カレンダーのページがめくられ、ついに「8月」が始まった。
それは子供たちにとっての黄金時代であり夏休みという名の物語が本番を迎える合図だ。
外はジリジリと肌を焼くような直射日光が降り注ぎ、街全体が陽炎に揺れている。蝉の声はもはや騒音に近いほどの勢いで響き渡り、本来なら虫捕り網を持って山へ駆け出すか、水着を掴んで海へ飛び出すのがこの時期の正解だ。
しかしー。
天野家の二階、景太の部屋では。
景「……」
ピコピコ、ピコピコ…。
景太は冷房の効いた部屋で、お腹を出して床に寝そべりながら、携帯ゲーム機の画面に没頭していた。その姿には、夏休みの躍動感など微塵も感じられない。
アラ「だらけてますねぇ……! ケータくん、見てください、外はこんなに素晴らしい晴天ですよ! まさに娯楽日和、「夏休みの宿題」という強敵を片付けた今、「外に出ない」という選択肢は大外れですよ!」
アラスターは窓辺でカーテンを少し開け眩しそうに太陽を仰ぎながら、大仰な身振りでケータを急かした。
景「……仕方ないでしょ? まだ『あれ』の噂が残ってるんだから」
景太はゲームの手を止めずに、溜息混じりに答えた。
先日、コンビニの前で起きた「超能力少年(に見える)スイーツ消失事件」。あのニュースのインパクトは凄まじく、ワイドショーの熱が少し冷めたとはいえ、近所のオバサンたちの間ではまだ「天野くん家のケータくん、実は凄いのよ」というヒソヒソ話が続いているのだ。
今、下手に外で遊び回れば、また「超能力でセミを捕まえた」だの何だのと尾ひれがついて広まりかねない。だからこそ、今は自室で「ステルス・バケーション」を決め込むしかなかった。
ピク「『人の噂も七十五日』って言うしね。あと二ヶ月くらいは引きこもってなきゃダメなんじゃない?」
ピクシーが天井付近を漂いながら、ニシシと意地悪く笑う。
景「二ヶ月も!? 夏休み終わっちゃうよ……怖いこと言わないでよ……」
景太がガックリと肩を落とした、その時だった。
「――ごめんください」
突然、窓の外から凛とした、しかしどこか聞き慣れない声が響いた。
景太が弾かれたように顔を上げると、そこには窓枠に腰を下ろしている「招かれざる客」がいた。
それは、二足歩行をする一匹の猫だった。
鮮やかな赤いテンガロンハットを深く被り、背中には使い古されたマントを羽織っている。足元には立派な革の長ぐつ。腰には鋭く輝くサーベルを携え、その立ち姿はどこか高貴な騎士を思わせる。
景「……長ぐつをはいた猫?」
アラ「似てはいますが、あれは『魔獣ケットシー』ですね。珍しい客人が来たものです」
ケット「お騒がせしております。……宜しければ、中に?」
景「あ、うん、今窓を開けるよ!」
ケータが立ち上がろうとしたが、ケットシーはそれを手で制した。
ケット「いえ、大丈夫です。お気遣いなく」
ケットシーが指を鳴らすと彼の足元にドロリとした黒い影の渦が現れた。彼がその中にふわりと沈み込んだかと思うと、次の瞬間、ケータの部屋の真ん中に同じ渦が開き、そこからケットシーが音もなく姿を現した。
アラ「……さて。それで、私共に何のご用で?」
アラスターが赤い瞳を細め、ラジオのノイズを僅かに混ぜて問うた。
ケットシーはアラスターの姿を認めると、その凄まじいプレッシャーに一瞬だけ身体を硬直させたが、すぐに騎士らしい冷静さを取り戻し、ケータに向き直った。
ケット「私は、アプサラス様の信者をしております」
景「アプサラス……?」
アラ「『妖魔アプサラス』。インド神話に伝わる水の精、絶世の美女として知られる天女のような存在ですよ」
ピク「あなた、信者って言ったわね? 宗教の勧誘ならお断りよ。うちにはもう、うるさいラジオ付きの悪魔がいるんだから」
ケット「いえ、誤解なきよう。私は使いの者として、あなた方を呼びに来たのです。……貴方が、アマノケータさんですね?」
ケータは戸惑いながらも、こくりと頷いた。
ケット「実は、先日放映されたテレビ番組にて、悪魔たちと楽しそうに過ごしている貴方の姿を拝見しましてな。我が主、アプサラス様が貴方に興味を持たれたのです。詳しいお話は、アプサラス様ご本人から」
景「えっ、今から!? でも、俺、今はあんまり外に出たくないんだけど……」
ケット「あ、その点は問題ございません。既に、お近くまで来てくださっておりますので」
ケットシーは帽子を軽く脱いで一礼し、部屋の扉を優雅に開けた。
ケット「付いてきてください。 ご案内いたします」
ケットシーに導かれ、自宅の廊下を歩く景太の頭の中には、いくつもの予想が浮かんでいた。
秘密の地下室か、あるいは裏庭に突如現れた魔法の入り口か。しかし、長ぐつの猫が立ち止まったのは、あまりにも見慣れた、天野家の生活感溢れる場所だった。
景「って、俺ん家の風呂場じゃん!」
思わずツッコミを入れた景太の目の前には、湿気を帯びた脱衣所の扉がある。
ケット「水の精ですからね。水場が一番落ち着くのです」
ケットシーは至極当然といった様子で扉を開けた。
そこには、昼間の光が差し込む、至って普通の風呂場が広がっていた。黄色い風呂桶、並んだシャンプーのボトル、そしてなみなみとお湯が張られた湯船。
その時だった。
ーブクブクブク……。
静かだった湯船の表面に泡が立ち、水面が大きく盛り上がる。
ザバーン!!
豪快な水飛沫と共に、湯船の中から一人の女性が姿を現した。
透き通るような薄水色の肌に、流れるような長い青い髪。その瞳は澄み渡る泉のように深く、纏っている布は水に濡れてもなお神々しく輝いている。
アプ「始めまして。私は水の精、『妖魔アプサラス』と申します」
湯船の縁に腰掛け、雫を滴らせながらアプサラスは優雅に一礼した。浴室という狭い空間が、彼女の存在だけでどこか幻想的な神殿のように錯覚される。
アプ「……驚かせてしまいましたね。ですが、事態は一刻を争うのです。あなた方に頼みたい事は一つ。ある悪魔を追い払ってほしいのです」
アプサラスは、その涼しげな瞳を僅かに曇らせ、重い口を開いた。
アプ「私たちの世界は、既にご存知の通り、強力な悪魔たちが跋扈する『魔界』です。
ですが、人間界と同様に、魔界もまた残酷な弱肉強食の世界。日々虐げられ、搾取されるだけの弱い悪魔が数多く存在しているのも事実です。
……しかし、どれほど力なき悪魔であっても、生きたいと願う権利はあるはず。
そのために私は、彼らが最低限、己の力で生きていけるだけの知識と術を授けようと活動しているのです」
彼女の声は、浴室のタイルに反響して静かに、しかし力強く響く。
アプ「己の弱さを正しく知れば、そこから生き抜くための選択肢も生まれます。修行して力をつけるも良し。もしそれが難しいのなら、誰かの庇護を求めたって良い。
我が神族は、彼らを受け入れ、守る用意があります。どうしても一人で立ち行かない時は、誰かに頼って良いのです。本来、救いとはそうあるべきだと私は信じています」
景「…………」
アプサラスの語る理想は、あまりにも真っ直ぐで、そして重かった。アラスターやピクシーも、冗談を差し挟むことなく、その言葉を静かに聞き入っている。
アプ「……ですが、それを良しと思わず、私の邪魔をする者がいます。『リャナンシー』という悪魔です」
「リャナンシー」という名が出た瞬間、後ろで控えていたアラスターが、興味深げに口角を吊り上げた。
アラ「おやおや、『鬼女リャナンシー』ですか。アイルランドに伝わる妖精……あるいは悪魔ですね。
詩人や芸術家にインスピレーションを与える代償に、その命を吸い取ると言われる、美しくも恐ろしい存在ですよ」
アプ「ええ、その通りです。そのリャナンシーは今、夢を抱く若い悪魔や、行き場を失った弱い悪魔たちに近づき、『そなたには才能がある』、『夢は諦めずに追えば必ず叶う』などという甘い言葉で誘惑しています。
ですが、彼女が本気で夢を応援するのは、ほんの一部の、利用価値のある見込みがある者だけ。それ以外の大多数の悪魔たちは、彼女の美しさを維持し、力を蓄えるための『養分』としか見ていないのです」
アプサラスは憤りを隠すように、細い指先で水面をなぞった。
アプ「応援するのであれば、無責任な発言を止め、現実を見据えた教育を施すべきです。夢という名の毒を煽るのではなく、その足で立てるように導くべきだと、私は考えます。だからこそ、私は弱き者たちに声をかけ、新たな居場所と生きる術を用意したい。一人でも多くの悪魔が、自滅の道を選ばないように」
アプサラスは真っ直ぐに景太の瞳を見つめた。
アプ「このままリャナンシーの行動を許せば、何も成せぬまま自信を失い、魂を枯らして消えていく悪魔が増えるだけです。……そこで、あなた方にお願いがございます。
リャナンシーの無責任な誘惑を止めさせる手伝いをしてはいただけないでしょうか? 彼女の暴走を止めていただけるのであれば、私はあなたの仲魔となり、その力を捧げることを誓いましょう」
景「…………」
風呂場の湿気とアプサラスの真剣な訴え。
景太は自分の左腕にある悪魔ウォッチの重みを改めて感じていた。
景「…………」
ーーー
アラ「賢明な判断だったと思いますよ。 どちらか一方の言い分だけで世界を定義するのは、あまりにもったいないですからねぇ」
自宅の風呂場でアプサラスの壮絶な訴えを聞いた後、景太はすぐには答えを出さず、依頼を「先送り」にしてもらうことを選んだ。
アラスターは、その慎重な姿勢を「ラジオの周波数を微調整して、よりクリアな真実を掴むようなものだ」と、彼なりの言い回しで肯定した。
景太は、あの時のアプサラスとのやり取りを思い返していた。
―回想―
景『ごめんなさい……。すごく大事なことだってわかるんだけど、もう少しだけ考えさせてほしいんだ』
アプ『……構いません。貴方はまだ子供でありながら、異界の力に触れる者。迷い、悩むのは当然の権利です。……ただ、これだけは覚えておいてください。救わねば、消える命があるということを』
景「一応聞くんだけど……そのリャナンシーって人はどこにいるの? もしかして、魔界に行かなきゃ会えないのかな?」
アプ「いえ、彼女は今、人間界に潜伏しています。新たな獲物――夢に飢えた、若い魂を探しているようです」
竹林のオンボロ屋敷へ。
景太たちは、アプサラスから教えられた場所へと向かっていた。
アラ「『両方聞いて下知をなせ(りょうほうきいてげじをなせ)』……古き良き言葉ですね。双方の言い分を聞いてから裁定を下す。まさに公平な司会者の鑑ですよ、ケータくん!」
景「そんな立派なもんじゃないけどさ……。それにしても、やっぱり視線が痛いなぁ……」
夏休み本番の街。すれ違う人々が景太を見るなり「あ、あの子じゃない?」「テレポート少年よ!」とヒソヒソ声を漏らす。その好奇の視線から逃げるように、一行は団々坂の喧騒を離れ、深い竹やぶの道へと足を踏み入れた。
辿り着いたのは、鬱蒼とした竹林の奥に佇む、茅葺き屋根の和風の廃屋。
通称「竹林のオンボロ屋敷」。
ピク「随分と豪勢な場所に住み着いたわね。幽霊でも出そうじゃない」
湿った空気と静寂が支配する屋敷の中に景太たちは恐る恐る足を踏み入れた。影一つない暗がりに視線を凝らした、その時―。
「あら、まさかこんなところで『ラジオ・デーモン』に出会えるとはね。 今日の運勢は最高だわ」
艶やかな声と共に、どこからともなく姿を現したのは、眩いばかりの金髪をなびかせた美しい女性。そして彼女の傍らには、鍛冶道具を背負い、一本の足で力強く立つ、異様な姿の男ー「妖鬼イッポンダタラ」が控えていた。
景「貴女が……『リャナンシー』……?」
リャナ「ええ。私は『鬼女リャナンシー』。そして、そういう貴方が話題の『ケータ』ね。お会いできて光栄だわ、可愛らしい救世主さん」
アラ「貴女の噂は地獄の底まで届いていますよ……さて、宜しければ貴女の側の『お話』もお聞かせ願えませんか?」
リャナ「喜んで。私はただ、夢見る者たちに寄り添っているだけなのよ」
リャナンシーは優雅に細い指先で唇をなぞった。
リャナ「私はね、才気ある者に力を与え……その夢を叶えるための手伝いをしているだけ。私、思うのよ。誰もが何かしらの『才能』を持って生まれてきているはずだって。ただ、みんなそれに気づかずに、凡庸な人生で終わってしまう……それって、とっても悲しいことだと思わない?」
彼女の瞳が、妖しく輝く。
リャナ「お望みなら、私はその才能を何倍にも引き出してあげる。……まあ、これは本人の生命力を対価として捧げるという、小さな契約が必要だけどね。でも、ここにいるイッポンダタラさんだって、自分の寿命と引き換えに『極致の技術』を手に入れたわ」
イッポン「当たり前だァァァッ!!」
イッポンダタラが太い腕を振り上げ、咆哮した。
イッポン「無能のまま、ただダラダラと長生きするよりゃあ、死ぬほどマシだ! 俺はもともと鍛冶の腕はサッパリでな、一族の恥さらしだった。だけどよ、リャナンシーさんにコンサルしてもらったら、眠っていた才能が爆発したんだ! 今じゃこの自慢の腕っ節で、石工職人のテッペンを目指してる! 太く短く、才能を爆発させて、伝説になってやるのさ! イヒーッ!!」
満足そうに笑うイッポンダタラ。リャナンシーは満足げに頷くと再び景太に視線を戻した。
リャナ「でもね……そんな輝かしい夢を早々に諦めさせ、才能の芽を摘み取る、本当に無粋な悪魔がいるの。
それが『アプサラス』よ。最近じゃ集会を開いては、甘い言葉で信者を増やしている厄介な女……」
彼女の声に、冷たい怒りが混じる。
リャナ「彼女、弱い悪魔たちに『身の丈に合った生き方をしろ』なんて諭しているわ。最低限の居場所と、最低限の生活を与えるからって…。
……でも、それはね、自分の神族の兵隊を作るための方便にすぎないのよ! 個性なんて無視! 才能なんてゴミ扱い! 誰にだって向き不向きや、爆発させたい個性があるはずでしょ? それを全部奪って、一律の『兵士』として管理しようなんて、ひどいと思わない?」
リャナンシーは景太のすぐそばまで歩み寄ると、甘い香りを漂わせながら囁いた。
リャナ「そこで、一つ提案よ。アプサラスの計画を阻止してくれないかしら? 貴方たちなら、あの一人よがりな救世主を倒せるはず。……ねぇ? 才能を愛する私を、助けてくれるわよね?」
景「…………」
アプサラスの言う「最低限の生活と安全」か。
リャナンシーの言う「短命でも輝く才能と個性」か。
どちらも一理あり、どちらもどこか歪んでいる。景太は重い沈黙の中で、再び大きな選択を迫られていた。
景「…………」
ーーー
リャナンシーの誘いもまた、一筋縄ではいかない危うさを孕んでいた。
竹林のオンボロ屋敷を後にした景太たちの間に、湿った竹の葉の擦れる音だけが響く。景太は俯き、何かを懸命に考え抜いている様子だった。
やがて、長い影を落とす竹やぶを抜けたところで、景太がぴたりと足を止めた。
景「ねえ、アラスター。……一つ、契約・・…お願いできる?」
その言葉にアラスターは優雅な所作で振り返った。夕陽を反射した彼の瞳が深紅の輝きを増す。
アラ「ほう? 私と契約を、ですか。……いいでしょう。ですが、ラジオ・デーモンとの契約は高くつきますよ、ケータくん。……それで、君は何を望むのですか?」
アラスターは冗談とも本気とも取れない不敵な笑みを浮かべ、マイクスタンドを軽く鳴らした。景太はアラスターの耳元に顔を寄せ、その「契約内容」…自らの秘策を、一気に伝えた。
それを聞いた瞬間、アラスターの表情が凍りついたかと思うと、次の瞬間、口角が耳のそばまで裂けんばかりに吊り上がった。
アラ「ニャハハハハハ!! いやはや、これは驚いた! 何て妙案、何て愉快なエンターテインメント! 君はやはり期待を裏切らない。……いいでしょう、その面白さに免じて、今回は契約無し、サービスで協力しましょう!」
ーーー
―数時間後、天野家の浴場―
ケット「大変ですー!! アプサラス様ぁ!!」
先ほどまでの優雅さはどこへやら、ケットシーが脱衣所から浴室へと転がり込んできた。
アプ「落ち着きなさい、ケットシー。リャナンシーが何か仕掛けてきたのですか?」
アプサラスが静かに湯船から身を起こすが、ケットシーは首を横に激しく振った。
ケット「いえ、そうではなくて! その……とにかく、おおもり山の神社前へ!」
―おおもり山・神社前広場―
アプサラスがケットシーと共に神社の階段を駆け上がると、そこには信じられない光景が広がっていた。
普段は静かな境内に、どこから集まってきたのか、十数体もの悪魔たちが列をなしている。そしてその中心、御神木の木陰に設営されたアラスターが作り出した受付デスクには景太が真剣な顔で座っていた。
デスクの横には、派手な手書きの看板が立てられている。
『第三の道:お悩み相談・悪魔のキャリアカウンセリング所』
アラ「はい、次の方! 貴方の悩みは……おやおや、実に贅沢で素晴らしい悩みだ! ニャハハハ!」
アラスターはどこから持ってきたのかアンティークなラジオを傍らに置き、まるでお悩み相談番組のホストのように悪魔たちの話に耳を傾けていた。ピクシーもまた、相談者の悪魔たちにアメを配って回っている。
アプ「これは……一体どういうことですか?」
唖然とするアプサラス。そこへ、同じく事態を察知したリャナンシーと、彼女に付き添うイッポンダタラが竹林から姿を現した。
リャナ「ちょっと……これは一体何の真似? 私の勧誘を邪魔するつもり?」
リャナンシーが鋭い視線で景太を睨むが、その前にアラスターがふわりと立ちはだかった。
アラ「見て分かりませんか? 私達も新たに相談所を開いたんですよ。
アプサラスさんの『救済という名の管理』でもなく、リャナンシーさんの『夢という名の搾取』でもない。ただの、カウンセリングやセラピーです」
景太が椅子から立ち上がり、二人の強力な妖魔を真っ直ぐに見据えた。
景「アプサラスさん、リャナンシーさん。……二人とも、言ってることは間違ってないと思う。でも、どっちかしかないって言われると、選べない悪魔だっているはずなんだ。
『死ぬほど頑張りたくはないけど、誰かの言いなりにもなりたくない』。そんなワガママな願いを言える場所が、一つくらいあってもいいでしょ?」
イッポン「……ケッ、甘っちょろいこと言い出しやがって!」
イッポンダタラが毒づくが、列に並んでいる小さな悪魔たちは景太に好奇心で寄ってきたり感心した表情を浮かべていた。
アラ「そう。ここは道を選ぶ前に『立ち止まる』ための場所。
さあ、アプサラスさん、リャナンシーさん。貴女たちのどちらが、より魅力的な『未来』を彼らに提示できるか……この相談所でじっくり競い合ってみては?」
アラスターのノイズ混じりの笑い声が、神社一面に響き渡る。
景太の出した「第三の選択肢」によって、管理と搾取の二極化していた魔界のバランスが、奇妙な形で崩れ始めようとしていた。
本来なら神聖な場所であるはずの神社前には、地獄のパレードか、あるいは異界のフリーマーケットかと言わんばかりの多様な悪魔たちがひしめき合っている。
リャナンシーは、その光景を信じられないといった様子で見つめ、隣に立つアラスターに問いかけた。
リャナ「……ねえ、どうやってこれだけの悪魔を集めたのよ? 貴方はあの『ラジオ・デーモン』。魔界じゃ、その名を聞いただけで石化する悪魔だっているっていうのに」
アラ「ニャハハ! 癪ですがね、彼が例のテレビ番組で『超能力少年』として有名になった効果が絶大だったのですよ。噂好きの悪魔たちが『あの人間なら何か面白いことをしてくれる』と期待して集まってきたのです」
アラスターはマイクを回しながら、背後を指差した。
アラ「後は……彼女たちにも協力してもらいました。人脈コネは力ですよ」
そこには景太の「友達」である悪魔たちが勢揃いしていた。
ピクシーは羽をパタつかせて行列の整理をし、ガキは悪魔たちに整理券を配り、ジャックフロスト達は「並んで並んで~ホ~!」と冷たい風を吹かせて暑さを和らげている。
リャナンシーとイッポンダタラに向かって、彼らは自信たっぷりにサムズアップを決めてみせた。なお、少し離れた木の枝にはエンジェルとアークエンジェルが座り、エンジェルは不機嫌そうな顔で「監視」と称して事の成り行きを黙って見守っている。
行列の先頭にいたのは、地面から引き抜かれた根っこに二本足が生え、人間の女性のような顔と上半身を持つ異形の植物「妖魔マンドレイク」。
マンド「……わたしの悩みを聞いて。わたしの叫び声は、聞いた者を死に至らしめる呪い。誰かと仲良くなりたいと思っても、口を開けば相手が倒れてしまう……。これじゃ、友達なんて一生できないわ」
マンドレイクは力なく根っこの手を垂らした。アラスターが横から「歌唱指導で周波数を変えてみるのは?」とブラックな提案をしかけたが、景太は身を乗り出して彼女にこう告げた。
景「だったら、叫び声を『特定の音』として使いこなせるようになればいいんじゃないかな。例えば、魔界の警備員とか! 悪い奴が来た時だけ叫ぶ。そうすれば、その声はみんなを守る『勇気の号笛』になるよ。それに……」
景太はアラスターにイヤーマフを作ってもらった。
景「これを付けてる間なら、俺たちは君の話をいくらでも聞けるよ。声が出ちゃうのが怖いなら、まずは手話や筆談から始めてみない?」
マンド「……確かに、それもありかも。ありがとうね。なんだか、少し胸のつかえが取れたわ」
彼女は晴れやかな顔で立ち上がり、景太の手を取ろうとした。
マンド「貴方に興味が湧いたわ。悪魔をたくさん『仲魔』にして、自分の軍団を作りたいからこの相談所を開いてるんでしょ? わたしの力、貸してあげてもいいわよ」
だが、景太はその申し出を意外な言葉で遮った。
景「……ううん、それは違うよ」
マンド「えっ?」
景「確かに、君みたいな凄い悪魔が友達になってくれたら嬉しいなっていう欲望はあるけど……今はそんなの持ち込まない。
俺は単純に、みんなの悩みを解決したいだけなんだ。あとは、悪魔のことや魔界のことを、君たちからもっと教えてもらいたいだけ。交換条件で仲間になってもらうのは、なんか違う気がするんだ」
この言葉に、並んでいた悪魔たちは一斉に目を見開いた。魔界において、契約や庇護は常に「等価交換」であり、無償の善意など、毒よりも珍しいものだったからだ。
マンド「貴方、普通の見た目をしてるのに、相当な変人なのね……」
ピク「あはは! それはアタシも同意よ!」
ピクシーが景太の肩に飛び乗り、リャナンシーたちに向かって誇らしげに言い放つ。
ピク「悪魔を『仲魔』じゃなくて『友達』にしたいなんて言い出すんだから。最初に出会った時は、アタシもただの頭がお花畑な馬鹿かと思ったわよ。そういう奴は大抵、魔界じゃコロッと騙されて惨めに死んでいくものだもの」
景「嫌だよ、そんな人生!!」
ピク「でもね、こいつは自分に正直で、それ以上に誰かのために動けちゃう馬鹿なのよ。だからこそ、こいつが馬鹿を見ないように、支えてやろうっていう者が自然と集まっちゃうの。……まあ、アタシも含めてね」
アラスターやガキ、ジャックフロストたちも、当然のようにその言葉に頷いた。
景「みんな……」
マンドレイクはそんな彼らの絆をじっと見つめた後、ふっと優しく微笑んだ。
マンド「相当な能天気なのね。……いいわ、興味が湧いてきた。その『友達』ってやつにしてよ、ケータ」
景「えっ、良いの!?」
マンド「ええ。わたしは、『妖魔マンドレイク』! 今後とも、よろしくね!」
彼女がそう宣言すると、空中に眩い光と共に悪魔メダルが現れ、景太の手元へと舞い落ちた。
その後も、景太とアラスターの「第三の相談所」には次々と悪魔たちが訪れた。
妖鬼オニ「最近、武器が重すぎて肩こりがひどい……」
解決案: 景太が「軽量化の魔法」をアラスターに頼みつつ、リハビリとして「おおもり山の神社の落ち葉掃き」を提案。いい運動になると感謝される。
地霊ツチグモ「人を驚かせるのが苦手で、魔界でいじめられる……」
解決案: アラスターが「恐怖ではなく、笑いによるエンターテインメント」を伝授。景太が「コメディアンを目指してみれば?」と助言し、新たな才能が開花する。
妖魔サキュバス「誘惑の仕方がわからなくて、つい相手を物理で殴ってしまう……」
解決案: 景太が「まずは友達作りから始めよう」と、自分たちが使っているカードゲームを教える。健全なコミュニケーション手段として魔界で流行の兆しを見せる。
次々と解決されていく悩み。そこには、アプサラスの「管理」も、リャナンシーの「搾取」もない、ただ純粋な対話だけがあった。
リャナ& アプ「…………」
自分たちの掲げていた極端な二つの理想が、一人の少年の「無知ゆえの純粋さ」によって軽々と越えられていく光景。二人の高位妖魔は、ぐうの音も出ないまま、ただ呆然とその様子を見届け続けるしかなかったのである。
ーーー
おおもり山の長い影が境内に伸び、喧騒が少しずつ夜の静寂へと溶け込んでいく頃。特設の相談窓口には、もう悪魔の行列はいなかった。
「凶鳥オンモラキ」、「地霊ツチグモ」、「妖魔アガシオン」、「軍神ネコショウグン」、「夜魔ザントマン」、「夜魔モコイ」、「地霊コダマ」、「夜魔サキュバス」、「妖鬼オニ」、「地霊スダマ」。
机の上には、今日の「成果」とも言える輝かしいメダルが山のように積まれていた。
アラ「ニャハハハ! 壮観ですねぇ。これだけの短時間で、これほど多くの『友達』ができましたよ、ケータくん。魔界の勢力図が少し書き換わってしまうかもしれませんね」
景「あはは……。でも、中には『相談』っていうより、アラスターの庇護下に入りたがってるだけの人もいたけどね」
アラ「どんなものでもきっかけはきっかけですよ。彼らが君の言葉に耳を傾け、納得してメダルを預けた……その事実に、君はもっとドンと胸を張っていればいいんです」
アラスターはいつものように楽しそうにマイクを回す。
その様子を、少し離れた場所でずっと見ていたアプサラスとリャナンシーが、ゆっくりと景太の方へ歩み寄ってきた。
アプ「……正直に申し上げましょう。私は私なりに、彼らを守るために頑張ってきたつもりでした。ですが……」
リャナ「……私たちが用意した極端な二つの道なんて、この子には必要なかったみたいね。自分の足で、笑いながら歩ける場所を提示されちゃうなんて」
二人の言葉には、敗北感よりも、何か新しいものを見た時のような清々しさが混じっていた。
そんな二人を見上げて、景太はふと気になっていたことを口にした。
景「ねえ、あのさ。ずっと気になってたんだけど……なんで『二人』で一緒にやらなかったの?」
アプ& リャナ「「?」」
思いもよらない問いかけに、二人は顔を見合わせ、同時にきょとんとした表情を浮かべる。
景「だってさ、アプサラスさんのやり方は、地盤をしっかり固めて、目の前のことを一つずつコツコツ超えていくことだよね? それって凄く立派な道だよ。
リャナンシーさんのやり方だって大きな夢を目指して、人生のすべてをかけること。それはそれで、すごくカッコいい道だよ」
景太は、自分の手元にあるメダルを見つめながら続けました。
景「俺は子供だから、あんまり説得力はないかもしれないけど。……その二つが合わされば、もっと良くなるかもしれないじゃん。コツコツ頑張りながら、いつか大きな夢を叶えるための準備をする、とかさ。喧嘩するより、お互いのことを知るチャンスにした方が、みんなも助かるんじゃないかな?」
アラ「……ふむ。まだ納得いかないのであれば、この少年が将来どちらの道を歩むのか、あるいは全く別の道を切り拓くのか。それを見届けてから勝敗を決める、というのも一つの手ですよ?」
アラスターが横から、火に油を注ぐような、あるいは道を示すような不敵な笑みを投げかけた。
アプ&リャナ「「…………」」
二人は再び、無言で互いを見つめ合う。
「救済」と「夢」。正反対だと思い込んでいたその理想は、実はコインの表と裏のようなものだったのではないか。自分たちは、ただ相手を否定することに躍起になって、目の前の悪魔たちの本当の「心」を置き去りにしていたのではないか。
アプ&リャナ「「……フフ」」
どちらからともなく、小さな笑い声が漏れた。それはやがて、境内に響く晴れやかな笑い声へと変わっていった。
アプ「……二人で一緒に、などと考えたこともありませんでしたが。ここらへんが落とし所、ということなのでしょうね」
リャナ「全く。まさかこんな子供に諭されるなんてね。……人生、長く生きていても何が起こるか解らないわ」
二人は納得したように頷くと、同時に手を差し出しました。その掌の上には、一際強い魔力を放つメダルが乗っていた。
アプ「改めて……受け取ってください。私は、『妖魔アプサラス』」
リャナ「私は、『鬼女リャナンシー』」
アプ&リャナ「「今後とも、よろしく」」
景太は二人の高潔な意志を受け取り、しっかりと頷いた。
ーーー
夕闇が街を包み込み、街灯がぽつぽつと灯り始めた帰り道。おおもり山の静寂を背に歩く景太たちの背後から、慌ただしい足音が響いた。
「待ってください!」
振り返ると、そこには息を切らしたケットシーと、一本足で器用に跳ねながら追いかけてきたイッポンダタラの姿があった。
ケット「あのお方たちのあんな……憑き物が落ちたようなお姿、初めて拝見しました。ケータ殿、貴方は実に不思議な人間だ。これは私からの、精一杯の感謝の印です」
イッポン「ガハハ! 俺様もアンタらが気に入ったぜ! 才能を使い果たしてくたばる時が来たら、俺が最高の墓石を用意してやる! 安心しろ、
ケットシーからは気品ある紋章が刻まれたメダルを、イッポンダタラからは無骨な鉄の質感があるメダルを受け取る。景太は苦笑いしながらも、その重みを確かに感じていた。
ピク「ふぁ〜あ……。なんだか一気に疲れちゃった。アタシは眠いから、先に帰って寝てるわね」
ピクシーは大きなあくびをすると、夜の空へ向かってひらひらと羽ばたき、あっという間に姿を消した。
家路を急ぐ景太と、その隣を悠然と歩く人間態のアラスター。その時、前方から聞き慣れた、しかし切羽詰まった声が飛んできた。
「ケータくん!」
街灯の光の下に現れたのは、息を切らし、顔を真っ青にした文花だった。
景「ふ、フミちゃん!? どうしたの、そんなに慌てて」
文花は、おおもり山に強力な悪魔たちが集結しているという情報をキュウビから聞きつけ、居ても立ってもいられず駆けつけてきたのだ。
彼女にとって「悪魔」とは、妖魔界すら震撼させる、この世の理を超えた恐怖の象徴。
その山から、何事もなかったかのように現れた景太を見て、彼女は心臓が止まるほど安堵し、同時に強い不安に襲われた。
文(よかった、無事だった……。でも、あの山には恐ろしい気配が渦巻いていたはずなのに……)
アラ「おやおや、お友達ですかな?」
影の中から滑り出すように、人間態のアラスターが文花の視界に割って入った。
端正な顔立ちに、完璧なまでに整った笑み。だが、文花の感性は、彼の存在そのものが放つ、底知れない「異質さ」を敏感に察知していた。
景「あ、フミちゃん紹介するよ。この人はアラスターさん。今、俺の家にホームステイしてる人で……」
アラスターは優雅に腰を折り、英国紳士のような洗練された動作で一礼した。
アラ「始めましてお嬢さん。私、
『アラスター』と申します」
文「!!?」
その名前を耳にした瞬間、文花の全身に電流が走った。背筋が凍りつき、喉の奥がカラカラに乾く。
キュウビやウィスパーから聞かされていた、かつて地獄と妖魔界を恐怖のどん底に陥れた伝説の「ラジオデーモン」。その名と同じ男が、目の前で微笑んでいる。
アラ「おやおや、どうかしましたか? こんな夜更けに女性一人の歩きは危険です。ケータくん、彼女を家まで送り届けてあげましょう」
アラスターは怯える文花を気遣う素振りを見せながら、景太の耳元で密やかに、しかし悪戯っぽく囁いた。
アラ(彼女に良いところを見せるチャンスですよ、ケータくん)
景「っ……!!///」
その一言で、景太の顔は瞬時に沸騰したように真っ赤になった。
アラ「ほら、ボサッとしていないで。エスコートですよ」
景「う、うん! フミちゃん、暗いから送っていくよ! 行こう!」
文「あ、有難う……」
文花は混乱していた。目の前の男が、あの「大悪魔」本人なのか。それともただの同姓同名なのか。景太の無邪気な様子を見る限り、とても恐ろしい存在を連れているようには見えない。彼女は、景太の後ろ姿と、その隣で鼻歌を歌うアラスターを交互に見つめながら、重い足取りで歩き出した。
文花を家の前まで送り届けた後、景太とアラスターは再び夜道を歩き始めた。
アラ「いやはや、ケータくんの反応は見ていて飽きませんねぇ! 帰ったらピクシーに自慢してあげましょう」
景「もう、からかわないでよアラスターさん! 本当に心臓に悪いんだから……///」
景太が照れ隠しに声を荒らげる中、アラスターはふと、景太からは死角になる角度で文花の家を振り返った。
その瞳には、人間を装った偽りの温もりなど微塵もなかった。
アラ(「妖怪ウォッチ」の少女、ですか……。まさかこれほど早く、再び相見えることになるとは。この街の運命の歯車は、私が思うよりもずっと愉快に噛み合っているようだ)
彼は口角を不敵に吊り上げ、闇の中に消えていった。
ーーー
一方、家に入った文花は、自室のベッドに倒れ込んでいた。その傍らには、彼女にしか見えない執事妖怪ウィスパーとジバニャンの姿がある。
文「ウィスパー……あの人、自分のことを『アラスター』って言ってたけど……」
ジバニ「……オレっちもあの人の近くにいた時、ずっと毛が逆立ってたニャン。怖くてチョコボーどころじゃなかったニャン……」
ジバニャンは今も震えが止まらないようで、腹巻の中に潜り込んでいる。しかし、ウィスパーはいつものように知ったかぶりの態度で、扇子を広げて笑い飛ばした。
ウィス「いえいえ! フミちゃん、心配しすぎでうぃす! 世の中には同姓同名の人物なんて腐るほどいますよ。
そもそも、あのラジオデーモンのような恐ろしい大悪魔がケータくんのような普通の少年の家にホームステイ? 冗談もおよしなさい、そんなのへそで茶が沸くでうぃすよ!」
文「そう……かな……? でも、あの人の目、笑ってるのに全然笑ってなかった気がする……」
景太が「悪魔ウォッチ」を使い、アラスターという本物の脅威と暮らしていること。
そしてフミが「妖怪ウォッチ」を持ち、妖怪たちの秘密を知っていること。
お互いの秘密を知らぬまま、少年と少女の運命は、ラジオデーモンの掌の上で踊らされるように交錯し始めていた。
きょうの悪魔大事典
アラ「景太くん。きょうの悪魔ですが…」
景「「妖魔アプサラス」、「鬼女リャナンシー」…」
アラ「今回は余りにも多いので此処まで!」
景「え!?それじゃ、悪魔紹介はどうするの?」
アラ「ご安心を。幕間の時等に紹介します!」
景「幕間…?」
アラ「貴方が気にしなくて結構!今は沢山の友達が出来た事を喜びましょう!」
景「ええ…」