四神、龍神コウリュウ。そして、文花との戦闘の後、「人間・妖怪・悪魔」が共存する未来を共に誓うという怒涛の一日を過ごした景太は、自宅のベッドで深い眠りについていた。
本来なら朝帰りの息子に両親が詰め寄るところだが、そこはアラスター。持ち前の紳士的な振る舞いと恐るべきコミュニケーション能力と微かな暗示を少々使った事によって、両親を煙に巻くどころか「景太くんの頼りになる年上の知人」として完全に納得させてしまった。
時計の針が正午を回った頃。景太のまぶたがゆっくりと持ち上がる。
景「……う、ん……」
視界に飛び込んできたのは、見慣れた自分の部屋の天井だ。しかし、体中には鉛を流し込まれたような、重く気だるい感覚がこびりついている。神獣や悪魔たちと渡り合った反動は、一晩寝たくらいでは拭いきれなかった。
ピク「やっと目覚めたわね、お寝坊さん」
聞き覚えのある勝ち気な声に横を向くと、机の端でピクシーが羽を休めていた。
景「そっか……オレ、寝ちゃってたんだ。みんなは……アラスターは?」
ピク「今はあいつに会わない方がいいわよ。……命が惜しければね」
ピクシーの不吉な答えに、景太の背筋が凍る。促されるまま、景太は二階の廊下から、一階のリビングをこっそりと覗き込んだ。
一階のソファには、アラスターが座っていた。
口元には相変わらず三日月のような笑みを湛えているが、その周囲の空気は明らかに「異常」だった。
彼の体からは古いラジオのノイズのような砂嵐が漏れ出し、時折ジジッという耳障りな音と共に空間が歪んでいる。
景「……どうしたの? 一体……」ヒソヒソ
ピク「あのラジオデーモンがいつも着ている一張羅、覚えてる? 昨日のコウリュウ戦でボロボロになったじゃない?」ヒソヒソ
ピクシーが小声で説明を続ける。景太が眠りこけている間、アラスターは不機嫌さを押し隠しながら、街中の服屋や仕立て屋を片っ端から回ったのだ。
仕立て屋1「……これは無理ですね。お金の問題以前に、うちではこの生地を扱っていません」
高級ブティック「最新の最高級生地を使うなら新調できますが、この『生きた影を織り込んだような布地』の修復は不可能です」
どの店も答えは同じだった。アラスターにとってあの服は単なる被服ではなく、彼の一部であり、力の象徴でもある。それが人間の技術では修復不能だという事実に、彼の自尊心はひどく傷ついているようだった。
景「……それでアラスター、あんなに不機嫌なんだ……」ヒソヒソ
ピク「そういう事。機嫌を直そうと両親に料理を振る舞ったりしてるけど、内心はかなり荒れてるわ)」ヒソヒソ
景太は少し考え込んだ。アラスターにはこれまで、何度も助けられてきた。命の危機を救われ、新たな世界を見せてもらった。そんな相棒が困っているなら、今度は自分が力になりたい。
景「……よし、オレたちで何とかしよっか」
ピク「アンタ、裁縫ができるの? あたしは当然無理よ」
ピクシーが呆れたように言うが、景太の瞳には決意の光が宿っていた。
景「オレが縫うんじゃないよ。裁縫や服作りに詳しい『悪魔』か『妖怪』を探すんだ。人間が無理なら、異界の専門家に頼めばいい」
すると、「アンタ、体は大丈夫なの?」というピクシーの心配するが、景太は笑顔で遮る。
景「心配ないよ。それにアラスターには助けられてばかりだから、少しでも恩返しがしたいんだ」
その真っ直ぐな言葉に、ピクシーはため息をつきつつも、どこか嬉しそうに口元を緩めた。
ピク「そういうんじゃないかと思って、こいつを呼んであるわよ」
ピクシーが指を鳴らすと、廊下の隅からムクムクと紫色の不思議な妖怪バクが現れた。
ピク「こいつは妖怪のバク。あんたの代わりに文花のベッドで身代わりをやってたのよ。そんじゃ、お願い!」
「うむ……」
バクが大きな口を開け、景太に向かって空気を吸い込んだ。すると、景太の体を支配していた重い倦怠感と気だるさが、霧が晴れるようにスッと消えていった。
景「あれ!? 何か、一気にスッキリした!」
バク「フミちゃんが世話になっておるからな。お主の眠気、美味しくいただいたぞ」
バクは満足げに腹をさすると、そのまま煙のように消え去った。
景「……よし! 元気も出たし、アラスターが機嫌を直してくれるような最高の仕立て屋を、ピクシーと一緒に探しに行こう!」
ピク「おー! さっさと見つけないと、あのラジオデーモンのノイズで家が壊れちゃうわよ!」
二人はアラスターに気づかれないよう、窓から静かに外へと飛び出した。
ーーー
景太とピクシーは「悪魔ウォッチ」のサーチ光を街並みに走らせながら、必死に手がかりを探していた。アラスターの怒りのノイズが家を飲み込む前に、あの特殊な布地を扱える職人を見つけ出さなければならない。
景「……うーん、なかなか見つからないな。ファッションに詳しそうな悪魔の反応なんて、そう簡単には出ないか」
ピク「アンタの街の服屋が全滅だったんだもの。よっぽど腕のいい、それこそ『美』に命を懸けてるような奴じゃないとあの赤い燕尾服は直せないわよ」
二人が頭を抱えていたその時、聞き覚えのある明るい声が響いた。
文「ケータくん!」
振り返ると、そこには文花がウィスパーとジバニャンを引き連れて立っていた。昨夜の激闘を感じさせない、いつもの清々しい笑顔だ。
ジバニ「おっ、ケータ。こんなところで何してるニャン? チョコボーの特売日にはまだ早いはずニャが」
ウィス「おやおや、ケータくん。そんなに血相を変えてウォッチを振り回して、また新しいトラブルでぃすか?」
景「あ、フミちゃん! ちょうど良かった! 実はカクカクシカジカで……」
景太は焦りながらも、事の経緯を一気に説明した。アラスターの一張羅がボロボロになったこと、人間界の技術では修復不能なこと、そして本人が絶望的に不機嫌で、家の中がノイズだらけになっていること。
文「なるほどね……。アラスターさん、あの服をすごく大切にしてたものね。それなら、心当たりがあるわ。とってもオシャレに詳しくて、服のことなら右に出る者はいないっていう妖怪がいるの。呼んであげるね」
景「本当!? ありがとう、フミちゃん! 助かるよ!」
文「私の友達、出てきて『しゃれこ婦人』! 妖怪メダル、セットオン!」
文花が慣れた手つきでメダルをセットし、ウォッチを掲げる。召喚の光と共に現れたのは、派手なドレスを身にまとい、顔にはこれでもかと濃い化粧を施した、奇抜なドクロの妖怪だった。
彼女の名は、しゃれこ婦人。
骨になってなおオシャレへの情熱を燃やし続ける、美の求道者。冷ややかな周囲の目などどこ吹く風で、ひたすら己のスタイルを貫く彼女の精神性は、ある意味で高潔ですらあった。
しゃれこ「オ〜ッホッホッホ! 呼びましたかしら、フミちゃんさん? この私に、何か最高にエレガントなファッションのアドバイスがご入用ですの……?」
高笑いと共に華麗なポーズを決めるしゃれこ婦人。
しかし、彼女の視線が文花の隣に立つ景太に止まった瞬間、その優雅な動きがピタリと止まった。
しゃれこ「…………あら?」
景「あ、初めまして。実はちょっと相談したいことがあって……」
景太が親しみやすく話しかけようとした、その時だった。
しゃれこ婦人の眼窩の奥にある瞳が、景太の背後に漂う「負の残滓」……すなわち、アラスターから分け与えられた強大な悪魔の気配を敏感に察知した。
彼女にとって、それは単なる「強い力」ではなかった。妖魔界の理を塗り替えるような、どす黒いラジオノイズの根源。数多の妖怪を震え上がらせた「ラジオデーモン」そのものの影だ。
しゃれこ「…ラ、ラジオデーモン……!? ……ア、ア、ア、ア、アラスター様と繋がっている人間……!?!? ヒィィィィィィィーーーーッッ!!!」
しゃれこ「お、オシャレどころではありませんわ! 食べられてしまいます! 私の骨までしゃぶり尽くされてしまいますわーーーっっっ!!!」
景「ええっ!? ちょっと待って、話を聞いてよ!」
しゃれこ「おー、コワい! コワすぎますわーーーっ!! サヨナラーーーッ!!」
しゃれこ婦人は、さっきまでの優雅な立ち振る舞いなど見る影もなく、驚異的なスピードでドレスの裾を翻して逃げ出した。曲がり角を曲がる頃には、砂埃しか残っていない。
景「……逃げられちゃった」
ピク「……あんたの相棒、妖怪たちの間じゃ完全に死神扱いね。これ、先が思いやられるわよ」
呆然と立ち尽くす景太の横で、ウィスパーが「これだからラジオデーモンの威光は……」と溜息をつき、ジバニャンは「オレっちなら、チョコボー一本で許してやるニャンが……」と他人事のように呟く。
アラスターの服を直すための道は、思った以上に険しいものになりそうだった。
しかし、景太たちは諦めなかった。文花の案内で次に向かったのは、さらに個性的で「美」に執着の強い妖怪、カラカラさんのもとだった。
金髪の縦ロールに、赤と黒のツートンカラーのゴスロリドレス。骸骨でありながら圧倒的な気品を漂わせる彼女なら、あるいは……と期待を寄せたが、結果は無慈悲なものだった。
カラ「……ッ!? ラ、ラ、ララララジオデーモン!? 幾ら大親友の頼みでも、それだけはごめんなさい!!」
アラスターの名を聞いた瞬間、彼女の誇り高いポーズは崩れ去った。自慢のドレスの裾を翻し、骨の音をカラカラと鳴らしながら、彼女は脱兎のごとく地平線の彼方へと消えていった。
景「……うう、またか。アラスターの名前、妖怪たちの間では本当にNGワードなんだね」
ウィス「致し方ありませんな。地獄の最凶最悪の興行主……その悪名を知る者にとって、関わることは死。あるいはそれ以上の何かを意味しますから」
ジバニ「オレっちたち、相当ヤバい奴と連んでる自覚を持ったほうがいいニャン……」
一行に重苦しい空気が流れる。しかし、ウィスパーがポンと手を叩いた。
ウィス「こうなれば、情報のプロに頼るしかありません。……あそこへ行きましょう。さくら第一小学校の、女子トイレの三番目です!」
静まり返った校舎。景太たちは忍び足で女子トイレへと向かった。
三番目の個室。そこは数多の小学生を恐怖のどん底に突き落としてきたベテラン怪異、花子さんの聖域だ。
景「花子さん……。本当に大丈夫かな」
文「大丈夫。花子さんは物知りだし、きっと力になってくれるわ」
文花が扉を三回、コン、コン、コンと叩く。
文「花子さん、遊びましょ」
……ギギィ。
重苦しい音を立てて扉がゆっくりと開いた。
おかっぱ頭に赤いスカート。一見すると伝統的な姿だが、その瞳の周りは深く黒く沈み、どこか冷徹で成熟した大人の雰囲気を醸し出している。
花子「……あら、フミちゃん。それに貴方は……あぁ、話は聞かなくても大体わかるわ。SNSでも、さっきから界隈が騒がしいもの」
花子さんは、どこから取り出したのか最新のスマートフォンを器用に操作していた。画面にはタイムラインが高速で流れており、彼女は冷めた口調でそれを追っている。
景「花子さん、知ってるの? アラスターの服を直せる人を探してるんだ!」
花子「噂は知ってるわ。でも、結論から言うと『無理』ね。誰を当たっても無駄よ」
花子さんはスマホを閉じ、大人びた仕草で首を振った。
花子「まず、元々あいつ……アラスターは、一定の人物以外に触られるのを極端に嫌う。パーソナルスペースが地獄の果てまで広いタイプよ。機嫌が悪い今の彼に無理やり採寸なんてしようものなら、職人は一瞬で影の餌食になるわ」
景「う……。確かに、不機嫌なアラスターはちょっと……いや、かなり怖いかも」
花子「それに、最大の問題はその『生地』そのものよ。私がネットや古文書のデータベースを照合して調べたところによると、あれは単なる布じゃない。『地獄の布』……所有者の魔力と影を紡いで作られた、呪いそのものなの。
妖魔界や人間界のどんな針を通そうとしても、針の方が悲鳴を上げて折れるわ。少なくとも、私のような『怪談の住人』レベルじゃ、取り扱うことすら叶わないわね」
絶望的な宣告。 知識豊富な花子さんでさえもお手上げだという事実に、景太は手に持っていた燕尾服の端切れをぎゅっと握りしめた。
ピク「……ほらね、言ったじゃない。あいつの服はあいつの一部なのよ。他人にどうこうできるもんじゃないわ」
ジバニ「ケータ、もう諦めるニャ。アラスターには、もう一生そのボロボロの服で我慢してもらうしか……」
しかし…。
景「……いや、諦めないよ。何とかしなきゃ、アラスターはずっと笑いながらノイズを撒き散らして、家を壊しちゃうかもしれないんだ」
景太は、真剣な眼差しで花子さんを見つめた。
景「花子さん、一つだけ教えて。この世界に……妖怪でも悪魔でもいい。この『地獄の布』を縫える針と糸を持ってる奴、本当に一人もいないの?」
花子さんは景太の瞳の奥にある強い意志を認めると、ふっと口角を上げた。
花子「……いいわ。情報料は今度何かで返してもらうとして、一つだけヒントを教えてあげる」
花子「この人間界で、若くして有名デザイナーとして成り上がった男がいるの。表向きは人間だけど、噂じゃその正体は悪魔だと言われているわ」
景「有名デザイナー……!?」
花子「……後は貴方たちで探しなさい。あまり長居すると、私の『怖がらせる仕事』に支障が出るから」
そう言い残すと、花子さんは扉の向こう側へと吸い込まれるように消え去った。
景「ありがとう、花子さん!」
閉ざされた扉の前で、景太はピクシーと顔を見合わせた。
ピク「人間界に潜伏してるデザイナーの悪魔……。そいつなら、アラスターの服を扱えるかもしれないわね」
文「有名なデザイナーなら、テレビや雑誌を探せばすぐに見つかるはず! 行こう、ケータくん!」
絶望の淵で見えた一筋の光。景太たちは新たな手がかりを手に走り出した。
ーーー
彼等は人間界でファッションデザイナーをしている悪魔の手がかりを探すがなかなか見つからなかった……。
ウィ「おかしい、おかしすぎるでうぃす! 私の最新型妖怪パッドにデータがないなんて……これではまるで、存在しない幽霊を探しているようなものでうぃす!」
ウィスパーは短い手を必死に動かし、画面を激しくスクロールさせるが、出てくるのは「おすすめの激辛カレー店」や「話題の美容室」といった、今の状況には全く役に立たない情報ばかりだった。
文「うんがい鏡に頼めば、どこへでもワープはできるんだけど……。肝心のその悪魔がどこにいるか分からないと、飛びようがないよね」
文花が困ったように眉を下げた、その時だった。
クマ「おーい、ケーター!!」
路地の向こうから、大粒の汗を流しながらクマとカンチが走ってきた。二人は何かにひどく興奮しているようで、息を切らしながら景太たちの前で足を止めた。
文「どうしたの? 二人ともそんなに慌てて」
クマ「ハァ……ハァ……、フミちゃんもいたのか! これ、これを見てくれよ!」
クマが震える手で差し出したのは、一枚のド派手なチラシだった。
そこには「世界が注目するカリスマ・ファッションデザイナー、ついに来日!」という大きな文字と共に、羽根飾りのついたシルクハットを被り、やたらとポーズが決まっているオネエ口調が聞こえてきそうなほど華やかな男性の写真が載っていた。
景「え……。有名デザイナーがやってくる?」
カンチ「そうなんだよ! 今、ファッション業界で一気にトップに昇り詰めた超有名デザイナーが、なんと今日、この街に来てるんだ! もし会場でモデルに選ばれたりしたら、一躍有名人間違いなしだよ!」
カンチは目を輝かせながらチラシの裏面を指さした。そこに書かれていた開催場所の文字を見て、景太と文花は顔を見合わせた。
景「場所は……そよ風ヒルズの特設ステージ!?」
文「ケータくん、これって……!」
景「うん! 間違いないよ。花子さんが言ってた『人間界で成り上がった悪魔』って、きっとこの人のことだ!」
アラスターの「地獄の布」を扱える可能性がある唯一の存在。まさか、向こうからこの街にやってきているとは思わなかった。
ピク「話が早くて助かるわね。でも、有名デザイナーなんて名乗ってるくらいだから、相当な目立ちたがり屋の悪魔に違いないわ」
ジバニ「オレっち、人混みは苦手ニャン……。でも、アラスターが家でノイズを撒き散らしてるよりはマシニャン」
景「よし、行こう! そよ風ヒルズへ!」
クマとカンチは、景太たちの妙に真剣な様子を「モデルに選ばれるためのやる気」だと勘違いし、「負けないぞー!」と拳を突き上げている。
一同は、さくらニュータウンでも高級住宅街として知られる「そよ風ヒルズ」へと急いだ。
ーーー
高級住宅街、そよ風ヒルズ。
普段から静謐な空気が流れるこのエリアだが、今日ばかりは異様な熱気に包まれていた。特設ステージが設けられた広場には、街中から集まったのではないかと思えるほどの黒山の人だかりができている。
景太たちが現地に到着した頃には、すでにイベントは最高潮を迎えていた。
カン「どうやら遅かったみたいだね。もう中に入る隙間もないよ」
景「うわ、本当だ……。もう大成功してるじゃん!」
景太が人混みの後ろから背伸びをしてステージを見ようとした、その時。
「「「キャーーー!! 素敵ーーー!!!」」」
割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。
ステージのセンター、眩いスポットライトを浴びて現れたのは、一枚のチラシで見た以上のインパクトを放つ一人の男だった。
派手な原色のストールを幾重にも巻き、指には大粒の宝石が輝くリングをいくつも嵌めている。実物を見た景太たちは、思わず圧倒された。その立ち振る舞い、手の振り方……どこからどう見ても、噂通りの「オネエ」そのものだった。
デザイナー「あら~! 皆様、ご機嫌いかが~? 今日の私は最高にインスピレーションが溢れていてよ! さあ、次のコーディネートも見てちょうだい! 刺激的で、エレガントで、そして……ちょっぴり『デンジャラス』な私の世界をね!」
彼が指先をパチンと鳴らすたび、モデルたちが次々と現れ、独創的な衣装を披露していく。観客はその魔法にかかったような演出に酔いしれていた。
しかし、景太だけは気づいていた。華やかなパフォーマンスの裏側で、彼から発せられる「気配」が、普通の人間のものではないことを。
ピク「……間違いないわね。あのオネエ、相当な魔力を隠してるわよ。アラスターとは系統が違うけど、あれは間違いなく『向こう側』の住人だわ」
景「やっぱり……! 花子さんが言ってたデザイナーだ。でも、あんなに大人気の人に、いきなりアラスターの服を直してなんて言えるかな……」
景太が不安げに端切れを握りしめていると、ステージ上のデザイナーがふと動きを止めた。彼はサングラスを少しずらし、沢山いる観客の中から、ピンポイントで景太のいる方向をじっと見つめた。
デザイナー「……あら?」
彼は隣に控えていたスタッフに、手招きをして何かを耳打ちした。
それから間もなく、ステージは「一時休息」のアナウンスが流れ、デザイナーは優雅に幕の向こうへと消えていった。
観客を尻目に、一人のスタッフが人混みをかき分けて、まっすぐに景太たちのもとへとやって来た。
スタッフ「あ、いたいた。君たちだね。……実は、先生が君たち二人を呼んでほしいとおっしゃっているんだ。悪いけど、付いてきてくれるかい?」
景「え!? 俺……ですか!?」
カン「マジで!? ケータ、お前何かしたのかよ!」
景太は心臓が飛び出しそうなほど驚いた。まさか向こうから接触してくるとは思わなかったのだ。
文「ケータくん、一人じゃ危ないよ! 私も一緒に行く!」
文花が心配そうに隣へ並ぶと、スタッフは彼女の顔をまじまじと見つめた。
スタッフ「……おや、君、すごく良い顔立ちをしているね。先生の新作のコンセプトにぴったりだ。よし、君も一緒に来なさい。先生もきっと喜ぶよ」
文「ええっ!? 私まで!?」
ウィ「これはいよいよ、物語が動き出しましたでうぃす! 有名デザイナーのバックステージに招待されるなんて、普通なら一生に一度のチャンスでぃすよ!」
ジバニ「……オレっち、お留守番でもいいニャン。なんだか嫌な予感がするニャ……」
景「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 行こう、フミちゃん!」
クマやカンチが羨望の眼差しで見送る中、景太と文花はスタッフに導かれ、一般客は立ち入り禁止のステージ裏へと足を踏み入れた。
豪華な機材や衣装ラックが並ぶ迷路のような通路を抜け、一番奥にある豪華なテントの前に辿り着く。
スタッフ「先生、お連れしました」
「入ってちょうだい」という、艶っぽくも芯の通った声が中から響く。
景太はゴクリと唾を飲み込み、文花の手をギュッと握りしめてから、そのカーテンをそっと開けた。
そこには、鏡の前で悠然とタバコを燻らせる、あのカリスマデザイナーが待ち構えていた。
「それで? 私は少年一人を連れてきてって言ったんだけど? 私の耳、飾りだと思ってるのかしら」
デザイナーは冷ややかな視線をスタッフに向けた。
スタッフ「し、しかし! 彼女も非常に顔立ちが良く、先生のコンセプトに……」
「『顔が良い』イコール『引き立つ』じゃないのよ。そんなことも分からないなんて、これだから凡人は困るわ」
デザイナーは苛立ちを隠さずスタッフを睨みつける。その鋭い眼光に、文花は思わず景太の影に身を隠した。しかし、デザイナーの視線が文花の首元にぶら下がっている「妖怪ウォッチ」を捉えた瞬間、その険しい表情は嘘のように軟化した。
「……あら。あぁ、そういうこと。ふふ、良いわ。二人とも残りなさい。スタッフ、あんたは外で蚊にでも刺されてなさい。3人だけにしてもちょうだい」
スタッフが這いずるように出ていくと、広いテント内には景太と文花、そして姿を隠しているはずの妖怪と悪魔たちの気配だけが残った。
デザイナーはゆっくりと立ち上がると、しなやかな足取りで景太に近づいた。その指先が景太の左腕を掴み、そこに巻き付いている禍々しい「悪魔ウォッチ」をまじまじと見つめる。さらに、景太の顔、服装、立ち姿を、まるで一粒の宝石を鑑定するかのような執念深い目つきで隅々まで観察した。
「……この、あまりにも普通すぎる出で立ち。どこにでもいる、個性がこれっぽっちも感じられない平凡な少年。にも関わらず、その内側に渦巻く異様なまでのオーラ……間違いないわ。貴方、天野景太ね?」
景「は、はい! そうですけど……」
これを聞いた途端、デザイナーは顔全体を輝かせ、まるでおもちゃを見つけた子供のように嬉しそうな声を上げた。
「あぁ、やっぱり! 態々人間界でデザイナーなんてやって頑張った甲斐があったわ! 最高の獲物に巡り会えたわね!」
ピク「っていうか、あたしがいる時点で分かるでしょ? 一応、魔界じゃ噂されてるんだけど」
ピクシーが姿を現して呆れたように言うが、デザイナーは鼻で笑った。
「私、自分の目で見たものしか信じない主義なのよ。さて、自己紹介が遅れたわね。いつまでもこの『窮屈な皮』を被っているのも、美学に反するわ」
次の瞬間、周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。 華やかなデザイナーの姿が内側から弾け飛び、黄金と紫の光がテントを包み込む。
光の中から現れたのは、もはや人間とは程遠い、神々しくも禍々しい異形の姿だった。 屈強な人の身体を持ちながら、その背には百の目を持つかのような豪華絢爛な孔雀の羽が広がり、首から上は異様な存在感を放つラバの頭部。
文「ウィスパー! あの悪魔、何!? 妖怪じゃないわよね!?」
ウィス「え、えーっとですね……! ア、アレは……『ハデハデ男』! ではなくて、『キメラオカマ』でもなくて……待ってください、今最新のアップデートを……っ!」
ウィスパーが必死に妖怪パッドを叩いているのを無視して、本来の姿に戻った悪魔は、優雅に一礼してみせた。
「私は『堕天使アドラメレク』。美と装飾を司り、地獄の宮廷を彩る者よ」
ピク「……うわ、これはとんでもないのが出てきたわね」
景「知ってるの、ピクシー!?」
ピク「当然でしょ。こいつは肩書きの多さで有名な上級悪魔よ。地獄の尚書帳、悪魔上級議長、地獄の王の衣装部屋係……」
ウィス「衣装部屋係……!? 悪魔のくせに、掃除のおばさんみたいな仕事もしてるんでうぃすか!?」
アドラ「失礼ね。 地獄の王の『一張羅』を管理し、仕立て直すことがどれほどの名誉か、そのちっぽけな頭じゃ理解できないかしら?」
景「……それで、オレに何か用? アラスターと友達だって知って、捕まえに来たとかなら……」
景太が身構え、悪魔ウォッチを握りしめたその時、アドラメレクは孔雀の羽をバサリと扇のように広げ、頬を赤らめるような仕草(ラバの顔なので極めてシュールだが)を見せた。
アドラ「捕まえるだなんて、とんでもない! 私はね……」
期待と不安が入り混じる沈黙の中、アドラメレクは乙女のようなポーズで宣言した。
アドラ「アラスター様の、大・大・大ファンなのよ!!」
景「……はい?」
景太の口から抜けたような声が漏れる。隣の文花も、呆然と口を開けて固まってしまった。
ピク「……ちょっと待ちなさいよ。アンタ、地獄の伝承じゃ『ルシファーの忠実な下僕』として有名じゃない。そんな高位の悪魔が、野良のラジオデーモンにうつつを抜かしてるわけ?」
アドラ「失礼ね。それは別のアドラメレクよ。地獄も広いんだから、同姓同名の悪魔くらい腐るほどいるわ。人違い……いえ、悪魔違いしないでもちょうだい。私は私、唯一無二のアーティストなの!」
ウィ「いやいやいや! アドラメレクが何体もいるなんて、そんなの聞いたこともござんせんけど!! 悪魔界の戸籍はどうなってるんでうぃすか!?」
景「え? そうなの? ウィスパーでも知らないことあるんだ」
ウィ「当然でぃす! その証拠に、このアタクシの曲線美を活かしたしなやかなライン、そして一切の曇りもないまっさらなホワイトボデー、さらにはこのキュートでセクシーな唇……そして、チャームポイントのホニョホニョ。これらは世界でたった一つだけの「こいつのことはほっといて話を進めるニャン」って、聞けよおい!! 最後まで言わせろジバ野郎!!」
ウィスパーの魂の叫びを無慈悲に切り捨て、アドラメレクは恍惚とした表情で独白を続けた。
アドラ「あのお方のラジオを初めて聞いた時、私の美学は雷に打たれたような衝撃を受けたわ……。
地獄に響き渡るあのお方の放送……。上級悪魔が必死に藻掻き、絶望に染まった悲鳴を上げながら、ゆっくりと皮を剥がされ、骨の折れるパキパキという心地よい音……。それが蓄音機のノイズに混じって流れてくるのよ? あぁ、なんてときめく旋律かしら!」
アドラメレクは自らの孔雀の羽を抱きしめるようにして、身悶えしながらうっとりと語る。
((( 全然ときめかない……)))
景「(でも、これなら喜んで協力してくれそう)アドラメレク。お願いがあるんだ。」
景太は、事の経緯を事細かに説明した。
話を聞き終えたアドラメレクは、孔雀の羽を激しく震わせ、ラバの瞳を潤ませて感動に震えた。
アドラ「……なんてこと! あのお方の象徴とも言えるあの赤、あの影の織り成すシルエットが損なわれているなんて……! それは世界の、いえ、全宇宙の損失よ!! 良いわ、そういうことなら喜んで協力するわよ! むしろ私にやらせてちょうだい!」
景「ほんと!? ありがとう!」
パッと顔を明るくする景太たち。しかし、アドラメレクは長い指先をチッチッと左右に振り、不敵な笑みを浮かべた。
アドラ「でもそのかわり、条件があるわ」
ピク「……やっぱりね。分かったわ、『アラスターのラジオのスタッフ配下にしろ』とか、そんなんでしょ?」
アドラ「それも魅力的だけど、ハズレ。アタシが出す条件は……」
ーーー一時休息を終え、大音量のパイプオルガンをアレンジしたダンスミュージックが響き渡る。クマとカンチは、最前列で「ケータたち、どこ行っちゃったんだよ」とキョロキョロと辺りを見回していた。
その時、ステージ中央のカーテンが勢いよく開いた。
スポットライトが一点に集中し、そこからゆっくりと歩み出てきた「一人の人物」を見た瞬間、クマとカンチ、そして会場中の観客が息を呑んだ。
クマ&カンチ「「ケ、ケータ……!?!?!?!?」」
そこにいたのは、いつもの服装の少年ではなかった。
黒と深紅を基調とした、幾重にも重なるフリルとレース。精巧な刺繍が施されたヘッドドレスの下からは、アドラメレクが魔法で施した繊細なエクステが伸び、少年の面影を残しつつも圧倒的な「美少女」へと変貌を遂げた景太の姿があった。
いわゆる、完璧なゴスロリファッションの女装である。
アドラメレクのだした条件。それは景太にファッションのモデルをしてもらう事だ。
景(……うう、もう帰りたすぎる……。なんでオレ、こんな格好……!)
顔を真っ赤に染め、恥ずかしさに震えながらも、アドラメレクに「最高のウォーキングをしないとアラスター様の服は縫わないわよ!」と脅された景太は、必死にステージを歩く。
アドラ「やっぱり私の目に狂いはなかったわ……。普通の中のベスト普通、天野景太。でも、よくよく見たら顔立ちは整っているし、何よりその奥底に隠された、どんな色にも染まれる無色透明な魅力。少しメイクをして、少し飾り立てるだけで……ほら、世界一残酷で可愛い『お人形さん』の完成よ!」
ステージの袖でその光景を見守っていた文花は、あまりの衝撃に頬を染め、両手を合わせて固まっていた。
文(……可愛い。……めちゃくちゃ可愛い! ケータくん、私より可愛いかもしれない……!)
ピク(……本当なら大爆笑して動画に収めるところだけど、ちょっと似合いすぎてて笑いも起きないわ……。これ、アラスターが見たらなんて言うかしらね)
普段の「普通」が、悪魔の美学によって極限まで引き立てられた瞬間だった。観客からは「あの美少女は誰!?」「新人モデル!?」とどよめきが起こり、フラッシュの嵐が景太を包み込む。
地獄の仕立て屋との契約。それは、景太のプライドを代償にした、あまりにも華やかで残酷な取引の始まりだった。
ステージの上で繰り広げられた「地獄のファッションショー」は、まさに伝説となった。
アドラメレクの要求はエスカレートし、景太はステージ中央で様々なポージングを強要された。フリルを揺らしながら首をかしげるポーズ、スカートの裾を少し持ち上げる仕草、そして極めつけは、恥ずかしさと情けなさで潤んだ瞳での「泣き顔」だった。
アドラ「そうよ! その『辱めを受けている可憐な少女』のような表情! それこそが私の求めていた究極のアクセントよ!!」
景(もう嫌だ……誰か止めて……! クマもカンチも、そんなキラキラした目でオレを見ないでくれ……っ!)
皮肉なことに、景太が涙目になればなるほど、会場の歓声は地響きのように大きくなっていく。アドラメレクの魔法と技術は、景太という「究極の普通」を、見る者全てを釘付けにする「魔性の人形」へと作り替えてしまったのだ。
結果は、空前絶後の大成功。ショーが終わる頃には、即売会に出されたアドラメレクの新作は完売し、景太のモデルとしての評価はさくらニュータウンのファッション史に刻まれることとなった。
熱狂のステージが幕を閉じ、舞台裏へと戻った一行。
景太はアドラメレクの魔法を解かれ、ようやくいつもの姿に戻ることができた。しかし、鏡に映る自分を見る景太の瞳には、光が宿っていない。
アドラ「お疲れさま〜♪ 最高のステージだったわよ、ケータちゃん! 貴方のあの泣き顔、すごく良かったわよぉ!私も予想外だったわ!」
景「……『ケータちゃん』って呼ぶのやめてください。あと、もう二度とやりませんからね」
アドラ「ふふ、そんなこと言っちゃって。さて! 約束は守るわよ。アラスター様のスーツを直しに、今すぐ貴方の家に向かいましょう! あぁ、考えただけで胸の高鳴りが止まらないわ。あのお方の香りが染み付いた布地に触れられるなんて……!」
アドラメレクは鼻歌を歌いながら、ルンルンとした足取りで、異形(ラバ頭)の姿のままテントを飛び出していった。
一方、元の格好に戻ったはずの景太は、パイプ椅子に座り込み、深く深く項垂れていた。
景「……終わった。オレの夏休みも、男としてのプライドも、何もかもが終わったんだ……」
ピク「そんなに落ち込みなさいな。あんた、あんなに大勢の人に喝采を浴びたのよ? 誇っていいじゃない」
魂が抜け出たような景太の背中に、文花が駆け寄って励ましの言葉をかける。
文「そんなに落ち込まないで、ケータくん! 私、感動しちゃった。さっきのケータくん、本当に、本当ーーーにっ、めちゃくちゃ可愛かったんだから!」
景「……え?」
文「なんというか、もう男の子でいるのが勿体ないくらい! あのままアイドルデビューしちゃえばいいのにって本気で思っちゃった。ね、写真撮っておけばよかったかな?」
文花は瞳をキラキラさせて、本心からの称賛を贈る。しかし、その純粋な言葉こそが、景太の心にトドメの一撃を見舞った。
景「……もったいない……? アイドル……? う、うわあああああああん!!」
景太は悶絶するように声を上げた。
ウィス「……フミちゃん。それ、今のケータくんには全く励ましになってませんよ。むしろ、傷口に特大の塩を塗り込んでるようなもんでうぃす……」
ジバニ「ケータ、元気出すニャ。……でも正直、オレっちも一瞬ドキッとしたのは内緒ニャン」
ーーー
景太が「普通の少年」としてのアイデンティティを崩壊させている横で、アドラメレクは早くアラスターに会いたい一心で、猛烈なスピードで天野家へと進んでいく。
これから始まるのは、地獄の仕立て屋と、機嫌最悪のラジオデーモンによる、ある種「最悪」の対面だった。
天野家の玄関を開けた瞬間、景太たちは思わず息を呑んだ。
家の中に充満しているのは、刺すような冷気と、古いラジオから流れる耳障りな砂嵐のノイズ。そして、どす黒い負のオーラが、リビングの影という影から触手のように這い出している。
景「アラスター……って、ウワッ!? スッゴイオーラ……!」
リビングの中央、影の塊と化したソファに座るアラスターの姿は、もはや深淵そのものだった。怒りに震える彼の周囲では、空間そのものがジジッという音を立てて歪み、現実が浸食されている。
ウィス「サ、ササ、寒気が……ふ、震えが止まらないでうぃす〜……っ!!」
ガタガタと音を立てて震えるウィスパーは、今にも消えてしまいそうなほど青ざめている。だが、景太は引かなかった。ここで逃げ出せば、この家は本当に異界に飲み込まれてしまう。
景「アラスター! 怒らないで聞いて! 君のスーツを直せる悪魔を見つけてきたよ!」
その言葉が投げかけられた瞬間、ノイズがピタリと止まった。
影の中から、アラスターの真っ赤な瞳が景太を射抜く。
アラ「……ほう?」
景「本当にすごい人なんだ。それで、すぐにでも修復を始めたいって言ってて……」
アラ「……構いません。始めてください。この屈辱的な『綻び』に耐えるのも、そろそろ限界でしたからね」
低く、しかし期待を孕んだアラスターの声に頷き、景太は背後に控えていた人物を招き入れた。
現れたのは、人間のコーディネーターの姿を維持したアドラメレクだ。彼はアラスターを目にした瞬間、一瞬だけファンとしての恍惚とした表情を浮かべたが、すぐにプロの「職人」の顔へと切り替えた。
アドラ「……なんて素晴らしい負のエネルギー。あぁ、ゾクゾクするわ。でも、このままじゃ宝の持ち腐れよ」
アラスターが立ち上がろうとすると、アドラメレクはそれを鋭い制止の声で止めた。
アドラ「脱がなくて良いわ! 貴方はそこに立っているだけでいい。このまま始めるわよ!」
アドラメレクが指先を弾くと、空間から「地獄の針と糸」が実体化した。それは銀色に光りながらも、どこか禍々しい紫の輝きを帯びている。
次の瞬間、アドラメレクの動きは目にも留まらぬ速さへと加速した。
彼はアラスターの周囲を舞うように移動し、破れた布地を、あるいは抉れた影の欠片を、魔法のような手捌きで紡ぎ直していく。普通の仕立て屋が見れば腰を抜かすような、現実の物理法則を無視した「再構築」だ。
針が通るたびに、不快なノイズだった音色が、心地よい蓄音機のメロディへと書き換えられていく。
アドラ「出来た……出来たわ。私の生きてきた中で最高の出来……これこそが至高の『美』よ!」
アドラメレクが大きく手を広げると、光が収束し、そこには修復前よりもさらに深く、鮮やかな「赤」を纏ったアラスターが立っていた。
次の瞬間、リビングを埋め尽くしていた負のオーラが、先ほどまでの倍以上に膨れ上がった。
アラ「ニャハハハハハハ!!!」
家全体が振動するほどの高笑い。
アラスターは自らの両手を見つめ、新調されたばかりの袖口を愛おしげになぞる。
アラ「実に素晴らしい!! 最高の出来です! まるで体の一部が戻ったどころか、どこか力が増した気がしますよ!」
彼の背後からは、今まで以上に巨大な影の化け物たちが蠢き、ステッキからは強力な魔力がパチパチと放電している。
単なる修復ではない。アドラメレクの技術が、アラスターの魔力とスーツをより完璧な形で「適合」させてしまったのだ。
景「……喜んでくれてよかったよ! でも、これって……」
ピク「……にしても、力強すぎじゃない!? 部屋の壁にヒビが入ってるわよ!」
文「いえ、間違いなく強くなってるわ……。昨日の龍神戦の時よりも、もっと禍々しくて……底知れない力……!」
文花は驚きと共に、アラスターから放たれる圧倒的な覇気に圧倒されていた。
不機嫌だった悪魔は今、最高の装束と最高の機嫌を手に入れ、さくらニュータウンの静かな住宅街を、再び自らの「スタジオ」へと変えようとしていた。
アラスターの放つ強大な魔力がリビングの空気を震わせる中、アドラメレクは満足げに地獄の針を収め、自らの作品をうっとりと眺めていた。アラスターもまた、影を操りながら新しい布地の感触を確かめ、その口元にはいつもの、しかしどこか満足げな「笑顔」が刻まれている。
アドラ「いい仕事したわ。……ケータちゃん、これを受け取ってちょうだい。良かったら、コレ」
ひと仕事終えたアドラメレクは、ふと思い出したように景太の方を向き、懐から一枚のメダルを取り出した。
差し出されたのは、従来の妖怪メダルとは一線を画す、禍々しくも美しい装飾が施された「悪魔メダル」だった。中心には孔雀の羽とラバの意匠が刻まれ、見る角度によって七色に輝いている。
景「え、これ……メダル!? くれるの?」
アドラ「ええ。困ったことがあったらいつでも呼んで頂戴。アラスター様のスーツを仕立て直すついでに、貴方のその『普通すぎる』服も、いつか最高にエレガントに変えてあげるわ」
景「あ、ありがとう。……でも、アドラメレクって今、人間界ですごく有名なデザイナーなんだよね? 呼び出しちゃって大丈夫なの? お仕事、忙しいんじゃない?」
景太の素朴な疑問に、アドラメレクは孔雀の羽を軽やかに揺らしながら、おどけたように笑った。
アドラ「あら、心配してくれて嬉しいわね。でも、平気よ。私ぐらいのレベルになれば、自分と同じ感性を持った『分身』を何体か作っておくなんて朝飯前よ」
ウィ「ぶ、分身でうぃすか!? さすが上級悪魔、やってることがエげつないでうぃす……!」
アドラ「仕事の途中で入れ替わっても絶対にバレないわ。本尊の私がアラスター様のためにどこへ行こうと、あっちの仕事が滞ることはないのよ。……それとも、もし私が『アラスター様のためにデザイナーを辞める』って言い出したら、貴方、止めるかしら?」
試すようなアドラメレクの問いに、景太は迷うことなく頷いた。
景「当然だよ! だって、アドラメレクのファッションを楽しみにしている人たちが、世界中にたくさんいるんだもん。辞めちゃったら、その人たちがみんな悲しんじゃうよ!」
「普通」の少年である景太らしい、真っ直ぐで優しい言葉。それを聞いたアドラメレクは、一瞬だけ目を見開いた後、心底楽しそうに、そして優しく微笑んだ。
アドラ「……やっぱりね♪ 私ぐらいになると、貴方がそう言うことくらいお見通しなのよ。貴方のその『お節介なほどの普通さ』、嫌いじゃないわ」
アドラメレクは背筋を伸ばし、孔雀の羽を大きく広げて、改めて礼儀正しく、けれど親愛の情を込めて名乗った。
アドラ「改めまして。私は『堕天使アドラメレク』。美を愛し、装飾に命を捧げる者。……ケータちゃん、そしてアラスター様。今後とも、よろしく♪」
ピク「ふん、頼もしい味方が増えたじゃない。……もっとも、服を直すたびにケータがモデルにされる可能性は高まったけどね」
景「う……それは勘弁してほしいなぁ……」
文「ふふっ、でも、アドラメレクさんがいればアラスターさんの服が破けてももう安心だね!」
ジバニ「オレっちのハラマキも、今度カッコよくしてほしいニャン!」
アラスターのスーツ修復から始まった騒動は、新たな「悪魔の友だち」を増やすという、意外な結末で幕を閉じた。
ーーー
アドラメレクが満足げに次元の隙間へと消え、文花たちも「また明日ね!」と賑やかに帰っていった。
嵐の去った後の天野家には、修復されたスーツを纏い、最高に上機嫌なアラスターが鳴らす軽快なジャズが流れている。景太はソファに深く沈み込み、今日一日で失った「男の子としての何か」を数えながら、虚無の表情で天井を見上げていた。
そんな静寂を破るようにアラスターが口を開いた。
アラ「ケータくん」
景「?」
アラ「今回は私の為に動いてもらい、本当に感謝してます」
アラスターは優雅に一礼をした。
景「アラスターの役に立てたのなら嬉しいよ」
確かに今回で色々と失うものはあったけど、でも、アラスターが喜んでくれたんならいっか。
景太は顔を綻ばせそう思った。
すると、玄関のドアが開く音が響いた。
景父「ただいま! ちょうど駅の近くで母さんと会ってな」
景母「ただいま。あら、今日はなんだか家の中が賑やかね?」
両親が揃って帰宅した。景太は慌てて「普通」の息子を装おうと立ち上がる。アラスターも人間態になり笑顔で迎える。
景父「ふぅ、疲れた。何かニュースでもやってるかな」
父が何気なくリビングのテレビのリモコンを押し、電源を入れた。その瞬間だった。
『……続いてのニュースです! 本日、そよ風ヒルズで開催されたカリスマデザイナー・アドラメレク氏のファッションショーにて、“奇跡のミューズ”が降臨し、会場は一時騒然となりました!』
景「……え?」
テレビ画面に映し出されたのは、色鮮やかなスポットライトを浴びて、涙目でフリルのスカートを揺らす、完璧なゴスロリ姿の女装景太のアップだった。
景父&景母「「…………え?」」
時が止まったかのような沈黙がリビングを支配する。
父は画面を凝視し、母はスマホを取り出して画面とテレビを交互に見た。
景父「……景太。この、世界中の絶賛を浴びているモデルさん……どこからどう見ても、お前にしか見えないんだが……」
景母「景太! 今、ネットで調べたんだけど、この子『奇跡の美少女』って呼ばれてトレンド1位になってるわよ! あの超有名コーディネーターが選んだモデルなんですって!? これ、本当に景太なの!?」
景「う、うわあああああああああああ!!!」
景太は頭を抱えて絶叫した。
「普通」の生活を守るために払った代償が、まさか全国放送、いや、世界規模のニュースとして家庭に直撃するとは思わなかった。
アラ「ハッハッハッハッハ!! ニャハハハハハハ!!」
影の中から、アラスターの我慢しきれない爆笑が漏れ出す。彼は実体化し、腹を抱えて床を叩きながら笑い転げていた。
アラ「素晴らしい! 絶景です! 貴方の積み上げてきた『普通』が、極彩色のフリルと共に崩れ去っていくこの瞬間! これこそ最高のエンターテインメントですよ、ケータくん!」
ピク「……これはもう、言い逃れできないわね。顔バレどころか、アドラメレクの影響力を考えればゆくゆくは名前まで特定されて一気に広がるわ。……しかも、世界中にね」
ピクシーの追い打ちをかけるような冷静な分析に、景太の目の前が真っ白になった。
景「イヤだーーー!! 明日からどんな顔をして外に出けばいいんだよーーーっ!!」
『美少女・天野景太』の伝説は、本人の意志とは裏腹に、ネットの海を越えて世界へと拡散していく。
平和だった天野家には、息子のあまりにも華やかすぎる「秘密」を知った両親の驚愕の声と、ラジオデーモンの無慈悲な笑い声、そして少年の絶望の悲鳴が、夜遅くまで木霊し続けたのだった。
きょうの悪魔大辞典
アラ「ケータくん。今日の悪魔は?」
景「『堕天使アドラメレク』」
アドラ「良いわ!良いわよ!ケータちゃん!」
景太はアドラメレクに捕まりファッションモデルをやらされていた。しかも全部が女装だ。
ピク「あ〜あ…また捕まってる。しっかし彼奴、女が似合うわね。新たな発掘ね。そう思わない?」
ピクシーは横にいるアラスターの方を見ると横たわっていた。
良く見たら腹を抱えている。よっぽど面白いのだろう。
ピク「改めて知ったけど、いい性格してるわねホント……」