夜のとばりが降りたさくらニュータウン。静まり返った天野家の自室には、張り詰めたような、しかしどこか脱力した空気が漂っていた。
運動会という名の地獄の修羅場を生き抜き、帰宅するや否や、天野景太は母からの容赦ないお説教の嵐に晒された。数々の過激な約束や公衆の面前での暴走劇についてこってりとしぼられた直後、今はつかの間の「休憩時間」である。
自室の机に突っ伏したまま、景太は深い、深い溜息を吐き出した。
景「はぁ……終わった……いや……むしろ、これからが本番なんだ……
今のうちにスケジュールを作らないと…」
ぐったりと萎びた景太の机の上には、ノートと鉛筆のほかに、全校女子たちと交わしてしまった大量の「約束リスト」が広げられている。
「お泊りデート」、「なめ吉巡り」、「読書デート」、「生き物探し」――小学生のスケジュール帳とは思えないほどハードルの高い予定が並び、景太の頭を激しく悩ませていた。
宙にふわりと浮いていたピクシーは、そんな景太の姿を面白そうに見下ろしながら、クスリと笑った。
ピク「まったく、こってり絞られた直後だっていうのに、休む間もなく女子たちのスケジュール調整とはね。相変わらず律儀というか、なんというか……」
景「だって、約束しちゃったからにはさ……放っておくわけにいかないだろ。ちゃんと全員分の計画を立てて、誠実に対応しないと……」
ピク「まあ、素直に彼女たちの為に計画を立てようとするところが、アンタのいい所でもあり、一番面倒な所よね。
ま、デートのときはアタシたちもしっかりサポートしてあげるし、何よりあの鹿の結んだ契約もあるんだから、致命的な失敗はしないとは思うけどさ。気負いすぎないで頑張りなさいよ」
ピクシーの言葉に、景太は少しだけ肩の力を抜いた。
しかし、ふと部屋の空気がいつもと違うことに気づき、首をかしげる。
景「そういえば……アラスターは? 運動会の後から全然姿を見かけないけど」
ピク「さぁ? あの不気味な笑みを浮かべたまま、夕方にはどこかへ出掛けたきり、まだ戻ってきてないわよ。きっと、またどこかで人間のドタバタ劇を高見の見物でもしてんじゃない?」
すると…。
景母「ケータ!そろそろ再開するわよ!!」
景太の母の一声に景太はビクッと身体を震わすとトボトボと親のいるリビングへと向かっていった。
ピク「いってらっしゃ〜い。こりゃ、まだ続きそうね」
ピクシーが肩をすくめたその頃――。
ーーー
場所は変わって、人目のない静まり返った夜の路地裏。
暗がりの中に佇む影が一つ。
赤く光る瞳を揺らめかせ、いつも紳士的な笑みを絶やさないラジオデーモン・アラスターの姿があった。
だが、今の彼の顔に、いつもの余裕の笑みは一切なかった。
アラ「……クソッ……!!」
ドォンッ!! と、乾いた激しい音が夜の路地裏に響き渡る。
アラスターが繰り出した拳は、路地裏の固いレンガの壁を打ち砕き、周囲の空間を微かに歪ませていた。彼の顔面は激しい怒りと屈辱で引きつり、歪みきっていた。
理由――それは、彼にとって耐えがたい「想定外の敗北」にあった。
アラスターの結んだ契約は、絶対にして完璧だ。完璧だったはずなのだ。
悪魔の魔術によって縛られた者に対し、外部からの精神的干渉や、分不相応な外的要因――すなわち「妖怪の取り憑き」など本来であれば良いも悪くもすべて根こそぎ跳ね除け、無効化するはずだった。
あの気まぐれな悪魔の定めたルールにおいて、イレギュラーなど許されるはずがなかったのだ。
それにもかかわらず、あの運動会の最中、あの少年の背後には妖怪たちが次々と取り憑き、あろうことか三体もの熱血の獅子の力が融合し、彼の計算を完全に踏み越えて見せた。
アラスターにとって、それは完全なる敗北であり、決して許しがたい屈辱だった。自分の完璧な魔術の領域に、泥足で踏み荒らされたようなものだ。
アラ「……幸いにも、あの餓鬼との契約そのものはまだ切れていません。ですが……
認めましょう今回ばかりは、私の完璧主義に大きな泥を塗られた形です。私の完敗だと!」
自嘲気味に吐き捨てた後、アラスターは不気味に目を細め、その唇を狂気に満ちた笑みへと変えていった。
悔しい。だが、それ以上に彼のなかで闘志と「面白がりたい」という歪んだ好奇心がスパークしていた。人間たちが織りなす予測不能な感情のエネルギー、そして彼の魔術をすら突破する奇跡の熱量。
アラスターはバキバキと音を立てる自分の指を握り締め、暗闇の中で宣言するように声を低く響かせた。
アラ「契約の網目をすり抜けるというのなら、もっとより強固に、より絶対的なものへとアップデートして見せましょう。これからは自動であらゆる取り憑きや干渉を根こそぎ弾き返す、完璧なシステムを構築してやりますよ……!」
アラ「俺をここまで本気にさせたんだ……。せいぜい覚悟していろよ……ニャハハハハハハハハッ!!!」
夜の闇を切り裂くような、ぞっとするほど楽しげで、そして底知れぬ執念を秘めた笑い声が、路地裏の壁を伝ってどこまでも木霊していったのだった。
きょうの悪魔大辞典
ピク「えっと…今日はアタシしかいないけど伝言預かってるから」
ピク「えっと?アラスターは「新たな力を得に修行する」で?
景太は「彼女達の為に準備で忙しい」?らしいわよ」
ピク「と言うわけで今回の悪魔大辞典は無し。次の話を待ってなさい。
そんじゃあね」