ー夜ー
おおもり山の奥深く。
昼間の賑やかさが嘘のように静まり返った木々は大気の冷気を含んで黒々と立ちそびれ、夜風が葉を揺らすたびに、ザワザワと不気味な鳴動を響かせていた。
雲の切れ間から覗く月光が、鬱蒼とした枝葉の隙間からわずかに差し込み、誰も立ち入らない森の奥深くに白い筋を描き出している。
その漆黒の暗闇の中に、突如として空間が歪むような異様な気が満ちた。
静寂を破るようにそよぐ風に乗って、鋭く研ぎ澄まされた武具の擦れ合うかすかな音が響く。月光の差し込む薄暗い樹海の一角に、ゆらりとふたつの影が浮かび上がった。
影が、ゆっくりと視線を森の切れ間――その先に見下ろせる、灯りの消えかけた街並みへと向けた。そよ風ヒルズの街灯や遠くの住宅街の明かりが、まるで星くずのように眼下に広がっている。
「ここがさくらニュータウンか。ここに彼奴がいる」
その声は低い地鳴りのように響き、確固たる目的を秘めていた。街を見下ろす瞳の位置には、暗闇の中でメラメラと燃え上がるような眼光が宿っている。
武骨な影の言葉を受け、隣に立つ威厳ある影が深く息を吐き出し、静かに口を開いた。
「油断するなよ。相手は強敵ぞ」
短く重みのあるその戒めは、ただの警告ではない。相手が持つ底知れぬ力、そしてこれから対峙することになる存在の異様さを、誰よりも理解しているからこその言葉だった。
だが、武骨な影は恐怖や怯みを見せるどころか、口元を力強く歪ませ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。その全身から、抑えきれない戦意と熱気が沸き立ち、周りの樹木を震わせる。
「分かってる。だからこそ燃えるんだ。それが武士ってもんだ」
拳を固く握りしめ、腰の物に手をかけながら、武骨な影は吐き捨てるように、しかし誇らしく言い放った。強者と相見えることへの歓喜、己の技を試す機会への餓えが、その全身を突き動かしている。
その言葉を聞いた威厳ある影は、頼もしげに静かに頷くと、静かに一歩を踏み出した。
「ゆくぞ」
迷いのないその一言が、夜の森に深く鋭く染み込んでいく。
「おうよ、お師匠さん」
武骨な影もまた、その背中に続くように力強く一歩を踏み出した。ふたつの影は月光を切り裂くようにして暗闇の中を滑り出し、静まり返ったさくらニュータウンを目指して、深い森の奥へと消えていった。
ーーー
ー朝・さくら第一小学校5年2組ー
いつものように登校してきた景太は一時間目の授業の準備をしようとノートと教科書を取り出していると、すぐそばから花が咲くような明るい声が降ってきた。
文「おはようケータくん」
景「おはようフミちゃん!」
顔を上げると、文花がいつもと変わらない可愛らしい笑顔を浮かべて立っていた。景太も元気よく挨拶を返す。今日も平和な一日が始まる……そう信じて疑わなかった。
しかし、文花は完璧な笑顔を顔に貼り付けたまま、小首を傾げてさらりととんでもない質問を投げかけてきた。
文「そういえばケータくん。休みの日、沢山の女の子を誑し込んだんだって?」
景「た…たらし……?」
「誑し込む」。
おおよそ、健全な小学五年生の口から自然に出てくるとは思えない、艶かしくもドロドロとした大人の単語に、景太は目を限界まで丸くして完全に固まった。
自分自身には全くもって身に覚えのない、あまりにも想定外すぎる言葉の響きに、景太の心臓が警鐘を鳴らすようにドクン!と大きく跳ね上がる。
文「キュウビくんから聞いたの。どっちが多くの女の子を誑し込めるか勝負したって」
ニコニコと、一切の曇りもない笑顔で告げる文花の言葉に、景太の脳内では昨日の不条理極まりない出来事が走馬灯のようにフラッシュバックした。
休日の穏やかな時間をぶち壊し、勝手に勝負を吹っかけてきて、強引に付き合わされたあの狐妖怪の顔が浮かぶ。
景「あ…やっぱり駄目だったのかな?一応、許可を取ってから始めたんだけど…」
女の子たちを傷つけたり、不審がられたりしないよう、事前にピクシーの入れ知恵で「趣旨を説明して審査員になってもらう」という体裁をとったが…。
「やっぱりいけなかったか…」と景太の額からは滝のような冷や汗がどっと噴き出す。
しかし、文花はそんな景太の慌てた言葉を聞くと、笑顔のまま優しく首を横に振った。
文「ううん。メグちゃん達からも聞いたけど。ちゃんと許可を取ってから始めたんでしょ?」
文花は聖母のような優しい笑顔と、耳に心地よい優しい声でそう言った。
文「それに5年1組のキララちゃんと順子さんと昌子ちゃんの三人は凄く仲良くなったでしょ?ケータくんのお陰で」
その言葉には、景太の無自覚な行動に対する「本当に凄い」という純粋な感心がこもっているのが伝わってきた。
すると、今度は文花はぷくっと頬を膨らませ、可愛らしくムッとした表情を作った。
文「でも、あまりキュウビの言う事は真に受けちゃ駄目だよ。ろくな事言わないから」
景「ハハハ…気をつけるようにするよ…」
心配してくれる文花の言葉に景太は安堵の息を吐き出しながら、苦笑いと共に頷いた。
二人はそのまま、ごく自然な小学生の日常風景として、仲睦まじく笑い合う。
だが、景太は全く、微塵も気づくことはなかった。
対する景太以外のクラスメイト全員と黒板の前で朝の会を始めようとしていた担任の教師だけは気づき、戦慄し、ガタガタと震え上がっていたのだ。
文花の笑顔の裏側――彼女の身体からまるで地獄の底から這い出たような、濃密でドス黒いオーラがボコボコと漏れ出ている事に。
それは単なる怒りのオーラなどではない。触れれば命を刈り取られると本能が警鐘を鳴らすほどの「絶対的な死の恐怖」だった。
教室内の空気は氷点下まで凍りつき、まるで凶暴な捕食者の前に引きずり出された小動物のようにクラスの全員が息を呑んで身をすくませていた。
担任に至っては、手から滑り落ちたチョークを拾うことすらできず、顔面を蒼白にして硬直している。景太だけが、その底知れぬ狂気と恐怖の領域から完全に蚊帳の外に置かれていた。
そして、景太のすぐ近くでその光景を透明な状態で見つめていたもう一人……妖怪ウィスパーもまた、カタカタと歯の根を鳴らして震え上がっていた。
ウィスパーの脳裏には、数時間前の凄惨極まる記憶が焼き付いて離れない。
文花が偶然、めぐみ達から景太の「勝負」の話を聞きつけた直後のことだった。
文花は無表情のまま直ぐ様妖怪ウォッチを起動し、キュウビを呼び出した。
そして、召喚されるや否や得意げにポーズを決めたキュウビの胸ぐらを躊躇なく掴み上げ、一切の光を宿さない漆黒の瞳で見下ろしながら…。
「で? 一体どういうことか全部吐きなさい」と凄まじい殺気で脅迫したのだ。
事のあらすじを涙声で全て吐き出したキュウビに対し、文花は「ケータくんに何変なことさせてるのよ」と低くドスを効かせた声で呟くや否や、これでもかと無慈悲な暴力を振るった。
自慢の美しい九つの尾を一本残らず乱暴に掴み上げ、まるでハンマー投げの要領でキュウビを空中へ振り回し、アスファルトに何度も何度も全力で叩きつけたのだ。
エリート妖怪としての誇りも美貌も跡形もなく粉砕され、ボロ雑巾のように地面を這いつくばりながら「お、お助けをォォォ!」と血の涙を流して命乞いするキュウビの顔面を、文花は容赦なく踏み躙った。
悲鳴と絶望が響き渡る中、返り血を浴びたように佇むその時の文花の姿は、夜叉も裸足で逃げ出す正真正銘の「修羅」そのものであった。
ウィスパーは思い出すだけで失神しそうになっていた。
そんな地獄のような教室の惨状を、景太のすぐそばで面白そうに観察している二つの影があった。
アラ「もし、文花さんがケータくんのファーストキスを知ったらどうなるんでしょうね」ヒソヒソ
アラスターは、この極限状態のサスペンス劇場を特等席で楽しみながら、杖のマイクを弄りつつ、ニヤリと裂けるような笑みを浮かべて小声で囁いた。
その言葉に、ピクシーは呆れ果てたようにジト目を向け、アラスターの肩を小突いた。
ピク「ワクワクすんじゃない!絶対言うんじゃないわよ」ヒソヒソ
もし「ふささとのファーストキス」がこの修羅の耳に入れば、キュウビの悲劇など可愛く見えるほどの真の阿鼻叫喚がさくらニュータウンを飲み込むことは火を見るより明らかである。
アラ「黙ってられますでしょうか?これほど極上のエンターテインメント、私へのご褒美としか思えませんよ……ニャハハハ!」ヒソヒソ
ピク「絶対黙ってなさいよ! ケータの命もさることながら、この街が消し飛ぶわよ!!」ヒソヒソ
ピクシーは本気の警告を込めて睨みつけたが、狂気の悪魔の耳にどれだけ届いているかは、神のみぞ知るところであった。
ーーー
ー数時間後ー
先ほどまでの地獄のような教室の惨状が嘘のように何事もなかったかのように平穏な空気が戻り、景太たちは授業に集中していた。
だが、担任の教師は足がガクガクと震えているのを必死に堪えながら、黒板に向かってチョークを走らせている。
その時だった。
アラ「ケータくん」
景「?」
景太の隣に立っていたアラスターが、ふいに低い声で口を開いた。
アラ「少々、この場を離れます。ピクシーはケータくんの側に」
アラスターはいつものように顔に張り付いたようなニヤリとした笑みを浮かべてはいたが、その瞳の奥には冷たく鋭い光が宿り、口調には珍しく張り詰めたような真剣さが混じっていた。
ピク「珍しく真剣ね。何が起きたの?」
アラ「私にお客様です」
アラスターが意味深にそう呟いた直後だった。
『ウゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!』
校舎の外、廊下の窓から見える校庭の方角から、けたたましいサイレンの音が鳴り響き始めた。
最初は遠くから聞こえていたそれが、瞬く間に複数台のパトカーのサイレンへと変わり、学校の敷地内に緊急事態が発生していることを告げていた。
その不穏な音に、授業中だった生徒たちがざわめき始め、何事かと次々に席を立ち、廊下の窓へと群がり始める。
担任の教師は「こら! 席に戻りなさい!」と一時的に注意を呼びかけたものの、ただならぬサイレンの近さに不安を覚えたのか、結局は授業を中断し、生徒たちと一緒に「一体何なんだ?」と窓の外を覗き込み始めた。
皆の視線の先――。
朝日が照らす校庭の中央に、一人の男が静かに立っていた。
男は長髪の美青年であった。しかし、その出で立ちは現代の日本、ましてや小学校の校庭にはあまりにも場違いすぎた。
黒い烏帽子形の兜を深く被り、鮮やかな緋色の鎧具足を身に纏っている。そして両手には、鞘から抜かれた鋭い太刀と脇差の二刀が、朝日に妖しく反射していた。
景「あれって…」
アラ「ええ。悪魔です」
アラスターの答えに、景太は息を呑んだ。だが、真に驚くべき異常事態はそれだけではなかった。
クマ「何だ…?あの人。時代劇の撮影か?」
カン「コスプレかな? にしても、本物の刀みたいだけど……」
なんと、本来であれば妖怪や悪魔を見ることができないはずの一般の生徒や教師たちにも、その緋色の鎧の男の姿がはっきりと「見えて」いたのだ。
景「どういう事? 本来は妖怪や悪魔って、普通の人間には見ることなんて出来ないんでしょ!?」
混乱する景太の問いに、アラスターは肩を竦めて答えた。
アラ「ええ、基本的には。ですが時々いるんですよ。その強大すぎる存在感や霊格の高さゆえに、特別な力を持たない普通の人間にも『見えてしまう』存在が。彼がその例ですね」
その時、数台のパトカーから防刃ベストに身を包んだ警察官たちが次々と飛び出してきた。
警察1「そこまでだ! 今すぐ武器を捨てて、おとなしく両手を上げなさい!」
警察官の一人が拡声器で青年に警告を発する。しかし、男は一瞥すらくれず、まるで聞こえていないかのように静かに二刀を下段に構えた。
刹那――。
警察官たちと男の間にあった十メートル以上の間合いが、文字通り「消失」した。
シャンッ!
銀色の閃光が朝の空気を切り裂く。
警察官たちが瞬きをする間もなく、目にも止まらぬ神速の一閃が彼らの間をすり抜けた。次の瞬間、警告を発していた警察官を含む数名が、白目を剥いて次々と地面に崩れ落ちた。
「キャアアアアッ!!」
廊下の窓からその光景を見ていた生徒たちから、悲鳴が上がる。
だが、男は倒れた警察官を見下ろし、冷徹な声でぽつりと呟いた。
「安心しな。峰打ちだ」
その後も男の動きは止まらなかった。舞を舞うかのような流麗かつ苛烈な剣戟が、次々と警察官たちを呑み込んでいく。警察側も警棒や盾を構えて応戦しようとするが、男の剣閃は彼らの防御を紙切れのようにすり抜け、抵抗する暇すら与えずに次々と鎮圧していく。
文「ウィスパー! あの悪魔は何!? なんでお巡りさんたちを襲ってるの!?」
恐ろしい光景を前に、文花が慌てて相棒のウィスパーに問い詰める。
ウィスパーは「ひぃぃ!」と震えながらも、こっそりと懐から妖怪パッドを取り出し、激しい勢いでタップし始めた。
だが、当然ながら「妖怪」パッドのデータベースに「悪魔」の情報が載っているはずもない。
ウィス「えー、えー、えーと! 知ってますよ! あれは『時代遅れナルシスト』!……ではなくて、『ギザザムライ』でもなくて……あれ? 検索に引っかからないでうぃす……!」
パニックになるウィスパーの横で、アラスターが冷ややかな笑みを深めながら静かに告げた。
アラ「あれは『軍神ヨシツネ』です」
ウィス「そうそう! 軍神ヨシツネ……って、ヨシツネ……ってあの源義経ェェェ!!?」
ウィスパーは目を限界まで飛び出させ、妖怪パッドを放り投げて驚愕した。
「軍神ヨシツネ」。その名を聞いた途端、ウィスパーの脳内にある偉人データベースが即座に起動した。偉人や歴史上の人物に関してだけは、妖怪パッドに頼らなくても無駄に詳しいのがこの妖怪の特性である。
ウィス「フミちゃん、ケータくん! あれはヤバいでうぃすよ!
源義経といえば、平安時代末期の天才的な戦術家にして、平家を滅亡に追いやった立役者! 『鵯越の逆落とし』や『八艘飛び』といった超人的な伝説を残す、日本史上最強クラスの悲劇の英雄にして武神です! あんなのとまともにやり合ったら、さくらニュータウンごと一刀両断されかねませんでうぃす!!」
泡を飛ばして解説するウィスパーを余所に、アラスターは手にしたマイク型の杖をクルクルと回しながら、優雅にお辞儀をした。
アラ「どうやら私をお呼びのようなので、少々お相手をしてきましょう。……ですが、その前に」
アラスターがマイクの杖を口元に寄せ、杖の先端に禍々しい赤黒い魔力を集中させた。
『ーーーーー!!!』
突如として、校庭のスピーカーや教室の放送設備から、耳を劈くような凄まじい超音波のノイズが爆音で鳴り響いた。
それは人間の脳に直接干渉する、アラスター特製の催眠ノイズ。
「うっ……!」
「ああっ……!」
教室の窓際に群がっていた生徒たち、そして担任の教師がノイズを聞いた瞬間に白目を剥き、バタバタと糸の切れた操り人形のように床に倒れ伏していった。
アラ「これで、彼らの中にある今回の騒動の記憶は綺麗に消去されていることでしょう。私が彼と遊んでいる間に面倒なパニックを起こされても不愉快ですからね」
アラスターが指を鳴らすと、どこからともなく影の使い魔たちが這い出し、気絶した生徒たちを素早く、かつ丁寧に自分の席へと座らせていく。
静まり返った教室に立っていたのは、あらかじめ悪魔の力に適応している景太とピクシー、妖怪ウォッチを持つ文花、ウィスパー。
そして、ノイズに襲われながらも耐えたマオだけであった。
その光景を満足げに眺めた後、アラスターは気絶することなく、ただじっと自分を見つめ返している真生へと視線を向けた。
アラ「ほう……私のノリと魔力を込めたノイズを聞いて立っているとは。流石は閻魔大王の息子といったところですか」
アラスターは「では」と短く告げると、自身の足元に広がる深い闇の中へと、まるで泥沼に沈むようにして音もなく消えていった。
ーーー
気絶した警察官たちが転がる校庭の中央。朝の光に照らされた砂混じりの地面に、突如としてインクを零したような漆黒の染みが急激に広がり始めた。
光を飲み込むその影の沼からアラスターが、まるで舞台のセリ上がりを利用するかのように音もなく姿を現す。
手にした杖を弄りながら、彼の顔にはいつものように耳まで裂けた不気味な笑みが貼り付いている。
その姿を視界に捉えた瞬間、ヨシツネの口角が吊り上がった。
ヨシ「待ってたぜ。ラジオデーモン」
ニッと、血の沸き立つような好戦的な笑みを浮かべるヨシツネ。その全身からは、強者と相対した歓喜と闘争心が陽炎のように立ち昇っている。対するアラスターは、微塵も気圧されることなく軽薄な口調で応じた。
アラ「こんな有名人にも名を知られているとは、人気者は辛いですねぇ」
ヨシ「お前の噂を知ってからどれほど戦いたいと思っていた事か」
アラ「それなら、私が地獄にいた頃にとっとと地獄に来ればよろしかったでしょう?」
首を傾げて皮肉交じりに返すアラスターに対し、ヨシツネは肩をすくめて鼻で笑った。
ヨシ「おいおい。お前が知らないはずないだろ?俺は悪魔は悪魔でも『魔界』の悪魔だ。地獄には行けねえ」
アラ「そうですね。無理な話でした」
悪魔という括りであっても、彼らの属する世界には厳格な法則と境界が存在する。罪人の魂が堕ちる地獄の悪魔と、神々や異形の者たちが覇を競う魔界の悪魔。交わるはずのなかった二つの特異な世界線が、今このさくらニュータウンの小学校という舞台で交錯しようとしていた。
ヨシツネが両手に握った太刀と脇差を構える。右の太刀を上段に、左の脇差を中段に添える独特の二刀流。
それは一切の隙を持たず、長きにわたり幾多の強敵を斬り伏せてきた洗練され尽くした武の結晶である。刃が朝日に妖しく煌めき、周囲の空気がピンと張り詰める。
ヨシ「これ以上の言葉はいらねえだろ?とっとと始めようぜ」
アラ「ええ。早くて助かります」
アラスターがマイクの杖を地面にコンッと突く。
刹那、彼の足元から周囲の空間にかけて、不気味な深緑色の発光現象が巻き起こった。
ジリジリと空気を焼き焦がすようなノイズ音と共に空間そのものに刻み込まれるようにして禍々しいブードゥー教の紋様がいくつも浮かび上がる。ラジオデーモンとしての底知れぬ魔力が校庭の空気を重く制圧していく。
アラ「有名人相手なので思い切り胸を借りますね」
ヨシ「ソイツは有難いね」
互いの瞳が交錯する。悪魔の狂気と武神の殺意がぶつかり合い、世界から一切の音が消え失せたかのような極限の静寂が訪れた。瞬きすら許されない、張り詰めた緊張感。
そして。両者は完全に同時に動いた。
踏み込みの予備動作も、加速の過程すらも存在しない。十メートル以上あったはずの両者の間合いが、一瞬の内に消失した。走る、跳ぶといった物理的な過程すら置き去りにする、まるで映像のコマを強引に切り取って繋ぎ合わせたかのような神速の激突。
鼓膜を破るほどの凄まじい轟音が校庭の中央で炸裂した。
ヨシツネの放った不可視の太刀筋を、アラスターは緑色の魔力を高密度に圧縮したマイクの杖で正面から受け止めている。刃と杖が激突した接点から、凄まじい衝撃波が円形に広がり、周囲の砂埃を天高く巻き上げた。足元の地面が蜘蛛の巣状に深く陥没し、地割れが走る。
ヨシ「ハッ!やるじゃねえか!」
鍔迫り合いの姿勢のままヨシツネは歓喜の声を上げた。その左手に握られた脇差が、死角からアラスターの腹部を抉るように跳ね上がる。神業とも呼べる超至近距離からの連撃。
だが、アラスターはその場から一歩も動くことなく、空いている左手から影の触手を無数に這い出させ、迫る脇差の刃を絡め取って軌道を逸らした。金属が削れ合う甲高い音が鳴り響く。
アラ「ええ、ええ!素晴らしい力だ!ですが、少しばかり単調ですねぇ!」
アラスターの背後から浮かび上がった巨大なブードゥーの紋様が明滅し、緑色の炎を纏った無数の魔弾がヨシツネに向かって全方位から殺到する。
ヨシツネは舌打ちをひとつこぼすと、太刀を大きく振り払って杖との鍔迫り合いを解除し、超人的な身のこなしで後方へと跳躍した。空中で身を翻しながら二刀を振るい、迫り来る魔弾をことごとく一刀両断にしていく。斬り裂かれた魔弾が緑色の火の粉となって虚空に散り、ヨシツネは軽やかに校庭の端へと着地した。
距離が再び開いたのも束の間、ヨシツネは姿勢を極端に低く落とし、獣のような前傾姿勢をとる。
その周囲の空気が、異常な熱を帯びて陽炎のように揺らぎ始めた。剣の神をも斬り伏せる最強の物理アタッカーたる軍神の真骨頂が、今まさに解き放たれようとしていた。
ーーー
気絶した生徒たちがそれぞれの席で突っ伏し、不気味なほどの静寂に包まれた教室。
アラスターが残した言葉とノイズの余韻が漂う中、景太と文花達は、真生の元へと駆け寄った。
景「マオくん!」
マオ「大変な事になったね」
真生は落ち着いたトーンでありながらも、事態の異常性を的確に捉えた声で呟いた。
だが、そんな真生の張り詰めた空気を読まず、ウィスパーがいつものように胸を張って、短い手を腰に当てるような得意げなポーズをとった。
ウィス「いやいや、何をそんなに心配しているんでうぃすか! あのラジオデーモンなら問題ないでしょう? いくら義経だろうとあの悪魔の前では、赤子同然でうぃすよ!」
かつて日本中を震撼させた源義経の威光すら、アラスターの圧倒的な狂気の前では霞むと信じて疑わないウィスパーが楽観的な笑いを漏らした、その瞬間だった。
「ほう。言うではないか」
「「「!?」」」
誰もいないはずの廊下の方角から、深く、そして厳かな第三者の声が響き渡った。
声に驚き、景太たちが廊下へと一斉に振り返る。刹那、誰もいないはずの虚空がグニャリと歪み、悪魔が召喚される時に現れる独特の禍々しい黒い渦が、音もなく廊下の空間を侵食して現れた。
渦の中心から、重々しい足音と共にひとつの影が姿を現す。
それは、日本の山岳信仰を思わせる修験道の装束――山伏の衣を身に纏い、手には立派な法螺貝を構えた男であった。
しかし、その姿は決して人間のそれではない。男の肌は全身が底知れぬ深海のような青色に染め上げられており、背中からは巨大な翼が生え揃っていた。その翼は、外側が肌と同じ深い青色、内側が純白という、神々しくも異形なコントラストを描いている。
男は静かに法螺貝を下ろし、鋭い眼光で景太たちを見据え、威厳に満ちた声で名乗りを上げた。
クラマ「我は『幻魔クラマテング』なり」
その名を聞いた途端、ウィスパーの顔がパッと明るくなった。
ウィス「クラマテング…クラマテング…はいはい知ってますよ。そりゃもう! !」
知ったかぶりを全開にしたウィスパーは誤魔化しながら慌てて懐から妖怪パッドを取り出し、激しい勢いで画面をタップし始めた。
しかし、画面に表示されるのは『検索結果がありません』という無慈悲なエラーメッセージばかり。
相手は妖怪ではなく、魔界から顕現した「幻魔」と呼ばれる悪魔の類であるため、妖怪のデータベースに存在するはずもないのだ。
ウィスパーは滝のような冷や汗を流しながら、パッドを振ったり裏返して叩いたりして必死に検索を続けるが、当然見つけることは出来なかった。
そんなウィスパーの滑稽な姿など一瞥もせず、クラマテングの鋭い眼光は、ただ真っ直ぐにある一点――日影真生へと向けられていた。
クラマ「まさかこの様な人間界の片隅で、閻魔の息子に出くわすとは思っても見なかったぞ」
かつての妖魔界の支配者たる先代閻魔大王の血を引く真生の正体を、クラマテングは一目で見抜いてそう言った。
その言葉に、景太と文花は弾かれたように動いた。ただのクラスメイトとしてだけではなく、世界の均衡を担う重要な存在である真生を守るため、二人は身を挺して真生の前へと進み出る。
景「マオくんには1本たりとも触れさせはしない!」
文「私達が相手になるわ!」
景太と文花は互いに肩を並べ、強い意志を込めた瞳でクラマテングを睨みつけた。景太の悪魔ウォッチと文花の妖怪ウォッチがそれぞれ確かな存在感を放ち、いざとなれば即座に召喚の準備に入る構えを見せている。
しかし、戦意を剥き出しにする景太たちに対し、クラマテングは静かに首を横に振り、翼を小さく畳んだ。
クラマ「勘違いするな。我は無用な殺生は好まん。貴様らの命を奪いに来たわけではない」
クラマテングの視線が真生から外れ、景太と文花の腕に巻かれたそれぞれのウォッチへとピタリと固定される。
クラマ「用があるのは、奇怪なカラクリを携えしソナタ等よ」
自分たちのウォッチを明確に名指しされたことに景太と文花は驚きに目を大きく見開いた。相手の標的は真生ではなく、初めから自分たちだったというのか。
戸惑う二人を前に、クラマテングは背を向け、静かに言い放った。
クラマ「場所を移す。屋上に来い。話はそこからだ」
それだけを言い残すと、クラマテングはふわりと宙に浮き上がり、静まり返った廊下の奥、階段の方角へと向かって音もなく進み始めた。景太と文花は顔を見合わせ、ただならぬ気配を纏う幻魔の背中を追うべく、固い決意と共に屋上へと足を向けるのであった。
ーーー
屋上に続く重い鉄扉を押し開けると、冷たい朝の風が吹き抜けた。景太、文花達は張り詰めた空気の中で屋上へと足を踏み入れた。
眼下の校庭からは、先ほど始まったばかりのラジオデーモンと軍神ヨシツネによる人知を超えた死闘の余波が、断続的な地鳴りとなって響いてくる。しかし、今この屋上には、それとは全く別の質の、重く冷たいプレッシャーが充満していた。
屋上の中央。そこにはクラマテングが音もなく宙に浮遊していた。
景「それで、話って?」
景太が一歩前に踏み出し、警戒を解かないまま問いかける。クラマテングはゆっくりと旋回するように彼らを見下ろし、厳かで深みのある声を響かせた。
クラマ「問おう。そなた等は何故そのカラクリを持つ?」
景&文「「!」」
クラマテングの鋭い眼光は、景太の左腕にある漆黒の悪魔ウォッチと、文花の右腕にある純白の妖怪ウォッチを正確に射抜いていた。二人は自分たちの腕にある決意の証を隠すことなく、幻魔の視線を真っ直ぐに受け止める。
クラマ「何のために異形を従わせてる?」
静かだが、魂の底まで見透かすような重い問い。その言葉に対し、二人は迷うことなく口を開いた。
文「私達は妖怪と悪魔、そして人間が共に歩める未来を見つけ、作る事を目指してるの」
文花の言葉には一切の淀みがなかった。種族の垣根を超え、時に傷つきながらも必死に探し求めてきた共存への道。その揺るぎない覚悟が声に宿る。
景「それに俺達は従わせてるんじゃない。みんな大事な友達だ!」
景太もまた、力強く言い放った。主従関係ではなく、対等な絆。共に笑い、共に戦ってきた異形の者たちは、彼にとってかけがえのない友である。
しかし、クラマテングは微動だにせず、ただ氷のように冷たい眼光で景太たちを見下ろしたまま、その言葉を聞き流した。そして、召喚者という存在が抱える最も残酷な矛盾を突きつけてきた。
クラマ「友達?代わりに戦わせ、遠くから見てるだけというのに、それでもまだ言えるか?」
その言葉は、鋭い刃となって景太と文花の胸に突き刺さった。
召喚者である彼ら自身は特殊な力を持たないただの小学生に過ぎない。
強大な敵と対峙した時、矢面に立ち、血を流し、痛みに耐えるのはいつも呼び出された妖怪や悪魔たちだ。
自分たちはウォッチの力で彼らを呼び出し、安全な後方から指示を出しているだけではないのか。その残酷な事実を容赦なくえぐり出され、隣に浮遊していたウィスパーすらも息を呑んで言葉を失った。
だが、景太と文花は引かなかった。
確かに自分たちは無力かもしれない。それでも、彼らと交わした言葉、分かち合った痛み、そして背中を預け合った絆は本物だ。後ろめたさに押しつぶされるような安易な覚悟でこのウォッチを身につけているわけではない。二人は一歩も後ろへ退かず、強い意志を宿した瞳でクラマテングを睨み返した。
その揺るぎない眼差しを見たクラマテングの瞳の奥で、わずかに光が瞬いた。
クラマ「違うというのならば証明してみせよ」
バサァッ!と巨大な翼が力強く羽ばたき、屋上に暴風が吹き荒れる。クラマテングは手にした法螺貝を腰に下げ、代わりに修験者が持つ錫杖を虚空から引き抜いた。
先ほどの静けさとは打って変わり、幻魔の全身から嵐のような凄まじい闘気が膨れ上がり始める。青き翼が大きく広げられ、周囲の空気がビリビリと震え出した。
眼下の校庭で繰り広げられるアラスター対ヨシツネの死闘。
そして今、空に一番近いこの場所で、己の信念と絆の在り方を懸けた景太たち対クラマテングの戦いが、その火蓋を切ろうとしていた。
ーーー
轟音と土煙が舞う校庭の中央。
視界を遮るほどの粉塵の中にあって、アラスターは涼しい顔で周囲の状況を完全に掌握していた。
魔界での過酷な鍛錬の末に獲得した新たな力、「超聴覚」と「反響マップ」。彼の耳には、数十メートル離れたヨシツネの甲冑が擦れる微かな音、力強く波打つ脈拍、そして筋肉が収縮する際の軋みすらも、まるで耳元で鳴っているかのように鮮明に聞こえていた。相手の呼吸音から心理状態を読み取るアラスターの前に、奇襲やフェイントといった一切の誤魔化しは通用しない。
アラ「さあ、エンターテインメントの続きと参りましょう!」
アラスターが愛用のマイク杖を振るうと、空中に赤く発光するブードゥー教の紋様が無数に展開された。そこから撃ち出されたのは、燃え盛る巨大な火の玉の群れである。パイロキネシスによって生み出された灼熱の弾幕が、校庭の砂をガラス状に焦がしながらヨシツネへと殺到する。
同時に、アラスターは自身の影を周囲に広く展開させた。ドロドロと波打つ漆黒の沼から、不気味な笑い声を上げる小さな使い魔たちが次々と這い出し、四つん這いでヨシツネの死角へと駆け出していく。
だが、軍神の異名は伊達ではなかった。
アラ「ハッ! 派手な花火だ!」
ヨシツネは二刀を構えたまま地を蹴り、恐るべき速度で火の玉の雨を縫うように疾走した。迫り来る炎を太刀の風圧だけで吹き飛ばし、足元に群がってきた影の使い魔たちを脇差の神速の連撃で瞬く間に塵へと還していく。
そのまま一気に間合いを詰めたヨシツネが、アラスターの首筋を狙って太刀を横薙ぎに一閃する。
しかし、刃がアラスターの首を刎ね飛ばす直前。
アラスターの首が、人間にはおよそ不可能な角度――真後ろへと360度回転し、物理法則を無視した動きで凶刃を回避した。そして、彼の赤い瞳がラジオのVUメーターのように不気味に明滅する。
アラ「おっと、危ないですねぇ!」
アラスターが空いた左手の指を鳴らした瞬間、彼とヨシツネの間に圧縮された「音の壁」が出現した。
ヨシツネの追撃の脇差がその見えない壁に激突し、金属同士がぶつかり合うような甲高い反響音が校庭に響き渡る。音波を物理的な防壁として展開する、アラスターの新たな防御手段であった。
剣を弾かれたヨシツネが僅かに体勢を崩した隙を逃さず、アラスターはマイクの杖をスピーカーのようにヨシツネへと突きつける。
アラ「少し、耳障りかもしれませんよ?」
杖の先端から、空気を歪ませるほどの強烈なラジオノイズと超音波が指向性を持って放たれた。それは鼓膜を直接破壊し、脳を揺らす不可視の暴力。
さらにアラスターの足元の影から無数の漆黒の触手が飛び出し、音波攻撃で動きが鈍ったヨシツネの手足を拘束しようと襲い掛かる。
だが、ヨシツネは苦悶の表情を見せるどころか、さらに獰猛な笑みを浮かべた。
凄まじい脚力で地面を陥没させながら強引に後方へと跳躍し、絡みつこうとする影の触手を空中で全て斬り払う。そのまま空を舞うように着地したヨシツネは、二刀を構え直して息を吐いた。
これほどまでに多彩で変幻自在な魔法、影の操作、そして見えない音波の攻防。
息もつかせぬ猛攻を繰り出したアラスターであったが、ヨシツネはそれらをすべて凌ぎきり、依然として無傷のまま彼と互角に立ち回っていた。
ヨシツネは太刀の峰を肩にトントンと当てながら、愉快そうに口を開いた。
ヨシ「想像以上だな!もしかして、特訓したか?」
その問いに対し、アラスターは影の触手を収め、空中にふわりと浮遊したまま、いつものように耳まで裂けた笑みを深めた。
アラ「はい。汗を流すのも意外と気持ちいものですよ」
ヨシ「良いねぇ。そう来なくっちゃな!!」
ヨシツネの咆哮と共に、緋色の甲冑から凄まじい衝撃波が放たれた。
今までの打ち合いが単なる準備体操であったかのように、軍神の瞳に本気の殺意と戦意が宿る。アラスターもまた、マイクの杖を両手で握り直し、周囲の空間にバチバチと赤黒い静電気とノイズを走らせた。
ーーー
屋上から響いてくる凄まじい爆発音と、空気を震わせる巨大なエネルギーの衝突。その余波は、眼下の校庭で対峙する二人の悪魔にも確実に届いていた。
ヨシ「どうやらお師匠さん所もおっぱじめたようだ。
……そんじゃ、こっちもギア上げるぜ」
その宣言と共に、ヨシツネの全身から立ち昇る闘気が一段と濃密な緋色へと染まり上がる。
次の瞬間、ヨシツネの姿がブレたかと思うと、完全に視界から消失した。
ー速い。先ほどの神速すらも凌駕する、まさに次元を超越した踏み込み。
突風が校庭の砂を巻き上げるよりも早く、アラスターの前後左右から、嵐のような斬撃が殺到した。
だが、アラスターの「超聴覚」は、音速を超えて迫る刃の風切り音さえも正確に捉えていた。アラスターは不気味な笑みを顔に張り付けたまま、手にしたマイクの杖をバトンのように高速回転させる。
ガキンッ!キィィィン!!ギャキィィッ!!!
火花が乱れ散る。何重にも重なり合う凄まじい剣戟の嵐を、アラスターは杖の先端で正確に受け切り、あるいは最小限の動きで軌道を逸らして受け流していく。
しかし、相手は剣の神と謳われる天才戦術家。手数の多さと変幻自在の太刀筋は、次第にアラスターの防御の隙を抉り始めた。
流れるような連撃の中から、ヨシツネの左手に握られた脇差が鋭く翻る。それは装甲の隙間を的確に貫く、必殺の『鎧通し』の軌道。
刹那、ヨシツネの凶刃がアラスターの横腹を完全に捉えた。
ヨシ「もらった!」
ヨシツネの口角が吊り上がり、必殺の一撃がアラスターの肉体を両断する…はずだった!
ガキンッ!
ヨシ「!?」
刃が肉を裂く感触の代わりに響いたのは、硬質な見えない壁に激突したような異音だった。
ヨシツネの脇差は、アラスターの衣服に触れる数ミリ手前で、まるで強靭なゴムに弾き返されるようにピタリと止められていたのだ。刃の接点から、波紋のような音波の揺らぎが空中に広がっていく。
ヨシツネは目を見開き、即座に身を翻して後方へと跳躍した。
ヨシ「音の鎧か。やるな」
直撃を免れたアラスターは、自身の周囲を取り巻く高密度の音波の層をマイクでトントンと叩きながら、優雅にお辞儀をした。
アラ「お褒めどうも。命名するなら単調に『ノイズアーマー』とでも名付けましょうかね」
特訓の末に会得した、音波を物理的な防壁として纏う絶対防御。
しかし、ヨシツネの規格外の一撃を受けたノイズアーマーの一部には、ガラスに入ったような細かなヒビが走っていた。高い防御力を誇るものの、何度もこのレベルのダメージを受ければいずれ相殺しきれずに消滅してしまう。
アラ「さて、防戦ばかりではエンターテイナーとして失格です。今度は私からお返しと参りましょう!」
アラスターが杖を地面に突き立て、その場から一歩も動かずに全身の魔力を解放した。
アラ「ノイズボム!!」
ドンッ!!という腹の底に響くような爆音と共に、アラスターを中心に全方位へ向けて超強力な音波の衝撃波が炸裂した。自身は動けなくなるという代償の代わりに放たれるこの広範囲攻撃は、校庭の砂を抉り飛ばしながら大津波のように周囲を飲み込む。
ヨシ「チッ……!」
その衝撃波を浴びたヨシツネは、二刀を盾にして防御姿勢をとるものの、凄まじい反発力によって後方へと大きく吹き飛ばされた。
空中で体勢を立て直そうとするヨシツネ。その隙を、アラスターは見逃さなかった。
アラ「ノイズショット!」
アラスターが耳まで裂けた口を大きく開くと、その口腔から広範囲に広がる超音波の波動が放たれた。飛距離こそ短いものの、逃げ場を塞ぐように扇状に広がる音の網がヨシツネを飲み込もうとする。
だが、ヨシツネは空中で強引に体を捻り、太刀の風圧で超音波の網を切り裂いて地面へと着地した。
アラ「まだまだ! ショーはここからが本番ですよ!!」
着地したヨシツネに対し、アラスターの追撃が牙を剥く。
彼は大きく見開いた口元に肺に溜め込んだ莫大な魔力と空気を極限まで圧縮した。
アラ「ノイズガトリング!!」
ダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!!
アラスターの口から、可視化されたリング状の音波弾がマシンガンのごとく連続で撃ち出された。
一発一発の威力はノイズショットやノイズボムに劣るものの、その真髄は圧倒的な「手数の多さ」と「連射速度」にある。空気を切り裂く音の弾幕が、校庭の地面を次々と爆砕しながらヨシツネへと迫る。
ヨシ「ハハハッ! 最高の弾幕じゃねえか!!」
迫り来る死の暴風雨を前にして、ヨシツネは歓喜の声を上げた。
彼は姿勢を極端に低く落とし、八艘飛びの伝説を彷彿とさせる超人的な身のこなしで地を蹴った。
ダダダダンッ!!と音波弾が着弾する直前、ヨシツネの姿はすでにそこにはない。
彼は右へ、左へ、あるいは空高く跳躍し、放たれるノイズガトリングの弾幕を紙一重で避け続けていく。音の連弾が掠めた甲冑から火花が散り、足元の地面が蜂の巣のように抉り取られていくが、ヨシツネの動きは全く落ちない。
ノイズガトリングの弾幕を紙一重で躱し続けていたヨシツネが、ふいにその機動を大きく変えた。砕け散るコンクリートの破片を強く蹴り上げ、空高くへと跳躍する。
ヨシ「鎧通し!」
空中に舞い上がったヨシツネは、その勢いを殺すことなく、自らの身体を独楽のように激しく捻った。跳躍による上空からの落下エネルギーと、身体の捻りから生み出される強烈な回転の遠心力。その二つの力を両手に握る太刀と脇差に極限まで乗せ、暴風のような二刀流の剣戟を一点に集中させて振り下ろす。
狙うはアラスターを覆う音波の絶対防壁、ノイズアーマーである。
ギガァァァンッ!!
鼓膜を破るほどの凄まじい激突音が校庭に響き渡る。本来であれば物理的な斬撃を弾き返すはずのノイズアーマーだったが、この一撃はただの力任せの攻撃ではない。対象の防御力を強制的に一段階低下させる、装甲粉砕に特化した「鎧通し」の絶技である。
その特殊な効果は劇的だった。斬撃を受けた結界の表面から不協和音が鳴り響き、アラスターを強固に守護していたノイズアーマーの層が、みるみるうちに薄く、脆く変質していく。
アラ「おや、これは……少々風通しが良くなりすぎましたね」
防御を削り取られたアラスターであったが、その顔に焦りの色は見えない。余裕の笑みを顔に貼り付けたまま、彼は杖ではなく自身の口腔から直接放つ、音技の基盤にして最もバランスの取れた主力技の態勢に入った。
アラ「ノイズガン!」
アラスターが口を開いた瞬間、極限まで圧縮された高密度の「音の弾丸」が発射された。
音波そのものを物理的な質量を持った弾丸として撃ち出すこの技は、消費魔力も少なく、威力と連射性のバランスに優れた実用的な一撃である。
現在彼が有する技の中で唯一「音を弾丸として撃ち出せる」その凶弾が、大気を一直線に撃ち抜き、落下してくるヨシツネの眉間へと迫る。
だが、軍神はそれを迎撃するどころか、さらに獰猛な笑みを浮かべて空中で二刀を構え直した。
ヨシ「八艘飛び!!」
刹那、空中にいたはずのヨシツネの姿が八つにブレた。
伝説の名を冠する軍神の専用スキル。それは、敵の急所を的確に穿ち、放たれる全ての斬撃が必ず「クリティカルヒット」となる、回避不能の八連続神速攻撃である。
一撃目が、迫り来るノイズガンの音弾を真っ向から両断してかき消す。
二撃目、三撃目が、薄くなっていたノイズアーマーの表面に深い亀裂を走らせる。
四、五、六、七撃目――瞬きすら許されない速度で繰り出される閃刃の連撃が、防御の臨界点を軽々と突破していく。上下左右、あらゆる死角から急所のみを狙い澄ました会心の剣戟が、嵐のように炸裂した。
そして、トドメの八撃目。
バリーン!
空気を切り裂くような甲高い破砕音と共に、アラスターの身体を覆っていたノイズアーマーが、まるで飴ガラスのように粉々に砕け散った。
絶対の防御を完全に剥がされたところに、必殺のクリティカルの斬撃が容赦なくアラスターの赤いスーツと肉体を深く切り裂く。
アラ「グッ……!」
これまでの余裕に満ちた態度から一転、アラスターの口から初めて苦悶の呻きが漏れた。胸元から悪魔の証である黒い血を散らしながら、その細身の体は後方へと激しく弾き飛ばされ、土煙を上げて校庭の地面を転がっていった。
八艘飛びの無慈悲な連撃を浴び、土煙を上げて校庭の地面を転がったアラスター。その隙を、百戦錬磨の軍神が見逃すはずもなかった。
神速の踏み込みで再び間合いをゼロにし、ヨシツネが両手の刀を交差させてトドメの追撃を仕掛けようとしたその時である。
ブオ…ッ!
ヨシ「ッ!?」
突如として、倒れ伏していたアラスターの肉体を中心にして、空間そのものが不気味に歪んだ。直後、けたたましいハウリング音と共に、周囲の光を全て飲み込むようなドス黒いオーラが間欠泉のごとく噴き出した。
その尋常ではない魔力の奔流に、さしものヨシツネも防御姿勢をとらざるを得ず、凄まじい反発力によって数十メートル後方へと吹き飛ばされた。甲冑の踵で地面を深く削りながら、ヨシツネはどうにか体勢を立て直す。
土煙と黒いオーラが渦巻く中から、切り裂かれた赤いスーツの隙間を撫でるように擦りながら、アラスターがゆっくりと立ち上がった。
アラ「ヌフフフ…」
鼓膜の奥を直接引っ掻くような、ノイズ混じりの低い笑い声。
刹那、アラスターの身体がミシミシ、メキメキと骨と肉が軋む悍ましい音を立てながら、急激に巨大化を始めたのだ。
大人の雄鹿すらも凌駕する巨大で鋭利な角。異様なほどに伸び、増えた首と関節、限界まで裂けた口からは、赤い血ではなく、底なしの沼のようにドロドロとした黒い液体が滝のように溢れ出し、顎を伝って地面を溶かしていく。
その双眸は白目と黒目が反転したかのような瞳の中に、ラジオの「VUメーター」の針が現れ、激しいノイズに合わせて狂ったように左右へ振り切れている。
完全なる悪魔の真の姿を現したアラスターが、見下ろすような高さからノイズの混じった極低温の声を落とした。
アラ「大事な服を傷つけた罪は、大きいですよ」
ヨシ(魔力が上がった…! こっからが本番か)ニヤ
巨大化し、威圧感も魔力量も先ほどまでとは桁違いに跳ね上がったアラスターを見上げながら、ヨシツネは恐怖するどころか、さらに深く獰猛な笑みを浮かべた。武者の血が、最高潮に沸き立っていた。
アラ「さあ、罰を始めましょう!」
アラスターが関節の増えた異形の剛腕を高く振り上げ、ヨシツネを押し潰さんとばかりに力任せに振り下ろした。
ヨシツネは雷光のような反射神経で地を蹴り、叩きつけられる巨拳を紙一重で躱す。
ズドーン!!
拳が校庭の地面に激突した瞬間、地殻変動を思わせる轟音と共に巨大なクレーターが穿たれた。だが、恐るべきはその直後である。ただの物理的な破壊にとどまらず、アラスターの肉体から放たれる莫大な「音」と「風圧」が圧縮された超音波の衝撃波となって周囲を薙ぎ払ったのだ。
ヨシ「あっぶね〜…」
回避したはずのヨシツネの身体が、暴風と衝撃波の余波だけで木の葉のように吹き飛ばされかける。
だが、巨大化したアラスターの猛攻は止まらない。彼は巨体を揺らしながら、再び魔力を全方位へと解放した。
アラスターの『ノイズボム』が発動したのだ。
巨大化したことで、放たれる音波の衝撃波は先ほどとは比べ物にならないほどの圧倒的な範囲と威力を誇っていた。校庭の砂利やアスファルトが重力に逆らうように宙へ浮き上がり、次々と粉砕されていく。ドーム状に広がる破壊の音波から逃れるため、ヨシツネは八艘飛びの応用で空中をジグザグに蹴り渡り、必死に安全圏へと退避する。
そのヨシツネの機動をVUメーターの瞳で追っていたアラスターの口元に、バチバチと赤黒い稲妻のような魔力が収束し始めた。大量の空気を吸い込み、空間のすべての音を喰らい尽くすかのような異様な静寂が数秒だけ訪れる。
アラ「ノイズキャノン」
ズドーン!!
アラスターの裂けた口から、極太の「音の光線」が発射された。
連射が効かない代わりに、単発としての威力と射程距離にすべてを注ぎ込んだ最大火力の音波砲。空気を歪め、周囲の景色をぐにゃりと曲げながら、巨大なレーザーのごとく一直線にヨシツネへと襲い掛かる。
回避の限界を超えた速度と範囲。ヨシツネは咄嗟に二刀を交差させて防御姿勢をとるが、光線が直撃した瞬間――。
スドーン!!
さくらニュータウンの空を覆い尽くすほどの大爆発が巻き起こった。
凄まじい閃光と爆音、そして天高く立ち昇るキノコ雲のような土煙。校庭の半分以上が跡形もなく消し飛び、周囲の木々は衝撃波で根こそぎ薙ぎ倒された。
やがて、濛々と立ち込める煙が風に流されていく。
そこには、深く抉れた大地の中で、全身の甲冑をボロボロにしながらも二刀を地に突き立て、どうにか立っているヨシツネの姿があった。
致命傷を避けきったヨシツネは、口元から一筋の血を流しながら、天を衝く異形のアラスターを見上げて不敵に笑い放った。
ヨシ「ハッ! 怪獣映画だな。賞取れるぜ」
濛々と立ち込める土煙の中、絶体絶命の窮地を凌ぎ切ったヨシツネは、血の滲む口元を歪めて凶暴な笑みを浮かべた。
ヨシ「だが、『デカい』イコール『つよい』わけじゃねえんだぜ!!」
咆哮と共に、ヨシツネは抉れた大地を爆発的な脚力で蹴り上げた。
巨大化し、威圧感を増したアラスターの巨体を凌駕するほどの高みへと一気に跳躍する。朝の光を浴び、両手に掲げられた太刀と脇差がギラリと致命の輝きを放った。
ヨシ「全力の…『八艘飛び』!!!」
それは、先ほど防壁を粉砕した一撃すらも上回る、軍神の本気にして全力の絶技。
空中に滞空するヨシツネの姿がブレたかと思うと、物理法則を完全に無視した超次元の斬撃の嵐が、巨大なアラスターの肉体へと殺到した。
ズバァァァァァンッ!!
桁違いの速度と威力を伴った神速の連撃。一つ一つの太刀筋がすべて急所を的確に抉る「クリティカル」の閃刃となり、アラスターの巨躯を容赦なく切り刻んでいく。
八連撃、いや、その常軌を逸した剣速は、もはや何度も、何度も、何度も、無数の斬撃の雨となってアラスターに降り注いでいるようにすら見えた。異形と化したアラスターの長い首、増えた関節、強靭な肉体から、黒い泥のような血液が四方八方へと噴き出す。
圧倒的な手応えを感じ取ったヨシツネは、空中で身を翻して軽やかに着地し、二刀を肩に担ぎながら快哉を叫んだ。
ヨシ「ハッハァ!どうだラジオデーモン!」
全身を深々と斬り裂かれたアラスターの巨体が、グラリ、と大きく揺れる。
勝負あったか。そう思われた次の瞬間。
アラ「……ヌフフフフフ」
ヨシツネは背筋に氷を押し当てられたような悪寒を覚えた。
揺らぐ巨躯を支えながら、アラスターの裂けた口元は苦悶に歪むどころか、さらに三日月型に吊り上がっていたのだ。VUメーターの瞳が、狂喜に満ちた激しいノイズを刻んでいる。
その不気味な笑みの真意を測りかねた刹那、ヨシツネは頭上に強烈な違和感を覚え、咄嗟に空を見上げた。
ヨシ「なっ……!?」
遥か上空。そこに、巨大な透明の球体が浮かんでいた。
球体の内部では、高密度の「音の塊」が凄まじい勢いで乱反射し、反響を繰り返している。密閉された空間内で音がぶつかり合うたびに、その速度と破壊力は指数関数的に増幅され、今や球体そのものが弾け飛ばんばかりの臨界点に達していた。
ヨシ(あの時の『ノイズボム』か……!)
ヨシツネは悟った。先ほど、アラスターが巨大化の直後に放った広範囲の衝撃波。あの時、爆発の余波に紛れさせて、上空へ密かにこの音の爆弾を打ち込み、時間をかけて威力を育てていたのだ。
直感的に死の危険を察知したヨシツネは、即座にこの場から離脱しようと脚に力を込めた。しかし。
ヨシ「ッ!?」
体が、動かない!
筋力やスタミナが尽きたわけではない。空間に満ちる不可視の「音波の振動」がヨシツネの三半規管と神経を直接揺さぶり、筋肉の収縮を強制的に麻痺させていたのだ。足を一歩踏み出すことすら許されない絶対の拘束。
身動きが取れなくなったヨシツネを見下ろし、アラスターが関節の多い巨大な両腕を高く振り上げた。
アラ「打ち上がれ」
ドンッ!!!と、アラスターの剛腕が容赦なく地面を叩き割る。
大地を伝播した凄まじい振動と風圧が、ヨシツネの足元から爆発的に噴き上がった。
ヨシ「うおっ!?」
為す術もなく、ヨシツネの身体がトランポリンで弾かれたように上空へと高く吹き飛ばされる。向かう先は、今まさに臨界点を迎えた、頭上の破壊の球体。
空中で完全に無防備となったヨシツネに向け、アラスターがとどめの宣告を下した。
アラ「Rainy noiz!!!」
アラスターの号令と共に、上空の球体が破裂した。
内部で極限まで反響・増幅されていた音の塊が、何千、何万という「超高周波の刃」となって解放される。それはまさに、天から降り注ぐ死の豪雨。
ヨシ「ガアアァァァァッ!!」
上空へと打ち上げられていたヨシツネは、逃げ場のない空中で、増幅され尽くした超高周波の刃の豪雨を至近距離から諸に浴びた。
緋色の甲冑が紙切れのように切り裂かれ、強靭な武神の肉体が無数の音の刃によって容赦なく穿たれていく。空を覆うほどの巨大な破壊の嵐が、校庭の残骸すらも塵に変えて吹き荒れた。
やがて、凄まじい音波の豪雨が降り止み、濛々と立ち込めていた土煙が風に流されて晴れていく。
ドサ…。
ズタズタに抉れた地面の上に、重々しい音を立ててヨシツネの体が落下した。
自慢の太刀と脇差は手から離れ、緋色の鎧は見る影もなく砕け散っている。ピクリとも動かないその姿からは、彼が完全に戦闘不能に陥っていることが一目でわかった。
しかし、通常であれば敗北した悪魔は、その存在を維持できずに霧散し、魔界へと強制送還されて消滅するはずである。だが、ヨシツネは深い傷を負いながらも、未だ確固たる実体を保ち、この世界に留まり続けていた。限界を超えたダメージを受けてなお消滅を拒絶する、軍神としての意地と底なしの生命力。
元の細身のスーツ姿へと戻ったアラスターが、静かに歩み寄り、地に伏すヨシツネを見下ろした。その顔には、狂気的な笑みではなく、純粋な感嘆の念が浮かんでいる。
アラ「……やはり、並の悪魔とは一線を画しますね。実にタフでいらっしゃる」
激闘の熱が冷めやらぬ校庭に、ラジオデーモンの静かな呟きだけがノイズのように響いていた。
アラ「そろそろあちらも終わる頃でしょうか?」
アラスターは今頃、戦闘を繰り広げてるであろう学校の屋上を見つめた。
きょうの悪魔大辞典
アラ「ケータくん。今日の悪魔は?」
景「『地霊スダマ』」
アラ「スダマは日本の伝承にて語られる山水木石の霊。長い年月を経た巨木や巨岩に宿るといいます」
アラ「邪悪ではありませんが山野の監視者としての属性があるため、 人や怪異の姿を借りて現れ、警告を与えることがあるそうですよ」
景太達はある大木を見つめる。そこはアラスターと初めて出会ったガシャガシャのおおもり山の奥の御神木だった。
景「この木にもいるのかな?」
アラ「いますよ。十中八九ね」
大木の葉は風でサワ…と揺らいでいた。