い上げた。その様子は驚くほど冷静で、ぶつかった衝撃すら気にしていないようだった。
その背後から、人間態のアラスターが悠然と歩み寄り、景太を見下ろして呆れたように肩をすくめた。
アラ「おやおや。レディの前ではありませんが、ちゃんと前を見なきゃ駄目ですよケータ君。せっかくの調査が台無しだ」
景「うん……ごめん。急いでたから……」
天太が立ち上がり、再び走り出そうとしたその時。去り際の真生が何でもないことのようにポツリと口を開いた。
マオ「そういえば……さくらニュータウンの河川敷に江戸風の衣装を着た、四角い妖怪みたいなのがいたよ」
江戸風…きっとカクさんだ!!
景「! 本当!? ありがとう!」
景太はマオくんの言葉に驚喜し、彼が指差した方向、つまり街を流れる河川敷の方へと全速力で駆け出した。アイトワラスも「おい待てよニンゲン!」と空を飛んで追いかけていく。
しかし、景太が走り去った後。
アラスターはその場に一人踏み止まり、ゆっくりと振り返った。
今しがた「妖怪」の存在を当たり前のように口にした、地味で目立たないはずの少年。アラスターの赤い瞳が眼鏡の奥で鋭く細まり、獲物を捉えたかのような不気味な光を放つ。
アラ「…………」
アラスターは真生に、ただの人間ではない「何か」――底知れない深淵の気配を感じ取ったのか、その頬を吊り上げ、歪な笑みを浮かべていた。
ーーー
河川敷の草むらが、夏の強い日差しに焼かれて熱気を放っていた。景太は、悪魔ウォッチの赤いレンズを覗き込みながら、川沿いのコンクリート壁の影を慎重にスキャンしていく。
リューズを回すと、ウォッチが「ジリジリ……」と、磁場の狂いを示すような低いノイズを立てた。その中心に、明らかに周囲とは異なる、カクカクとした電子的な影が浮かび上がる。
景「いた!」
景太が叫んだ先、古い電柱の影に、スマホとメガホンを交互に持ち替えながら「てえへんだてえへんだ!」と騒ぎ立てる奇妙な妖怪がいた。
その姿はまさに四角。江戸っ子風の衣装を纏いながらも、手元にあるのは最新のスマホという、なんともアンバランスな姿。彼こそが、街中の噂を瞬時に拡散させる情報のプロ、「妖怪カクさん」だった。
カク「てえへんだ、てえへんだ! 今日の最高気温は……って、何だ? 俺が見え……」
カクさんがメガホンを下ろし、不審そうに天野景太を振り返った。
しかし、景太の隣に立つ人物―人間態を保ちつつも、その背後の影が奇怪に蠢いているアラスターと目が合った瞬間、カクさんの顔面は一気に土気色を通り越して青褪めた。
カク「あ、あ、悪魔……! そんでテメーは……地獄の、『ラジオデーモン』か!!」
カクさんは、スマホを持つ手をガタガタと震わせ、反射的に逃げようと足元を掻いた。情報の拡散が仕事である彼は、地獄から現れたこの「最恐のエンターテイナー」がどれほどヤバい存在かを、知識として完璧に把握していたのだ。
カク「てえへんだぁ! 命が、俺のデータが消される! おさらばだ!」
カクさんが煙のように消えようとした、その瞬間だった。
アラ「逃がしませんよ」
アラスターが指をパチンと鳴らす。すると、カクさんの足元の影から、無数の黒い触手が蛇のように飛び出した。さらに、周囲の空間を囲うように、ブードゥー教の不気味なシンボルやノイズの走る文様が刻まれた「黒い幕」が立ち上がり、カクさんの退路を完璧に遮断した。
アラ「せっかく見つけたんです。ここで逃げられて、また振り出しに戻すわけにはいきませんね。さあ、大人しくお話ししましょうか?」
景「ちょっとアラスター! 逆に怖がらせちゃ駄目でしょ! 見てよ、すっごい警戒してる!」
景太は、カクカクとした体を震わせ、尻餅をつきながら後ずさるカクさんを見て、慌てて歩み寄った。
景「待ってカクさん! 驚かせてごめん、でも俺たちは、君の力を貸してほしいだけなんだ。悪いことに使うつもりはないよ!」
カク「俺の力……? 力を貸せだと!? ……ハッ、まさか、今度はこの現世から妖魔界まで支配する気か!? 俺を使って宣戦布告のニュースを流させようって腹だな!?」
景「いや、なんでそうなるの!!? ただの『便利屋』の噂を広めてほしいだけなんだけど!」
カクさんは、景太が差し出した手を拒むように、悲鳴を上げながら叫んだ。
カク「あんた……! 常に一緒にいるって噂で聞いてたが、まさか、本当に知らないのか!? 隣にいるそいつが、今まで何をやってきたのかをよ!」
景「え?」
カク「アラスター……ラジオデーモンは、本当にとんでもないやつなんだよ!! 俺が掴んでる地獄のアーカイブによればな……!」
カクさんの声は、恐怖で裏返っていた。その視線の先で、アラスターはいつもの通り、頬を深く吊り上げた不敵な笑顔のまま、静かにノイズを響かせていた。
カクさんは震える手でスマホを操作し、画面を景太に見せつけた。そこには、ノイズにまみれた地獄のアーカイブ映像と、聞くに堪えない「音声記録」が収められていた。
カク「いいか、小僧……こいつが地獄に堕ちてからやったことは、ただの『喧嘩』じゃねえ。『大虐殺』だ!!」
カクさんの声が裏返り、生々しい記憶が河川敷の空気を凍らせる。
カク「アラスターが地獄に現れたのは、ほんの数十年前のことだ。だが、こいつはその瞬間に、何世紀も地獄を牛耳ってきた古参の上級悪魔たちを、文字通り『ゴミ屑』みたいに処理しやがった……」
カクさんの語る光景は、あまりに凄惨で過激なものだった。
闇から伸びる無数の影の手が、上級悪魔たちの手足を捉える。鋼鉄よりも硬いはずの皮膚が、まるで濡れた紙のように容易く引き裂かれ、黒い鮮血が地獄の空を染める。
アラスターは断末魔を上げる彼らの顔を歪んだ笑顔で見つめながら、その生きたままの肉体をみて嘲笑った。 骨が砕ける音、内臓が引き摺り出される湿った音、そして命を乞う叫び。アラスターはそれらすべて、「最高のコンテンツ」として収集していた。
カク「最悪なのはその先だ。こいつはその虐殺の全行程を、地獄中の公共電波を使って生放送しやがったんだよ!!」
景太の耳に、カクさんのスマホから漏れる「ノイズ」が届く。それはただの雑音ではなかった。
「ギャアアアアア!! 止めてくれ、頼む、消したくない!!」
――ザザッ……バリバリバリッ!――
その悲鳴が肉が爆ぜる音と共に、アラスターの奏でる軽快なジャズミュージックと重なる。
アラスターは、悶え苦しむ支配者たちの喉をステッキで突き破り、その最期の絶叫を「最高の音源」としてミックスし、地獄中のラジオから流し続けた。
放送を聞いていた悪魔たちは、自分たちの支配者が、まるで家畜のように解体され、食われ、音の断片へと変えられていく様をリアルタイムで聞かされたのだ。
カク「奴に目をつけられた上級悪魔は、ただ死ぬんじゃない。魂の欠片まで徹底的に弄ばれ、永遠に続く苦痛の叫びを『録音』され続けるんだ。
今でも地獄のラジオを回せば、こいつに殺された奴らの断末魔がノイズの裏で聞こえてくる……。だからこいつは『ラジオデーモン』って呼ばれて恐れられてるんだよ!!」
カクさんのスマホ画面には、真っ赤に染まった画面の端で、影にまみれたアラスターがギザギザの歯を剥き出しにして笑う姿が映っていた。
景「…………っ!!」
景太はあまりに生々しく、倫理も慈悲も存在しない「地獄の真実」を聞かされ、胃の底からせり上がる不快感に襲われた。自分の隣にいる、この紳士的な態度の男が、かつて数え切れないほどの命を「娯楽」として解体し、その叫びを電波に乗せて楽しんでいた。
景太が恐る恐る隣を振り返ると、アラスターは相変わらず、完璧な笑顔を崩さずに立っていた。
アラ「…………」
その影が、カクさんの暴露に合わせるかのように、生き物のようにグネリと蠢く。
アラスターの瞳の中にあるダイヤルがカチカチと回り、周囲の空気に微かな、しかし刺すような「血の匂い」と「オゾンの臭い」が混じり始めた。
カク「わかったか、小僧! そいつは、他人の絶望と死の叫びを、最高の娯楽として愛する狂った悪魔なんだ!! 一緒にいて無事でいられると思うな!!」
カクさんは、もう腰が抜けて立ち上がることもできず、ただ必死に警告を叫び続けていた。
河川敷を流れる風が、急激に温度を失ったように感じられた。
カクさんのスマホから流れるノイズ混じりの断末魔、そして語られた凄惨な大虐殺の記録。それらは、天野景太が今まで生きてきた「日常」という温室を、一瞬で粉々に打ち砕くには十分すぎる毒だった。
景太の視界が小刻みに揺れる。隣に立つ、完璧に仕立てられた燕尾服の男。その影が、カクさんの言葉に呼応するように、まるで黒いタールのように地面を侵食し、歪な「目」を浮かび上がらせていた。
アラ「ええ、勿論……」
アラスターが口を開いた。その声は、いつもの陽気な司会者のトーンではない。地獄の底から響く地鳴りのような、あるいは壊れた古いスピーカーが震えるような、低く、冷酷に響く重低音だった。
アラ「全部本当ですよ。」
アラスターはゆっくりと景太の方へ顔を向けた。眼鏡の奥、深紅の瞳の中にあるダイヤルが「カチッ」と音を立てて固定される。その視線は、景太の魂の奥底までを見透かし、その恐怖を糧にしようとする死神のそれだった。
アラ「私が引き裂いた悪魔たちの断末魔は、今でも私のコレクションの中で美しく響いています。彼らの絶望、飛び散る肉片、そして最期の瞬間に見せた無様な顔……。あれほど素晴らしい
アラスターは自身の過去を隠すどころか、誇るべき芸術作品であるかのように肯定した。
景太の心臓が早鐘を打つ。目の前にいるのは、友達になれるかもしれない「風変わりな居候」ではない。本物の、救いようのない、絶対的な「悪」なのだ。
カク「ひぃぃぃっ! 出た、その声だ! 放送事故の時の、死を招くノイズだ!!」
カクさんは頭を抱えて地面に伏せ、ガタガタと震えながら消え入るような声を上げた。
天野景太は、一歩後ろへ下がりそうになる足を、必死で地面に踏み止まらせた。
景(怖い……アラスターが、こんなに恐ろしい奴だったなんて。もし、俺が気に入らなくなったら、俺もあのラジオの『音』にされちゃうのかもしれない……)
脳裏に、解体される悪魔たちのイメージが過る。しかし、天野景太は同時に、今朝見た光景を思い出した。
盗品で溢れ、困惑していた自分の両親。
その裏で、自分なりに「認められたい」と空回りしていたアイトワラス。
そして、この街に増え始めているという正体不明の悪魔たちの影。
アラスターがどれほど凄惨な過去を持っていようと、今、自分の左腕には「悪魔ウォッチ」があり、目の前には救いを求めているかもしれない状況がある。
景「…………っ!!」
天野景太は強く唇を噛み、恐怖で強張る喉を無理やりこじ開けた。
景「……それでもっ!!」
景太の声が、河川敷の静寂を切り裂いた。アラスターの眉が、僅かにピクリと動く。
景「アラスターが昔何をしたかなんて、俺には分からないよ! 聞いただけじゃ信じられないくらい、ひどいことだと思う! ……でも! 今、この街で起きてる問題を解決するには、カクさんに協力してもらう必要があるんだ!!」
景太は恐怖に震える右拳を強く握りしめ、一歩、また一歩と、恐怖の権化であるアラスターの影を跨いで、カクさんの方へと踏み出した。
景「カクさん、お願いだ! アラスターが怖いのは分かる……俺だって今、死ぬほど怖いよ。でも、このままじゃアイトワラスみたいな悪魔たちが、もっとこの街をめちゃくちゃにしちゃうかもしれないんだ。そんなの、放っておけないだろ!?」
カク「……な、何を言ってやがる。あんなバケモノと一緒にいて、正義の味方ごっこかよ……!」
景「ごっこじゃない! 俺は、みんなが笑って過ごせる『普通』を守りたいだけなんだ! そのために、君の『噂を広める力』が必要なんだよ!」
景太の瞳には、涙が滲んでいた。それは悲しみではなく、圧倒的な恐怖を精神力でねじ伏せようとする極限の拒絶反応だった。だが、その瞳には、アラスターの冷たい視線すら跳ね返すような、強い意志の光が宿っていた。
一歩前に出た少年の背中を見つめ、アラスターはしばしの沈黙の後……再び、頬を深く、鋭く吊り上げた。
アラ「…………ニャハハハ!」
今度は、いつもの快活な笑い声だった。だが、そこには先ほどまでとは違う、天野景太という存在への「歪んだ興味」が色濃く混じっていた。
アラ「素晴らしい! 誠に素晴らしいですよ、ケータくん! 恐怖に飲み込まれず、あえてその深淵に手を伸ばすとは……。君は本当に、私を飽きさせない最高の人材です!」
アラスターが指を鳴らすと、カクさんを囲んでいた影の触手と黒い幕が、霧のように一瞬で霧散した。
アラ「カクさん。聞き分けのない小僧の願いです。……叶えてあげてはいかがですか? さもなくば、私の『次の番組』のゲストは、貴方のその四角い頭になるかもしれませんがねぇ?」
アラスターの言葉は相変わらず脅迫そのものだったが、天野景太の勇気が、最悪の状況に僅かな「交渉の余地」を生み出していた。
カクさんはガタガタと震えながら、天野景太の真っ直ぐな瞳と、背後で笑う死神を交互に見比べ、ついに観念したように大きな溜息をついた。
カク「……分かったよ。俺の寿命が縮まる噂を広めることになりそうだが……。小僧、あんたのその心意気に、少しだけ張ってやるよ」
アラスターが指先を優雅に鳴らすと、彼を取り巻いていた不気味な黒い幕と、地面から這い出ていた無数の触手が、嘘のように影の中へと溶けて消えた。
アラ「では、お願いしますね。期待していますよ?」
その一言が合図だった。カクさんは震える指先でスマホの画面を高速で叩き、メガホンを口に当てて叫び始めた。
カク「てぇへんだてぇへんだ! 街の奴ら、よぉく聞きな! さくら住宅街の片隅に、『オムレツ一つ』でどんな盗まれた宝も奪い返してくれる不思議な邪龍が現れたって噂だ! 泣き寝入りしてる奴は、極上のオムレツを用意して待ってな!!」
カクさんの放った言葉は、電波に乗ってSNSや掲示板、そして妖怪たちのネットワークを通じて、瞬く間に街中に爆発的な勢いで広がっていった。
しかし、カクさんは一仕事を終えると、ふと不可解そうな表情でアラスターを盗み見た。
カク「……意外だったぜ。あんたほどの『化け物』が、わざわざこんなケチな便利屋の噂を広めろだなんて。てっきり、もっと地獄を丸ごと飲み込むような大事件の片棒を担がされると思ってたんだがな……」
アラ「ニャハハハ! 態々そんな目立つ行為はしませんよ。それに、もし私が本気で大虐殺の告知をしたいのなら、拡散など貴方の手を借りずとも私には容易にできますからね。
……私の電波から逃げられる者など、この世には存在しません」
カク「……ヒェッ!」
アラスターが眼鏡の奥の瞳をカチリと回した瞬間、カクさんの全身に再び鳥肌が立った。アラスターの言うことは脅しではない。彼は自身の魔力だけで、街中の全デバイスに強制的に割り込むことすら可能なのだ。
アラ「本当に助かりましたよ。また何か、面白いニュースのネタがありましたら依頼しますね」
カク「……もう二度と会いたくねぇよ……!!」
カクさんは吐き捨てるようにそう呟くと、脱兎のごとく河川敷の向こう側へと消え去った。
カクさんの姿が見えなくなると、塀の上にいたアイトワラスが嬉しそうに翼を羽ばたかせ、景太の肩へと飛び移った。
アイト「へへっ、あんがとよニンゲン! おかげでこれから思いっきり『
景「……うん。でも、アイトワラス。さっきも言ったけど、悪い人からの依頼は受けちゃ駄目だよ。誰かをいじめるために何かを奪うのは、『取り返し』じゃないからね」
アイト「分かってるって。オイラが欲しいのは『スリル』と『オムレツ』だ。悪党の鼻を明かしてやる方が、スリルがあって面白そうだしな! ……そんで、どうだったよ、ニンゲン?」
アイトワラスは、ふと天野景太の顔を覗き込むようにして、赤い目をニヤリと細めた。
アイト「アラスター様の『武勇伝』を聞いた感想はよ?」
景太は言葉を詰まらせ、何も言い返せなかった。先ほどカクさんが語った、上級悪魔たちを引き裂き、その絶鳴をラジオで流し続けたという狂気の記録。それが今、隣で優雅に笑っている男の真の姿なのだという事実が、重く心にのしかかっている。
アイト「ハハハ! まあ、人間ならそんな顔になるのも当然だ! 絶望、恐怖、死の叫び……。普通なら反吐が出るような惨状だもんな」
アイトワラスは尾の先の炎をパチパチと弾けさせながら、どこか陶酔したような表情を浮かべた。
アイト「だがな、オイラたち悪魔にとっちゃあ、あの放送は最高に衝撃的で、最高にクールだったんだぜ! 腐りきった上級悪魔共が、たった一人の新参者に文字通り『音の断片』に変えられていくあの爽快感……!」
景「…………」
アイト「あの時から、オイラはアラスター様の虜って訳さ! オイラだけじゃねえ。地獄には、あの血塗られた生放送を聞いて、アラスター様に興味を持ったって奴が、掃いて捨てるほどいるんだぜ。恐怖ってのは、時に最高のカリスマになるんだよ!」
アイトワラスはアラスターを見上げ、心酔しきった様子で鳴いた。
景太は自分と彼らの間に横たわる「命」と「倫理」に対する圧倒的な価値観の差を、痛いほどに見せつけられた。
アラスターはその会話を、まるで他人の噂話でも聞くかのように、満足げな微笑みを湛えたまま静かに聞き流していた。
景(……アラスターは、みんなに恐れられて、そして……一部の悪魔には、あんな風に憧れられてるんだ)
天野景太は、自分の左腕にある悪魔ウォッチをそっと手で覆った。この恐ろしい力を持つ時計と、その生みの親であるラジオデーモン。自分は、とんでもないものを背負ってしまったのだと、改めて実感せずにはいられなかった。
アイト「そんじゃオイラはそろそろ行くよ。これ、オイラとお前を繋ぐ『契約』……つまりお礼な!」
アイトワラスは器用に前足の肉球で弾くようにして、一枚の円盤を景太へと投げた。景太が慌てて両手で受け止めると、それは鈍い真鍮の輝きを放つ悪魔メダルだった。
中央には、鶏冠を持つ黒い龍と、燃え盛る炎が刻まれている。手のひらに伝わるその冷たさは、今まで手にした妖怪メダルとは明らかに違う、重厚で禍々しい魔力の鼓動を刻んでいた。
アイト「安心しな。アラスター様の関係者なら、オイラも無下にはしねえ。特別扱いだ! それに『オムレツ食べ放題』という最高の条件を提示してくれた礼でもあるしな! オイラは『邪龍アイトワラス』。今度とも、ヨロシク頼むぜ、ニンゲン!」
アイトワラスは意気揚々と翼を広げ、街の喧騒へと消えていった。これからは、彼がこの街の「盗まれたもの」を巡る噂を、実力行使で解決していくことになるのだろう。
邪龍が去り、河川敷には再び天野景太とアラスターの二人だけが残された。
アラスターはステッキを地面にコツンと突き、影の中から湧き上がるようなノイズを伴って景太を見つめた。その表情は相変わらずの笑顔だが、眼鏡の奥にある瞳は、まるで実験動物の反応を観察する学者のように冷徹だった。
アラ「さて、ケータくん……改めてお聞きしましょう。私の過去、私の本性、そして私がかつて地獄で奏でた『断末魔の交響曲』……そのすべてを知って、君は今後どうするつもりですか?」
アラスターの声には、天野景太の覚悟を試すような、逃げ場を許さない鋭さがあった。
アラ「君が望むなら、今ここでその不気味な時計を投げ捨て、すべてを忘れて『普通の少年』に戻る道も……。まあ、私の『胃袋』がそれを許せば、ですが。ニャハ♪」
景太は左腕に巻かれた悪魔ウォッチと手の中にあるアイトワラスのメダルをじっと見つめた。
正直、足が震えていた。アラスターが語った「全部本当だ」という言葉の重みに、今にも押し潰されそうだった。隣にいるのは、紛れもない大悪魔であり、大量虐殺者なのだ。
だが、景太は顔を上げた。その瞳には、恐怖を完全に拭い去ることはできていないが、それを飲み込んだ上での「居直り」に近い光が宿っていた。
景「……確かに、さっきの話は凄くショックだった。正直、今だってめちゃくちゃ怖いよ。アラスターが何を考えてるのか、いつ俺を襲うのかって考えたら、足がすくむもん」
景太は一度言葉を切り、アラスターを真っ直ぐに見据えた。
景「でもさ、俺はもう既に、この『悪魔ウォッチ』の騒動に両足突っ込んでるどころか……首まで、いや肩まで浸かっちゃってるんだ。ヌエと戦って、ハヤタロウと会って、アイトワラスと契約した。今更『怖かったからやめます』なんて言ったって、何も変わらないだろ?」
アラスターの眉が、面白そうに僅かに上がった。
景「だから……『何を今更』って思うことにするよ。アラスターがどれだけヤバい奴だったとしても、今俺の隣にいて、俺を助けて(?)くれてるのは事実だから。それが、今の俺にできる唯一の事なんだ」
それは、正義感というよりも、もはや「諦め」に近いかもしれない。だが、超常的な恐怖を前にしても折れない、天野景太なりの「普通の少年の意地」だった。
天野景太の答えを聞いたアラスターは、しばしの沈黙の後、肩を震わせて低く笑い出した。
アラ「……及第点!!」
その声は、かつてないほどに晴れやかで、同時に耳を劈くようなノイズを響かせた。アラスターは満足げにステッキを振り回し、景太の肩をバンバンと力強く叩いた。
アラ「素晴らしい! 実に素晴らしいですよ、ケータくん! 恐怖を否定せず、かといって屈服もせず、『仕方ない』と笑って受け入れる。その図太さこそ、私のパートナーに相応しい資質だ!」
景「痛っ……! 叩きすぎだってば!」
アラ「ニャハハハ! 良いですねぇ、その反応。いいですか、ケータくん。貴方はもう逃げられませんよ。地獄の底まで、あるいはこの現世が地獄に変わるその日まで、私の『番組』に付き合ってもらいましょう!」
天野景太は溜息をついた。自分の日常が、取り返しのつかない方向へ舵を切ったことを確信した。
景「……分かったよ。どうせこうなると思ってた。……さあ、行こう。家に帰って、ピクシーを起こして、次の『依頼』に備えないと」
アラ「ええ、行きましょう! 最高にエキサイティングな一日になりそうだ!」
昼下がりの河川敷。
太陽の光を浴びて歩く少年の影は、その隣に並ぶ「ラジオデーモン」の歪な影と混ざり合い、どこまでも長く伸びていた。
天野景太とアラスター。
この最悪で最高な、歪んだパートナーシップは、ここからさらなる混沌へと突き進んでいくことになる。
きょうの悪魔大事典
アラ「ケータくん。今日の悪魔は?」
景「『邪龍アイトワラス』」
アイトワラスは美味しそうにオムレツを食べていた。
景「アイトワラスって本当にオムレツ大好きなんだね」
アイト「大好きじゃねえ…」
景「え?」
アイト「愛してるんだ!良いか?オムレツの歴史は非常に古く、特定の国が発祥というよりは、「卵を混ぜて焼く」という発想自体は文明の初期から存在していたんだ。
例えば古代ペルシャでは卵とハーブを混ぜて焼く「クークー」という料理があって、これがシルクロードを経てヨーロッパへ伝わったという説が有力だ。
「オムレツ」という言葉がフランスで使われ始めたのは、14〜16世紀頃と言われて、ラテン語の薄い板という「Lumina」からフランス語のナイフの刃という「Alumelle」そして「
更にオムレツにはフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトにまつわる有名な逸話があってな。
ナポレオン軍が南フランスのベジエ近くを移動中、宿屋で食べたオムレツがあまりに美味しかったため、ナポレオンは翌日、「村中の卵を集めて、軍隊全員分の巨大なオムレツを作れ」と命じたそうだ。
この伝説に基づき、現在でもフランスのベジエでは毎年「巨大オムレツ祭り」が開催されてるんだぜ!ほかにもー」
景「此処までオムレツ好きだったなんて…」
ピク「ま、オムレツ美味いしね〜」