轍の覇王は帰還に向けて旅をする~魔王を倒した後の、平和なはずの異世界にて~ 作:岳鳥翁
リュミネの港までやってきた俺たちを最初に出迎えたのは、地平線まで広がる広大な海だった。
街を抜けて港に出た時点で目に飛び込んできた光景に、俺もエリンさんも思わず「おー……」と感嘆の声を零す。
翡翠の街リュミネ。近海の海藻によって、綺麗な緑に見える海が広がっていることからそう名付けられたという。
なんでも、沿岸部のかなり広い範囲で水深が三〇メートルほどしかなく、それ故に海藻類が広範囲にまで自生しているのだとか。
もっと深いところにいる魚を狙いたいなら、かなり遠出する必要があるとのこと。
そりゃ海藻類が特産にもなるわ。
特にリュミネは、水深一〇メートル以上に自生する海藻類が絶品らしい。波の影響少なく、一般的なものよりも味が濃くておいしいと評判だそうだ。
特に限られた素潜り漁師しか収穫できない水深二十五~三〇メートルのものは超高級品とのこと。
聞けば聞くほど、食べてみたいという欲が掻き立てられるのだが……
「まったくと言っていいほど、船が出てないな」
目の前の大海原には、船が一隻も見当たらない。目に見える船はすべて、船着き場で波に揺られている。
まだ陽が暮れるまで時間があるため、本来ならば漁がおこなわれていてもいい時間のはずだ。
ということは、やはりこの街で何かがあったと考えていいだろう。
「とにかく、話聞かななんもわからん。ウチ、ちょっと港回って漁師の人探してくるわ」
ちょっと待っといて! と御者台を飛び降りたエリンさんは、駆け足でこの場を去って行った。
港なのに漁師が一人も見当たらないこの状況。取り繕ってはいるものの、エリンさんの内心は気が気でないはずだ。
大人しくエリンさんが返ってくるのを待つかと、御者台から降り、魔法でブーに水をやろうと思ったその時だった。
「あん? 誰だお前は」
ブーの素晴らしい馬体を撫でまわしていた俺に、声がかけられる。
見ればそこに立っていたのは、浅黒い肌にがっしりとした体の、如何にも漁師! という風貌のおじいさんだった。
その手にはバケツと、肩に担いでいるのはリールなどがない簡素な釣り竿。釣り人かと思って「どうも」と会釈を返したのだが、おじいさんの鋭い視線は変わらなかった。
「御者のタヅナと言います。リュミネには、つい今しがたついたばかりです」
「そうか。ならすぐに街から出るんだな。あいにくだが、今のこの街には何もねぇからよ」
「そうですか。それで、あなたの名前は?」
ため息とともに吐き出された言葉には、こちらを拒絶する意志が込められていたような気がした。
だが気にせず、俺は彼の名を尋ねる。
こちらは名乗ったのだ。それくらいはいいだろう。
一瞬鋭い目つきがより一層険しくなったが、「それもそうだな」と彼は肩を竦めた。
「ここで漁師をやってたドルクだ」
これでいいだろ、と短く名乗ったおじいさん――ドルクさんは、そのまま俺とブーを横切って海へと向かう。
そんな彼の背中に、「質問よろしいでしょうか」と声をかけた。
ピタと彼の足が止まる。
「『やってた』ということは、今は漁をされていないんですか? あなただけではなく、この街の漁師全員が」
「……ああ、そういうこった。わかったなら、さっさと帰りな」
「理由を聞いても?」
はぁ、という大きなため息。
そしてバケツと釣り竿を足元に置いたドルクさんは、踵を返してこちらに歩み寄ってくると、躊躇うことなく俺の胸倉を掴んだ。
一瞬、ブーが反応しそうになったが目で止める。
「しつけぇぞ小僧……! 帰れと言ってんのがわからねぇのか!?」
「言いたいことはわかりましたが、理由がわからなきゃ納得できませんよ」
しばしのにらみ合い。厳つい眼光が真っ直ぐに俺へと向けられる。
「……フンッ。その度胸に免じて、教えてやる」
いくら睨んでも動じなかったからだろうか。
掴んでいた手を放したドルクさんは、「ついて来い」とバケツと釣り竿を拾い上げて歩き始めた。
エリンさんを待ちたいところだが、彼について行けばこの街の現状を知ることができるだろう。
「ブー。ここで待っててくれるか? エリンさんが戻ってきたら、一緒に待っててくれ」
「……ブフンッ」
「ありがとな」
俺の頼みに、「仕方ない」と鼻息を鳴らす相棒を残してドルクさんの後を追う。
道中、何も語らずただただ歩き続けるドルクさん。
そんな彼の後ろを歩いていると、ついに彼は足を止め、「ここだ」とその建物を見上げた。
倉庫……だろうか。巨大な倉庫の入り口の脇、人が出入りする扉を開けてドルクさんが中へと入っていった。
そんな彼の後を追うように俺も続く。
「これは……壊れた船、ですか?」
「そうだ。ぜんぶ、”ヤツ”にやられた船だ」
倉庫に入って目についたのは、破壊された状態で放置された船の数々。
中には状態が酷いものもあり、もはや船というよりも残骸となっているものもあった。
そんな船たちの間を歩きながら、俺はドルクさんに尋ねる。
「”ヤツ”って……リュミネの近くを根城にしていた魔族は、すでに去ったと聞いてますが……」
「そっちは知ってたか。まぁ、間違っちゃいねぇよ。魔王が討伐されてから、あのクソ魔族はたしかにリュミネから去ったさ。あの時は俺たちも喜んだもんだぜ? 『これでようやく、元の生活に戻れる』ってな」
数年前、突如としてリュミネ近郊に居ついた魔族は、ただ街の人類を攻撃して殺すようなことはしなった。
そこだけを見れば、人類を殺すことに積極的な魔族としては珍しい、大人しい魔族だともいえるだろう。
だが一番の問題は、その魔族が陰湿だったということだった。
海に出る漁師を殺し、リュミネの外からやってくる者も殺す。
そうして完全にリュミネを孤立させ、じわじわとリュミネを滅ぼすつもりだったらしい。
ただ、返り討ちにしようと物資輸送の護衛に勇者が時折ついたこともあるらしいが、その時は襲ってこなかったという。
だからこそ、この数年リュミネの街は生きながらえ、そして魔王討伐によって元の生活を取り戻すはずだった。
「だが、あのクソ魔族は、俺たちの海に余計なものを残していきやがった……!!!」
前を歩くドルクさんは、怒り肩を震わせていた。
「……ふぅっ。すまねぇ、取り乱した。ここの船は、ぜんぶ”ヤツ”の……クソ魔族の置き土産にやられたんだ」
「その、”ヤツ”というのは?」
ピタリとドルクさんが一隻の船の前で足を止める。
全長にして十五メートルほどのその船には、異世界の言語で『マリナマン』という船名が刻まれているが、船体はどこもかしこも破壊し尽くされている。
その船に、彼は手を置いてこちらを振り返った。
「海の怪物、《クラーケン》。俺の船も、そいつにやられちまった」
悔しそうな表情でその名を口にしたドルクさんは、魔族が去ってからのことを語ってくれた。
魔族の残した嫌がらせのための置き土産。
全長二〇メートルを超える巨大な海の化物は、ようやく漁ができると船を出した漁師たち、その悉くに襲い掛かった。
その残骸がこの倉庫の船らしく、船の持ち主だった漁師の中には、その怪物に食われた人もいるらしい。
他の街からの物資輸送は再開されたものの、未だこの街ではクラーケンのせいで漁ができない状況が続いているそうだ。
討伐しようにも、相手は常に海の中。傭兵ギルドに何度も依頼を出したそうだが、その傭兵さえも食われることがあり、今では依頼を出しても受ける傭兵がいなくなったとのこと。
「そういうこった。うちの特産を楽しみにきてくれたとこ悪いが、今はとれねぇんだ。わかったなら、早々にこの街を出ることを勧めるぜ。もうこの街には、海に出る漁師はいねぇからよ」
皆すっかり諦めちまった、と自虐気味に笑うドルクさん。
そんな彼に、俺は頭を下げて礼を言う。
「教えてくださり、ありがとうございました」
「……いや、こっちこそすまなかったな。カッとなったとはいえ、胸倉掴んじまった。代わりと言っちゃなんだが、馬小屋のある宿を紹介してやる。一泊してから帰りな」
楽しめるもんはなにもねぇけどな、と船から手を放したドルクさんは、俺を横切って倉庫の外へ向かった。
だが俺は、失礼を承知でそんな彼の背中に「あと一つ、よろしいでしょうか?」と問いかける。
ドルクさんは「なんだ?」と振り返った。
「諦めた、というのは嘘ですよね? でなければ、そんなもの持って港には来ないはずですから」
彼が手に持つバケツと釣り竿に視線を向ける。
船を出せば怪物に襲われる。そんな状況で漁をやろうと思えなくなるのは当然のことだろう。
もう海に出たくないと、諦めてしまうのも仕方のないことだ。
けれども、それでも。目の前の彼はまだ海に向き合っている。
「……未練がましいだけだよ。今まで海に生きてきたんだ。数年経とうが、そう簡単に捨てられるわけねぇよ」
ボソリと呟くように零したドルクさんは、それだけ言って足早に倉庫から出て行く。
その後、俺は先にブー止まっていたエリンさんと合流し、ドルクさんに紹介してもらった宿へと向かうのだった。