沈む夕日がさくらニュータウンの静かな路地裏を長く、不気味な影で引き延ばしていた。
アラ「さて、今回は私のプロフィールを知って疲れていることでしょう。無理をして生放送中に倒れられては、視聴率に関わります。次の調査はまた明日にしましょう」
アラスターは疲労の色を隠せない天野景太を気遣う(あるいは面白がる)ようにそう告げると、彼を家まで送り届けた。
一人になった景太が、自室のベッドに倒れ込むのを見届けてから……ラジオデーモンは再び、夕暮れの街へと静かに溶け込んだ。
ーーー
さくらニュータウンのいつもの通学路。
高い塀に挟まれた薄暗い通路に、一人の少年が立っていた。日影真生だ。彼は何をするでもなく、ただ暮れゆく空を見上げていた。
アラ「おや、こんな所にいましたか」
背後から響いたのは、快活だがどこか耳障りなノイズを孕んだ声。真生がゆっくりと振り返ると、そこには昼間と変わらぬ、浅黒い肌に眼鏡をかけた「人間の姿」のアラスターが立っていた。
マオ「貴方は……」
アラ「アラスターです。以後、お見知りおきを。
今回は、ご協力いただいたことについて感謝の言葉を述べに来ました。貴方の情報のおかげで、実に愉快な『邪龍』を仲間に加えることができましたよ」
マオ「……役に立てたのなら良かったよ」
真生の声は淡々としていた。感情の起伏が見えないその瞳は、アラスターという異質の存在を前にしても微塵も揺るがない。
マオ「一つ、質問していいかな?」
アラ「ええ。答えられる範囲内であれば」
マオ「最初、アラスターさんに会った時……何かドス黒いものを感じた。冷たくて、底が見えないような何か。……貴方、人間じゃないでしょ」
その問いかけに、アラスターは低く、喉を鳴らすような笑い声を漏らした。
アラ「やはり、気づいていましたか」
その瞬間、空間が激しい電波ノイズに包まれた。アラスターの姿が歪み、膨れ上がる。
茶髪は血のように鮮やかな赤に染まり、頭頂部からは黒い鹿の角が突き出す。耳まで裂けた口には、獲物を噛み砕くための黄色い歯が並び、瞳は赤いダイヤルのように冷たく発光した。
ステッキ状のマイクがその手に握られ、周囲には古いラジオから流れるような、不気味な笑い声の効果音が響き渡る。
アラ「実の所、私も少し貴方に興味を持ちましてね。」
アラスターの声は、もはや人間のそれではない。何層にも重なったノイズの嵐だ。
アラ「上手く隠されているようですが……貴方からは、人間ではない異様な雰囲気が漏れ出している。死にゆく者が放つ腐敗臭でも、弱者の怯えでもない。……まるである『王』のような、重圧な気配がね」
真生は無言のまま僅かに一歩後ずさった。その動きにアラスターの笑みがさらに深く、鋭く吊り上がる。
アラ「おや? まだお別れするには早すぎますよ……どれ、少し試してみましょうか。貴方のその『王の衣』の下に、何が隠されているのかを!」
アラスターが指を鳴らした瞬間、地面を這う影から漆黒の触手が一本、巨大な槍のように突き出された。それは音もなく、しかし確実に真生の喉元を貫かんとして襲いかかる!
だが――。
――ガキンッ!!
金属が激突したような硬質な音が響き、アラスターの影の触手が空中で強引に弾き飛ばされた。
アラ「おやおや……」
アラスターの眼前に現れたのは、真生を庇うように立つ、一人の「妖怪」だった。
それは、忍者のような装束に身を包んだ、冷徹な美丈夫。青い髪をなびかせ、その金色の瞳は鋭くアラスターを射抜いている。そして何より目を引くのは、その首に巻かれた巨大なマフラー……意思を持つかのように蠢く、二頭の龍の頭部を備えた「オロチ」であった。
龍の顎が、アラスターの魔力の残滓を噛み砕き、霧散させていく。
オロチ「……そこまでだ。この少年に手を出すことは、私が許さん」
アラスターはステッキをくるりと回し、邪魔が入ったことを惜しむように肩をすくめた。背後では、古い録音テープのような「観客の落胆した声」が流れる。
アラ「お話している時に割り込みとは、野暮ですねぇ。……妖魔界でもその名を知らぬ者はいないエリート、オロチ。貴方のような高潔な妖怪が、こんな『ただの人間』の守護に就いているとは。これはいよいよ、面白くなってきましたねぇ」
アラスターの赤い瞳が、オロチ、そしてその背後に立つ日影真生を交互に見つめる。路地裏の空気は、ラジオデーモンの禍々しい魔力と、オロチが放つ圧倒的な妖気によって、今にも爆発しそうなほどに張り詰めていた。
夕闇に包まれた通学路は、一瞬にして異界へと変貌した。アラスターの背後からは壊れたレコードが逆再生されるような不快なノイズが響き渡り、空間そのものが赤と黒のモノクロームに侵食されていく。
アラ「貴方の絶叫は良いミュージックになりそうですねぇ! 聴取率も爆上がり間違いなしですよ!」
アラスターがステッキを指揮棒のように振ると、周囲の空気に無数の紋章が浮かび上がった。それらは放送禁止用語のような耳障りな電子音を撒き散らす。
アラスターの影が大きく膨れ上がり、そこから這い出してきたのは、鋭い牙と狂ったような笑顔を持つ
アラスターの攻撃は、単なる力押しではなかった。計算し尽くされた「二段構えの包囲網」だ。
空中を泳ぐように迫る影の群れ。それらは実体を持たないかと思えば、次の瞬間には剃刀のような鋭い爪を剥き出しにして、オロチの四肢を引き裂こうと肉薄する。
使い魔がオロチの意識を上空へ逸らした瞬間、地面からタールのような黒い粘液を纏った巨大な触手が、鎌首をもたげる蛇のように突き出された。その標的はオロチ、そして彼の背後に立つ真生だ。
オロチは微動だにせず、鋭い視線でその全てを捉えていた。
オロチ「させん!」
オロチが印を結ぶと、首に巻かれた双頭の龍のマフラーが命を宿したように猛り狂った。
青い炎のような妖気を纏い、右側の龍が咆哮と共に旋回する。それは飛び込んできた影の使い魔たちを一飲みで噛み砕き、その歪な形を次元の彼方へと消し去った。影の軍勢がどれほど数を増やそうとも、オロチの洗練された身のこなしと龍の驚異的な反応速度の前では、掠ることさえ叶わない。
しかし、アラスターの本命は地からの追撃だった。
アラ「逃がしませんよ、エリートさん!」
アラスターが指を鳴らすと、巨大な触手が急激に加速し、ドリル状に回転しながらオロチを貫こうと迫る。その衝撃波だけで、周囲のブロック塀にひびが入る。
オロチは跳躍する代わりに、もう一頭の龍を地面へと叩きつけた。
―ガァァンッ!!
龍の硬質な頭部とアラスターの禍々しい触手が正面から激突する。火花を散らすような魔力と妖気の火花が散り、路地裏に暴風が吹き荒れた。
オロチはその衝撃を片腕で受け流しながら、背後の日影真生に一欠片の破片も飛ばさぬよう、完璧な防御障壁を展開して防ぎ切った。
アラ「ニャハハハ! 素晴らしい反応速度! まるで録音されたテープを早送りで見ているような完璧さですよ!」
オロチの冷徹な金色の瞳とアラスターの狂気に満ちた赤い瞳が、激突する魔力の渦の中で火花を散らす。
一方は、地獄の支配者たちを屠ってきた「ラジオデーモン」。
一方は、妖魔界の精鋭として頂点に立つ「オロチ」。
格上の「悪魔」と、最高位の「妖怪」。その一触即発の睨み合いは、夕闇の静寂を暴力的なまでの緊張感で満たしていった。
路地裏の空間が、オロチの解き放った圧倒的な妖気によって悲鳴を上げた。
オロチ「これでお終いだ。奥義『やまたのおろち』!!」
オロチの首に巻かれた双頭の龍による目にも留まらぬ連撃。それは八つの首を持つ伝説の怪物へと姿を変え、路地裏の建物を丸ごと飲み込むような勢いで、アラスターへと牙を剥いた。猛烈な衝撃波がコンクリートを粉砕し、爆風が荒れ狂う。視界は真っ白な土煙に覆われ、ただ耳を劈くような破壊音だけが響き渡った。
……だが、その静寂は不気味なノイズによって破られた。
アラ「ニャハハハ! 良いですねぇ。実に良い!」
土煙がゆっくりと晴れていく中から、不敵な笑い声が漏れる。現れたアラスターは、煤けたスーツを軽く手で払いながら、何事もなかったかのように歩み出てきた。その目は愉悦に細められ、心底この状況を楽しんでいるようだ。
アラ「もっと抗ってください。もっと私を愉しませてください……私がさらに、『強く』なるためにね!!」
アラスターの身体が、異様な音を立てて変貌を開始した。
「ボキボキ、メキメキ」と、到底生き物が立てていいはずのない硬質な音が響く。頭部の鹿の角が、まるで大樹の枝のように天へと伸び、禍々しく枝分かれしていく。さらに異常なのはその体躯だ。節々の関節が増え、身長、特にその首がズルズルと蛇のように伸び上がり、見上げるほどの高さへと変貌した。
裂けた口からは、タールのような黒い液体がドロリと溢れ出し、地面を焦がす。そして何より異様なのはその「目」だ。赤い瞳の奥には、オーディオ機器のVUメーターが浮かび上がり、彼の放つ魔力の拍動に合わせて激しく針を揺らしている。
それは、地獄の支配者の一角を担う「ラジオデーモン」の、真の狂気を孕んだ巨大悪魔態であった。
アラ「さあ、第二幕の開演だ!!」
アラスターがその巨大な影の手を振り上げようとした、その時だった。
ドォォォン!!
背後から飛来した強烈な炎が、アラスターの背中に直撃した。
アラ「おや……?」
振り返るアラスターの視界に、新たな影が飛び込んでくる。そこにいたのは、気高くも美しい金色の毛並みを持つ九尾の狐キュウビ。そして、心配そうに駆け寄る木霊文花、さらにはガタガタと震えながら宙に浮くウィスパーの姿だった。
キュ「ふん……やはり今の程度じゃ、かすり傷一つ付かないか」
文「マオくん! 無事!? 怪我はない!?」
ウィス「うぃ……うぃ、うぃす~~~!!? な、なななな、何ですかあの姿は! ラジオデーモンがさらに恐ろしい姿に! 妖魔界の終わりでぃすぅ~!!」
文花はマオの元へ駆け寄り、その無事を確認する。だが、場の緊張感は和らぐどころか、アラスターの興奮によってさらに沸騰しようとしていた。
アラスターは、増えた関節を奇妙な角度で折り曲げながら、新しく現れた「獲物」たちを値踏みするように見回した。VUメーターの針が、狂ったように最大値を指して振り切れる。
アラ「ニャハハハハ! 素晴らしい、素晴らしいですよ! エリート忍者に伝説の妖狐、更には華まで! 鍛錬相手は多い方が良い!! 全員の悲鳴を混ぜ合わせれば、最高のオーケストラが完成する!!」
アラスターの背後から、無数の黒い影が、音波のような波紋を広げながら辺り一帯飲み込んでいく。
黄昏の街に、耳を劈くようなラジオのハウリング音が鳴り響く。巨大な悪魔の姿へと変貌したアラスターは、異様に長く伸びた首を不自然な角度で傾け、眼下の少女を見下ろした。そのVUメーター状の瞳が、嘲笑うように激しく左右に振れる。
アラ「それで? 少しは戦えるレベルになりましたか、レディ? 貴方の奏でる悲鳴は、どんな音階になるのか楽しみですよ!」
アラスターが、影を纏った巨大な豪腕を振り上げる。空気を切り裂くその一撃は、ただの人間である文花を容易く圧殺するに足る威力を秘めていた。だが、文花はその圧倒的な威圧感に気圧されることなく、真っ直ぐにアラスターを睨み返した。
文「私の友達! 出てきて!!」
文花が強く叫び、その手にあるウォッチが眩い光を放つ。
文「『ゴルニャン』!!」
アラスターの黒い拳が文花に届く寸前、空間から飛び出した黄金の光がそれを真正面から受け止めた。
キィィィィィィィンッ!
金属が激突する鋭い音が響き渡る。そこにいたのは、純金製で全身を固めたジバニャン型のロボット妖怪、ゴルニャンだった。彼はその強固な両腕を交差し、アラスターの巨大な圧力をミリ単位も通さず、ガッチリと受け止めていた。
文「私はジバニャンやキュウビみたいに、自分一人で戦うことはできない……。足手まといかもしれないし、正直、貴方が怖くないわけじゃない……!」
文花の声は僅かに震えていたが、その瞳には決して折れない決意が宿っていた。
文「それでも! 私の友達を、この街を脅かそうとするのなら、私は絶対に逃げない! ここで貴方を倒す!!」
少女の覚悟が、戦場に漂う空気を一変させた。
キュ「ふん、流石は僕が狙うイチオシのレディだ。その凛々しさに、僕の魂も震えるよ」
オロ「その覚悟……見事だ。俺たちも全力でその声に応えよう!!」
アラスターの唇がさらに裂け、不気味な笑い声の効果音が周囲に響き渡る。
アラ「ニャハハハハ! 素晴らしい! それこそが私が求めていた『最高のドラマ』です! さあ、全員まとめて私のコレクションに加えましょう!!」
開戦の合図は、アラスターの指先から放たれた強力な衝撃波だった。それに対し、オロチとキュウビが電光石火の速さで動き出す。
オロチが地を蹴り、影を切り裂きながらアラスターの足元へと肉薄する。首に巻かれた双頭の龍が猛り狂い、アラスターの影の触手たちを次々と食い千切っていく。
オロチ「龍の顎に、その汚れた魔力を刻め!!」
オロチは超高速の連撃を叩き込み、アラスターの長い首へ向けて龍の幻影を放つ。しかし、アラスターは関節を異常な方向に折り曲げ、物理的な限界を超えた回避を見せた。空中で静止したアラスターの背中から、無数のラジオアンテナのような針が飛び出し、全方位へと雷撃を放つ。
キュ「その程度の『ノイズ』、僕の美学で打ち消してあげよう!」
キュウビが優雅に宙を舞い、九つの尻尾から巨大な紅蓮の火球を放った。
アラスターの業火とキュウビの業火が衝突し、路地裏は真っ赤な光と閃光に包まれる。キュウビの炎は、アラスターの纏うドロリとした黒い液体を蒸発させ、その奥にある実体へとダメージを与えていく。
アラスターはVUメーターが真っ赤に振り切れるほどの咆哮を上げた。彼の周囲に、何百もの「笑う口」が浮かび上がり、そこから不協和音の音波が放たれる。その圧力に、周囲のガラスが粉々に砕け散った。
ゴルニャン「防御モード最大出力! !」
ゴルニャンが文花と真生を背後に庇い、黄金のボディを盾にして音波の直撃を防ぐ。その金色の装甲が激しく火花を散らすが、彼は一歩も引かずにその場を死守した。
その隙を見逃さず、オロチとキュウビが空中で交差する。
オロ「キュウビ、合わせろ!」
キュ「言われなくても分かっているよ!」
オロチの青い妖気とキュウビの紅蓮の火力が一つに混ざり合い、巨大な螺旋のエネルギーとなってアラスターを襲った。アラスターは巨大な影の盾を展開したが、最強のタッグによる合体攻撃はその盾を粉々に粉砕し、彼の胸部へ深く突き刺さる。
アラ「――ハハ……グッ……ニャハハハハ! 痛快だ! これですよ、これこそが最高のエンターテインメントだ!!」
アラスターは黒い液体を吐き出しながらも、狂ったような笑顔を崩さない。彼の背後からは、さらに巨大な、地獄の風景を投影したような幻影が浮かび上がり、戦いはさらにその苛烈さを増していく。
いつの間にか、真生はジバニャンとウィスパーによって戦場の中心から遠く離れた物陰へと避難させられていた。
ジバニャンとウィスパーにとって、真生がなぜ妖怪や悪魔を見ることができるのか、その「理由」など今はどうでもよかった。ただ一つ、目の前で繰り広げられる地獄のような光景から、クラスメイトを守ることだけに必死だった。
ウィス「今のうちに! やっちゃって下さい、皆さん!!」
ウィスパーの絶叫に近い応援が響き渡る。それを合図に、三体の強力な妖怪たちが同時に動き出した。
キュウビが空中に九つの尾を扇状に広げ、全妖力をその中心へと凝縮させる。
キュ「これで終わりだ! ラジオデーモン!! 『紅蓮地獄』!!」
灼熱の紅蓮の渦が、天を衝く巨大な火柱となってアラスターを呑み込む。それと同時に、オロチが印を結び、背後の双頭の龍を極限まで巨大化させた。
オロ「消え去れ、異界の化け物! 『やまたのおろち』!!」
無数の龍の首がアラスターの巨体を全方位から噛み砕くべく殺到する。
さらに、文花の指示を受けたゴルニャンが、その黄金の装甲から過剰なまでのエネルギーを排出した。
ゴル「目標捕捉……全出力開放ニャ! 『ゴールデンダブルロケットパンチ』!!」
純金製の巨大な拳がブースターの轟音と共に撃ち出され、アラスターの胸部へ向かって超高速で旋回しながら突っ込む。
チュドォォォォォン!!!
紅蓮の炎、蒼い雷、そして黄金の衝撃。三つの絶大なる力が一点に集中し、路地裏一帯を昼間のような光輝で埋め尽くした。爆風がコンクリートを剥ぎ取り、猛烈な土煙が視界を完全に遮断する。
「……やったか?」
誰もがそう確信した…。
その瞬間だった!
「ムフフフ……」
土煙の奥から、不気味に響く重低音のノイズ。そして、それをかき消すような狂気に満ちた叫びが爆発した。
アラ「ニャハハハハ!! ヒャーハハハハ!!! カカカカ!!」
煙を切り裂いて飛び出してきたのは、傷一つ負っていないどころか、さらに禍々しいオーラを纏ったアラスターだった。その巨大な姿は変わらぬまま、彼は空中で体をくねらせ、歓喜に震えている。
アラ「素晴らしい! 実に素晴らしい! 『火事場の馬鹿力』というのは本当に存在するのですねぇ! 貴方方には、心から感謝しますよ!!」
文花やオロチ、キュウビは、目の前の光景が信じられず目を見開いた。
オロ「バカな……
アラスターの足元には支えとなる影も触手もない。それどころか、背中に翼が生えたわけでもない。
彼はただ、物理法則をあざ笑うかのように中空に泰然と浮かんでいたのだ。
文「キュウビ! アラスターって、もともと空も飛べたの!?」
キュ「いや、そんな能力はなかったはずだ……。まさか、今の攻撃を受けて、さらに
アラスターは空中で優雅に一回転し、ステッキをタクトのように振るった。彼の周囲では、VUメーターの瞳が激しく明滅し、ラジオのノイズが「歓喜の歌」のようにメロディを奏で始める。
アラ「空を飛べるようになるなんて、なんて素敵なのでしょうか!! 視界が開けるというのは、これほどまでに興奮するものなのですねぇ! 笑いが止まりませんよ!!」
アラスターは、受けた攻撃のエネルギーを自らの糧へと変換し、さらなる「進化」を遂げていた。地獄の住人ですら成し得なかった、現世の理を書き換えるほどの急成長。
アラ「さあ、上空からの生放送を始めましょう! 貴方たちの絶望が、どこまで響き渡るか……試してみたくて堪らないのですよ!」
空中を自由に舞い、死角を無くしたアラスター。その巨躯が夕闇を覆い尽くし、文花たちに絶望的なまでの影を落とした。
アラスターその長い腕を優雅に横へ振った。
その合図とともに、彼の背後の空間に走るノイズの亀裂から翼の生えた影の使い魔たちが黒い雲のごとく湧き出した。それらは羽ばたくたびに不快な高周波を撒き散らし、赤黒い夕闇を埋め尽くしていく。
キュウビの業火が次々と使い魔を焼き払い、オロチの龍の顎がそれらを噛み砕くが、敵の数は減るどころか増殖し続ける。純金製のボディを持つゴルニャンですら、四方八方からまとわりつく影の群れに、その金色の装甲を軋ませていた。
最強と謳われる妖怪たちをしても、パワーアップしたラジオデーモンの軍勢はあまりにも規格外だった。勝利の糸口すら見えない絶望的な消耗戦。
誰もが最悪の結末を覚悟した、その時だった。
アラ「――? おやおや。では、そろそろ戻らないといけませんね」
アラスターがふと、何かに耳を澄ますように首を傾げた。あんなに狂気に満ちていたVUメーターの瞳が、ふっと凪いだような輝きに変わる。
彼は巨大な巨躯をゆっくりと降下させ、瓦礫の山となった路地裏に静かに降り立った。
アラ「残念ですが、本日のショーはここまでですね。私の特訓に付き合ってくれたお礼に、少しだけ種明かしをしてあげましょう」
言葉とともに、アラスターの巨体が急速に収縮していく。鹿の角は消え、不自然に伸びた首も元に戻り、赤いスーツを纏った「人間の姿」へと収まった。
その姿を見た瞬間、マ真生物陰に避難させていたジバニャンとウィスパーの顔から、一気に血の気が引いた。
ジバ「あ、あいつ! ケータの家に居座ってる、あの怪しい居候ニャ!!」
ウィス「うぃ……うぃっ、うぃす~~~~!? まさか、そんな……本当にあの男が、地獄のラジオデーモンだったなんて……!!」
二人の絶叫に、文花が息を呑む。
今、目の前で化け物のような力を振るっていた悪魔が、自分の親友である景太の家にいる男だった。
その事実に、文花は震える手でスマートフォンを取り出そうとした。一刻も早く、景太にこの男の正体を伝えなければ。
だが、アラスターは彼女の動きを完全に先読みしていた。
アラ「誰に言おうが、別に構いませんよ」
アラスターは眼鏡を指先で直し、優雅に微笑む。しかし、その瞳の奥には底知れない冷たさが宿っていた。
アラ「ですが、普通の少年である彼が、果たして私の正体を信じるでしょうか? ……仮に信じたとして」
アラスターが一歩、文花へと歩み寄る。その瞬間、彼の声が極限まで低い、地獄の底を這うような重低音へと変貌した。
アラ「その『真実』を耳にした周囲の人間たちが、その後どうなるか。……レディ、貴方には想像がつくでしょう?」
言葉の裏に潜む明確な殺意と脅迫。文花はあまりの恐怖に息を詰め、顔を激しく歪ませることしかできなかった。
アラスターは満足げに鼻歌を漏らし、余裕綽々の笑みを浮かべて、己の足で悠然と歩き出した。家路を急ぐサラリーマンのような気楽さで、彼は戦場を去ろうとする。
オロチとキュウビが、屈辱に震えながらその行く手を遮ろうとした。
オロ「待て……まだ話は終わって……ッ!?」
キュ「行かせるものか……ッ、くっ……何だ、これは……!?」
二体はアラスターに飛びかかろうとした瞬間、金縛りにあったようにその場に硬直した。
キュ(……震えているのか? いや、違う! 恐怖で動けないんじゃない……まるで、内臓を直接震わせるような不可視の『音』が、体中の神経を麻痺させているのか……!)
振動。それは物理的な衝撃ではなく、特定の波長の音が、妖怪たちの妖力そのものを共鳴させ、動きを封じているかのようだった。
アラ「それではまた、ごきげんよう。……明日の朝食は何でしょうねぇ。楽しみです」
アラスターは呆然と立ち尽くす文花の横を、風が吹き抜けるような軽やかさで通り過ぎていく。
その背中は、かつて数え切れないほどの上級悪魔を屠り、地獄を恐怖のどん底に叩き落とした暴君のものとは到底思えないほど、穏やかで日常的なものだった。
夕闇が完全に街を包み込む中、ラジオデーモンは鼻歌を歌いながら、景太の待つ自宅へと、当たり前のように帰っていった。
残されたのは、粉砕された路地裏と、言葉を失った妖怪たち。
そして、日常の皮を被った「絶対的な悪」の正体を知ってしまった、文花の震えだけだった。
アラスターが鼻歌混じりに去り、その気配が完全に消え去った瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
文花は、支えを失った操り人形のようにその場に膝から崩れ落ちた。アスファルトの冷たさが掌に伝わるが、指先の震えは一向に収まらない。
ウィス「フミちゃん! 大丈夫でぃすか!?」
ジバ「しっかりするニャン! 気をしっかり持つニャン!」
ウィスパーとジバニャンが慌てて駆け寄り、文花の顔を覗き込む。彼女の顔色は、夕闇の中でもはっきりと分かるほど真っ白に染まっていた。無理もない。今しがた自分たちを弄んでいたのは、親友の家に居座る「居候」の皮を被った、地獄の化け物だったのだから。
文「だ、大丈夫……。ちょっと、腰が抜けちゃっただけ……」
文花は心配をかけまいと、引き攣った頬を無理やり動かして笑顔を作った。だが、その瞳にはまだ恐怖の残滓がこびりついている。
マオ「……立てる?」
傍らで見守っていた真生が静かに手を差し伸べた。文花はその手を取り、震える足に力を込めて何とか立ち上がる。ウィスパーが慌てて背中を支え、彼女が倒れないよう必死に浮遊してクッション代わりになった。
文「ありがとう、マオくん……」
マオ「とんでもないことになったね。あんなのが、ケータくんのところにいるなんて」
真生の声は相変わらず淡々としていたが、その眼差しはアラスターが消えていった方向を鋭く見据えていた。
ウィス「しかし、あのラジオデーモンが空を飛べるようになったとなれば……。我々妖怪にとっても、現世にとっても、もはや手の付けられない脅威でぃすよ!」
キュ「……それだけじゃない」
九つの尾を静かに収め、人間態へと戻ったキュウビが苦々しく口を開いた。その美しい顔には、屈辱と警戒の色が混ざり合っている。
オロ「ああ。奴はまだ、さらなる力を隠し持っているようだった。あの変身ですら、底が見えなかった」
オロチもまた、マフラーの龍を鎮めながら重々しく頷いた。空を飛ぶ能力。それはアラスターがこの現世の理を取り込み、進化し始めている証左に過ぎない。戦いの最中に見せた、あの狂気的なまでの「余裕」が何よりの証拠だった。
オロチは静かな足取りで文花の前まで歩み寄ると、その瞳をじっと見つめた。
オロ「……マオを助けてくれたこと、感謝する。これを持っていろ」
彼が差し出したのは、深い青色に輝くオロチの妖怪メダルだった。
文花が戸惑いながらもそれを受け取ると、指先から鋼のような強靭な妖気が伝わってきた。
オロ「悪魔は今もなお、現世に降り続けている。奴らの侵攻は、我々妖怪にとっても無視できぬ段階に入った。そのメダルは、いずれ必ずお前の力になるはずだ」
文花はメダルを強く握りしめた。アラスターという絶望を知った今、この小さな円盤だけが唯一の希望の火火に感じられた。
マオ「……ところで、一つ聞きたいんだ。君は一体……」
真生がオロチに向かって問いかける。自分がなぜ妖怪や悪魔が見えるのか。そして、アラスターが言った「王」という言葉の意味。その答えを求めようと真生が口を開きかけた時、オロチはその言葉を遮るように静かに手を挙げた。
オロ「……今日はもう遅い。お前が何者であるか、そしてこれから何を成すべきか。……また後日、話す。すべてをな」
オロチの金色の瞳には、隠しきれない敬意と、守護者としての決意が宿っていた。真生はその視線の重さに、それ以上の追及を飲み込んだ。今はただ、この異常な状況を整理する時間が必要だと、彼もまた納得したようだった。
辺りは完全に闇に包まれ、街灯が寒々しく路地を照らし始める。
彼らはそれぞれの胸に、アラスターという名の「爆弾」を抱えたまま、重い足取りで帰路に就いた。
明日の朝、景太の家でどんな顔をしてアラスターと向き合えばいいのか。文花の心は、解けないパズルのように乱れたままだった。
ーーー
静まり返ったさくら住宅街。天野家の玄関のドアが開き、夜の湿った空気と共にアラスターが足を踏み入れた。その足取りはいつも以上に軽快で、ステッキを回す手元には隠しきれない愉悦が滲んでいる。
リビングでは、景太が机に突っ伏して今日一日の出来事を整理していた。アラスターの姿を見つけると、景太は顔を上げて少し驚いたように声をかける。
景「おかえり、アラスター! なんだかすごく嬉しそうだけど、何かいいことでもあったの?」
アラ「ええ、ええ。想像以上に実りある時間でしたよ。やはりたまにはこうして『鍛える』というのも、悪くないものですね!」
アラスターはいつもの完璧な笑顔で応じた。だが、その口から「空を飛べるようになった」という衝撃の事実は明かさない。それは来るべき次の『生放送』で、観客―あるいは敵対者―を驚かせるための取っておきのサプライズにするつもりなのだ。
景「そうなんだ。……まあ、アラスターが機嫌いいなら何よりだけどさ」
景太が苦笑いしながら視線を戻すと、部屋の隅でポテトチップスの袋を豪快に開けている存在が目に入った。ピクシーだ。彼女は横に寝っ転がり、指に付いた塩を舐めながら呆れたような視線を景太に向ける。
ピク「アタシはさ、アンタが今更になってあのラジオデーモンの正体を知ったことの方に呆れてるけどね。地獄じゃ知らない奴なんてモグリよ」
景「まあ……そう言われてもさ。カクさんから聞いた話は本当に怖かったし、一時はどうしようかと思ったけど……。でもさ、こうして家で一緒にいると、やっぱりただの『変な居候』って感じもするんだよね」
景太は、隣で優雅にコーヒーを淹れようとしているアラスターを盗み見た。大量虐殺、断末魔の放送、地獄の支配。そんな恐ろしい肩書きを持つ男が、自分の家で「普通の生活」の一部になっている。その奇妙なアンバランスさが、今の景太には少しだけ可笑しく感じられた。
すると、景太はふと思いついたように笑いながら付け加えた。
景「もし、俺が学校で『アラスターは実は怖い悪魔なんだぞ』なんて言ったところで、文花ちゃんは絶対に信じないだろうな。むしろ、俺がまた変なこと言ってるって呆れられちゃうかも!」
アラ「……ですね。それは誠に、面白い想像です」
アラスターはティーカップを口元に運び、目を細めて同意した。もちろん、彼は言わなかった。数刻前、路地裏で文花を極限まで恐怖のどん底に叩き落とし、その喉元に呪いのノイズを突き立てたことなど。彼女が今頃、親友である景太にさえ言えない秘密を抱えて震えていることなど、おくびにも出さない。
アラ「そう言えば、新たに情報を一つ得てきました。どうやら、おもしろ……いえ、とんでもないことになりそうですよ」
アラスターの瞳が微かに、そして鋭く振れる。
アラ「こちらも本格的に戦力を広げていかなくてはなりません。ちょうど、私の知る中でもピッタリの、実に『質の良い』悪魔たちがこの街に来ているようです」
景「え、また新しい悪魔が? それって味方になってくれるのかな……」
アラ「それは交渉次第ですねぇ。ですが、彼らが加われば、私の番組もより一層華やかになることは間違いありません」
アラスターは窓の外、闇に沈む街のどこかに潜む同胞たちの気配を感じ取っていた。
アラ「実行は明日にしましょう。今はできる限り体を休めることです。休息もまた、最高のパフォーマンスには欠かせませんからね」
夏休みも後半戦。明日の朝、新しく現れる悪魔たちがどんな混沌を連れてくるのか。そんな不穏な予兆を抱えながらも、景太は「普通の日常」の暖かさに身を委ね、眠りにつくことにした。アラスターの奏でる静かなノイズを子守唄代わりに。
きょうの悪魔大事典
アラ「ケータくん。今日の悪魔はコチラを紹介しましょう!」
景「えっと…「妖鬼オニ」!」
オニ「ギャハハハハハ!!」
オニがテレビを見て大笑いしていた。
景「何か面白い番組でも見つかった?」
景太が見てみると…。
景「今後未来を担う……経済方針?」
アラ「「来年の事を言えば鬼が笑う」と言いますからね」
景「鬼の事知ってるつもりだったけど…やっぱり悪魔って奥が深いなぁ…」