悪魔ウォッチ   作:龍座

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鬼女マーメイド

八月の突き抜けるような青空とは対照的に、天野家の子供部屋にはどんよりとした重苦しい空気が漂っていた。畳の上に、まるで干からびたヒトデのように突っ伏している景太の背中からは、隠しきれない絶望のオーラが立ち上っている。

 

アラ「ケータくん、どうしたんですか? この世の終わりみたいな顔をして」

 

ソファーに優雅に腰掛け、どこから持ってきたのかアンティークなティーカップを傾けていたアラスターが、不思議そうに景太を覗き込んだ。その顔は相変わらず完璧な笑顔だが、瞳の奥には「何か面白い娯楽トラブルが始まったのでは?」という好奇心が隠しきれていない。

 

景「……実は数日後、フミちゃんやみんなで海水浴に行くことになってさ……」

 

アラ「おやおや、良いではないですか! これこそ夏の風物詩、青春の盛り合わせ! まあ、私は水に濡れるなど真っ平御免ですがね。毛並みが台無しになりますから」

 

景「そのことを考えると、アラスターのテンションに付き合ってるヒマなんて無いんだよ……」

 

景太のうめき声は床板に吸収され、情けなく響く。アラスターはティーカップを置くと、名探偵が謎を解いた時のような鋭い笑みを浮かべ、バチンと指を鳴らした。

 

アラスター「読めましたよ。ケータくん、貴方はカナヅチなんですね!」

景「……っ! 声、でかいよ!」

 

図星を刺された景太が、バネ仕掛けのように跳ね起きた。顔を真っ赤にして周囲を気にするが、部屋には悪魔ウォッチの仲間にしか見えない面々しかいない。

 

景「……ハッ! もしかして、俺が泳げないのってこれも悪魔の仕業なんじゃ!? そうだ、絶対に何か変な悪魔が取り憑いてるんだ!」

 

藁をも掴む思いで悪魔ウォッチのレンズを覗き込み、周囲をスキャンしようとする景太。しかし、アラスターはその手首をひょいと掴み、現実を突きつけるような冷たい……しかし愉快そうな声を出す。

 

アラ「残念ながら、反応はありませんよ。悪魔ウォッチの仕組みを忘れたんですか? 貴方はただの、純度100%の自前なカナヅチです。ニャハハハ!」

景「うわあああ! はっきり言わないでよ!」

 

再び畳に沈み込む景太。そこへ、冷凍庫から勝手に持ち出してきたソーダ味の棒アイスを齧りながら、ピクシーがふわふわと飛んできた。

 

ピク「何よ、カナヅチくらいで。別に恥ずかしいことじゃないわよ」

景「ホント!? ピクシー!」

 

救いの神を見たような目でピクシーを見上げる景太。しかし、彼女はアイスの棒をペロリと舐めると、残酷なまでに無邪気な笑顔で追撃を放った。

 

ピク「ええ。それを面と向かって笑う人なんて、今の時代いないわよ。ただ、泳げずにアップアップしてるアンタを見て、みんなが心の中で『うわぁ……ダサい……』って引き気味に思うくらいね」

景「それが一番イヤだぁぁぁーーー!!」

 

景太の叫びがおおもり山まで届きそうな勢いで響き渡る。フミちゃんの前で「かっこいいところ」を見せるどころか、「ダサい」と思われる。それは今の景太にとって、魔界の王に睨まれるよりも恐ろしい事態だった。

 

アラ「ふむ。見世物としてはそれも一興ですが、我らがケータくんがそこまで絶望しているとなると、話は別です」

 

アラスターは立ち上がり、杖……ではなく、どこから出したのか「水泳指導員」と書かれた赤いメガホンを手に取った。

 

アラ「仕方ありませんね。私たちが、少しは泳げるようにして差し上げましょう。もちろん、私なりのスパルタな方法になりますがねぇ!」

 

ピク「あはは、面白そう! アタシも見学してあげるわ。アンタが溺れそうになったら、記念に写真を撮ってあげるから頑張りなさいよ」

 

景「……なんか、特訓に行く前からさらに不安になってきたんだけど……」

 

こうして、地獄から来たラジオデーモンと、毒舌なピクシーによる「ケータ救済(?)水泳特訓」の幕が開けることになった。

 

ーーー

 

夏の太陽が容赦なく照りつけ、波打ち際では白い飛沫が砂浜を洗っている。

アラスターの案内でやってきたのは、さくらニュータウンの喧騒から遠く離れた、切り立った崖の下にある隠れ家的なプライベートビーチだった。

 

誰もいない青い海、吹き抜ける潮風。泳ぎの特訓にはこれ以上ない最高のロケーションのはずだが、砂浜に立つ二人の光景はあまりにも不自然だった。

 

景太は気合十分な海パン姿。対して、隣に立つアラスターは、砂浜の上だというのに塵一つついていない真っ赤なスーツに身を包み、いつもの杖を携えて涼しげな顔をしている。

 

景「……ねえ、アラスター。ずっと気になってたんだけど、なんでスーツなの?」

アラ「御冗談を。これこそが私のスタイルですよ。場所が変わろうとも、TPOよりも美学を優先するのが紳士というものです」

景「いや、スタイルっていうか、暑くないの? それに……泳ぎを教えてくれるんじゃないの!?」

 

景太の至極全うなツッコミに、アラスターはラジオのノイズ混じりの笑い声を上げながら、軽やかにマイクスタンドを回した。

 

アラ「ええ、教えますとも。ですが、私が海に一歩でも入ると誰が言いましたか? 私は海には一切入りません。濡れるのも、砂がつくのも、私の辞書には存在しない無粋な行為ですからね!」

景「えええ!? 入らないでどうやって教えるのさ! 砂浜から『もっと腕を回してー!』とか叫ぶだけ!?」

 

あまりにも無責任な答えに、景太は開いた口が塞がらない。しかし、アラスターは余裕の笑みを崩さず、景太の左腕に輝く悪魔ウォッチを指差した。

 

アラスター「ニャハハ! 私が直接手を貸す必要などないでしょう。君はもう、泳ぎに関しては右に出る者のいない『最高の友達』を持っているじゃありませんか。……さあ、あのお方を喚び出してごらんなさい」

 

その言葉に、景太は「あ、そうか!」とポンと手を打った。確かに、つい先日友達になったばかりの彼女なら、水の精としての力で泳ぎなんて一瞬でマスターさせてくれるに違いない。

 

景「よし、そうだよ! 俺の友達! 出てこい『アプサラス』! 悪魔メダル、セットオン!」

 

景太はポケットから青く透き通ったアプサラスのメダルを取り出し、ウォッチに力強くセットした。

普段なら、ここでおどろおどろしい煙と共に異界の門が開き、神々しい水の精が現れるはずなのだが――。

 

…………シーン。

 

波の音だけが虚しく響き、ウォッチからは何の反応も返ってこない…。

 

アラ「おやおや、どうやら彼女は今、魔界の重要な集会か、あるいは優雅な入浴タイムの最中のようですね。用事がある相手を無理に喚び出すことはできませんよ」

 

景「そんな……! ここまで来て、頼みの綱が不在なの!?」

 

愕然として膝をつく景太。そんな彼を憐れむどころか、アラスターはあっさりとマイクを肩に担ぎ、踵を返そうとした。

 

アラ「いやはや、困りましたね。指導員が不在とあっては、もはやお手上げです。打つ手無し! 撤退しましょうか!」

景「諦めるのが早いよ!!!」

 

まだ砂浜に来て数分も経っていない。

アラスターのあまりの切り替えの速さに、景太の絶叫が夏の青空へと虚しくこだましたのだった。

 

砂浜に響くのは、寄せては返す波の音と、場違いなアラスターの笑い声だけだった。

 

その時、その喧騒を切り裂くように、どこからともなく透き通った、震えるほどに美しい「歌声」が風に乗って流れてきた。

 

〜♪〜♪

 

景「……何だろう。すごく綺麗な歌声……」

アラ「ほう、アッチからですね。この寂れた入り江に、これほど上質な旋律が響いているとは」

 

二人は声に導かれるように、ゴツゴツとした岩場の陰へと向かった。

そこには、悪魔ウォッチのレンズを通さずとも、その姿をはっきりと現世に留めている異形の存在がいた。

 

岩の上に腰掛けていたのは、一人の少女だった。

腰まで届く鮮やかなエメラルドグリーンの長い髪。上半身は驚くほどスレンダーで美しい人間の少女の姿だが、太もものあたりから下は、鱗が陽光を弾いて輝く大きな魚の尾びれへと繋がっている。

 

そして、彼女の周囲を漂うのは、黄金色に燃え盛る二つの髑髏。

それは、彼女がただの伝説の生き物ではなく魔力を持った「悪魔」であることを無言で誇示していた。

 

景「あれって……人魚!? 本物の人魚だ……!」

 

アラ「おや、珍しい。あれは「鬼女マーメイド」ですよ。彼女たちの歌声には、聴いた者を骨抜きにする魅惑の呪いが備わっていると言われています」

 

景「悪魔ウォッチが無くても、あんなにはっきり見えるんだね」

 

ピク「時々いるのよ、現世との境界が曖昧な個体がね。あの子、よっぽど魔力が強いか、あるいは……極端に人里離れた場所に馴染みすぎてるのかも」

 

景太はあることを閃いた。「彼女なら、泳ぎを教えてくれるかもしれない」と。

景太たちはマーメイドを驚かせないよう、慎重に、ゆっくりと岩場の陰から姿を現した。

 

ザッ、という砂を踏む微かな音。

マーメイドは弾かれたように歌を止め、怯えた瞳でこちらを振り返った。

 

景「や、やぁ。驚かせてごめん……!」

 

マーメイド「!!?」

 

彼女の瞳に映ったのは、水着姿の少年と、不気味な笑みを浮かべた赤いスーツの男。

刹那、彼女は恐怖に顔を歪ませ、逃げるように海へと体を投げ出した。

 

しかし、運命は残酷だった。

焦って飛び込もうとした彼女の尾びれが、岩の隙間に落ちていたガラス瓶の鋭利な破片を深く踏み抜いてしまった。

 

「――っ!!」

 

声にならない悲鳴。尾びれの鮮やかな鱗が裂け、深い傷口から魔力を帯びた血が滴る。

 

景「危ない! 大丈夫!? 今助けに……」

 

マーメ「来ないで!!」

 

駆け寄ろうとする景太に対し、彼女は震える腕を突き出した。

瞬間、静かだった海面が爆発したかのように盛り上がり、巨大な水の壁となって景太たちの行く手を遮った。

 

マーメイドは負傷した尾びれを抱え、荒い息を吐きながら激しく震えていた。その黄金の髑髏たちが、主の危機を感じて激しく燃え上がる。

 

景「待って、待って! 敵じゃないんだ! 俺たち、君の傷を治しに来ただけだよ……もしかして、俺たちが怖いの……?」

 

景太が必死に呼びかけるが、マーメイドの目には深い不信感と恐怖が張り付いたままだ。彼女にとって、陸からやってくる存在は全てが捕食者か、あるいは自分を傷つける者でしかないのかもしれない。

 

ピク「やれやれ、これじゃ話にならないわね。ここはアタシに任せなさい」

 

ピクシーが景太の肩から飛び立ち、目の前の巨大な水の壁を軽々と飛び越えた。

彼女はマーメイドの目の前、手の届く距離まで近づくと、羽を休めて空中に静止した。

 

ピク「怖がる気持ちもわかるわよ。いきなりこんな怪しい男アラスターを連れた人間が出てきたらね。でもね、安心して。こいつはそんな酷いことしないわよ。なんてったって、あの『ラジオデーモン』と一緒に暮らしてて、まだ正気を保ってるくらいの変人なんだから」

マーメ「……ラジオ……デーモン……?」

 

マーメイドの視線が、水の壁越しに立っているアラスターへと向けられた。

アラスターは優雅に会釈をする。その圧倒的な強者の気配を感じ取り、彼女は皮肉にも「これほどの悪魔が連れている人間なら、少なくとも下等な密猟者ではない」と悟ったようだった。

 

ピク「それに……その傷、放っておいたら治るのが遅いわよ。アタシたちなら、すぐに治してあげられる。あいつらのことは信じなくていいから、アタシのことだけ、一度だけでいいから信じてくれないかな?」

 

ピクシーは慈しむような、それでいてどこか頼もしい笑みを浮かべた。

 

マーメ「…………」

 

沈黙が流れる。

やがて、彼女はゆっくりと突き出していた手を下ろした。

それと同時に、景太たちを遮っていた巨大な水の壁が、力を失ったようにザアァ……と海へと溶けて消えていった。

 

景「……よかった」

 

景太は安堵の溜息をつき、傷ついたマーメイドに寄り添うべく、ゆっくりと歩み寄った。

 

ピクシーがマーメイドの傷ついた尾びれにそっと手を翳すと、その掌から淡いエメラルドグリーンの光が溢れ出した。治癒魔法「ディア」だ。光の粒子が傷口に吸い込まれるたび、引き裂かれた生々しい筋肉が脈打ちながら結合し、剥がれ落ちた鱗がまるで時間を巻き戻すかのように再生していく。

 

マーメ「……あ、痛みが……消えていく……」

 

数秒後、そこには傷跡ひとつない、滑らかな曲線を描く完璧な尾びれが戻っていた。

 

マーメ「有難う……助かりました」

 

景「怪我が治って、本当によか……った……」

 

安堵の溜息を吐きながら、景太は改めて目の前のマーメイドを直視した。先ほどまでは混乱と恐怖でそれどころではなかったが、落ち着いて見ると、彼女の姿はあまりにも「生々しく」美しかった。

 

湿り気を帯びたスレンダーな白い肌。脇の方からせり出した薄い銀色の鱗が、かろうじて胸の先端を覆っているものの、柔らかな膨らみや鎖骨のラインはほぼ剥き出しだ。下半身の魚の部分へと繋がる境界線も、鱗がビキニラインのようにV字を描いているだけで、彼女が人間ではないことを差し引いても、それは「トップレスの裸」に近い状態だった。

 

景太「ワーーーー!!! ごめん!! 見てない! 俺、何も見てないからぁぁ!!///」

 

景太は爆発したように顔を真っ赤に染め、弾かれたように背を向けると、両手で顔を覆って蹲った。その指の間からは、真っ赤になった耳がはみ出している。

 

ピク「……何してんのよ、今更。あんた、さっきまでガン見してたじゃない」

アラ「ニャハハハ! ケータくん、今更気づいたんですか? 彼女たちにとって、鱗は服であり、皮膚そのもの。君の反応、実に思春期らしくて退屈しませんね!」

 

呆れたようにアイスを齧るピクシーと、その様子をラジオのノイズ混じりの笑い声で楽しむアラスター。

 

二人のやり取りに、マーメイドは少しだけ強張っていた表情を緩めた。だが、その瞳には依然として、深い海の底のような暗い陰が差している。彼女は岩に滴る波の音に合わせるように、ポツリポツリと、自身の「真実」を語り始めた。

 

マーメ「私ね……ただ、歌うことが好きなだけなの」

 

震える声。彼女の周囲を回る黄金の髑髏が、その感情に呼応して鈍く、ドロりとした光を放つ。

 

マーメ「でも、私の歌は人間たちにとって『不吉の予兆』。嵐を呼び、霧を深め……。私の声に惹かれた漁師たちは舵を操る手を止め、そのせいで、何隻もの船が岩礁に砕け散るのを見届けてきたわ。砕ける木材の音、荒波に呑まれていく人たちの悲鳴……。それが、私の歌の伴奏だった」

 

景「そうなんだ……」

 

景太は背を向けたまま、それでも放っておけず、肩越しに少しだけ顔を覗かせて彼女の言葉を拾った。

 

マーメ「それだけじゃない……。私の歌に魅了された人や、噂を聞きつけた人たちが、執拗に私を追いかけてくる。写真や映像を撮ろうとしたりあげくの果てに網を投げ、銛を突き立て……逃げ続ける毎日」

 

アラスター「無理もありません。マーメイドの肉は『不老不死』の霊薬。あるいは、その涙は真珠に変わるとも。強欲な人間たちにとって、貴女は美しい少女ではなく、ただの『生きた薬箱』に過ぎない。かつては国を挙げて貴女の一族を狩り尽くそうとした時代もありましたからね」

 

アラスターの淡々とした、それでいて生々しい解説が、マーメイドの傷口を抉る。

 

マーメイド「皆、私を『不吉の象徴』と呼んで忌み嫌うか、あるいは……欲にまみれた目で私を切り刻もうとする……。私は、ただ、この海で静かに歌いたいだけなのに……っ!」

 

彼女の大きな瞳から、溜まっていた雫が溢れ出した。それは頬を伝い、岩場に落ちると同時に、魔力を帯びた重い音を立てて弾ける。

 

しゃくり上げる声は、先ほどの美しい調べとは正反対の、魂を削り出すような生々しい慟哭だった。両手で顔を覆い、細い肩を激しく震わせて泣きじゃくるその姿は、あまりにも脆く、今にも波に溶けて消えてしまいそうだった。

 

景「マーメイド……」

 

さっきまでの羞恥心はどこへやら、景太は胸が締め付けられるような痛みを感じた。

激しく肩を震わせ、子供のように泣きじゃくるマーメイド。その細い背中を見て、景太の胸には「君の歌は不吉じゃない、俺は好きだよ」という言葉が浮かび、喉元まで出かかった。

 

しかし、景太はぐっとそれを飲み込み、口を真一文字に結んだ。

 

無責任な励ましが、時にナイフよりも深く相手を傷つけることを、彼はこれまでの悪魔たちとの出会いで学んでいた。彼女が背負っているのは、何隻もの船を沈め、何人もの命を奪ってきたという、美しくも呪わしい「結果」の重みだ。それを、今日会ったばかりの子供に「好きだよ」の一言で片付けられては、彼女の絶望すらも否定することになりかねない。

 

さらに、景太はある「嫌な視線」に気づいていた。

遠くの崖の上から時折キラリと光るレンズの反射。好奇心と欲望にまみれた人間たちが、スマホのカメラを向け、彼女を「珍しい獲物」としてネットの海に晒そうと手ぐすねを引いている。

 

景太はマーメイドに聞こえないよう、数歩下がり、アラスターの隣で声を殺して囁いた。

 

景「……アラスター。どうしたらいい? 彼女の歌のこともそうだけど、あそこに隠れてスマホを向けてる奴ら……あんな風に、彼女を追い詰める人たちをどうにかしたいんだ」

 

景太の瞳には、かつてないほどの静かな怒りが宿っていた。アラスターはその視線を受け、影を帯びた笑みをより一層深く、鋭いものへと変化させた。

 

アラ「おやおや、賢明な判断です。安っぽい同情を投げ捨て、実利的な『解決策』を求める……。ケータくん、君も少しずつこちらの世界の歩き方を覚えてきましたねぇ」

 

アラスターは愛用のマイクスタンドを指先で弄びながら、崖の上に潜む「現代のハンター」たちを一瞥した。

 

アラ「対処法、ですか。……いいでしょう。まず、彼女の『歌』の問題。これは単純な出力のズレです。彼女の魔力が強すぎるがゆえに、歌声が霧を呼び、磁場を狂わせ、船の羅針盤を壊してしまう。ならば、その周波数を『変換』してしまえばいい。私の放送技術を応用すれば、彼女の声から『呪い』だけを抜き取り、純粋な旋律として響かせることも可能ですよ」

景「そんなことができるの?」

アラ「ええ。ただし、彼女がそれを望み、制御する意志を持てばの話ですがね。

……そして、もう一つの問題。あの無礼な『観客』共の始末ですが……」

 

アラスターの瞳が、血のような赤色に明滅した。彼の背後の影がドロリと広がり、無数の「目」と「角」が蠢き始める。

 

アラ「彼らは彼女を『コンテンツ』だと思っている。スマホの画面越しに消費できる、無害な見世物だとね。ならば、その認識を根底から叩き潰してやるのが一番の薬でしょう。……ケータくん。私が少しばかり、あの崖の上で『特別放送』を流してきても構いませんか? 彼らが二度とカメラを構えたくなくなるような、心躍るホラー・ショーをね」

 

アラスターの声に、ノイズが混じる。それは、彼が「獲物」を見つけた時に出す、捕食者の旋律だった。

 

景「……やりすぎない程度に、ね。でも、彼女がもう二度と怯えなくて済むようにしてほしい」

 

アラ「承知しました! ニャハハハ! 期待に応えてみせましょう。……ピクシー! 君は彼女の傍で、少しばかり『耳栓』代わりになってあげなさい。これから少々、騒がしくなりますから!」

 

ピク「合点承知! 景太も、あんまりあっちを見ちゃダメよ。今のアラスターは、子供の教育に悪いからね」

 

ピクシーがマーメイドの耳を塞ぐように寄り添う。それと同時に、アラスターの姿が黒い影となって爆発し、崖の上へと音もなく駆け上がっていった。

 

直後、崖の上から、人間たちの短い悲鳴と、スマホが地面に叩きつけられる粉砕音、そして――それらを全て掻き消すような、禍々しくも陽気なジャズ・ミュージックが爆音で響き渡った。

 

景太は震えるマーメイドの肩をそっと見つめ、アラスターが作り出した「恐怖による静寂」の中で、彼女に語りかけるタイミングをじっと待った。

 

ーーー

 

崖の上では、醜悪な欲望がレンズ越しに渦巻いていた。

 

「急げ! 特ダネだぞ! 人魚の生き残りなんて、世界中のテレビ局が億単位で買い叩く!」

「リポーター! もっと崖の縁まで寄れ! 胸元が映る角度を狙え!」

 

テレビ局の大型カメラを担いだ男たちと、派手なスーツを着たリポーター、そして野次馬たちが、獲物を見つけたハイエナのように群がっている。彼らがマーメイドの「絶望」をデジタル信号へと変換し、世界に晒そうとしたその刹那―。

 

キィィィィィィィィン!!

 

耳を劈くような高周波のノイズが、現場の空気を物理的に叩き割った。

 

「な、なんだ!? 音声が……おい、機材が!」

 

リポーターが耳を抑えて蹲る。それと同時に、崖の周囲の風景が変質し始めた。鮮やかな夏の色彩は色褪せ、古いフィルム映画のようなセピア色へと沈んでいく。空気には焦げたオゾンと、三十年代の古びたラジオから漂うような埃っぽい死の臭いが混じり始めた。

 

アラ「皆様、こんばんは! 退屈なニュースの時間はおしまいです。これより、地獄の特別公開放送を開始しましょう!」

 

影の中から、真っ赤なスーツを纏った「主役」がゆっくりと浮上した。アラスターの背後からは、ドロリとした漆黒の影が触手のように伸び、崖の上の人間たちを包囲していく。

 

カメラマン「ひ、ひぃ! こっちを見るな! 撮るぞ、撮ってやる……!」

 

震える手でカメラを向けた瞬間。アラスターの瞳がラジオのダイヤルのように回転し、凄まじい放電が走った。

 

―ドカンッ!!

 

数百万もする最新式のHDカメラが、内側から爆発した。破裂したレンズの破片がカメラマンの眼球に突き刺さり、肉の焼ける嫌な臭いが立ち込める。

 

アラ「おやおや失礼。私はテレビだのデジタルだのといった技術は大嫌いなんですよ。この顔はラジオ向きなんでね!」

 

アラスターが指を鳴らすと、周囲の影が牙を剥いた。

 

「ぎゃあああああああ!!!」

 

スマホを掲げていた野次馬たちの腕が、影から伸びた黒い爪によって「肘から先」を根こそぎ刈り取られた。切断面からは鮮血が噴水のように吹き上がり、最新機種のスマートフォンと共に崖下へとぶち撒けられる。

 

アラスター「映像に残そうなどという浅ましい根性が、貴方たちの視界を狭めている。ならば、視覚など必要ないでしょう?」

 

逃げ惑うリポーターの足元から影の触手が這い上がり、彼女の口を強引にこじ開けた。アラスターの杖に備わった目玉が、愉悦に震える。

 

アラ「その騒がしい舌も、三十年代の蓄音機のような深みのある悲鳴に変えて差し上げましょう!」

 

―メリメリ、ボキィッ!

 

影がリポーターの顎を脱臼させ、その喉奥に漆黒の魔力を流し込む。彼女の悲鳴は歪み、ジャズ・ミュージックのノイズが混じった、聞く者の精神を狂わせる「不快な旋律」へと変えられていく。

 

カメラの三脚はねじ曲がって人間を貫く「串」と化し、放送機材のケーブルは蛇のようにのたうち回りながら、逃げ遅れた者たちの首を絞め上げて吊るしていく。

 

アラ「ニャハハハハ! 素晴らしい! これぞライブ感、これぞエンターテインメント! 最新技術に頼り切った軟弱な精神が、原始的な恐怖に塗り潰されていく様は実に美しい!」

 

アラスターはもはや巨大な化け物と化していた。崖の上は、切り刻まれた肉片と、火花を散らして爆発する精密機器の残骸が散乱する地獄絵図へと変貌した。

 

彼は最後の一台となったデジタルカメラを、細長い指でゆっくりと握りつぶした。パキパキと基盤が砕ける音が、アラスターにとっては最高の快楽(リズム)だった。

 

アラ「現代の技術は、余計なものを映しすぎる。真実とは、想像力の間隙にこそ宿るもの……さて、これにて放送終了です。二度と、私の番組にカメラを持ち込まないことですね。」

 

アラスターが冷たく言い放つと、崖の上を支配していた異様な空間が霧散した。

後に残されたのは、二度と使い物にならない精密機器のゴミ山と、精神を破壊され、自身の血の海の中で「存在しないラジオ」に耳を傾け続ける、かつての人間たちの成れの果てだけだった。

 

崖下で待っていた景太の元に、アラスターは何事もなかったかのように、軽やかな足取りで戻ってきた。その服には返り血一滴すらついていない。

 

アラ「お待たせしました、ケータくん! 観客の皆様には、少々『刺激的』な退場をしていただきましたよ。これで彼女を邪魔する者はいません」

 

景太「……アラスター。上、なんかすごい音がしてたけど……」

 

アラスター「ただの演出ですよ、ニャハハハ!」

 

ーーー

 

崖の上での凄惨な「掃除」が終わり、海辺には再び静寂が戻ってきた。しかし、その静寂は先ほどまでの重苦しいものではなく、どこか舞台の幕が上がる直前のような、澄んだ緊張感に満ちている。

 

景「……聴かないと解らないからさ。いきなりで悪いけど、君の歌を聴かせてくれないかな?」

 

マーメ「え……? でも……」

 

マーメイドは戸惑い、自分の尾びれを抱えるようにして縮こまった。彼女にとって、歌は「凶器」だ。その美しさが人を狂わせ、船を沈め、自分を孤独へと追いやった元凶。それを、自分を助けてくれた恩人に向けるのは、彼女にとってあまりにも勇気のいることだった。

 

景「大丈夫。もしもの時は、このアラスターもいるし。ね?」

 

アラ「ええ、まあ。周波数を弄って中和するくらいなら、造作もないことですよ」

 

アラスターは優雅に杖を回しながら、観客席に座るかのように岩場に腰を下ろした。その不敵な笑みが、不思議と「何があっても大丈夫だ」という根拠のない安心感を醸し出している。

 

マーメ「わ……分かったわ……」

 

彼女は一つ、深く深呼吸をした。潮風が彼女のエメラルドグリーンの髪を揺らし、周囲を漂う黄金の髑髏たちが、主の決意に応えるように柔らかな光を放つ。

 

やがて、彼女の唇から「音」が溢れ出した。

 

それは、言葉では言い表せないほどに透明な旋律だった。

波の音と溶け合い、空気を震わせ、聴く者の鼓膜ではなく直接精神へと染み込んでくるような歌声。歌詞の意味は分からなくても、そこには広大な海の豊かさと、深海の底に沈む孤独、そして太陽の光への憧憬が詰まっていた。

 

しかし、アラスターはその美しい調べの裏側に潜む「ノイズ」を聴き取っていた。

 

アラ(……おやおや。実に見事な旋律だ。ですが、この音の震え……彼女自身の『恐怖』が、せっかくの歌声に濁りを生んでいますね)

 

彼女の歌は聴く者を魅了し、理性を奪うと言われている。マーメイド自身、自分が声を出すたびに「また誰かを不幸にするのではないか」という不安に苛まれていた。その強すぎる自意識と魔力が、本来なら「癒やし」となるはずの歌声を、結果として現実を歪める「呪い」へと変質させていたのだ。

 

彼女の歌がピークに達したとき、周囲の海水が共鳴し、宝石のような飛沫を上げて輝く。しかし、歌が終わると同時に、その光は儚く消え、再び静寂が入り江を支配した。

 

マーメ「……っ、はぁ、はぁ……。……どう、かな?」

 

歌い終えたマーメイドは、肩を震わせながら恐る恐ると景太たちの顔を覗き込んだ。

 

ところが―。

目の前の景太とピクシーは、うなだれたまま顔を伏せ、プルプルと肩を小刻みに震わせていた。

 

マーメ「……やっぱり、ダメなのね……。私の歌は、やっぱり……」

 

彼女が絶望に打ちひしがれ、再び泣き出しそうになった、その時だった!

 

景太 & ピクシー「「超上手~~~~い!!!!」」

 

二人は目をキラキラと輝かせ、身を乗り出してマーメイドに拍手を送った。

 

景太「凄すぎるよ! 鳥肌立っちゃった! こんなの、テレビとかYouTubeのどんな歌手よりもずっと綺麗だよ!」

ピクシー「ちょっと! アンタ、天才じゃないの!? 聴いてる間、アタシ、どっか別の世界に飛んでっちゃいそうだったわよ! まだある? 別の歌もまだある!?」

 

マーメ「え……っ!? えええ!?」

 

マーメイドは驚きで目を丸くし、ぱちくりと瞬きを繰り返した。

魅了されて正気を失っているわけではない。恐れおののいているわけでもない。彼らは純粋に、一人の「歌い手」として彼女を賞賛していた。

 

景「もっと聴かせてほしいな! 君の歌、不吉なんかじゃないよ。だって、こんなに……こんなに心が温かくなるんだもん!」

 

ピク「そうよ! 船が沈むなんて、それは船乗りの不注意! こんな素敵な歌を聴きながら沈めるなら、本望だって奴だっているはずよ!」

 

マーメイド「あ……あ……っ」

 

始めて、自分の歌を「そのまま」受け入れてくれる人たちが現れた。

不老不死の薬でもなく、不吉の象徴でもなく、ただの「歌声」として愛してくれた。

その喜びが、彼女の胸の奥を熱く満たしていく。彼女の大きな瞳から、今度は悲しみではない、温かな涙がボロボロと溢れ出した。

 

マーメ「あ、あるわ! まだある! 私の作った歌、もっとたくさんあるの!」

 

彼女は弾けるような笑顔を見せ、再び、今度は不安の欠片もない、心からの歌声を響かせ始めた。

 

アラ(……ふむ。どうやら、私の出番は杞憂だったようですね)

 

アラスターは景太たちの魂がマーメイドの「呪い」に一切侵食されていないことを見て取り、満足げに目を細めた。

おそらく、景太が持つ「悪魔ウォッチ」の加護、あるいは彼自身の純粋すぎる精神が、彼女の歌から「毒」だけを無効化したのだろう。

 

アラ「ケータくん。君という人間は、本当に既存のラジオの周波数には収まりきらない。……いいでしょう。今夜は、この美しいライブを特等席で楽しむとしましょうか」

 

夕暮れの入り江に、人魚の喜びに満ちた歌声と、少年の楽しげな笑い声が、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。

 

数曲にわたる、この世のものとは思えないほど美しい演奏が終わり、入り江にはただ穏やかな波の音だけが戻ってきた。

 

景「はぁ〜……。凄かった……。本当に、凄く良かったよ……」

 

景太は、まるで魂を洗われたかのような心地で深くため息をついた。彼の瞳にはまだ、彼女の歌が描いた情景の残像が焼き付いている。

 

ピク「アタシ、正直言ってアンタのこと見くびってたわ。感動しちゃったじゃないの……。これ、魔界の音楽祭に出たらぶっちぎりの優勝候補よ」

 

普段は毒舌なピクシーも今はアイスの棒を口から離し、純粋な感嘆の声を上げた。

そしてアラスターは自身のステッキをゆっくりと回しながらどこか満足げな……そしてどこか「逸材を見つけた」と言いたげな表情で彼女を見つめていた。

 

マーメ「……私の歌を、最後まで聴いてくれて有難う。あんなに熱心に聴いてもらえたの、いつ以来か思い出せないくらい……」

 

マーメイドは、大きな瞳から溢れる嬉し涙を拭うこともせず、慈しむような優しい笑顔で感謝を伝えた。その声は、もう震えてはいない。

景太は、そんな彼女の姿をじっと見つめながら、胸の奥で一つの確信を得ていた。

 

景(そうか……。彼女はただ寂しかったんだ。自分の力が強すぎて、誰からも理解されず、でも逃げ回るうちに人間の嫌な部分をたくさん見ちゃって。だから、歌うことが怖くなっちゃったんだな……)

 

彼女の持つ「不吉な力」は、孤独という暗闇の中で育ってしまった呪いに過ぎない。ならば、その暗闇を吹き飛ばす光を、もっとたくさん注いであげればいい。

 

景「ねぇ、マーメイド! 君の歌、俺の他の友達にも聴かせたいんだけど!」

マーメイド「え……?」

 

その提案に、マーメイドは弾かれたように顔を上げた。喜びよりも先に、強い戸惑いと不安が彼女の表情を曇らせる。

 

マーメ「でも……私の歌は、普通の人間や悪魔には……また船を沈めてしまったり、誰かを狂わせてしまったら……私、それが、どうしても怖いの……」

景「大丈夫だよ。今の俺たちみたいに、君の歌をちゃんと『歌』として受け止めてくれる仲間はたくさんいるし、もしもの時は俺たちが全力でサポートするから! 君が一人で抱え込まなくて済むように、俺、君の手助けになりたいんだ!」

ピクシー「そうよ! 溺れそうな奴がいたらアタシが引っ張り上げてやるわよ。それに、あっちの赤い変態(アラスター)だって、いざとなれば音響調整くらいしてくれるわ」

アラ「おやおや、変態とは心外ですがね。まあ、手伝うのは吝かではありませんよ。彼女の才能は、この入り江に埋もれさせておくにはあまりに惜しい」

 

景「それにね……。さっきも言ったけど、俺は君の歌が、本当に大好きなんだ!」

 

まっすぐな、淀みのない景太の言葉。

それは、マーメイドが何百年もの間、最も欲しくて、けれど最も手に入らないと諦めていた、何よりも尊い「肯定」だった。

 

彼女の瞳から再び温かな涙が一筋こぼれ落ちた。けれど、今度はその涙の中に、小さな、確かな「勇気」が宿っていた。

マーメイドは潤んだ瞳で景太を見つめ、意を決したように居住まいを正した。

 

マーメ「あの……もし、貴方が本当にそう言ってくれるなら……。私と『仲魔』になって下さい」

 

伏せ目がちに、けれど切実な思いを込めて、彼女は魔界における最上の契約を求めた。

しかし、景太は意外な反応を見せた。

 

景太「いや」

 

景太は、穏やかに、けれどきっぱりと首を横に振った。

マーメイドの顔が、一瞬にして絶望に凍りつく。「やっぱり自分は拒絶される運命なのだ」という暗い影が彼女を襲おうとした、その時。

 

景「俺と『友達』になって!」

 

マーメ「とも……だち……?」

 

景太「うん。俺は君の力を利用したいわけじゃない。一緒に歌を聴いたり、悩みを話したりできる、対等な『友達』になりたいんだ。……いいかな?」

 

景太が照れくさそうに、けれど最高に明るい笑顔で右手を差し出した。

マーメイドはその言葉の意味を噛み締めるように何度も呟き、やがて、その顔にパァッとひまわりが咲いたような、この日一番の輝かしい笑顔を浮かべた。

 

マーメ「……ええ! ええ、喜んで……!」

 

彼女がそう答えた瞬間。

彼女の胸元から、眩いばかりの青い光が溢れ出し、それが凝縮して一枚の「悪魔メダル」へと姿を変えた。

表面には、歌い上げる美しいマーメイドの姿と、彼女を守る二つの黄金の髑髏が克明に刻まれている。

 

マーメ「私は『鬼女マーメイド』。ケータ、貴方のような素敵な友達を持てたこと、誇りに思うわ。……今後とも、よろしくね!」

 

景「こちらこそ、よろしくね!」

 

景太がメダルをしっかりと掴み取ると、夕暮れの入り江に爽やかな風が吹き抜けた。

カナヅチの克服という当初の目的はどこへやら、景太はまた一人、かけがえのない大切な「友達」を、そのウォッチに刻むことになったのだった。

 

アラ「いや〜、実に素晴らしい大団円でしたねケータくん! 友情も芽生え、これで君の深刻なカナヅチも直せそうで、一石二鳥ではありませんか!」

 

アラスターがパチパチと拍手を送ると景太は頬を膨らませて抗議した。

 

景「ちょっとアラスター! それじゃまるで、俺が泳ぎを教えてもらいたいがために彼女を助けたみたいに聞こえるじゃん。俺は純粋に彼女の傷を……!」

ピク「はいはい。今は純粋でも、最初は下心があったでしょ? 『人魚なら泳ぎを手伝ってくれるんじゃないか?』ってさ。図星でしょ?」

 

ピクシーが空中で足を組みながらニヤリと笑う。景太は「うぐっ……」と言葉に詰まり、視線を泳がせた。確かに、最初に彼女を見つけた時はその考えが頭の片隅をよぎったのは事実だったからだ。

 

マーメ「あの……もし私でよければ、泳ぎを教えさせてくれないかしら? 恩返しなんて言葉じゃ足りないけれど、海のことなら力になれると思うの」

 

マーメイドが控えめに、けれど嬉しそうに提案してくれた。

 

景「良いの!? 嬉しいな、それなら心強いよ!」

アラ「おやおや、話が早い。まだ日は高いですし、時間は十分にあります。何より私の手間が省けるので丁度良いですねぇ。ニャハッ♪」

 

アラスターは満足げに頷くと、日差しを避けるようにマイクスタンドを杖代わりに突いて歩き出した。

 

アラ「私は少々この場を離れます。日焼けは私の肌に合いませんのでね。ピクシー、それまでケータくんたちを見張っておいてください。不埒な輩が近づかないようにね」

 

ピクシー「ちょっと待ちなさいよ! マーメイドを見守るのは良いとして……ケータの見張りは別よ! 帰りにジュース奢るから代わってくれないかしら!」

 

景(……俺の扱い、ジュース以下なの?)

 

景太は内心で突っ込みながら、海パンをぐいっと引き上げ、砂浜で入念に準備体操を始めた。隣ではマーメイドが波打ち際で尾びれを揺らし、優しく彼を待っている。こうして、前代未聞の「人魚による水泳特訓」が始まった。

 

一方、その頃――。

 

「人魚? 本当にそんなのがいるのかよ」

 

おおもり山の麓から続く海岸線。いつもの三人組―文花、クマ、カンチが、砂浜を歩いていた。

 

カン「うん。ネットで噂になってるんだ。この先の入り江で、エメラルドグリーンの髪をした絶世の美女が歌ってるって。僕はオカルトや都市伝説の類は信じない派だけど、もし本当ならパパたちのデザインのヒントになるかもと思ってさ」

 

カンチは首にかけた高級そうなヘッドフォンを直しつつ、冷静に分析する。

 

クマ「絶世の美女……ジュルリ。ケータも誘ったんだけどよ、『今日は特訓だ!』って気合入れてどっか行っちまったからな。俺らだけで確かめようぜ!」

 

文花は二人について歩きながらも、手元の妖怪ウォッチに意識を集中させていた。悪魔ウォッチの存在は知らないが、彼女の周りにはいつも通り、執事のウィスパーとジバニャンが浮いている。

 

文「ウィスパー、なんだか凄く上機嫌だね……」

 

ウィス「当然でぃすよ! 人魚パイセンと言えば、妖怪界でも誰もが知る超・大御所の古典妖怪! その美声と美貌を拝めるかもしれないんですから、興奮しないヤツの方がイかれてるでうぃす!! フゥ〜〜ッ!!」

 

ウィスパーの引くほどのハイテンションに文花は「はいはい」と苦笑いを浮かべた。しかし、心のどこかでは先ほど会った「アラスター」と名乗る男の不気味さがこびりついて離れなかった。

 

その時、岩場の陰から偵察していたクマが声を上げた。

 

クマ「おい! あそこに誰か……あれ、ケータじゃねえか!?」

 

クマが駆け寄ろうとするのを、カンチが慌てて腕を掴んで止めた。

 

カン「待ってクマ! シッ……! 誰か、ケータの他にもう一人いる」

 

三人と一体は岩場の影に身を潜め、こっそりと向こう側の様子を伺った。そこにはカンチの言った通り、鮮やかなエメラルドグリーンの長い髪をなびかせた、後ろ姿だけでも美人と分かる女性がいた。

 

クマ「うおぉ……本当にいた……。めちゃくちゃ可愛いじゃねえか……///」

 

カン「何処の子なんだろう……。モデルさんかな、あのスタイル……///」

 

二人の男子小学生は、その神秘的な後ろ姿に見惚れ、顔を上気させている。すると、景太がその女性と親しげに話し、二人でゆっくりと海の中へ入っていった。

 

クマ「……? どうしたんだカンチ? 固まっちゃって」

 

クマが隣を見ると、カンチは顔を林檎のように真っ赤にし、ヘッドフォンがずれるほどガタガタと震えていた。

 

カン「……ぼ、僕……見ちゃった……。あの、女の子の……背中……」

 

文花「え、背中がどうしたの?」

 

カン「……あの子、水着(・・)……着てなかったんだよ(・・・・・・・・・)!!///」

 

文花 & クマ「「っ!!!???」」

 

突然の衝撃告白に、二人の顔も瞬時に沸騰した。

 

カンチ「いや、チラリと見えただけだけど……下は、なんか銀色のタイトなやつを履いてた気がする……多分。でも、上は……何も……!///」

 

という事は、今、景太と一緒に海に入っていったあの美女は…。

 

文花 & クマ & カンチ & ウィスパー((((トップレス!!??))))

 

彼らには、腰から下が「魚の尾びれ」であることは岩場の水位のせいで見えていなかった。彼らの目には、上半身裸のまま海へ入っていく大胆不敵な「謎の美少女」と、それを当然のようにエスコートする「不潔なケータ」の姿にしか映っていなかったのである。

 

文「……ケータくん……まさか、あんな……そんな……!」

 

文花の脳内では、景太が「悪魔的な魅力を持つ女性」にたぶらかされているという、ある意味で正解に近い、けれど方向性が全く違う最悪のイメージが膨らみ始めていた。

 

夏の陽光が海面をキラキラと焼き、波の音が心地よく耳を打つ。入り江の奥、人目を忍ぶその場所で、景太とマーメイドの「特訓」が静かに、しかし熱を帯びて始まった。

 

ー景太saidー

 

マーメイドの細く、しなやかな指先が景太の手を包み込む。彼女に引かれるまま、景太はおずおずと海の中へと足を進めた。

まずは水に慣れるための水掛けっこ。最初は遠慮がちだった景太だが、彼女の弾けるような笑顔と「ほら、それ!」という楽しげな声に誘われ、いつの間にか夢中でパシャパシャと水を跳ね返していた。

 

景「あはは! やったな、それ!」

マーメ「ふふっ、捕まえてごらんなさい」

 

弾ける飛沫の中に、彼女の白い肌が眩しく光る。

その様子を岩場で眺めるピクシーが、棒のアイスを齧りながら冷やかし半分に呟いた。

 

ピク「やだ、何これ。絵に描いたような青春ね……見てるこっちが痒くなってくるわ」

 

だが、特訓が本格化するにつれ、景太の余裕は消えた。

「次はバタ足よ。私の手に掴まって」

マーメイドに促され、景太は彼女の差し出した細い腕を掴む。足がつかないわけではないが、浮力を得るために体を伸ばすと、景太の視線は必然的に低くなる。

 

目の前には、彼女の豊潤でスレンダーなボディ。脇から生える鱗が辛うじて隠しているものの、水に濡れて透き通るような白い肌と、その隙間から覗く柔らかな膨らみ……。バタ足をするたび、水面が揺れて彼女の「秘部」が露わになりそうになる。

 

景(……っ! どこ見ていいか分かんないよ!)

 

景太の顔は、茹で上がったタコのように真っ赤だ。その様子を見逃さないのが毒舌妖精である。

 

ピク「や〜い、ドスケベ変態君♪ 泳ぎの特訓にかこつけて、そんなに凝視しちゃって。鼻血出さないように気をつけなさいよ」

景「か、からかわないでよピクシー!/// 必死なんだから!」

 

マーメイドは、景太のあまりに純情な反応が微笑ましいのか、それとも男の子特有の視線に慣れているのか、慈しむような優しい笑みを浮かべて彼を支え続けた。

 

ー文花saidー

 

岩場の影。そこでは、さくらニュータウンの平和な日常とはかけ離れた「最悪の勘違い」が加速していた。

 

カン「……信じられない。ケータ、あんな格好の女の子の前にいて、全然動じてないよ。それどころか、二人で水を掛け合って……///」

クマ「マジかよ、あのケータの野郎……。あんな美少女、ほぼ裸じゃねえか。それをあんな、当然みたいに……///」

 

二人の男子の目には、景太が「女慣れした遊び人」のように映っていた。

だが、一番ショックを受けているのは文花だ。彼女の脳内では、キュウビから聞いた「悪魔の恐ろしさ」と、目の前の「生々しい光景」が混ざり合い、とんでもない妄想が繰り広げられていた。

 

文(……っ、ケータくん! あの子、上を着てないのに……さっきからわざと水面スレスレに潜って、あの子の胸とかお腹を……あんな風に触れ合って、お互いの肌の熱を感じ合って……。あんなの、もう特訓なんかじゃないわ。あれは、大人の……「情事」の始まりよ……!!)

 

文花の脳内では、海水の飛沫が媚薬のように二人の肌を濡らし、絡み合う指先が卑猥な旋律を奏でているかのような、過激で生々しいイメージが膨れ上がっていた。

 

ウィス「あの〜……あたくしがちょっくら、近くまで行って実況してきても……」

文花「止めて」ギギギ…

 

文花は般若のような顔で、ウィスパーの頭をミシミシと鷲掴みにして砂浜に叩きつけた。

 

ー景太saidー

 

特訓も佳境に入り、一旦休憩しようと景太が立ち上がろうとした、その時だった。

 

足元の砂が波に攫われ、バランスを崩す。とっさに踏ん張ろうとした景太の踵が、緩んでいた海パンの紐に引っかかり、そのまま岩の鋭い突起に水着の腰部分が深く引っかかってしまった。

 

景「うわっ!? やば!///」

 

脱げそうになる水着を慌てて抑えるが、運悪く強い引き波がやってきた。岩に引っかかった布地が、強い力で景太の体から引き剥がされそうになる。

 

景「待って待って、取れない! 脱げるっ……!」

 

無理に引き抜こうとした瞬間、「ブチッ」という不吉な音と共に水着が外れた。だが、その勢いで景太は前のめりに転倒。

 

マーメ「ケータくん! 危ないわ!」

 

助けようとしたマーメイドが駆け寄り、景太を正面から受け止める。

 

その結果―。

 

景太は、水着が半ばずり落ちてお尻が半分見えそうになった状態で、マーメイドの「柔らかな裸の胸」に真正面から抱きつく形になってしまった。

 

景「ご、ゴメン!! 本当にゴメン!!///」

 

心臓の鼓動がダイレクトに伝わる。彼女の濡れた肌の質感と、甘い磯の香り。景太はパニックになりながら、弾かれたように離れて背を向け、必死に水着を直した。

 

マーメ「だ、大丈夫よ……。怪我はなかった……?///」

 

流石の彼女も、突然の密着に顔を林檎のように赤く染め、恥ずかしそうに視線を逸らした。

 

ピク「……あらあら。良かったじゃない♪ 最初で最後のラッキースケベが出来て。今のアラスターが見てたら大喜びでラジオ放送してたわよ」

景「だから! からかわないでってば!!///」

 

ー文花視点ー

 

そして、岩場の向こう側では。

 

カン「……いま、見た? ケータ、自分から飛びついたよね。しかも、一瞬……履いてなかったように見えたんだけど……」

クマ「ああ……間違いない。あの野郎、自分から水着を脱ぎ捨てて、あの子に……」

 

文「……………………」

 

文花はもう、何も言わなかった。

彼女は無言のまま、逃げ出そうとするウィスパーをガッチリと足で踏みつけ、ただ一点…「不潔な行為」に及んだ(と誤解した)幼馴染の後ろ姿を、深淵のような瞳で見つめ続けていた。

 

海辺の爽やかな風とは裏腹に、景太の社会的な評価は、この日、修復不可能なレベルで沈没しようとしていた。

 

ハプニングこそあったものの景太とマーメイドの特訓は順調に進んでいった。時折、追いかけっこのようにして海を泳いだり、マーメイドが景太の体を支えて浮かせたりと、二人の間には確かな信頼関係が芽生え始めていた。その甲斐あって、景太の泳ぎは見違えるほど上達した。

 

マーメ「ケータくん、すごく良くなったわね! もう一人でもちゃんと泳げてるわよ」

景「ありがとう! マーメイドが教えてくれたおかげだよ」

 

ピク「ふふっ、ハプニングもあったけど、最高の夏休みの思い出ができたわね♪」

景「……っ! それは言わない約束でしょ!///」

 

景太は赤くなりながらも、達成感に満ちた笑顔を見せた。だが、彼らがそんな清々しい空気に包まれている一方で、岩場の影には「暗黒の渦」に呑み込まれた三人の姿があった。

 

ー文花saidー

 

クマとカンチ、そして文花は、入り江の入り口で息を殺して見守り続けていた。彼らの目には、海の中で戯れる景太と「上半身裸の美少女」の姿が、もはや「不潔で淫らな情事」にしか映っていない。

 

カンチ「……信じられない。ケータ、あの子の体に何度も触れてるよ。それに、さっきから密着して……泳ぎの練習にしては、距離が近すぎる」

 

クマ「あいつ、絶対わざと波に紛れて触ってやがるぜ。あんなエロい体、目の前にして我慢できるはずねえもんな……」

 

だが、二人の想像など、文花の脳内で巻き起こっている「暴走するイメージ」に比べれば可愛いものだった。文花の瞳はハイライトが消え、脳内ではあり得ないほど生々しく、過激な景太と少女の絡みが再生されていた。

 

―文花の脳内イメージ(妄想炸裂)―

 

強い日差しが照りつける波打ち際。景太は、自分を誘惑するように微笑むエメラルド色の髪の少女の腰を抱き寄せる。

 

景太『……すごく柔らかいんだね。肌がすべすべしてて、気持ちいいよ……///』

女の子『ケータ……そんなに見つめられると、恥ずかしいわ……♥///あぁっ……そこ……触っちゃダメぇ……♥///』

 

女の子『……お返しよ♥』

景太『ひゃっ……! あ……っ、そんな……直接触られるなんて……///』

 

景太『……っ、あぁ! そこ……舐めちゃダメだよ……/// 汚いよ、そんなところ……っ』

女の子『汚くないわ……貴方のなら、全部愛してあげる。……気持ちいい? もっと欲しくなるようにしてあげるわね♥』

 

そして…。

 

女の子『ふふっ……準備はいい? 来て、ケータ……♥』

景太『う、うん……っ♥ 君となら、俺……っ!』

 

そのまま、二人は水飛沫を上げながらお互いの身体を一つに重ね合わせ、夏の太陽の下で激しく合体し、果てなき快楽の海へと沈んでいく――。

 

―イメージ終了―

 

文花「……って、何を考えてるのよ私はぁぁぁぁぁぁ!!!/// そんなこと、あるわけ……っ! でも、さっきの密着具合を見たら、否定しきれないわよぉぉ!!///」

 

文花は顔を湯気が出るほど真っ赤にし、狂ったように自分の頭を抱えて砂浜に転がった。カンチとクマも、それぞれ自分たちの貧弱な想像力では追いつかないほどの衝撃を受け、魂が抜けたような顔をしている。

 

ウィス「フミちゃん! しっかりするんでうぃす! 戻ってきてくださーい!」

 

文花の足の下で踏み潰されていたウィスパーが叫ぶが、彼女の耳にはもう届かない。彼女たちの心の中で、景太は「爽やかな幼馴染」から、「ひと夏のアバンチュールに溺れ、海辺で野外行為に耽る不潔な絶倫男子」へと、完全なクラスチェンジを遂げてしまったのだ。

 

一方、そんな地獄のような誤解を招いているとは露知らず、景太はマーメイドに笑顔で手を振っていた。

 

景太「いやぁ、本当にいい特訓になったよ!」

 

その爽やかすぎる笑顔が、岩場の向こうにいる三人には、事後の満足げな顔にしか見えなかったのであった。

 

すると、入り江の岩陰で、妄想という名の深淵に飲み込まれていた三人(と一反もめんのような妖怪)の背後に、影が落ちた。

 

アラ「おやおや、皆様。こんなところで一体何をしているんですか?」

「「「!?」」」

 

心臓が口から飛び出しそうな勢いで三人が振り返ると、そこには人間態に化けたアラスターがいつもの不敵な笑みを浮かべて立っていた。その放つ圧倒的なオーラと、すべてを見透かしたような瞳は健在だ。

 

アラスターは、彼らが覗き見していた隙間から景太たちの様子をチラリと一瞥し、すぐに状況を察した。

 

アラ「なるほど、なるほど……。しかし、お友達のプライベートを覗き見とは、感心しませんねぇ。……もっとも、覗きたくなるような『熱烈な指導』が行われていたのは事実のようですがね」

 

アラスターの言葉が、文花たちの脳内にある「不潔なイメージ」をさらに強固なものにする。

 

その時、海辺では景太とマーメイドが最後のお別れをしていた。景太は屈託のない笑顔で、彼女の細い指に自分の小指を絡める。

 

景「また一緒に遊ぼうね! 指切りげんまん!」

マーメ「ええ、約束よ、ケータくん……///」

 

頬を赤らめて微笑むマーメイド。文花たちの目には、それが「次はもっと凄いプレイをしよう」という情事の約束にしか見えなかった。

 

文(ま、また次も……あんなことや、こんなことを致す気なの……!? 嘘でしょ……信じられない……!!)

 

絶望と羞恥心で文花の頭は真っ白になり、限界を迎えていた。

 

特訓を終え、心地よい疲れと達成感に包まれた景太が、砂浜をこちらに向かって歩いてきた。

 

景「あ、おかえりアラスター! 見てた? 俺、結構いい感じになっただろ?」

 

アラス「ええ、ええ。実によく見ていましたよ。

随分と……頑張った(・・・・)ようですねぇ、ケータくん?」

 

アラスターがわざとらしく含みのある言い方をする。それが、文花たちの心に最後の一滴として燃料を注いだ。

 

景太「うん! 最初はぎこちなかったけど、彼女の教え方が凄く上手くてさ。中に入っちゃえば意外と平気っていうか、むしろ気持ちよくて……上達してる実感が凄くあるんだ!」

 

(※注:景太はあくまで「水の中」と「水泳」の話をしています)

 

文花 & クマ & カンチ(((((ぎこちない……中に入れば気持ちいい……上達……ッ!!??)))))

 

景太「あ! フミちゃんたちも来てたんだ。どうしたの、そんなに顔を真っ赤にして?」

 

景太は、自分の人生最大の危機が目の前に迫っているとも知らず、能天気に文花に近づいた。

 

文花「………」

 

景太「フミちゃん?」

 

文花の震えが頂点に達した、その瞬間。

 

文花「ケータくんの……不潔ーーーーーっっ!!!!!///」

 

パチィィィィィィィィィィン!!!

 

静かな入り江に、凄まじい乾いた音が響き渡った。

 

頬に走る衝撃と熱。景太は何が起きたのか分からず、呆然と立ち尽くす。

 

文花の声は涙に濡れていた。

 

文「この、エッチ! スケベ! 変態! 女の敵! ケダモノぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!///」

 

文花は真っ赤になった顔を両手で覆い、あふれる涙をそのままに、脱兎のごとく砂浜を走り去っていった。

 

ウィス「待ってくださいフミちゃ〜〜〜ん!! 誤解でうぃす! ……多分! たぶん誤解でうぃすよぉぉ!!」

 

ウィスパーもパニックになりながら、その後を追っていく。

 

残されたのは、ビンタの衝撃で砂浜にひっくり返り、目を回して気絶している景太と、唖然とするクマとカンチ。

 

クマ「……ケータ。お前、いつの間にあんな高みに……」

カン「……僕たちは、君のことを何も分かっていなかったようだね」

 

二人は、自分たちの遥か先を行く(と勘違いした)「漢」ケータに対し、複雑な感情を抱きながら、深々と一礼をした。

 

クマ&カン「「失礼します(師匠)!!」」

 

二人は畏敬の念(という名の盛大な誤解)を胸に、文花の後を追って走り去っていった。

 

静まり返った砂浜。

打ち上げられた流木のように横たわる景太の傍らで、アラスターは優雅に笑みを深めた。

 

アラ「ピクシー。何があったのか、改めて聞かせていただけますか?」

 

ピク「……あんた、全部知ってるくせに。文花たちの妄想も、ケータの間の悪さも、全部楽しんで見てたでしょ」

 

ピクシーは呆れ顔でアラスターをジロリと睨んだ。しかしアラスターは、まるで名作映画の鑑賞を終えた後のような、晴れやかな表情で答える。

 

アラ「ニャハハハ! もちろんですよ。ですが、本人の自覚なき『悲劇』というものは、他者の視点を通すことでより一層滑稽に、そして芸術的に輝くものです。……さあ、ケータくんが目を覚ますまでに、じっくりとリプレイを聞かせてください!」

 

夕日に染まる入り江に、アラスターの陽気で禍々しい笑い声が、いつまでも響き渡っていた。

 

ーーー

 

おまけ1

 

あの凄惨な「掃除」と、その後の滑稽な「ビンタ事件」の裏側で、ラジオデーモンは完璧なまでの後始末を行っていた。

 

―回想ー

 

景太がマーメイドと「青春」を謳歌し、ピクシーがやれやれと見守り始めた頃。崖の上では、アラスターによる冷徹かつ完璧な証拠隠滅が進行していた。

 

アラ「さて、そちらの『番組制作』はどうですか?」

 

アラスターが鼻歌を歌いながら戻ると、そこには無残に切り刻まれた肉片も、爆発した機材の破片も一つとして残っていなかった。彼の影から這い出した無数の使い魔たちが、犠牲者の血を啜り、服を整え、何事もなかったかのように立ち上がっていた。

 

アラ「テレビ局の皆様になりすました貴方たちは、適当な理由をつけて退職、あるいは『個別の事故』として処理しなさい。一斉にいなくなると世間が騒がしいですからね。不定期に、少しずつ、この世からフェードアウトさせるのを忘れずに」

 

使い魔たちは、生気を欠いた瞳でアラスターに深く頭を下げる。

 

アラ「野次馬たちも同様です。家族や恋人がいる者は、帰宅途中の事故、あるいは失踪という体にしましょう。……おやおや、情をかける必要はありませんよ。彼らは他人のプライバシーを売ろうとした。その代償を払っただけですからね」

 

アラスターは優雅にステッキを回しながら遥か眼下の入り江に視線を移した。そこには、マーメイドに支えられながら必死にバタ足をする景太と、それを岩陰から「地獄の覗き見」をしている文花たちの姿があった。

 

アラ「……ヌフフフ、ニャハハハハ! いやはや、ケータくんの方も実に面白いことになっていますね! 純粋な特訓が、あの少年少女たちの目には『禁断の情事』に映っている。笑いすぎて腹が捩れそうですよ!」

 

アラスターは瞬間移動でどこへでも行けるが、念には念を入れた。彼は殺害現場に自分が一切関与していないことを証明するため、近くの商店街の防犯カメラに「優雅に散歩する人間態の自分」の映像を残し、完璧なアリバイ工作まで済ませていた

 

ーーー

 

おまけ2

 

その日の夕方。天野家には、海水浴前夜のワクワク感など微塵もない、氷点下の空気が漂っていた。

 

景太は頬に鮮やかな紅葉を浮かべ、正座させられている。目の前には、事情を聞いて駆けつけた(というよりヤケになった文花から話を聞いた)父さんと、文字通り「鬼」の形相をした母さんが立っていた。

 

景母「ケータ……。フミちゃんがあんなに泣くなんて一体何があったの!? 海で、女の子と、その……ハレンチなことをしてたって、本当なの!?」

 

景父「ケータ……父さんは信じたくないが、フミちゃんは『ケータくんが裸で抱き合ってた』って……。お前、まだ小学生だぞ!?」

 

景「違うんだよ! あれは事故で、それに彼女は人魚……じゃなくて、泳ぎを教えてもらってただけで!」

 

必死の弁明も、文花が目撃した「生々しい誤解」の前では無力だった。景太が絶体絶命の窮地に立たされたその時、アラスターが割って入ってきた

 

アラ「おやおや、失礼。お取り込み中でしたか?」

景母「悪いけどこれは家族の「私が真実を教えしましょう」…え?」

 

アラスターは驚くほど爽やかで紳士的な振る舞いで、景太の両親に深く一礼した。

 

アラスター「実は今日私が知り合いの『水泳の専門家』をケータくんに紹介しましてね。彼女は非常にストイックな指導で有名でして……。どうやら、熱心な指導のあまり、通りかかったお友達に少々『誤解』を招くような光景を見せてしまったようです。指導中に足がもつれて、彼女が景太くんを支えた瞬間を、運悪く見られてしまったのですよ」

 

アラスターの淀みのない説得力に満ちたそして嘘八百な説明に、両親の強張った顔が次第に緩んでいく。

 

景母「……えっ? じゃあ、本当に水泳の練習を?」

アラ「ええ。ケータくんは皆様を驚かせようと、秘密で特訓に励んでいたのですよ。実に殊勝な心がけではありませんか」

 

景父「なんだ……そうだったのか。ケータ、疑ってすまなかった。フミちゃんも、あまりの熱血指導にびっくりしちゃったんだな」

 

こうしてアラスターの介入により、景太は「社会的な死」を間一髪で免れた。しかし―。

 

景母「でも、フミちゃんがあんなにショックを受けてるんじゃ、明日からの海水浴は……無理ね。彼女に合わせる顔がないでしょう?」

景父「そうだな。クマくんやカンチくんも、なんだかケータのことを変な目で見てるみたいだし……。今回の旅行は、一旦中止にしよう」

 

景「……えっ、そんな!! せっかく泳げるようになったのに!?」

 

アラ「ニャハハハ! 残念でしたねぇ、ケータくん。特訓の成果を披露する舞台がなくなってしまいました。ですが……おかげで私は、最高に愉快なエンターテインメントを特等席で観させてもらいましたよ!」

 

景「そんな〜〜〜〜!!!」

 

結局、マーメイドとの友情と泳力は手に入れたものの、文花からの信頼はどん底。楽しみにしていた海水浴も中止になったのだった

 




きょうの悪魔大事典

アラ「ケータくん。きょうの悪魔は?」

景「『鬼女マーメイド』」

景「マーメイドの歌、綺麗だよね」
アラ「航海者を惹きつけ船を難破させてた位です。元からあった才能なのでしょう」
景「良いなぁ歌も綺麗で可愛くて」
ピク「ほぼ裸で綺麗な身体してるし」
景「うん。柔らか…って何言わせるのさ!///」
ピク「アンタが勝手に言ったことじゃない」
アラ「ニャハハハ!」

マーメ「……///」
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