悪魔ウォッチ   作:龍座

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第二部
妖怪と悪魔がいる町


二学期が始まって暫くして……。

 

うだるような暑さが嘘のように引き、秋の涼しい風がさくらニュータウンを吹き抜けるようになったある日の朝。

 

景「行ってきまーす!」

 

元気よく玄関のドアを開け、秋空の下へと飛び出す。

 

オレ、天野景太。さくら第一小学校に通う、ごくごく普通の小学生だ。

 

ランドセルを背負い、軽快な足取りで通学路を歩き出したオレの耳元で、小さな羽音がふわりと響いた。

 

ピク「アタシとしては寝坊して慌てふためくアンタを見てみたかったけどね」

景「アラスターと契約してるからかな……。なんか最近、目覚まし時計が鳴る前にスッキリ起きられちゃうんだよね」

 

空中で腕を組み、悪戯気味に笑う彼女はピクシー。

 

おおもり山で出会った悪魔であり、オレにとって大切な悪魔の友達だ。神の恩赦により、マグネタイトを消費することなく人間界に留まれるようになった彼女は、すっかり天野家に居座り、こうして朝の登校にもついてくるようになっていた。

 

あの怒涛の夏休みから、オレの「普通」はガラリと変わった。

 

左腕に巻かれた「悪魔ウォッチ」を手にし、魔界や地獄からやってくる、常識外れで多種多様な沢山の悪魔と出会い、時には戦い、時には助け合いながら絆を結んできた。

 

そしてー。

 

いつもの交差点に差し掛かると、前を歩く見慣れた後ろ姿があった。オレの足音に気付き、彼女がふわりと振り返る。

 

文「おはようケータくん」

景「おはようフミちゃん」

 

朝の陽ざしを浴びて柔らかく微笑む彼女は「木霊文花」こと「フミちゃん」。オレのクラスメイトであり、もう一つの不思議な時計である妖怪ウォッチの持ち主だ。

 

そして、彼女の傍らで「おはようございますでうぃす!」と元気に挨拶をしながら宙を漂っているのは、自称・妖怪執事のウィスパー。

 

あのおおもり山の御神木で世界を滅ぼそうとした強敵を打ち倒した時から、俺達は妖怪と悪魔、そして人間が互いを知り、共存できる未来を目指して毎日を過ごしている。

 

本来ならば、今日もあの騒がしくも愉快な非日常が幕を開けるはずだった。

 

でも…。

 

フミちゃんはオレの挨拶に頷きつつも、オレの背後や周囲の空間をぐるりと見渡し、少しだけ心配そうな顔をして視線を落とした。

 

文「まだ、戻ってきてないんだね…」

景「そうなんだよ」

 

景太は左腕の悪魔ウォッチに軽く触れながら、力なく苦笑いしてそう答えた。

 

そう。忘れてはいけない。景太と魂の契約を交わした「アラスター」の存在を…。

 

そのアラスターがあの日から帰ってきていないのだ…。

 

オレの脳裏に、数日前の出来事が鮮明に蘇る。

 

神の恩赦によって人間界に留まれるようになった直後、あの赤い悪魔は突如として短い旅に出ることを告げたのだ。

 

ー回想ー

 

夕暮れ時のリビング。いつもなら優雅に紅茶を飲んでいるはずのアラスターが、トレードマークのマイクスタンド型ステッキを片手に玄関へと向かっていた。

 

景『本当に出てくの?』

 

思わず引き留めるようにオレが尋ねると、アラスターはいつものように不敵で底知れぬ笑みを浮かべて振り返った。

 

アラ『はい。私の力が半分になってしまいましたからね。マグネタイトの縛りが消えたこの先、人間界にどんな強力な悪魔が押し寄せて来るか、何があるか分かりません。ですので、この私自身もちょっと特訓しようと考えたわけです』

 

神の理によって魂を二つに分けられ、地獄に半身を置いてきたというアラスター。しかし、その声に焦りや不安の色は微塵もなく、むしろこれから始まる未知の闘争を心底楽しみにしているかのような、不気味なほどの余裕が漂っていた。

 

彼は不安げなオレの顔を見ると、わずかに目を細めて優しく告げた。

 

アラ『心配しなくても戻ってきますよ』

 

そう言い残し、彼は風のように軽やかな足取りでどこかへと姿を消したのだった。

 

ー回想終わりー

 

記憶の糸をたぐり寄せているオレの横で、ウィスパーが当時の恐怖を思い出したように、妖怪パッドを抱えながらブルブルと大げさに身震いをした。

 

ウィス「弱くなったっていっても、地獄にいたときの強さに戻っただけでぃすけどね…」

 

ウィスパーが怯えるのも無理はない。

当然だ。あのイカカモネとの大激闘の中で、アラスターは果てしない力を吸収し、元の倍近くにまで強さを跳ね上げていた。それが半分に分断されたとはいえ、彼の本来のベースは地獄最強と謳われる圧倒的な怪物「ラジオデーモン」なのだ。

 

物理的な暴力すら使わず、ただ圧倒的で理不尽な恐怖のみで敵の精神を完全にへし折ったあの恐ろしい光景。半分になったところで、並の妖怪や悪魔など足元にも及ばない絶望的な存在であることに変わりはないのだ。

 

しかし、フミちゃんの心配事はアラスターの強さそのものではなかった。彼女はオレの顔をじっと見つめ、不安げに眉をひそめた。

 

文「それで、大丈夫なの?『魂の契約』の反動とか…」

 

彼女の言葉に、周囲の空気が少しだけ張り詰める。

 

魂の契約。それは文字通り、己の魂そのものを代償とし、悪魔と絶対の繋がりを持つという極めて重く危険な取引だ。契約した悪魔は、契約主の魂を好き勝手に扱う絶対的な権利を手にする。つまり、アラスターと契約を交わしたオレの魂は、今現在オレ自身のものではなく、アラスターの所有物なのだ。

 

その魂の持ち主であるアラスターが遠く離れた場所におり、なおかつ魂を二つに割って力が半減しているとなれば、預けられているオレの魂や肉体に何か悪い影響や深刻な反動が出てもおかしくはない。フミちゃんは、オレの体が無意識のうちに悲鳴を上げているのではないかと心配してくれているのだ。

 

だが、そんなフミちゃんの心優しい気遣いに対し、オレはその場で軽くジャンプをし、力こぶを作るようなポーズをとって見せた。

 

景「大丈夫! この通りピンピンしてるよ」

 

実際、体のどこかが痛むわけでも、謎のだるさを感じるわけでもない。むしろ、アラスターの加護のおかげか毎日快調そのものだ。

 

なによりオレは、あの恐ろしくも頼もしい悪魔が、オレの魂に傷をつけるようなヘマを絶対にしないと心の底から信じきっていた。

 

ーーー

 

ーさくら第一小学校、五年二組の教室ー

 

秋の穏やかな風が窓から吹き込む中、いつも通りの退屈な算数の授業が行われていた。景太もノートに数式を書き写しながら、欠伸を噛み殺している。

 

しかし、その平穏な日常は突如として崩れ去った。

 

異変の始まりは、クラスのガキ大将であるクマと、現実主義者のカンチだった。

 

クマ「ヘイ、ティーチャー! そんなスモールな計算より、ビッグなハンバーガーのキャパシティについて語り合おうぜ! ユーノウ?」

カンチ「オーイェー! ボクのニューなスマホはベリークールさ! ハグしようぜ、ブラザー!」

 

突如として、二人が流暢かつ陽気なアメリカかぶれの言葉を叫び始め、謎のステップを踏み出したのだ。

 

それに呼応するように、他の男子児童たちも次々と立ち上がり、「イエーイ!」「ミーもミーも!」とウエスタン風のポーズを決め始める。ついには教壇に立っていた担任の教師までもが、「オーマイガー! 今日のホームワークはテキサスサイズのステーキを食べることデース!」などと叫び、陽気なステップを踏み始めた。

 

だが、狂騒はそれだけでは終わらない。

 

男子たちが「カッコいい所を見せて女子にモテたい」「授業をサボって遊びたい」という下心を無意識にダダ漏れにしてポーズを決めると、女子児童たちが冷ややかな視線を向けた。

 

チヨ「ちょっと男子、カッコつけて女子の気を引こうとしてるの、魂胆見え見え〜♪」

サト「授業サボりたいだけでしょ? 魂胆見え見え〜♪」

 

女子たちは、男子たちが心の奥底に隠していたはずの「下心」や「本音」を次々と見透かし、アイドルのような可愛らしいポーズと声色で容赦なく暴露し始めたのだ。

 

クラス全体が、陽気なUSAかぶれの男子と、魂胆を的確に暴き立てる女子たちのカオスな空間へと瞬く間に変貌してしまった。

 

景太と文花が呆然とその惨状を見つめていると、景太の頭上でふわりと浮かんでいたピクシーが、呆れたようにため息をついた。

 

ピク「落ち着きなさいアンタ達。この騒ぎを起こした元凶は、とっくに教室から出たわよ」

 

冷静なピクシーの報告を受け、景太と文花は弾かれたように顔を見合わせた。急いで席を立ち、騒ぎに夢中になっているクラスメイトたちを尻目に、二人は廊下へと飛び出す。

 

廊下に出た景太と文花は、それぞれ左腕と首元にある時計、悪魔ウォッチと妖怪ウォッチのライトを起動し、周囲の空間を照らし出した。

 

ウィス「いやいや、ちょっと待つでうぃす。何か不思議なことが起きるたびに、全部が全部アタクシたち妖怪の仕業にされちゃあ、たまったもんじゃないで……」

景&文「「いた!!」」

ウィス「ウィスーー!!?」

 

ウィスパーの擁護を遮るように、二つのライトが廊下の角を曲がろうとしていた怪しい影をピタリと捉えた。

 

光に照らされたそこにいたのは、奇妙な風貌をした二体の異形だった。

 

一方は、フリルの付いた可愛らしいミニスカート丈の着物を纏い、アイドルのようなあざといポーズを決めている、狐の姿をした妖怪。

 

もう一方は、星条旗をそのまま仕立てたようなド派手な衣装に、フリンジのついた袖、頭にはウエスタンハットを被り、腰のホルダーに二丁拳銃を携えたペリカンの妖怪だった。

 

景「あの妖怪は何!?」

 

ウィス「えっと、あのですね……あれですよ! あれ!」

 

知ったかぶりをしたウィスパーが、慌てて背中に隠した妖怪パッドを取り出し、こっそりと検索をかけようとする。しかし、その手から素早い動作でパッドをひったくったのは文花だった。

 

文「あったわ! 狐の方は妖怪『コンたん』! ペリカンの方は妖怪『アペリカン』よ!」

 

見事にウィスパーの役目を奪い去り、文花が妖怪の詳細を突き止めた。

 

アイドルのような姿の「コンたん」は人の魂胆を見抜いて暴露させる能力を持ち、二丁拳銃を持った「アペリカン」は撃った相手を陽気なアメリカかぶれにしてしまう能力を持っている。間違いなく、教室の惨状はこの二体の仕業であった。

 

景「なんでこんないたずらを、いきなり学校でするんだ!?」

景太が厳しい声で問い詰めると、二体の妖怪は悪びれる様子もなく、むしろ誇らしげに胸を張った。

 

アペリカン「ミーたちがなぜこんなイタズラをしたか? イッツ・シンプル! あの地獄の最強デーモン、アラスターが今この町にいないからデース!」

コンたん「そうそう! 悪魔が神様に認められたとかで、最近あたしたち妖怪の影が薄くなってるじゃない? だから、あの赤い悪魔が留守にしてる隙を突いて、妖怪の底力を見せつけてやろうって魂胆なの〜♪」

 

二体の妖怪は、アラスターという絶対的な強者が不在である今の状況を「千載一遇のチャンス」と捉えていたのだ。神の恩赦によって悪魔が人間界に溢れ出したことで、彼らは妖怪としてのプライドを刺激されていた。

 

アペリカン「ユー、天野ケータですね? ユーに取り憑いてUSAかぶれの陽気なボーイにしてやれば、『あの恐ろしいアラスターの付き人に取り憑いて、好き勝手してやったグレートな妖怪』として、ミーたちの名が妖魔界の歴史に永遠に刻まれるというわけデース!」

 

コンたん「アラスターが帰ってきた時、自分の大事な契約者がアペリカンに撃たれて陽気なアメリカンになってて、しかもあたしの力で魂胆見え見えのヘタレになってたら、傑作でしょ〜♪」

 

彼らの身勝手極まりない動機を聞き、景太は不快げに眉を吊り上げた。文花もまた、自らの意志を固めるように妖怪ウォッチを強く握りしめる。

 

ピク「ふん。アンタたち程度がアラスターの代わりになれると思ってるわけ? 随分と舐められたものね、ケータ」

ウィス「全くでうぃす! いくらアラスターさんが不在だからといって、この妖怪執事ウィスパーがついている限り、指一本触れさせませんよ!」

 

ピクシーが好戦的な笑みを浮かべ、ウィスパーも少し震えながらだが前に出て胸を張った。

 

妖怪たちは、アラスターがいない今なら簡単に景太をオモチャにできると思い込んでいる。だが、景太と文花はその安い挑発に乗るどころか、静かに闘志を燃やしていた。

 

あの最強の悪魔が帰ってくるのを、ただ怯えて待っているつもりなど毛頭ない。

 

景「アラスターがいないからって、オレたちが何にもできないと思ったら大間違いだ!」

文「そうだよ! 私たちの知恵と力だけで、絶対に元のクラスに戻してみせる!」

 

景太、文花、ピクシー、そしてウィスパー。

 

不在の絶対的強者に頼るのではなく、自分たち自身の力だけでこの事態を収拾し、妖怪たちに目にもの見せてやる。廊下を吹き抜ける風が彼らの決意を後押しするように前髪を揺らし、新たな戦いの火蓋が今、切って落とされた。

 

ーーー

 

廊下で不敵な笑みを浮かべるコンたんとアペリカンに対し、先陣を切ったのは文花だった。

 

彼女は迷いのない動作で首から提げている妖怪ウォッチのカバーを開き、ポケットから一枚の妖怪メダルを取り出した。

 

文「私の友達!出てきてジバニャン!妖怪メダル、セットオン!」

 

文花が妖怪メダルを妖怪ウォッチに力強くセットする。

その瞬間、時計の盤面から軽快な召喚音声と共に、ポップで色鮮やかな光が廊下に弾けた。キラキラと輝く光の粒子が空間で渦を巻き、一つのシルエットを形作っていく。

 

ジバニ「ジバニャン!」

 

光の中から勢いよく飛び出してきたのは、腹巻きを巻き、先端が二つに分かれた尻尾を持つ赤いネコ妖怪ジバニャンだった。口の端には食べかけのチョコボーの欠片がついており、どうやら呼ばれる直前までどこかでくつろいでいたらしいが、フミちゃんの呼び出しとあってはすぐさま戦闘態勢(?)でポーズを決めた。

 

それを見た景太の心に、謎の対抗心がメラリと燃え上がった。

 

景太は勢いよく左腕を突き出し、禍々しいオーラを微かに放つ悪魔メダルを指の間に挟んだ。

 

景「俺の友達!出てこい『ピクシー』!悪魔メダル、セットオン!」

 

景太は悪魔メダルを悪魔ウォッチのスロットへと勢いよく装填した。

 

ガシャァン!という重厚な装填音と共に、妖怪ウォッチのポップな召喚演出とは真逆の異変が廊下を覆う。

 

空気が急激に冷え込み、空間そのものが歪んだかと思うと、時計の盤面からドス黒い禍々しい渦――魔界や地獄の瘴気を思わせるポータルが虚空にポッカリと開いた。周囲の光を吸い込むような恐ろしい暗黒の渦の奥から、稲妻のような火花がバチバチと弾ける。

 

そして、そのドス黒い渦の中心から、一つの影が勢いよく飛び出してきた。

 

ピク「ピクシー!」

 

背中の羽を羽ばたかせ、腕を組んで凛々しくポーズを決める妖精の悪魔。

 

ピクシーが現れた!

 

……しかし、数秒の沈黙の後。

 

カッコよく召喚されたはずのピクシーは、組んでいた腕をスッと下ろし、ジト目で景太の顔をじっと見つめた。 

 

ピク「……って、側にいるのに態々呼び出す必要あった?」

 

呆れ果てたピクシーの冷ややかな視線と、横でポカンとしている文花やジバニャンの視線を一身に浴び、景太は照れ隠しのように頭を掻いた。

 

景「いや〜、フミちゃんが呼び出してたからついつられて……」

 

景太は、しまらない苦笑いを浮かべながらそう言った。

強敵との決戦を数々乗り越え、少しは頼もしくなったかと思いきや、カッコつけたい盛りの男子小学生らしいお調子者な本質は、全く変わっていなかったのである。

 

景太の無駄な召喚アクションによって生じた気まずい空気を打ち破るように、コンたんが可愛らしく、しかしどこか計算高いウインクをして一歩後ろへと下がった。

 

コン「アタシ、戦うの苦手だからよろしく〜♪」

 

アイドルのようなあざとい仕草で戦闘を放棄し、傍らにいるペリカンの妖怪へと丸投げする。突然の無茶振りに、アペリカンはウエスタンハットを押さえながら大げさに肩をすくめた。

 

アペリ「ホワッツ!?……まったく、困ったレディですね!」

 

しかし、文句を言いながらもアペリカンの動きは恐ろしく機敏だった。言葉を言い終えるか言い終わらないかの絶妙なタイミングで、腰にぶら下げたガンホルダーへ両手を伸ばす。早撃ちのガンマンさながらの滑らかな動作で素早く取り出されたのは、小ぶりながらも無骨な二丁のデリンジャーだった。

 

ダンッダンッ!

 

廊下に乾いた破裂音が響き渡り、二丁の銃口から同時に火が噴いた。

 

硝煙の匂いと共に、目にも留まらぬ速さで放たれた二発の弾丸が景太たちに向かって一直線に飛んでくる。

 

景「危ないっ!」

 

景太と文花は咄嗟に身を屈め、廊下の床に転がるようにして弾丸の軌道から逃れた。ジバニャンも持ち前のネコ特有のしなやかな反射神経でヒラリと飛び退き、空中にいたピクシーも素早い飛翔で弾丸を難なく躱す。

 

だが、ただ一人。常に一歩遅れて事態を把握する自称・有能な妖怪執事だけは違った。

 

ウィス「え? なんでうぃす……?」

 

ウィスパーが間の抜けた声を上げた瞬間、彼のツルツルとした白い眉間に、二発の弾丸が見事にドスッ! ドスッ! と立て続けに直撃した。

 

文「ウィスパー!?」

 

親友の凶弾に倒れる姿に、文花が悲鳴のような声を上げる。ウィスパーは白目を剥き、そのまま力なく仰向けにバタンと倒れ込んでしまった。

 

動揺する文花と景太に対し、銃口から立ち上る煙をフッと吹き消しながら、アペリカンはウインクを飛ばした。

 

アペリ「ノープロブレム。心配無用デース♪」

コン「ビックリした? アペリカンの銃弾には殺傷能力は皆無なの。……そ・の・か・わ・り♥」

 

コンたんが意味深に口元を隠して笑った、次の瞬間だった。

 

ウィス「オゥ、イェェェーース!!」

 

倒れていたはずのウィスパーが、突如としてバネ仕掛けのおもちゃのように勢いよく跳ね起きた。

 

その姿を見た景太と文花は、思わず目を丸くして言葉を失った。ウィスパーの頭には赤・青・白の星条旗柄をした派手なシルクハットが被せられ、目元にはティアドロップ型のサングラス、手にはなぜか特大のフライドポテトとコーラが握られていたのだ。

 

身に纏うオーラまでが、いつもの「知ったかぶりの和風執事」から「陽気でノリの良いアメリカンガイ」へと完全に染まりきっている。

 

ウィス「イェーイ!! アイムウィスパー! ミーのハートは今、テキサスサイズのビッグウェーブに乗ってるぜ! ヒアウィーゴー!!」

アペリ「ハッハー! 撃たれた対象者は、ミーのパッションで陽気なアメリカかぶれになりまーす♪」

 

得意げに解説するアペリカンの横で、ウィスパーは「フゥーッ!」と謎のステップを踏みながら廊下を滑り回っている。そのあまりのテンションの高さとウザさに、ジバニャンは心底嫌そうな顔をして耳を伏せた。

 

ジバニ「ウィスパーが更にウザくなったニャン!?」

ピク「ある意味、実弾で撃たれるよりもいやー!」

 

ピクシーもドン引きしたように空中で後ずさりをする。しかし、景太はそのウィスパーの惨状を見て、一つの確信を得ていた。

 

景「そうか! クマ達が教室でいきなりアメリカかぶれになってたのも、アペリカンのその銃弾が原因か!」

アペリ「そのトーリ!………プフーーッ!!」

 

突如、アペリカンが噴き出した!

 

アペリ「今の聞いた!?ペリカンがその“[[rb:鳥 > トーリ]]”だってーー!!」

 

「鳥がトーリて」とゲラゲラ笑うアペリカン。

 

(((自分のダジャレでわらってる………)))

 

アペリ「このミーのハッピーな弾丸をあの教室のボーイたちにもプレゼントしてやったのデース!」

 

自分たちのイタズラを誇らしげに語るアペリカン。教室の混乱を長引かせれば、他のクラスや先生たちにまで被害が拡大してしまう。アラスターという絶対的な抑止力がいない今、この事態を止められるのは自分たちしかいない。

 

アペリ「言っておきますがこの国にもミーが取り憑いて偉人と言われてる人がイマース♪名前は…えっと、確か「さ」が付いてた…誰だったデースかねー♪」

 

アメリカかぶれになった偉人…!?「さ」がつくって…、まさか「坂本龍馬」じゃ!?

 

アペリ「あ、そうそう♪

 

川島竜治!!」

 

景&文&ピク「「「だれだよ!!「さ」は!?」」」

 

ピク「四の五の言ってられないわね。こうなったら早めに決着をつけるわ!」

 

痺れを切らしたピクシーが、指先に衝撃の魔力を集め、アペリカンに向けて急降下しながら魔弾を放とうとした。彼女の素早い動きと衝撃の速度ならば、相手が銃を構える前に仕留められるはずだった。

 

――だが。

 

コン「アペリカン、右に三歩! 次は左斜め前に向けて発砲!」

アペリ「オーライ!」

 

コンたんの的確すぎる指示を受け、アペリカンはピクシーの「ザン」が放たれるコンマ一秒前に右へとステップを踏み、完全に軌道を読み切ったように回避した。そして、すかさず左斜め前――まさにピクシーが回避行動を取ろうとしていた空間に向けてデリンジャーを構える。

 

ピク「なっ……!?」

 

ピクシーは慌てて羽ばたきを止め、強引に空中で急ブレーキをかけて追撃を避けた。

 

景「なんでピクシーの動きがわかったんだ!?」

 

驚愕する景太に対し、コンたんはアイドルのようなステップを踏みながら、からかうように舌を出した。

 

コン「言ったでしょ? アタシは『魂胆』見え見えのコンたんなの♪ アンタたちが『どう攻撃しようとしているか』、『どこに避けようとしているか』っていう心の中の魂胆なんて、ぜーんぶ先読みできちゃうのよ〜♪」

 

コンたんの能力は、単なる「本音を暴く」だけではなかった。相手の「こうしよう」という意図や思考のプロセスを読み取り、未来の行動を完全に先読みする。それこそが、彼女が人の魂胆を見抜く妖怪たる所以だったのだ。

 

知力と機動力を兼ね備えた先読みのアイドル狐と、陽気で厄介な銃弾を放つアメリカン・ペリカン。

 

彼らは予想以上に、厄介なコンビネーションを完成させていた。

 

ピクシーの魔法すら容易く躱され、背後ではウィスパーが「ヒャッハー!USA!USA!」と陽気なステップを踏みながら完全に戦線離脱している始末。

 

このままでは、ジバニャンの「ひゃくれつ肉球」も空を切るだけで終わってしまうだろう。状況を打破するため、景太と文花は視線を交わし、同時に頷き合った。新たな友達を呼ぶしかない。

 

景太が悪魔ウォッチに手を伸ばしたその時、空中に浮かぶピクシーがすかさず釘を刺した。

 

ピク「わかってると思うけど、ここは廊下で狭くなるからデカいのは出さないでよ!」

景「大丈夫! ちゃんと考えてるって!」

 

景太は力強く答え、一枚の悪魔メダルを抜き出した。文花もまた、頼れるエース級の妖怪メダルを指に挟む。二人は同時に腕を突き出し、叫んだ。

 

景「俺の友達!出てこい!」

文「私の友達!出てきて!」

 

二つの時計が同時に光を放つ。

 

文花の妖怪ウォッチからは、鮮やかで力強い光が廊下を照らし出し、景太の悪魔ウォッチからは、禍々しくもどこか神聖な威圧感を伴うドス黒い渦が展開された。

 

文「『オロチ』!」

景「『ハヤタロウ』!」

 

文花の呼びかけに応え、光の中から姿を現したのは、青い髪に鋭い金色の瞳を持つ、忍者のような出で立ちの青年。妖魔界のエリートにして、最強クラスの実力を持つ妖怪「オロチ」であった。彼の首元には、自らの圧倒的なオーラで作り出された双頭の龍のマフラーが、まるで生き物のように唸りを上げて巻き付いている。

 

一方、景太の呼びかけに応えて暗黒の渦から飛び出してきたのは、四つ足の猛々しい獣であった。

かつて景太が幾多の戦いを共に潜り抜けてきた頼れる相棒、聖獣「ハヤタロウ」だ。犬や狼に似た神々しい姿を持ち、強靭な肉体と鋭い牙を誇るが、ピクシーの忠告通り、学校の廊下という狭い空間でも十分に立ち回れる絶妙なサイズ感であった。

 

二体の強力な存在が廊下に降り立った瞬間、空気がビリッと震え、先ほどまで余裕ぶっていたコンたんとアペリカンの表情がわずかに引きつった。

 

文「おねがい!」

オロ「任せろ!」

 

文花の短くも信頼に満ちた言葉に、オロチは短く答え、首元の龍を威嚇するように蠢かせた。その流し目は、すでにアペリカンの急所を正確に捉えている。

 

景「ハヤタロウ!頼んだ!」

ハヤタ「任された!」

 

景太の号令に、ハヤタロウは武士のような凛々しい声で応え、力強く床を蹴って前衛へと躍り出た。

 

コンたんの「魂胆を見抜く」能力は確かに厄介だ。だが、どんなに相手の行動が読めたとしても、強制的に自分たちのペースに引きずり込めば関係ない。

 

ハヤタロウは低い姿勢をとると、廊下を震わせるほどの凄まじい咆哮を上げた。

 

彼が発動したのは、敵の意識を強烈に惹きつける専用スキル――「某を見よ」である。

 

神聖な闘気がハヤタロウの全身から立ち上り、周囲の空間を支配する。その闘気は強烈な挑発となり、アペリカンの意識を否応なしにハヤタロウただ一体へと固定させた。どれだけコンたんが横から別の指示を出そうとも、アペリカンの目はハヤタロウに釘付けになり、二丁のデリンジャーの銃口は無意識のうちに彼へと向けられてしまう。

 

さらに、「某を見よ」の効果はそれだけではない。敵の攻撃を一身に引き受ける代わりに、ハヤタロウ自身の回避率と防御力が爆発的に上昇するのだ。彼の四肢には風のようなオーラが纏い、どのような銃弾が飛んできても紙一重で躱し切る超反応の構えが完成していた。

 

コン「ちょっと、アペリカン!? アタシの指示を聞きなさいよ! そいつを狙っても当たらないわよ!」

アペリ「オゥ、ノー! ミーのスピリットが、どうしてもあのドッグを撃ち抜けと叫んでいるのデース!!」

 

コンたんがどれだけ「回避される魂胆」を先読みし、叫んで警告しようとも、ハヤタロウのスキルの前ではアペリカンの行動を止めることはできない。

 

オロチ「……素晴らしい囮だ。ならば、その隙は俺が貰う」

 

敵の連携が完全に崩れたその一瞬を、妖魔界のエリートが見逃すはずがなかった。ハヤタロウがすべてのヘイトを引き受けてくれたおかげで、オロチの圧倒的な素早さを活かす完璧な布陣が整ったのだ。

 

オロ「ここで終わらせる」

 

オロチが低く呟き、彼から立ち上る強大な妖気が首元の双頭の龍へと収束していく。全てを噛み砕く無慈悲な必殺技『やまたのおろち』が、今まさに放たれようとした、その時だった。

 

景太の背筋に、氷を当てられたような強烈な悪寒が走った。

 

それは悪魔ウォッチの所有者として数々の死線を潜り抜けてきた直感か、それとも自身の魂に刻み込まれた悪魔の魔力が警鐘を鳴らしたのか。いや、両方だ。

視線の先、文花の背後にある空間の僅かな歪みに、景太は致命的な「殺気」を察知した。

 

景「フミちゃん危ない!!」

文「え?」

 

何が起きたのか分からず呆然と声を漏らす文花。その小さな体を弾き飛ばすようにして、景太は彼女の後ろへと身を挺して飛び込んだ。次の瞬間!

 

ゴゥンッ!!

 

廊下に鈍く重い破裂音が響き渡り、突如として景太の体に理不尽なまでの重い一撃が叩き込まれた。

 

景太を殴り飛ばしたその正体は、突如として虚空から姿を現した、紫の特攻服に緑のズボンを纏う大柄なツッパリ妖怪だった。

頭には天を突くような巨大なリーゼントを誇らしげに掲げ、肩には無数の錆びた釘が打ち込まれた凶悪な愛用武器「釘バット」を担いでいる。

 

妖怪特攻隊長にして、物理攻撃のエキスパートであるゴーケツ族の妖怪、ゴクドーであった。

 

コン「ゴクドー!どこに行ってたのよ!?」

 

魂胆を見抜くアイドル狐のコンたんが、待ちくたびれたように頬を膨らませて叫ぶ。彼女たちは最初から、この凶悪な後詰めの増援を用意していたのだ。

 

ゴクド「済まねえな。ちっとばっかし、ぶらついてたら迷っちまった」

 

ゴクドーは肩に担いだ釘バットを軽く叩きながら、凶悪な面構えでニタリと笑いながらそう言った。

 

ピク「ケータ!!」

 

事態を察知したオロチ達は、アペリカンへ向けようとしていた必殺技の構えを即座に解き、床を蹴って一直線に景太の元へ駆けつけようとする。

 

……だが、オロチの足は二歩目を踏み出す前に完全に縫い止められた。

 

いつの間にか、オロチの真後ろ、文字通り背中合わせの距離に「別の妖怪」が立っていたのだ。

 

全く気配がない。呼吸音も、足音も、妖気の揺らぎすらも。頭からすっぽりと目出し帽を被り、薄暗い紫色のグラデーションに包まれた巻物のような姿をした不気味な暗殺者。その妖怪は、鋭く光る刃を、妖魔界のエリートであるオロチの首元にピタリと突きつけていた。

 

ゴクド「幾らS級妖怪でも、カイムの影のうすさは分からなかったか」

 

ゴクドーが釘バットを弄びながら嘲笑う。

 

存在感を完全に消し去るウスラカゲ族の妖怪、カイム。彼が持つ『おんみつ』の能力は、S級妖怪のオロチにすら接近を悟らせないほどの圧倒的な暗殺術を完成させていた。

 

カイム「………」

 

目出し帽から覗く怪しい黄色の目を細め、カイムは無言を貫く。一歩でも動けば、その刃がオロチの首を掻き切るという絶対の威圧感が廊下を支配した。

 

文「ケータくん!」

 

文花とピクシーが悲鳴を上げ、釘バットの直撃を受けた景太のもとへと慌てて駆け寄る。

人間の小学生がゴーケツ族の妖怪が全力で振るった釘バットを受けたのだ。骨折どころか命すら危うい。ピクシーは顔面を蒼白にしながら、両手に治癒の魔力を極限まで集め、景太の体に回復魔法をかけようとするが……。

 

そこに倒れているはずの景太の姿を見て、彼女たちは息を呑んだ。

 

大丈夫どころか、怪我一つもなかったのだ。

 

汚れ一つなく、ただ尻餅をついた状態でキョトンとしている景太。

 

その周囲には、彼の体をすっぽりと覆うように展開された、禍々しくも美しい「紅いバリア」が展開されていた。紅い光の壁の表面には、アラスターの力そのものを象徴する緑色のブードゥー教の紋章がバチバチと火花を散らしながら浮かび上がっている。

 

ゴクドーの凶悪な釘バットの一撃は、景太の体に触れる直前でこの絶対的な結界に阻まれ、完全に弾き返されていたのである。

 

景「そうか!アラスターとの契約が守ってくれたんだ!」

 

景太は、左腕で脈打つ悪魔ウォッチを見つめ、驚きと共に安堵の声を上げた。

 

契約の内容に「危害を加えるものを守る」というのがあったのだろう。ソレが発動したのだ。

 

ゴクド「っちッ!下手な小細工しやがって!!」

 

舌打ちをしたゴクドーは、苛立ちに任せて何度も何度も釘バットを振り下ろし、景太を守るバリアを力任せに殴り続けた。

 

ガンッ! ガンッ! と廊下に鈍い衝撃音が響き渡り、緑色のブードゥー教の紋章が火花を散らして弾ける。しかし、アラスターとの魂の契約によって顕現した結界は強固であり、一朝一夕で破壊できるものではなかった。

 

ピク「ケータ!!」

文「ケータくん!!」

 

景太が一方的に打撃を浴びせられているのを見て、文花やピクシー、ハヤタロウ、そしてジバニャンが一斉に駆け寄ろうと陣形を崩す。だが、その動きを敵が見逃すはずがなかった。

 

コン「魂胆見え見え〜♥」

アペリ「行かせませんよ!!」

 

アイドルのようなステップで立ち塞がったコンたんが、景太を助けようとする全員の「焦り」と「最短距離で駆けつけようとする魂胆」を完全に先読みし、的確な指示を飛ばす。それに呼応したアペリカンが、ウエスタンハットを押さえながら二丁のデリンジャーを乱射した。

 

殺傷能力はないとはいえ、当たれば強制的に陽気なアメリカかぶれにされてしまう厄介な銃弾の雨。ハヤタロウは身を挺して弾丸を弾き落とし、ジバニャンとピクシーも回避行動を取らざるを得ず、景太への救援を完全に防がれてしまう。

 

一方、最強の戦力であるはずのオロチも、背後から突きつけられたカイムの凶刃によって完全に拘束されており、首を微かに動かすことすらできず無すべがなかった。

 

味方が分断され、孤立無援となった景太。

 

その時、景太を覆っていた禍々しくも美しい音のバリアに、わずかな異変が生じた。バチバチと鳴っていたノイズ音が弱々しくなり、紅い光の壁が徐々に薄く、透明になり始めていたのだ。

 

ゴクド「なる程な」

 

結界の揺らぎを見たゴクドーは、肩に担いだ釘バットをトントンと叩きながら、凶悪な面構えでにやりと笑った。

 

ゴクド「あのラジオデーモンと契約してるようだが、噂は聞いてるぜ。あの悪魔が弱くなったってのは本当らしいな。結果、相対して契約の力も弱くなったって所か!!」

 

ゴクドーの推測は残酷なまでに的を射ていた。

 

アラスターは神の理によって魂を二つに分け、その力を半減させている。いくら絶対的な「魂の契約」による自動防衛機能とはいえ、本体の魔力が減衰している以上、ゴーケツ族の力任せの連撃をいつまでも防ぎきれるほどの耐久力は残されていなかったのだ。

 

ゴク「これで終わりだァ!!」

 

ゴクドーは両手で釘バットを握りしめ、バリアごと景太を粉砕すべく、これまでで一番の力任せなスイングで大きく振り上げた。

 

ブォンッ! と空気を裂く恐ろしい風切り音が鳴る。

 

文「危ないっ!!」

 

限界を迎えていたバリアがパリンッとガラスのように砕け散るのと同時、景太は本能のままに床を転がった。重い釘バットが景太の着ていた普段着のTシャツの袖を掠め、木製の床板を激しく打ち砕く。当たる寸前で、なんとか辛うじて致命傷を躱すことに成功したのだ。

 

勢い余って床を叩き割ったゴクドーだったが、すぐに凶悪な笑みを浮かべて体勢を立て直した。ちょこまかと逃げ回る獲物を確実に仕留めるための、最も残酷で効率的な方法を彼は知っていた。

 

ゴクド「そんじゃあ、此奴はどうだ!?」

 

ゴクドーの鋭い眼光が、景太から離れた場所で立ち尽くしていた文花へと向けられた。

 

彼は景太を狙うのをやめ、無防備な文花目掛けて恐ろしい釘バットを振り上げたのだ。

 

文「えっ……!?」

 

文花が咄嗟に逃げようとしたその瞬間、アペリカンの放った威嚇の銃弾が彼女の足元を掠めた。銃撃に驚いた文花はバランスを崩し、廊下の床にペタンと尻餅をついてしまう。

 

頭上には、容赦なく振り下ろされようとしている錆びた釘の塊。

 

人間の、それも小学生の女の子が、妖怪の全力の一撃をまともに受ければ、大怪我どころでは済まされない。最悪の結末が全員の脳裏をよぎった。

 

その時ー!

 

景「フミちゃん!!」

 

景太の体は、思考よりも先に動いていた。

 

床に転がっていた体勢からバネのように跳ね起きると、一直線に文花のもとへ飛び込む。そして、彼女の小さな体を包み込み、全ての攻撃を自分の背中で受け止めるように、覆いかぶさるようにして強く抱きしめた。

 

文「ケータくん!?」

 

腕の中で文花が驚きの声を上げるが、景太は彼女の頭を庇うようにさらにきつく抱き寄せ、ギュッと目を瞑って歯を食いしばった。

 

ゴクドーの顔に、底意地の悪い歓喜の笑みが浮かぶ。

これこそが彼の狙いだった。素早く逃げ回る相手を確実にその場に縫い止め、逃げ場をなくした上で痛めつける。

 

ゴクド「オラオラオラ!!」

 

ゴクドーはこのチャンスを機に、手加減を一切捨てた釘バットの猛攻を景太の無防備な背中へと繰り出した!!

打撃音と景太の苦悶のうめき声が、廊下に無慈悲に響き渡った。

 

ガンッ!ドゴッ!!

 

容赦のない釘バットの乱打が、文花を庇う景太の背中に次々と叩き込まれる。生身の小学生が耐えられるはずのない激痛に、景太は歯を食いしばって呻き声を殺した。

そんな景太の痛々しい姿を見下ろしながら、ゴクドーは口角を歪めてニタリと残忍な笑みを浮かべた。

 

ゴク「おっと! かわそうものならお嬢ちゃんに当たるぜ」

 

下劣な挑発。もし景太が少しでも身を捩って攻撃から逃れようとすれば、その下で丸くなっている文花の華奢な体に錆びた釘が食い込むことになる。ゴクドーの卑劣な脅しに対し、景太は反撃はおろか、回避することすら許されず、ただひたすらに身を挺して猛攻を受け続ける他なかった。

 

ドンッ!という一際重い一撃が背中を打ち据えた衝撃で、景太の額が床に激しく擦れた。赤黒い血がツーッと流れ出し、景太の視界の端を滲ませ、木製の床板にポタポタと赤い染みを作っていく。

 

その時だった。

 

ドンッ!ドンッ!ガタガタガタッ!!

 

閉じられた五年二組の教室の中から、突如として激しい衝突音が廊下に響き渡った。文花やピクシーたちはハッとして音の鳴る方へ視線を向ける。

 

それは、クラスメイトの真生だった。教室で起きた狂騒と、廊下での絶望的な戦闘を察知した真生が、彼らを助けるために加勢しようと動いたのだ。しかし、教室の引き戸はどれだけ力任せに叩き、体当たりで衝突しても、まるで分厚い鉄の壁になったかのようにビクとも開かない。

 

コン「無駄無駄ぁ♪」

 

必死にドアをこじ開けようとする真生の激しい衝突音を聞きながら、コンたんが悪びれる様子もなくあざとくピースサインを作った。

 

コン「あの子が助けようとしてくるのは魂胆見え見えだったから、先にアタシの妖力で扉を完全に封じちゃったのよ♪」

 

外からの加勢すらも絶たれた絶望的な状況。

さらに、彼らを追い詰めるようにアペリカンがウエスタンハットを深く被り直し、チャカチャカとデリンジャーに不気味な準備に入り始めた。

 

アペリ「さて、イタズラ時間はもうおしまいにしましょうか。そろそろ普通の弾丸に変えて、トドメを刺しまーす♪」

 

これまでは陽気なアメリカかぶれにするだけのふざけた弾丸だったが、ここからは命を奪うための実弾を撃ち込むという冷酷な宣言。銃口が、身動きの取れない景太と文花へとピタリと向けられる。

 

ゴクドーの猛攻をその身一つで受け止め、さらに銃口まで向けられている景太。その腕の中で固く抱きしめられ、庇われ続けている文花は、限界を迎えて必死に叫んだ。

 

文「逃げてケータくん! 私は大丈夫だから!! だから私を離して!」

 

自分がここにいるから、景太が一方的に傷ついている。文花の瞳からはボロボロと大粒の涙が溢れ出し、彼女は景太の胸板を小さな両手で押し返そうとした。

 

しかし、景太の腕の力は全く緩まなかった。それどころか、彼女を絶対に離すまいと、さらに力強く抱き寄せたのだ。

 

景「俺は…大丈夫」

 

血に染まった顔。荒い息。背中から伝わってくる尋常ではない震え。誰がどう見ても大丈夫なはずがないのに、景太は彼女にこれ以上心配をかけまいと、無理に口角を上げて優しく笑いかけた。

 

景「何より…ここで逃げたら男が廃る!」

 

その声には、一切の迷いがなかった。痛みに耐えるための虚勢ではなく、魂の底から絞り出された強靭な意志の光が、血に濡れた景太の瞳に真っ直ぐに宿っていた。

 

景「だから…凄い身勝手だけど…俺に守らせて」

 

ただ「君を守りたい」という自分のエゴで、今この瞬間、傷つくことを選んでいる。だから泣かないでほしいと伝えるように、景太は満身創痍の笑顔でそう言った。

 

文「ケータくん……」

 

文花の言葉が詰まり、景太の胸の中でただただ嗚咽を漏らす。彼がどれほどの覚悟で自分を抱きしめているかが、その熱を帯びた声と腕の力から痛いほどに伝わってきたからだ。

 

自らの命を削りながら文花を守り抜く景太は、血を流したまま振り返り、身動きが取れずに焦燥感を募らせていた仲間たちへ向けて力強く叫んだ。

 

景「皆は目の前の妖怪に集中して!」

 

自分を助けようとして陣形を崩すな。目の前にいる敵を打ち倒すことだけを考えろ。それは、マスターとして、そして一人の男としての立派な号令だった。

 

その声を受けたピクシーの瞳に悔しさと頼もしさが入り混じった涙が浮かぶ。彼女は空中で拳をギュッと握りしめ、バチバチと青白い電撃の魔力を全身から迸らせた。

 

ピク「…後でみっちり説教するからね!!」

 

そして、景太の囮となってコンたんたちの妨害を一手に引き受けていた聖獣ハヤタロウもまた、景太の自己犠牲と気高い精神に深く心を打たれていた。神々しい獣の毛並みが、闘気によって黄金色に逆立つ。

 

ハヤタ「ソナタの心意気に応えよう!!」

 

景太が命懸けで作ったこの時間、この想いを絶対に無駄にはしない。カイムに首元を抑えられているオロチの瞳にも、静かなる殺意の炎が灯った。

 

絶体絶命の窮地の中、景太の体を張った決意が、仲間たちの反撃の狼煙を力強く上げようとしていた。

 

オロ「……人間の子供に、ここまで背負わせるわけにはいかん」

 

首元にカイムの鋭い刃を突きつけられていたオロチの瞳に、静かだが苛烈な殺気が揺らめいた。

 

次の瞬間、オロチの全身から溢れ出した強大な妖気が爆発的に膨れ上がる。首元に巻き付いていた双頭の龍のマフラーが、地鳴りのような咆哮と共に猛然と暴れ出した。

 

「ぬあああっ!?」

 

圧倒的な力の奔流に叩きつけられ、影の薄さで抑え込んでいたカイムが悲鳴を上げて吹き飛ぶ。オロチは力技でその拘束を強引に引きちぎったのだ。

 

アペリ「オーマイガー! 実弾でお命頂戴デース!!」

 

危機感を募らせたアペリカンが、無防備な景太と文花に向けて躊躇なく二丁のデリンジャーの引き金を引く。放たれた実弾が一直線に二人の背中へと迫る――だが、その弾道に割り込んだのは、雷光のような速さで跳躍したオロチだった。

 

オロ「身の程を知れ!」

 

オロチの首元の龍が残像を描くほどの速度で打ち振るわれ、飛来する実弾の全てを力任せに撃ち落とし、砕き去った。完全な防御。もはや敵の小細工など、彼らの怒りの前には一切通用しなかった。

 

ジバニ「オレっち達の力見せてやるニャン!」

ピク「言われなくても!」

 

ジバニャンが力強く床を蹴り、ピクシーが背中の羽を激しく羽ばたかせて空中で旋回する。景太の流した血が、彼らの潜在能力を限界突破させていた。

 

「「「「行くぞ!!」」」」

 

怒涛の連続必殺技の叩き込みが始まった。

ジバニ「ひゃくれつ肉球!!」

 

ジバニャンが超高速のステップで踏み込み、残像が残るほどの素早い肉球パンチのラッシュをコンたんに叩きつける。動転したコンたんは「魂胆」を読み取る暇すら与えられず、無数の打撃を顔面に浴びて悲鳴を上げた。

 

ピク「ザン!!」

 

続いてピクシーが空中で手刀を振り下ろし、鋭利な刃と化した風の斬撃――『ザン』を繰り出す。真空の刃がコンたんとアペリカンの足元を切り裂き、二体の体制を完全に崩させた。

 

ハヤタ「絶・閃光斬烈牙!」

 

ハヤタロウが逃げようと影に潜んだカイムに対し、噛みつくや否やデスロールが襲いかかった。聖なる光に貫かれたカイムは、存在感を保つことすらできない。

 

オロ「ヤマタノオロチ!!」

 

そして極めつけは、妖魔界のエリート・オロチの必殺技だった。

 

彼のオーラから紡ぎ出された無数の龍の群れと化した連撃がコンたん、アペリカン、そしてカイムを丸ごと噛み砕き、遥か彼方へと一網打尽にして吹き飛ばした。

 

ズドォォォンッ!!という激しい爆音と共に、三体の妖怪は星となって撃破されたのだった。

 

ゴクド「っクソが! せめて此奴だけでも!!」

 

仲間が一瞬で全滅させられたのを見て、ゴクドーは狂乱した。

 

焦りと怒りに顔を歪ませた彼は、両手で固く握りしめた釘バットを極限まで引き絞り、足元で文花を庇い続けている満身創痍の景太の頭部めがけて、渾身の力で振り下ろした…。

 

その時!

 

ガシ…。

 

鈍い音と共に、空中で振り下ろされていたゴクドーの太い腕が、ピタリと制止した。

 

どれだけ筋肉を隆起させようと、どれだけ力任せに押し込もうと、その腕は微動だにしない。まるで世界そのものの時間が止まってしまったかのように。

 

ゴクドー「……なっ!?」

 

ゴクドーが驚愕して自身の腕を見上げると、そこには黒いレザーの手袋に包まれた、細くしなやかな「手」が強固に締め上げられていた。

 

そして、激しいノイズと、1920年代のレトロなラジオの周波数が混じり合った、独特な音声が廊下に響き渡る。

 

「そこまでです」

 

歪んだノイズの奥から聴こえる、丁寧でありながら底知れぬ死の気配を孕んだ声。

 

景太の背後に落ちていた濃密な影がぐにゃりと歪み、そこからゆっくりと立ち上がったのは、真っ赤なタキシードを纏った一筋縄ではいかない男のシルエットだった。

頭上には漆黒の鹿角がそびえ立ち、顔には耳まで裂けた不気味で完璧な笑み。手にはビンテージなマイク杖が握られている。

 

血を流し、意識が遠のきそうになりながらも、景太はそっと背後の気配を感じ取り、安堵の微笑みを浮かべた。

 

景「来てくれるって信じ、てた……」

 

景太の声に、その赤と黒の悪魔は、ラジオフィルターのかかった優雅で不敵なトーンで答えた。

 

アラ「すみませんね〜」

 

 

 

アラ「少々、特訓に集中していました」

 

 

 

ラジオデーモン、アラスター。

 

不在だった絶対的な強者が、最悪で最高のタイミングで、ついにこの場に降臨したのだった。

 

ゴク「て…テメ」

 

突如として姿を現したアラスターの圧倒的な威圧感と、一切揺るがない腕の力に、ゴクドーは冷や汗を流しながら戦慄の声を漏らした。

 

だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 

バシィィン!!

 

刹那、アラスターの足元に広がる深紅の影がぐにゃりと蠢いたかと思うと、そこから太く不気味な悪魔の触手が疾風のごとく伸び出た。凄まじい質量と速度を伴った一撃がゴクドーの胴体を捉え、彼の巨体は残像を残して廊下の壁ごと一直線に吹き飛ばされた。

 

壁を破る凄まじい衝撃音が響き渡り、そのままゴクドーは遥か遠くへと撃破されていった。

 

アラスターは優雅にマイク杖を持ち直し、何事もなかったかのように耳まで裂けた完璧な笑みを浮かべた。

 

アラ「力は少々ついてきましたが…やはりまだ特訓が必要ですね」

 

ビンテージなラジオノイズ混じりの声で、アラスターはさも当然のようにそう呟いた。

 

(……少々…? いや、かなり強くなってるのだが……!)

 

その圧巻すぎる一撃の一部始終を目撃していた景太たちの脳裏に、同じツッコミが示し合わせたかのように駆け巡ったのは言うまでもない。分割された魂の片割れとはいえ、やはりこのラジオデーモンの規格外な強さは健在であった。

 

元凶であるコンたん、アペリカン、カイム、そしてゴクドーの四体が完全に倒されたことで、学校を覆っていた異常な妖気と呪縛が一気に消え去っていった。

 

ドタバタと音が鳴り続けていた五年二組の教室のドアも、コンたんの封印が解けたことで勢いよく開いた。

 

マオ「ケータ! フミちゃん! 無事!?」

 

ドアを必死に叩いていた真生が、飛び出すようにして廊下へ駆け寄ってきた。

教室の中では、アペリカンの銃弾によってUSAかぶれになっていたクマやカンチ、そして担任の先生たちが、狐につままれたような顔で「あれ? ボクたち何やってたんだ……?」と首をかしげ始めている。事態は無事に収束したのだ。

 

景太を庇うように空中へ降り立ったピクシーは、ほっと胸を撫で下ろしながらも、眉をひそめてプンプンと頬を膨らませた。

 

ピク「まったく、無茶ばっかりして! 後でみっちり説教するって言ったでしょ!」

 

口では激しく怒りながらも、ピクシーの両手には優しく温かな緑色の回復魔法の光が宿っていた。彼女は景太の背中と額の傷口にそっと手をかざし、痛みを和らげながら傷を急速に塞いでいく。ハヤタロウやオロチも、傷が癒えていく景太の姿を温かな眼差しで見守っていた。

 

出血が止まり、激痛が引いていくのを感じて、景太は「ふぅ……助かったよ、ピクシー」と息を吐き出し、ゆっくりと身体を起こした。

 

すると……。

 

パチン!

 

澄み渡った廊下に、一音の甲高い乾いた音が響き渡った。

 

景「……え?」

 

景太は真っ赤になった自分の左頬をそっと手で押さえ、目を丸くして目の前の少女を見つめた。急に襲ってきた痺れるような痛みに、何が起きたのか理解が追いつかない。

 

景「フミちゃん、何で……?」

 

戸惑う景太の前で、文花は両拳をギュッと握りしめ、肩を大きく激しく震わせていた。その瞳には溢れんばかりの涙が溜まり、ポロポロと頬を伝って床へと落ちていく。

 

文「これは心配を掛けた罰よ!!」

 

文花は絞り出すような大声で、感情を爆発させるように叫んだ。

 

文「ケータくんがやられて本当に……怖かったんだから…本当によかった……」

 

しゃくりあげながら、文花はその場に崩れ落ちるようにして顔を両手で覆った。

 

それは、景太の身勝手な無茶に対する怒りであり、それ以上に彼が自分のために命を落としかねなかったことへの猛烈な恐怖、そして彼が無事であったことに対する心からの安堵が入り混じった、感情の爆発だった。

 

目の前で子ども泣きのように涙を流す文花の姿を見て、景太の胸に強く鋭い痛みが走った。

 

「男を見せる」「自分が守る」と意地を張り、結果として無事に事態を解決できたと思ってはいたものの、自分のその行動がどれほど文花の心を傷つけ、恐ろしい思いをさせてしまったのか。

 

景(俺……フミちゃんを助けたくて必死だったけど、こんなに泣かせちゃうなんて……)

 

血の出た頭の傷よりも痛む胸を押さえるように、景太は頬の手をそっと下ろし、泣じゃくる文花の姿を前に、たまらなく申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだった。

 

静まり返った廊下に、カツン……カツン……と、アラスターの革靴が鳴らす足音が不気味に響き渡る。

 

彼はマイク杖を優雅に指先で弄びながら、倒れた妖怪たちを見下ろした。その瞳は紅く怪しく光り、耳まで裂けた笑みの奥から、冷酷で圧倒的な捕食者の気配がダダ漏れになっていた。

 

アラ「さて…この妖怪たちの処遇ですが…他にもこのような態度を持ってる輩を出さないためにも。コチラデ放送シマショウ」

 

『放送』。

 

ラジオデーモンの真骨頂であり、彼に敗れた魂が辿る最悪の末路――地獄への入り口を開き、永遠のノイズと苦痛の中に引きずり込む拷問の宣告。

 

アラスターがマイク杖の先端を床に突き立てると、ラジオの不快な雑音(ノイズ)と共に、空間に赤黒い亀裂が走り始めた。

 

「ひ、ひぃぃぃっ!?」

「オーマイガー! イッツ・地獄(ヘル)デース!!」

 

その言葉と立ち上る暗黒の気配の意味を察した妖怪たちは、顔面を蒼白にし、全身をガタガタと激しく震わせた。

自分たちがイタズラ半分で手を引き込もうとした存在が、どれほど絶対的で凄惨な悪魔であったかを、今更になって全身の毛穴で理解したのだ。

 

まさにアラスターがその邪悪な威光を解き放とうとした、その瞬間――。

 

景「待ってよアラスター! 彼等もこれで懲りただろうからそういうのは止めてあげよう」

文「ケータくんの言うとおりよ…。許してあげて」

 

まだ頬を真っ赤にし、涙の痕を残した文花と、怪我が癒えたばかりの景太が同時に叫び、アラスターの前に立ち塞がった。

 

さらに、教室の陰から静かに歩み出てきた少年――かつて妖魔界を治めた先代エンマ大王の息子であるマオが、落ち着いた声で言葉を重ねた。

 

マオ「今回の件は僕も責任を持って妖魔界でしっかりと罰を与えるように通達するよ。だから、ここで彼らの魂を奪うような真似はしないでほしい」

 

景太と文花の強い眼差し、そして妖魔界の正統なる血筋であるマオの言葉。

 

アラスターは首を少し傾げ、目元を一瞬だけ不満げに歪めた。しかし、自身の契約者である景太の意志を無下にすることはしない。

 

アラ「……わかりました。今回だけですよ」

 

アラスターがマイク杖を軽く引くと、空間を切り裂いていた赤黒い亀裂とノイズは瞬時に消え去り、元の静けさが戻ってきた。死の淵から間一髪で生還した妖怪たちは、全員が安堵の息を漏らして床にへたり込んだ。

 

すると、ボロボロになったアペリカンが、ウエスタンハットを脱ぎ捨て、倒れたまま信じられないといった様子で景太と文花を見上げた。

 

アペリ「うぐ…。何故…、トドメを刺さないのデスか…? ミーたちはユーたちを傷つけ、恐怖に陥れたのデース……!」

 

自分たちがしようとしていた身勝手なイタズラと攻撃を考えれば、報復されて滅ぼされても文句は言えないはずだった。なぜ命を救うのか、アペリカンには理解が追いつかなかった。

 

その問いに対し、文花は涙をぬぐい、まっすぐに彼らを見つめて言った。

 

文「確かにあなた達は悪いことをした。だからしっかりと反省してほしいの。でも……命を奪うことなんて、絶対に間違ってるわ」

 

続いて景太も、自分の背中を庇ってくれた仲間たちの姿を見渡し、力強く頷いた。

 

景「俺達は悪魔と妖怪、人間が共存できる世界を目指してるんだ。だからこそ、逃げずにしっかりと向き合っていきたいんだ」

 

単に力でねじ伏せて排除するのではない。失敗したとしても、反省し、互いに理解し合うことで共に生きていく道を模索する。それこそが、景太と文花がこれまでの数々の戦いの中で行き着いた、揺るぎない「答え」だった。

 

その言葉を聞いたアペリカンの瞳に、大粒の涙が溢れ出した。

 

アペリ「オォォン! これぞジャパニーズ魂、ビューティフォー!! カンドーデース♪ ミーは間違っていたデース! これから日本の文化も深く学びマース♪」

 

胸を打たれたアペリカンは勢いよく起き上がると、自らの懐から一枚のメダルを取り出した。

 

アペリ「ミーのソウルの証……受け取ってくだサーイ!」

 

アペリカンから手渡されたのは、彼の姿が刻まれた緑色の妖怪メダルだった。文花がそれを受け取ると、文花の左腕にある妖怪ウォッチが柔らかく輝き、二人の間に新たな友情の絆が結ばれたことを証明した。

 

さらに、その様子を見ていた他の妖怪たちも、景太たちの真っ直ぐな想いと寛大な態度にすっかり心を毒気を抜かれていた。

 

コン「……ったく、魂胆が見え見えだなんて言っといて、アンタたちの『本当の魂胆』がこんなに温かいなんて、見抜けなかったわ……♪」

 

コンたんがちょっぴり照れたように笑い、あざとさを引っ込めて素直な笑みを浮かべながら、文花へメダルを手渡す。

 

カイム「……影の薄い我を、一人にせず向き合ってくれた……感謝する」

 

存在感が皆無で誰からも無視され続けていたカイムも、静かに忍び寄り、感謝の言葉と共に文花の手にメダルを握らせた。

 

そして、最後に残ったゴクドーは、気まずそうに特攻服の襟を正しながら、ツッパリらしく頭を掻いた。

 

ゴクド「……ケータと言ったか。ガキのくせに、女を命懸けで守るその根性……見直したぜ。おい、お嬢ちゃん。俺のメダルも持っていきな!」

 

ゴクドーもまた、景太の魅せた「男の意地」と文花の優しさに負けを認め、自分の妖怪メダルを文花へと差し出した。

 

渡されたアペリカン、コンたん、カイム、ゴクドーの妖怪メダルが、次々と文花の小さな掌の上に重なっていく。

 

文「みんな……ありがとう! これからは、素敵な友達としてよろしくね!」

 

文花が満面の笑みを咲かせると、夕暮れの赤みが差し始めた廊下に、温かく穏やかな光が満ち渡った。

 

悪魔と妖怪、そして人間。

 

相容れないはずの存在たちが織りなす混乱の日常は、今日もまた一つ、確かな絆を刻み込んで収束を迎えるのだった。

 

騒がしかった廊下に、ようやく穏やかな静寂が戻ってきた。

 

助っ人として駆けつけたハヤタロウとオロチ、そして改心したコンたん、アペリカン、カイム、ゴクドーたちは、文花と新たな絆を結んだ後にそれぞれの根城や妖魔界へと帰っていった。

 

その背中を見送った後、アラスターが優雅に歩み寄り、胸に手を当てて深くお辞儀をした。

 

アラ「今回は私の責任です。契約の更新として『アラスターの強弱関係なしに契約者を守る』事と『契約内容をいつでも更新出来る』事も追加しましょう」

 

契約主である景太が傷ついたことを自身の不覚と認め、アラスターは不敵な笑みを絶やさぬまま、景太の安全をより強固にする条項を提示した。

 

その直後、派手な星条旗ハットを被って「USA!」と叫び続けていたウィスパーの頭からポンッと煙が立ち上り、衣装が元通りに戻った。

ようやくアメリカかぶれが解けたウィスパーが、状況を理解できずに頭を抱えて右往左往している。

 

そんなドタバタの中、景太と文花が安堵の息を漏らして教室へ戻ろうと歩き出した隙を突き、ピクシーがふわりとアラスターの耳元へ近づいた。二人の会話が景太たちに聞こえないよう、声のトーンを極限まで落として話し出す。

 

ピク「アンタ、もしかしてコレを狙ってた?」

アラ「何のことでしょう?」

 

どこまでも知らん顔を決め込むアラスターに、ピクシーは鋭い視線を向けた。

 

ピク「とぼけんじゃないわよ…! 今回の事で契約は破棄されるのに、それがなかった。つまりアンタはわざと破られるように調整したんでしょ!?」

 

「契約者が危機に瀕した際、守り切れなければ契約破棄」という本来のルール。

アラスターほどの悪魔がいくら弱体化しているとはいえ、結界が破られるタイミングやリスクを把握していなかったはずがない。

あえて結界を破らせ、景太に「自分を守る覚悟」と「絆」を再確認させ、さらに「契約内容をいつでも更新できる」という絶対的な優位性を手に入れる――そこまで計算づくだったのではないかと、ピクシーは睨んだのだ。

 

アラ「私を買いかぶりすぎですよ」

 

肩をすくめるアラスター。だが、やつの顔に刻まれた笑みは、どこまでも不気味で不敵に歪んでいた。真相は闇の中のまま、彼はビンテージなノイズを微かに鳴らすのだった。

 

何はともあれ事態が解決し、景太、文花、マオの三人が五年二組の教室のドアを恐る恐る開けて中に入っていくと……。

 

教壇の前に立ち、腕組みをした担任の先生が、仁王立ちで三人をお説教モードの鋭い眼光で睨みつけていた。

 

先生「お前たち、授業中に何処行ってたんだ?」

景「えっと……」

 

まさか「アメリカかぶれのペリカン妖怪と釘バットを持ったツッパリ妖怪が暴れていたので、悪魔と協力して退治していました」などと本当のことを言ったところで、信じてくれるはずもない。

三人はどう言い訳をしようかと顔を見合わせ、冷や汗を流しながら固まってしまった。

 

そんな彼らの態度を見て、先生はため息を突きながら容赦のない宣告を下した。

 

先生「罰として三人はあとで職員室に来なさい!」

 

その一言に、景太と文花はガーンと雷に打たれたようなショックを受けた。

 

景&文「「そんなーー!!」」

 

廊下での命懸けの激闘の末に待っていたのが、あまりにも現実的な「職員室での説教」というオチに、二人は頭を抱えて絶叫した。

 

そんな二人を見ながら、マオは困ったように微笑んだ。

 

マオ「ハハハ…仕方ないよ……」

 

マオは苦笑いをしながら、肩をすくめて二人をなだめた。

 

宙に浮くピクシーは、ショックを受ける景太の頭の上で気楽に手を振る。

 

ピク「ドンマ〜イ」

アラ「ニャハハ! この光景、帰ってきた感がありますね!」

 

アラスターはいつもの調子で軽やかに笑い声を上げ、日常の戻った教室の風景を楽しそうに見つめるのだった。




今日の悪魔大辞典

アラ「今日の悪魔は……いませんので特別にその後の話を」

景「はぁ…やっと終わった……」
ピク「ま、説教にしては手短に済んで良かったじゃない」

文「……」

文花はゴクドーから守ってくれた景太の事を思い出していた。

景「どうしたの?フミちゃん」
文「何でもない……///」

文花は顔を赤くしてそっぽを向いた。

景「顔赤いよ!具合悪いんだったら」
文「何でもないってばバカ!///」

ピク「まだまだ子供ねぇ…」
マオ「僕たち小学生だけどね…」
アラ「やっぱり、ケータくんといると飽きませんね!」
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