景「あのさ…」
アラ「?どうしましたか?ケータくん」
景「こういうのって一番最初にやるもんじゃないの?」
ピク「そうよ。今さらになって何で2話目で」
アラ「…実はこれには深〜い訳が」
景「深い…」ゴク…ッ
ピク「訳……?」ゴク…ッ
アラ「本当なら作者は一話目の後付けに出すところを特別編を出してしまったのでこちらに移動したということです」
景「全然深くねーじゃねーか!!」
ピク「それなら一話目の前書きにだしなさいよ!」
アラ「一話目だとまだ私がいないから時系列が合わなくなると……」
景&ピク「「ざけんじゃねーコノヤロー!!」」
アラ「っというわけで、遅れましたが「悪魔ウォッチ」第二シーズン、スタートです!」
あの騒がしい妖怪と悪魔の突撃騒動から数日が過ぎ、さくらニュータウンには穏やかな秋の日常が戻っていた。
朝の清々しい空気が校庭を包むさくら第一小学校。校門を潜ったところで、文花は前を歩く景太の背中に追いつき、いつも通り明るい声をかけた。
文「ケータくんおはよう」
声に反応して振り返った景太は、いつもの親しみやすい笑みを浮かべた。
景「おはよう。フミちゃん」
何気ない朝の挨拶。しかし、文花の顔をじっと見つめた景太は、ふと何かを探るように首を小首かしげた。
景「あれ? フミちゃん床屋さんに行ったんだ」
ポニーテールの毛先がほんの少しだけ揃えられ、ツヤが増していることに、景太はいち早く気づいたのだ。
男子小学生であればまずスルーしてしまうようなわずかな変化を言い当てられ、文花は嬉しそうに微笑んだ。
文「うん。美容師さんに整えてもらったの」
自分の小さな変化に気づいてくれたことに少し誇らしげな表情を浮かべる文花。だが次の瞬間、目の前の景色が一変した。
景太は柔らかく微笑みを深めると、しなやかな動作でゆっくりと文花へ近づいた。まるで物語に出てくる騎士か王子様のように洗練された、極めて紳士的なマナーで彼女の前に立つと、文花の瞳をまっすぐに見つめ返し、囁くような甘い声でこう言ったのだ。
景「ふふ、髪型を変えた事でさらに魅力的になったフミちゃんと一緒に下校できて、俺は世界一の幸せ者だよ」
一瞬の隙もない完璧な笑顔と、思わず耳を疑うほどキザで甘いセリフ。
文「……!!」
文花は全身の血が巻き戻ったかのように、その場でピキリとフリーズした。思考が完全に停止し、息をすることすら忘れて目を見開く。
目の前にいるのは、あの「ごく普通の男子小学生」である天野景太のはずだ。それなのに、今の立ち振る舞いや溢れ出る雰囲気は、まるで少女漫画のヒロインを惑わす男主人公そのものだった。
景「それじゃあ、先に行くね」
固まった文花を置き去りにしたまま、景太はどこまでも爽やかに手を振ると、軽やかな足取りで足早に学校へと入っていった。
取り残され、風が静かに吹き抜ける。数秒間の絶対的な沈黙の後、止まっていた文花の時間がようやく動き出した。
文「……」
景太の背中が見えなくなった瞬間、彼女の頭に言われた言葉の意味がドッと押し寄せてきた。
髪型を褒められたこと、
さらに魅力的と言われたこと、
そして「世界一の幸せ者」という決定的な言葉――。
文「ふえぇ……!!?////」
一瞬で顔面が沸騰したように真っ赤に染まり、文花はその場に両手で顔を覆ってへたり込みそうになった。耳の先までリンゴのように赤くしながら、蒸気を吹き出しそうなほどの勢いで動悸が激しく打つ胸を押さえる。
あの景太が、なんの躊躇もなく、あんなにもストレートでキザな言葉を笑顔で口にして去っていった。
パニックを起こしてその場でジタバタと足踏みをする文花。
しかし、この時の彼女はまだ知らなかった。
これが、学校中を激震させる「事態を揺るがす大事件」のほんの始まりに過ぎないということを。
ーーー
ー五年二組ー
朝の朝会前、教室の隅で頭を抱えて絶望的な表情を浮かべていたのは、クラスのガキ大将であるクマだった。
クマ「うぐぐ……オレのライフはもうゼロだ……。昨日の算数のプリント、まるまる忘れてやがった……! 先生に雷落とされて、今日の放課後は居残り確定だぜ……」
机に突っ伏して魂を吐き出しかけているクマのもとへ、景太が軽やかな足取りで近づいていった。
景「どうしたの、クマ? ……あぁ、昨日の算数のプリントか」
クマ「ケータ……! 頼む、お前のプリントを見せてくれ! 3分で丸写しするからよぉ!」
必死の形相で縋りつくクマに対し、以前の景太であれば自分のノートをそのまま渡して「写しなよ」と言っていたかもしれない。
しかし、今の景太は違っていた。景太は優しく目を細めると、クマの隣の席にそっと腰を下ろし、自分のプリントを広げた。
景「写すだけじゃ、次のテストの時にクマが困っちゃうでしょ? 大丈夫、クマは計算のコツさえ掴めばすごく解くのが早いんだから。ほら、この5番の文章問題、クマが得意なハンバーガーの計算に置き換えて考えてごらん?」
クマ「えっ……? ハンバーガー……? あ、そうか! 100円のハンバーガーを3個買って……って、そういうことか!?」
景「そう! ほら、やっぱりクマは頭の回転が速いよ。じゃあ次の問題は一緒に確認しながら解いていこう」
ただ答えを与えるのではなく、相手の自尊心を傷つけずに「一緒に解く」という寄り添い方。しかもクマの得意分野に例えて自力で解かせ、解けた瞬間にはすかさず相手を立てて褒める。
クマ「ケ、ケータ……! お前、なんて良い奴なんだ……! サンキューな!」
クマが感激の涙を浮かべてプリントを完成させるのを横目に、景太は爽やかに微笑んで立ち上がった。
さらに、その放課前。廊下ではカンチが先生から頼まれた膨大な量の書類の山を抱え、前が見えずにフラフラと歩いていた。職員室の重い引き戸の前で、カンチが途方に暮れて足止めを食らっていると――。
ガラッと、絶妙なタイミングで職員室の扉が外側から静かに開いた。
カン「わっ、びっくりした……! あ、ケータ……!」
景「前が見えなくて危ないよ、カンチ。半分もらうね」
景太はカンチの腕から負担にならないちょうどいい量の書類をすっと取り除き、自分の腕に抱えた。
すべてを取り上げて「僕がやっておくよ」と出しゃばるのではなく、相手の面目を保ちつつ「共に手伝う」という絶妙な匙加減。
景「そういえばカンチ、さっき探してた新発売のガジェット誌の整理券、売店で見かけたからカンチの机の引き出しに挟んでおいたよ。手伝いが終わったら見に行こう」
カン「えっ!? ボクがずっと探してたやつ……! なんで分かったの……!?」
景「カンチが今朝、欲しいってつぶやいてたからね。友達の好きなものは覚えておくよ」
カン「ケ、ケータ……! 君ってやつは、なんてスマートなんだ……!」
カンチが感動のあまり目を輝かせる中、景太のこの「配慮の嵐」は性別すらも問わずに向けられていた。
授業中、プリントを配る際に女子児童のチヨが指を紙で切りそうになると、景太はあらかじめ準備していたかのように絆創膏をスッと差し出し、押しつけがましくないトーンで囁いた。
景「気をつけてね。チヨちゃんの綺麗な手、傷ついたら大変だから」
チヨ「っ〜〜〜!? 景太くん……っ!///」
さらに、サトが重い体育のマットを運ぼうとしていれば、すぐさま駆け寄って端を持ち、
景「サトちゃん、力仕事は僕と一緒にやろう。無理しちゃだめだよ」
サト「あ……ありがとう、景太くん……///」
景太の行動には、下心やキモさが一切なかった。グイグイと強引に距離を詰めるような真似は決してせず、相手が求めている以上の踏み込みはしない。徹底的に相手を観察し、困っている手前でスッと手を差し伸べ、さりげなく褒めて去っていく。
気持ち悪がられないように配慮が完璧に徹底されているからこそ、周囲の人間は警戒心を抱く間もなく、その紳士的な振る舞いに撃ち抜かれてしまうのだ。
女子たちは呆然としながらも、全員が耳まで真っ赤にして胸を押さえていた。
その光景を、教室の入口から見ていた文花は、開いた口が塞がらなくなっていた。
文「な……何なの……? 誰に対してもあんな神対応……! 景太くん、一体どうしちゃったのよ……!?」
文花は自分の胸がモヤモヤと激しく騒ぎ立てるのを感じながら、あまりにも罪作りな紳士と化した景太の姿に、ただただ立ち尽くすしかなかった。
ーーー
昼休みを知らせるチャイムが鳴り響き、児童たちが一斉にグラウンドや廊下へ駆け出していく中、教室には和やかながらも少し熱を帯びた空気が漂っていた。
当の噂の主である景太が係の仕事で教室を離れているのを確かめると、女子たちは自然と席を寄せ合い、輪を作った。
サト「ケータくん変わったよね」
その言葉にチヨが、黒目を丸くして深々と頷いた。
チヨ「うん。紳士的だったよね。今朝の絆創膏の渡し方にしても、一切の無駄がなくてスマートだったわ」
サトコの投げかけた一言をきっかけに、女子たちの会話に一気に火がついた。
今や「天野景太が劇的に紳士的になった」というニュースは、五年二組だけに留まらず、学年中に急速な勢いで広まりつつあったのだ。
そんな輪の端っこで、ボーイッシュなキャップを深めに被り直し、必死に俯いている美佳の姿があった。その小麦色の頬は、キャップの庇では隠しきれないほど真っ赤に染まっている。
美佳「……///」
視線を泳がせながら無言で縮こまる美佳の様子を見逃すはずもなく、ツインテールのイチゴのヘアゴムを揺らしながら、めぐみがニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべて覗き込んだ。
めぐ「やっぱり、面と向かって言われたのが忘れられなくなった? 『可愛い』って」
美佳「当たり前だ! 思い出させるなよ…バカァ……///」
普段は男勝りでスポーツ万能、男子とも対等に張り合う美佳にとって、「可愛い」などと真っ向から褒められる経験は皆無に等しかったのだ。美佳は照れ隠しにキャップのツバをさらにぐっと引っ張り、完全に顔を隠してしまった。
そのやり取りを、豹柄のアクセントが効いた服を大人っぽく着こなした舞が、頬杖をつきながらサバサバとした口調で眺めていた。
舞「今までケータくんの事は気にもとめてなかったけど…まさかあそこまで化けるなんてね…」
冷めた目でクラスの男子を見ていた舞ですら、今の景太の洗練された振る舞いには一目置かざるを得ないようだった。しかし、舞の言葉はそれだけでは終わらなかった。
「それと…」と舞が次に話したのは、女子たちの記憶に鮮烈に焼き付いている『あの事件』のことだった。
舞「まさかケータくんに「男の娘」の才があったなんて…あれは完全にしてやられたわ……」
「「「ホントそれ!」」」
めぐみを筆頭に、女子たちが一斉に激しく首を縦に振った。
かつて全員の目の前で披露された、景太のあの完璧すぎるゴスロリファッション。フリルとレースに包まれ、屈辱と恥ずかしさで瞳に涙を溜めていたあの可憐な泣き顔は、今や女子たちの間で伝説として語り継がれていた。
舞「ゴスロリファッションに泣きじゃくるあの顔……女の私でも一瞬『負けた』って思ったもの」
めぐ「そう考えると、一見してケータくんって顔立ちは可愛かったよね。整ってるというか、愛嬌があるというか。元の素材が良いからこそ、今の紳士的な態度が余計に映えるっていうかさ」
サト「そうそう! それに、ただの気取り切った大人じゃなくて、ふとした瞬間に小学生らしい無邪気さや子供らしさが残ってるのが、またたまらない良いギャップなんだよね!」
昼休みの教室で、女子たちは和気あいあいと景太の事で花を咲かせていた。
一方、女子たちの和気あいあいとした楽しげな話し声が漏れ聞こえてくる教室の目と鼻の先――廊下の陰に、微動だにせず佇むひとりの少女、文花の姿があった。
彼女の全身からは、まるで物理的な質量を持っているかのような、ドス黒く禍々しいオーラがメラメラと溢れ出している。
ウィス「あの…フミちゃん……?」
背後に浮遊するウィスパーは、その異常すぎる空気感を肌で感じ取り、引きつった顔で滝のような冷や汗を流していた。
文「ウィスパー。これ、妖怪の仕業だよね?」
文花はゆっくりと振り返る。その瞳には一切の光がなく、声のトーンは凍りつくほど低い。
ウィス「いやいや…、夏休みが過ぎれば人間一皮むけると言いますし…ケータくんも成長期的なアレで「『妖怪の仕業』。だよね?」……!」
文花はぐっと一歩詰め寄り、鋭い眼光でウィスパーに凄まじい威圧感をかけた。その圧倒的な圧迫感に耐えかね、ウィスパーは降参するように両手をあげた。
ウィス「はい!そうでぃす!そうでぃす!!……多分…」
文「なら、絶対に許さない……」
文花は即座に腕を掲げると、首から下げたピンクの妖怪ウォッチのサーチライトを起動させた。青い光の円が廊下の天井や壁、防犯カメラの周囲を猛然と照らし出していく。
ウィス「あの…いくら何でも全部が全部妖怪の……」
文「いた!」
ウィス「ウィスぅ!!?」
レンズの光が捉えたのは、廊下の天井付近に浮遊し、キザにポーズを決めている奇妙な妖怪だった。巨大なピンクのリーゼントヘアの上に黄色い天使の輪を浮かべ、赤と白のボーダー服に身を包み、腰には小さな羽、左手にはピンクのハートのピストルを構えている。
ウィス「えっとアレはですね…ええ…知ってますよホント!あれですよ!!……ありました!あれは妖怪「モテモ天」!!」
慌てて妖怪パッドを叩いたウィスパーが、胸を張って解説を始める。
ウィス「モテモ天はハートのピストルでうち抜いた相手から好かれるようにしてくれる。これ以上ないステキな妖怪でウィス!」
しかし、その解説の途中で文花はすでにポケットから特定のメダルを取り出しており、迷いなく妖怪ウォッチへと叩き込んでいた。
文「私の友達!出てきて「キュウビ」!」
ウィス「え゙!?行き成りキュウビでぃすか!?」
強烈な召喚の光と共に、首元にボリュームのある紫の妖気を纏い、九本の立派な尾を優雅に揺らした高貴な大妖怪が現れる。
キュ「キュウビ!」
呼び出されるやいなや、優雅にポーズを決めるキュウビ。しかし――。
文「キュウビくん!モテモ天を追っ払って!」
キュ「おやおやそんなに顔をしかめて。かわいい顔が…」
いつもの調子でキザに微笑み、文花を宥めようとするキュウビ。
だが、文花の瞳に宿る静かな怒りは、そんな甘い言葉を受け付ける段階をとうに通り越していた。
文「とっとと、炎でやって!!」
キュ「わ…分かった!」
文花の凄まじい圧に完全に呑まれたキュウビは、慌てて振り返ると鋭い爪をモテモ天に向けた。九本の尻尾の先から一気に解き放たれる灼熱の業火『煉獄の術』が廊下を突き抜ける。
モテモ天「モ、モテモテーーーッ!?」
圧倒的なSランクの激しい炎に呑み込まれたモテモ天は、悲鳴を上げながら黒こげになって遠くへと吹き飛んでいった。
モテモ天が消え去り、怪しい気配が完全に霧散すると、文花は深く息を吐き出し、ようやくその表情を和らげた。
文「ふぅ…これでもう安心ね」
どこかすっきりした様子で胸を撫で下ろし、教室の方へと歩き出す文花。その少し後ろで、冷や汗の止まらないキュウビがウィスパーの隣へそっと忍び寄り、ヒソヒソと小声で尋ねた。
キュ「彼女…どうしたんだい?」ヒソヒソ
ウィス「長くはないんですが、説明して良いのやら……」ヒソヒソ
ーーー
午後の授業が始まり、教室には担任の先生が黒板にチョークを走らせるコツコツという音と、ページをめくる静かな音だけが響いていた。
文(これでケータくんは普通の男の子に……)
一番前端の席から景太の背中を見つめながら、文花は胸の中でほっと安堵のため息をついた。
原因であったモテモ天はキュウビの強力な炎によってすでに消し去られたのだ。これで恐ろしい「紳士現象」も収まり、いつもの少しボサッとした「普通の景太くん」に戻っているはずだった。
だが、そんな文花の淡い期待は、次の瞬間に脆くも打ち砕かれることとなる。
5時間目の授業中、景太の隣の席では、控えめで内気なおさげ髪の少女・しおりが、大きな丸眼鏡の奥の瞳を凝らしながら必死にノートをとっていた。その時、彼女が大切に使っていたお気に入りの小さな桜型の消しゴムが、指先から滑り落ち、コロコロと景太の足元へと転がってしまった。
しお「あ……っ」
しおりは青ざめ、慌てて机の下へ体をかがめようとした。しかし目立つのを極端に嫌う彼女は、周りの注目を集めてしまうのを恐れ、動作が一瞬固まってしまう。眼鏡が少し鼻頭へずり落ち、どうしようと小さな手を濡らして縮こまっていた、その時だった。
景太は授業の邪魔にならないよう静かに、そして誰よりも素早く、しなやかな動作でスッと手を伸ばした。床に落ちた消しゴムを優しく拾い上げると、自分の服の袖で付着したわずかな埃を丁寧に拭い取る。
そして、机の端からそっとしおりの手元へと戻しながら、隣の席にしか届かないような、低く柔らかい囁き声で口を開いた。
景「はい、どうぞ。……すごく綺麗にノートをとってるんだね。しおりちゃんの書く字、丁寧でとても素敵だよ」
大声でアピールするでもなく、押しつけがましさも一切ない。ただ純粋に、彼女の小さなSOSに気づき、人知れず困りごとを解決した上で、彼女が密かに頑張っていた部分を自然に認めて微笑みかけたのだ。
しお「あ…ありがとう……///」
しおりの視界の中で、景太の柔らかく温かな笑顔が至近距離で弾けた。
ただの消しゴム拾いのはずが、まるで自分だけを特別扱いしてくれたかのような甘い錯覚。ドクンと胸が跳ね上がったしおりは、耳の先どころか首筋まで一瞬で真っ赤に染め上げ、恥ずかしそうに丸眼鏡を押し上げながらノートの影に顔を埋めてしまった。完全に落ちた瞬間だった。
その一連の鮮やかすぎる「殺し文句」と神対応を、すぐ近くで完璧に目撃してしまった文花は、目を見開いたまま固まった。
文(なってなーい!!!)
何ひとつ元に戻っていない。それどころか、妖怪の力など借りずとも、景太は素の状態で全方位に向けて罪深いまでの紳士的気配りを撒き散らしていたのだ。
文(モテモ天のせいじゃなかったの!? え、じゃあ何で!? 何で今のケータくん、無自覚に女子をキュンキュンさせてるのよーーーっ!?)
衝撃のあまり、文花は声にならない叫びを心の中で爆発させ、頭を抱えて机に突っ伏しそうになるのを必死で耐えるのだった。
ーーー
キーンコーンカーンコーンー…。
放課後を告げる最終チャイムが校内に鳴り響いた瞬間、文花は弾かれたように席を立ち上がった。その両目はくっきりと血走り、常軌を逸した執念のオーラを全身から放っている。
文「絶対に……絶対にどこかに潜んでいるはず……!」
景太のあの恐ろしいまでの「天然紳士」化。モテモ天を倒してもなお収まるどころか加速する被害に、文花は原因となるさらなる元凶の存在を確信していた。
校舎の陰や渡り廊下、果ては階段の踊り場に至るまで、文花は妖怪ウォッチのレンズを構えながら猛烈な勢いで捜索を開始した。その背後を、冷や汗をだらだらと流したウィスパーとキュウビがおずおずと追いかける。
ウィス「あの…フミちゃん……」
キュ「少しは落ち着いて……。君のそんな恐ろしい顔、男の子が見たら引いてしまうよ?」
恐る恐る宥めようとする二人に対し、文花は首だけをギロリと旋回させ、般若のような凄まじい表情で叫んだ。
文「アンタたちも探して!!」
ウィス&キュ「ハイー!!」
あまりの威圧感に、Sランク大妖怪であるキュウビすらも背筋を伸ばして直立不動になり、二体揃って裏返った悲鳴を上げた。
そのまま校舎の3階廊下まで駆け上がったその時、文花のサーチライトが壁際の陰を鋭く射抜いた。
文「いた!」
光の先でポーズを決めていたのは、先ほどのモテモ天をさらに絢爛豪華に、そしてキザにしたようなイケメン妖怪だった。
流れるような薄いピンク色のロングヘアの上に天使の輪を浮かべ、胸元に大きな黄色いリボンをあしらったジャケットを羽織っている。両手にはピンクのハートがあしらわれた巨大なキャノン砲を構え、自信とナルシシズムに満ち溢れた表情でこちらを見下ろしていた。
ウィスパーが恐怖に震えながら、陰に隠れてコソコソと妖怪パッドの画面を指で高速スワイプし始める。しかし、その検索結果が出るよりも早く、隣にいたキュウビがその姿を見て目を見開いた。
キュ「お前は! 妖怪『モテマクール』……」
だが、キュウビがその名を最後まで言い終わる前に、文花の動作は完了していた。
事態の深刻さと嫉妬混じりの怒りで思考を加速させた文花は、キュウビの言葉を最後まで聞く猶予すら与えず、ポケットから抜き取った暗紫色のメダルを妖怪ウォッチへ冷酷な手つきで叩き込んでいたのだ。
強烈な漆黒の光と共に、空間の影が蠢き、そこから一人の異形が姿を現した。
白銀の髪をなびかせ、黒と濃い紫を基調とした闇の装束を纏った影の暗殺者。その首元には、禍々しい影のオーラで形作られた黒き龍のマフラーが静かに蠢いている。Sランク妖怪――影オロチである。
突如として呼び出された闇の刺客に対し、文花は問答無用で言い渡した。
文「やって!」
短く、そして一切の情け容赦もないその一言。普段の文花からは考えられないほどの鋭い怒気とプレッシャーに、さしもの影オロチも「この依頼主を怒らせては危険だ」と瞬時に察知した。
影オロチ「……御意」
影オロチの瞳が怪しく光ると同時に、彼の身に纏う影のオーラが爆発的に膨れ上がった。両手のキャノン砲を構えて何やらキザな決め台詞を口にしようとしていたモテマクールに対し、影オロチは微かな予備動作すら見せずに間合いを詰める。
必殺技――『影流やまたのおろち』!
首元のマフラーから解き放たれた無数の黒き龍の群れが、空間を塗りつぶしながら猛然と喰らいついた。
モテマクール「ボクの華麗なモテ技を受け――ぶべらっ!?」
モテマクールは決めポーズの姿勢のまま、一言の決め台詞すら最後まで吐くことを許されず、黒い龍たちの苛烈な連続攻撃によって噛みちぎられ、凄まじい衝撃波と共に校舎の窓の外へと一直線に吹き飛ばされていった。
遥か彼方の空へと消えていくモテマクールの星を見送りながら、影オロチは静かに刀を収めるような仕草で見事な着地を決めたのだった。
モテマクールが彼方へ吹き飛び、文花は「ふぅ……これで今度こそ……」と大きく息を吐き出し、乱れた息と胸の動悸を整えようとした。
これでもう、怪しい妖怪の力はすべて絶たれたはずだ。あの恐ろしいまでの「天然紳士現象」も消え去り、いつものちょっとドジで素朴な景太に戻っているに違いない……。
そう思って胸を撫で下ろした瞬間、階段の方から足音が近づいてきた。
景「あれ? フミちゃん?」
文「あ…け、ケータくん…!」
不意を突かれた文花は、慌てて血走っていた目をこすり、何事もなかったかのように平然を装って振り返った。
しかし、景太は文花の強張った表情と微かに肩を震わせている様子を見逃さなかった。心配そうに眉をひそめると、ゆっくりと文花との距離を詰めてくる。そして、何かを決心したように両手をぎゅっと握りしめると、どこか硬い表情のまま、一生懸命に口を開いた。
景「あ、あのね! フミちゃん! さっき図書室で面白い本を見つけたんだ……! ええとね、パンダが一番ホッとする瞬間っていつか知ってる……? ……笹(ササ)を食べ終わって、用事を『ササッ』と済ませた時なんだって! ……あ、あとね! チョコレートが顔を赤くして照れてた理由はね……自分の存在が『甘すぎる』って言われちゃったからなんだよ! ……ね、ね? ちょっとクスッてならない……!?」
緊張で声を上ずらせながら、身振り手振りを交えて必死に言葉を紡ぐ景太。その絶妙にぎこちなく、けれどまっすぐな姿に――。
文「え?」
文花は思わず目を丸くして、キョトンと固まってしまった。
文花の反応を見た瞬間、景太は自分が言った言葉の恥ずかしさに耐えきれなくなったように、一瞬で耳の先まで顔を真っ赤に染め上げた。
景「ご…ごめんね/// フミちゃん元気がなさそうだったから……何か面白いこと言って笑わせられたらなって思ったんだけど、僕、全然ダメだよね……///」
景太は申し訳なさそうに頭を掻きながら、恥ずかしそうに視線を泳がせた。しかし、すぐにまた真剣な目つきに戻ると、文花の顔を優しく覗き込んだ。
景「もしかして、どこか体調が悪かったり、すごく疲れてたりするの? 顔色が少し良くないみたいで……」
文「ううん! 全然! 疲れてなんてないよ!」
景「よかった……。じゃあ、家まで一緒に帰ろう。カバン、僕が持とうか? 途中で気分が悪くなったらすぐ言ってね」
そう言って当たり前のように寄り添い、文花の家まで付き添って送ろうとする景太。その包み込むような優しさに、文花は跳ね上がる心臓を押さえながら、慌てて手を振った。
文「大丈夫! 本当に大丈夫だから……! 一人で帰れるよ!///」
景「そう? でも…、
心配だから側にいさせてほしいな」
そう言って、景太は少しだけ困ったように、けれどどこまでも柔らかく愛おしそうな瞳で文花を見つめた。
そのまっすぐすぎる一言と眼差しに、文花の顔は限界突破で真っ赤に沸騰した。
文(――な、何で……!?)
この時、文花は初めて思い知らされたのだ。モテモ天も、モテマクールも関係なかった。景太の恐ろしいまでの紳士的な対応は未だ健在であり、それどころか、ぎこちないながらも自分を元気づけようとする不完全な「ユーモア」まで会得していたという事実に!
文(しかもちょっと、面白かったし!///)
赤面したまま固まる文花と、そんな彼女を心底心配そうに見つめ続ける景太。二人の甘酸っぱくも噛み合わない放課後の時間は、夕暮れの廊下にゆっくりと溶けていくのだった。
ーーー
橙色に染まり始めたさくらニュータウンの帰り道。文花は景太の少し後ろを歩きながら、爆発しそうな心臓を必死で押さえていた。
車道側をさりげなく歩き、文花の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる景太。その一つひとつの仕草が洗練されすぎていて、直視することすら恐ろしい。
文(ど、どうしよう…///ケータくんの対応が良すぎて身を任せちゃいそう……!///)
しかし、今の文花には最大の弱点があった。景太がすぐ隣に付き添っているため、派手に妖怪ウォッチのサーチライトを照射して「さらなる元凶」を探し出すことができないのだ。
文(……あんたたち、分かってるでしょうね?)
文花は景太に決して悟られないよう、前方を向いたまま、背後に浮遊する3体——ウィスパー、キュウビ、影オロチへ向けて凄まじい「無言の眼圧」を背中で放った。
チラリと振り返った文花の瞳に宿る、般若のごとき鋭い光。
文(……早く元凶を探し出しなさい。さもなければ……分かってるわね?)
殺気すら孕んだその威圧感に、Sランク妖怪ふたりを含む3体は「ひいいっ!?」と声にならない悲鳴を上げ、慌てて路地裏や電柱の影へ散っていった。
それからしばらくして、景太がふと足元を気にしている隙を突き、ウィスパーが文花の耳元へ滑り込んできた。
ウィス「見つけました……!」
ウィスパーが小声で指し示したのは、路地裏の夕闇の中だった。
そこに佇んでいたのは、紫色のクラシックなタキシードをピシッと着こなし、立派な髭を蓄えた気品あふれる妖怪。右手にはオレンジ色のドリンクが乗ったトレイを優雅に携え、静かに浮遊している。どこからどう見ても、ウィスパーとは真逆の「完璧な本物の執事」だった。
ウィスパーが慌てて妖怪パッドを取り出そうとしたが、その前に相手が優雅に一礼した。
「初めまして。私、「セバスチャン」と申します」
文花の脳内で警報が鳴り響く。間違いない、この洗練された雰囲気と立ち振る舞い……完全に此奴が景太に憑りついて「パーフェクト紳士」に仕立て上げた元凶だ!!
そう確信した文花は、声を出して景太にバレるのを防ぐため、三体に向けて猛烈な一斉攻撃のジェスチャーを「無言の圧力」で指示した。影オロチが即座に影の龍を練り上げ、キュウビが狐火を宿す。
だが、死線を察知したセバスチャンは、眉一つ変えずに素早く手を前に突き出した。
セバス「お待ちを! 私は天野景太様には取り憑いてなどおりません!」
その一言に、攻撃の手が一瞬止まる。セバスチャンは慌てて、けれど整然とした口調で続けた。
セバス「この街の妖怪たちが不自然に吹き飛ばされていることを知り、事態を調査すべく馳せ参じた次第です! ……察するに、彼の変化の原因を知りたかったら、彼の近くに常にいる者たちから聞くべきだと思います!」
これに文花はハッとした。
文(確かに……)
セバスチャンは完璧な礼を残し、煙のように素早くその場から消え去った。
文花は呆然と立ち尽くした。しかし、彼の残した言葉が頭の中で大きな意味を持ち始める。
文(近くにいる者たち……? 妖怪じゃなくて……アラスターさんや、ピクシーちゃん……?)
考え込む文花の顔を、景太が心配そうに覗き込んできた。
景「大丈夫? フミちゃん。さっきから路地裏ばかり見てるけど……」
文「だだだ大丈夫! ごめんね心配かけて!///」
思考を中断された文花は、裏返った声を上げながらブンブンと首を振った。
文「ハハ…ハ……なんでもないの、本当になんでもないから……!」
ぎこちなく引きつった笑顔を浮かべる文花を、景太はどこまでも優しく、そして少しだけ不思議そうに見つめ返していた。
ーーー
夕闇が街を包み込む頃、景太に見送られ、文花はようやく自分の部屋へと駆け込んだ。
文「うわああぁぁ……っ! もうダメ……心臓が持たない……!///」
今日一日で叩き込まれた圧倒的な情報量と、胸を締め付け続けた甘酸っぱいパニックに耐えかね、文花は自室のベッドへと豪快に倒れ込んだ。枕に顔を押し付け、ジタバタと足をバタつかせる。
その間にも、文花からの緊急指令を受けたウィスパーが飛んでいき、やがて部屋の窓から小さな居候を連れて戻ってきた。
ピクシー「ちょっと何よ、いきなり呼び出したりして。あ、このチョコボーごちそうさまね」
妖精の悪魔ピクシーは、ウィスパーが買収のために持っていったチョコボーのパッケージを器用に破ると、サクサクと口に運びながら部屋の空中にぷかぷかと浮かんでいた。
文花はベッドからガバッと跳ね起き、乱れたポニーテールも気にせずピクシーへと身を乗り出した。
文「ピクシーちゃん! 聞いて! 今のケータくん、おかしいの! 急に紳士的になっちゃって、クラスの女子全員をキュンキュンさせて……妖怪の仕業かと思ったのに違ったの! 一体何が起きてるの!?」
必死の形相で事態を訴える文花に対し、ピクシーはチョコボーのひとかけらをモグモグと噛み砕きながら、呆れたように口を開いた。
ピ克「ああ、それね。原因、知ってるわよ」
文「それは! 一体! 誰!?」
あまりにも平然と言い放ったピクシーに、文花は目を極限まで見開いて迫る。ピクシーはチョコボーの指をなめながら、なんでもないことのように短く答えた。
ピク「あの赤い奴」
文「赤い奴……!?『アラスター』!!」
ピクシーは深く頷いた。
ピク「そう。始まりは夏休みにまだアラスターがいた頃。ケータの普段の生活態度を見た時ね。部屋は散らかす、ゴミをちゃんと捨てない、脱ぎ捨てた服は放置、鼻くそほじりながらテレビ見る……あまりにもグータラでだらしないもんで、これにアラスターが激しく嫌気が差したのよ。『私を助けたのがこんなにも美学のない落書きのような存在では、地獄のラジオデーモンの名に傷がつく』ってね」
文「そ、それで……!?」
ピク「そんでアラスターは直々に教育しようとしたんだけど、当然、ケータはめんどくさがるし、嫌がるしで最初は鼻から気にもとめてなかったわ。
でも、そこはラジオデーモンね。減らず口の口八丁で、あの単純なケータを言葉巧みに追い詰め始めたの。『ほう、君はその程度の低いレベルで満足する男ですか?』とか『文花くんや周りの友人から“頼りない下等な子供”と見下されたままで平気ですか?』ってね」
ピクシーの脳裏に、その時の景太の様子が鮮明に浮かんでいた。最初は「え〜、だってめんどいし…」と死んだ魚のような目をしていた景太が、アラスターの言葉にまんまと乗せられ、一転して目を爛々と輝かせていたあの瞬間を。
ピク「『男たるもの、常に優雅で完璧な紳士でなければならない』なんて吹き込まれて、ケータは『僕、かっこいい男になりたい!』なんてすっかりその気になっちゃってさ。そこからはもう、アラスターの独壇場よ。
スパルタでケータを教育し始めたわ。立ち振る舞いから言葉遣い、相手の望みを察知する観察眼までね。悪質で恐ろしいことに、あの悪魔、飴と鞭を見事なバランスで使い分けてたのよ」
文「ア、アメとムチ……」
ピク「ちょっとでも気を抜いたらラジオのノイズ混じりの恐ろしい威圧感で追い詰め、出来たら『素晴らしい! これぞ私の契約者だ!』って最高級の笑顔でベタ褒めする。教えるのが異常に上手いもんだから、結果は当然大成功。
……でもね、一番の誤算はケータ本人よ」
ピクシーはやれやれと頭を振った。
ピク「予想外なことにケータって元から何も考えてない純粋で単純なバカでしょ? 余計なプライドも偏見もないから、その分、悪魔の教えに対する吸収と適応が恐ろしいほど早くてね。スポンジが水を吸うみたいに、アラスターの紳士美学を丸呑みしちゃったのよ。
これに乗ったアラスターが面白がってどんどん教育をエスカレートさせていって……今のケータの出来上がりってわけ」
話を聞き終えた文花は、あまりの真相に開いた口が塞がらなくなっていた。
文「じゃあ……今のケータくんのあの神対応も、気遣いも……全部アラスターさんのスパルタ教育の成果だったの……!?」
悪魔の手によって完成してしまった「無自覚なパーフェクト紳士」。その恐るべき背景を知った文花は、再び自室のベッドへとへなへなと崩れ落ちるのだった。
ベッドの上で固まる文花とウィスパーを横目に、ピクシーは空中をクルリと一回転しながら、追い打ちをかけるように。
ピク「あ、そうそう。更に追い打ちとして『守・破・理』をさせて、エチケットやマナーもおさらいして完全に会得。今じゃ下手な煩悩の無い、漫画で腐るほど見るような超鈍感男になったのよ」
文「……しゅ、しゅはり……!?」
基本を守り、それを打ち破り、やがて自らのスタイルとして昇華させる――本来なら道筋を極めた達人にしか許されないその領域すらアラスターの過剰なまでのスパルタ指導と景太の無駄に高い吸収力によって完成してしまっていたのだ。
しかも変な下心が一切削ぎ落とされた、もっとも手に負えない「無自覚な超鈍感男子」として。
あまりの衝撃的な事実の連続に、文花もウィスパーも言葉を失い、口をぐうの音も出ないほどぐうのぐの字も出ずに呆然と開けていた。
文「ど…どうしよう……このままじゃケータくんは…完璧すぎる異次元の存在になっちゃうよ……」
頭を抱えて震える文花を見て、ピクシーは「大袈裟ねえ」とばかりに肩をすくめた。
ピク「心配しなくても良いわよ。教育は続けてるけど元の子供らしさは残すそうだから」
文(それが逆にギャップになってるのよ……!)
女子たちが教室で「子供らしさの残るギャップが良い」と盛り上がっていた光景が文花の脳裏を激しく駆け巡る。
アラスターの計算尽くされた教育は、景太の本来持っている素朴で可愛らしい魅力すらも、最強の武器として計算に入れていたのだ。悪魔の恐ろしさを改めて思い知り、文花は戦慄した。
ピク「そんじゃ、見たいテレビあるから帰るわねー」
満足そうにチョコボーの箱をゴミ箱へ放り投げると、ピクシーはひらひらと手を振りながら窓の外へと飛んで帰っていった。
静まり返った自室。ベッドの上に一人取り残された文花の頭の中に、今日一日で焼き付けられた景太の姿が次々と蘇ってくる。
自分を元気づけようと必死にジョークを言ってくれた時の、あのぎこちなくも真っ直ぐな瞳。
恥ずかしそうに頬を染めた、とびきり可愛らしい笑顔。
そして帰り道で「心配だから側にいさせてほしいな」と囁いてくれた時の包み込むような優しさと、思わず身を委ねてしまいそうになった甘い対応――。
文「どうしたら良いのよ!? この気持ちー!!!////」
理性が限界を迎えた文花は、枕に顔を埋めると、足をバタつかせてベッドの上でゴロゴロと転がり悶えた。真っ赤に沸騰した顔を隠すように抱き枕をぎゅっと抱きしめ、バタバタとジタバタを繰り返す。
と、その時。ドアの隙間からひょっこりと赤い猫の妖怪が顔を出した。
ジバニ「オレっちがいない時にフミちゃんどうしたニャン? まるで恋する乙女みたいに悶絶してるニャン」
のんきにチョコボーをかじりながら首をかしげるジバニャンに対し、脇で浮かんでいたウィスパーは、疲弊しきった顔で深く、深くため息をついた。
ウィス「説明していいものでしょうか? これは……」
夕闇が深まる文花の部屋に、乙女の悲痛な叫びと、妖怪執事の諦めを含んだため息だけが、虚しく響き渡っていた。
きょうの悪魔大辞典
アラ「今回は面白いことになってますのでそちらをどうぞ!」
ーゲーセンー
ある日、ゲーセンに来ていたサトコとチヨがプリクラから出ると…。
サト「あ。フミちゃ…」
サトコが文花を見つけ、声をかけようとしたが……。
文「フンッ!」
ドガァァン…!
掛け声とともに彼女の小さな拳がパンチングマシーンの巨大なクッションパッドへ完璧なフォームで叩き込まれる。
一撃が重く響く…!周囲の客が一斉にビクッと肩を跳ね上がらせるほどに…。
景太の恐ろしいまでの無自覚紳士化。自分に向けられた甘すぎる言葉と対応。アラスターによるスパルタ教育の真相。
そして何より、そんな景太にときめいてパニックを起こしている自分自身の感情。
どう整理すればいいのか完全に分からなくなった文花は、溢れ出る熱量とモヤモヤをすべてこのマシンへと叩きつけていたのだ。
ドス黒く禍々しいオーラを全身からゆらゆらと立ち上らせる文花の眼前で、マシーンのデジタル数値が恐ろしい勢いで跳ね上がっていき歴代2位の記録をだしたが……。
文花の鬱憤はこれっぽっちも晴れておらず、脳裏にあの恥ずかしそうに頬を染めながら「心配だから側にいさせてほしいな」と囁いた景太の顔が鮮明にフラッシュバックする。
文「〜〜〜〜っ!/// ケータくんのバカァァーーッ!!! 」
ドガッシャァァァン!!!
『歴代1位!!』
二撃目。一撃目を遥かに凌駕する重い衝撃波がマシンを揺らし、ゲームセンターの床すら微かに振動した。
少し離れた筐体の影に隠れ、ガクガクと膝を震わせながらその光景を見上げるサトコとチヨ。
サト「フミちゃん…変わったよね……」ガクガク…
チヨ「うん……。今のフミちゃんには近づくことすら危険だわ……」ブルブル…
景太の劇的な変貌の裏で親友である文花もまた、別の意味で恐ろしい変貌を遂げつつあることを悟った二人。
サトコとチヨは声をかけるのを諦め、ただただ影から文花の咆哮を見守るしかできなかった。