純潔の菩薩姫   作:まだ半妖の夜叉姫観れてないんだよね

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無口な弟

 

 ある日突然、女の子になった。

 違うか。

 

 ある日突然、転生した。

 なんか妖怪の子どもに。

 

 見事な銀髪をした美男美女が自分の親らしい。

 

 父親と母親の名前は知らないが、家来がたくさんいるので偉い人なのだろう。

 

 この世には当たり前のように妖怪がいて、自分もまたその妖怪である。

 

 妖怪だからなのか、彼らが特異なのか、両親ともに恐ろしく子どもに対する興味がなかった。

 子育てというものをまるで知らない連中であった。

 

 犬の大将と呼ばれ慕われる父親は、強い奴がいるという噂を聞けば飛んでいく喧嘩っ早い大妖怪だ。

 私と遊んでくれたことはあるのだが、基本は剣術の手合わせばかりである。

 私は剣に対して忌避感があり、そのせいか習得は思うようにいかない。自分でももどかしく思うのに、父は飽きずに私に剣術を仕込もうとする。しかしながらそのやり方はとても破天荒だ。

 

「お前が俺の子か。手を出せ」

 

 そう言われ、手を出した瞬間に手首を斬り落とされそうになった。慌てて引っ込めて、苛立ちのままに足払いをかけてやろうとしたら、何故だか自分の世界がひっくり返っていた。

 空を覆うように笑う大人の銀髪の男。

 

「ははは、悪くないな、我が子というのは」

 

 そこでその感想が出るのはおかしいと思う。

 

 それからも、我が子のことを不死身のナニカだとでも思っているのか、全然容赦してくれない。

 普通に戦場へ単身で放り込むし、普通に笑顔で切り掛かってくる。

 

 ねえ、私女の子よ? 女の子。この年の女の子ってお人形遊びとかしてんじゃないの? 戦場に放り込んで強くするのが妖怪界でのブームなの?

 

 戦場に放り込まれて放置されたとき、命からがら生き延びたものの、文字通り死を覚悟した。鏡で見た感じ、あの当時の私可愛いロリだったんだけどな。

 

 濃密な鉄臭い血のなかで鼻がバカになって、腕も足も痺れ切って、でも迫り来る死を避けるためにマリオネットのように無理矢理に手足を動かしていた。

 

 疲労困憊のなか連戦に連戦を重ねて、無我夢中で剣を振っていたら、真っ白な視界のなか、襲いかかってくる敵が少なくなっていき、いつのまにか敵がいなくなっていた。そんな状況だった。

 

 後で聞いたところによると死ぬ前に助け出すつもりだったらしい。

 

 絶対嘘だ。弱ければ、それが定めだ、とか言って見殺しにするつもりだったに違いない。

 

 

 母親は情のまるで感じられない美しくて冷たい人形のような人だ。

 御母堂様と呼ばれて家来達と一緒に雲の上の宮殿に住んでいる。こっちも大妖怪らしい。全然犬っぽくないけど、犬の大妖怪なんだとか。

 

 時折宮殿に呼ばれて、上から下まで見聞される。

 

 こちらがにこりと笑いかけようが、フンと鼻を鳴らして冷え冷えとした視線で見据えてくる。

 

「媚びた笑みを浮かべるでないわ、気色悪い」

 

 冷徹な美女に冷たい声色で切り捨てられた私は、スンと無表情に戻した。

 

 酷くない? これが実の子どもに対する物言いかってゆーの。

 

 家来達のフォローを聞いたところ、あれは母なりの愛情表現らしい。

 せっかくのクールな冷たさがやわらかな笑顔で相殺されてしまって、だから勿体無いのだ……なんて言うのだがまるで伝わらない。

 

 きっとこれは幼児を哀れに思い、しかしながら主人を裏切ることのできない家来達の優しさなのだろう。

 

 大丈夫、私は大人だ。聞き分けの良い、大人だから。……ちっとも腹を立ててなんていないんだからねっ!(怒)

 

 

 そんなこんなで育児放棄されている私だが、家来の妖怪たちは、私が両親のことを忘れ去ることを恐れるように父や母を褒め称えた。

 それと同じように私のことも褒め称えてくれた。いろんな方面へいい顔をしなければならない中間管理職の姿をそこに見た。間って、色々と辛いよな。私は前世の記憶から、その姿に酷く同情した。

 

 何不自由ないようにとさまざまな物資を融通してくれたのは家来達だ。

 私は両親ではなくてその周りの妖怪達に育てられた。

 声を大にしてそう言おう。

 私を育ててくれたのはあの銀髪金眼の夫婦ではなくて、さまざまな特性を持った小妖怪たちである。

 

 母に気色悪いと称された笑顔を封じるようにすると、家来達は非常に喜んだ。

 

 ……そんなに変だったかな、笑顔。

 

 笑顔を封じたせいか、私は表情そのものを忘れていった。

 

 ちょっと戦場に出て敵を葬ってやると一層家来達が喜ぶ。

 

 育ててもらった恩返しに色々な戦場で戦った。

 時折父が強さを確かめにちょっかいを出してきたりする。結構ウザイ。これが年頃の娘が感じる父親への嫌悪感ってやつなのだろうか。

 私、あんまり女の子って感じしてないけど。

 

 父は勝手に私のところへくるが、基本的に母は来ない。

 

 母の家来が何度も宮殿に来るよう催促してくるくらいだ。

 昔はちゃんと呼ばれたら宮殿へ行っていたのだが、10年も20年も経てばすっかり足を運ばなくなってしまった。

 

 その頃には私はすっかり成人の姿になっていて、母親に生き写しとまで言われていた。

 

 いつも通りふらふらと戦場を彷徨っていた折、実に珍しくも、母が宮殿から出てきて私のところまで来た。

 

 長い銀髪に星屑を煌めかせながら、夜空を優雅に舞っている。月を嵌め込んだような黄金色の瞳が妖艶に細められた。長いまつ毛が影を落とし、色気を演出する。

 

「久しいの。母の呼び立てを無視ばかりしおって」

 

 母親の自覚あったの?

 私は心のなかで唇をへの字にしながら、無表情に母を見つめていた。

 

 すると、母はぽいとなにかを投げて寄越してきた。

 私は反射的にそれを掴む。

 

 布に包まれている。

 あったかくて小さい……。

 

「ほれ、お前の弟ぞ」

 

 表情を変えないことに慣れていた私はピクリとも表情を動かさなかった。

 

 だが現実が訴える恐ろしいほどの温かさを腕に感じて、内心で叫んだ。

 

 ちょ……実の子どもを投げんじゃねえええええ!

 

 ってかサラッと育児を押し付けようとしてんじゃねえええええ。

 

「名は殺生丸」

 

 ちょっと待てよ。

 

 ……あれ? 私って名前あったっけか?

 

 

 

 そう言えば一度も名前で呼ばれたことがなかったような気がする。家来達は御子様やらお姫様(おひいさま)としか呼ばないし、大犬の娘だから敵からは犬っころだのなんだのと呼ばれていた。

 

 記憶を思い返しているうちにすっかり母は消え失せていた。現れた時と同じく、素早い退散であった。今の私であれば追いかけようと思えば追えた。しかしながら母の向かう先は宮殿であることなど分かりきっていたし、あの出不精の母がわざわざ出てきて私に弟を押し付けてきたくらいだから、宮殿へ連れて行ったとて弟の世話がなされるはずがない。行くだけ無駄というものだ。

 

 やる前から徒労感に満ちてしまい、腕のなかのあったかい塊を抱いたまま途方に暮れる。

 

 布のなかでは小さな真っ白い犬がスピスピと鼻を鳴らして眠っていた。もふもふの真っ白い子犬。きゃわいいに決まっている。

 

 エサはなんなんだろう。適当に木の実でもあげておいたらいいだろうか。それとも適当な肉? 自分が幼い頃はどうしていたんだっけか。家来が運んできてくれるものを黙々と食べていたが、味どころか何を食べていたかさえ覚えていない。母の乳でなかったことだけは間違いない。

 

 なんだかんだ捨てる訳にもいかず、とりあえず抱っこして移動していると、目を覚ました腕のなかのワンコが2歳ほどの幼児の姿にポンと変化した。

 

 お互いに見つめ合う。

 

 同じ銀髪、同じ琥珀色の瞳、間違いなく血のつながった姉弟である。

 

「…………」

 

 殺生丸はこてん、と首を傾げた。

 

「…………」

 

 

 私もまた、こてんと首を傾げた。

 

 どうして良いのかわからなかったのだ。

 

 私はとりあえず、食事を探すために山の中を歩き始めた。唐突に歩き始めた私を見て、よちよちと殺生丸が後ろを危なっかしい足取りでついてくる。無理せず獣の姿でいればいいのに、私と同じ人型で。

 

 二本足は歩きづらかろう。私は前世の記憶があるから、人型のほうが色々と勝手がいい。変化しようと思えば犬の妖怪の姿にもなれるのだが。

 

 くうぅ、と可愛い腹の虫が鳴るのが聞こえた。

 殺生丸が不思議そうにお腹を抑えている。

 無表情なのだが、どことなく不思議そうなのだ。

 

「――腹が減ったのか?」

 

 随分と久しぶりに言葉を話した。

 

 無表情でいるうちにいつの間にか無口になっていた。

 声を出すのに少しばかりの勇気がいったのは、内緒だ。

 

 家来達がやかましく話す奴らばかりだったからか、すっかり首を振るだけで事足りるようになっていたのだ。

 

「…………」

 

 殺生丸は何も話さず、ただこくりと頷いた。

 言っていることはちゃんとわかるらしい。

 

 とりあえず近くにあった木の実を採取する。

 ぽいと投げてやると、ぱくりと口でキャッチした殺生丸があむあむと咀嚼する。

 

 きらり、と月色の瞳が輝いた。

 

「おいしいのか」

 

 こくり、こくりと頷く。

 

 多分だけど、念話みたいな感じで私の言葉が殺生丸に送られているんだと思う。

 

 言葉を理解しているというより、念話から言葉を覚えていっているような。

 

 私も殺生丸の気持ちのようなものが流れ込んできて、甘味に喜んでいるのがよくわかった。

 

 私が喋らなければ、殺生丸は一生話さないかもしれない。言葉のシャワーをかけてあげなければ、子どもの発語は生まれないのだ。ふとそんな前世の知識が浮かんできて、すっかりこちらの世界に染まってしまったものだと思う。

 

「ついておいで」

 

 妖怪の子どもは人間の子どもみたいに弱くない。というか、産まれた瞬間からそれなりに強い。

 大妖怪の子どもであれば、放置されても育つ。

 しかしながらあまりに高名すぎる妖怪の子どもだと、恨みを買っていることが殆どだ。親には敵わぬが腹の虫はおさまらない、と子どもを報復に殺されたり、豊富な妖力から極上の餌とされたりすることがある。

 

 私も昔はそのような妖怪によくつけ狙われていた。

 

 母が私に殺生丸を預けたのは、そういった輩から弟を守らせるためなのだろう。

 自分の屋敷に置いておけばいいだけだろうとは思うのだが、母は子育てには向いていない気質だ。産んだばかりの子どもでさえ煩わしく思うって母としてどうなの?

 そう思わないでもないが、母が気軽に押し付けられる相手を考えて、私のことを思い出したに違いない。

 行き場所を決めずに彷徨う私のことを母が見つけたのは、母に与する(ケライ)が私の家来のなかにいたからなのだろう。

 

 生まれたばかりの子どもを私のときのように野に放たなかったことだけは評価できる。

 

 なにせ、私が守っているにも関わらず殺生丸を狙った妖怪は何匹も現れた。

 私は父から奪った剣でそれらを容易く切り裂いたが、まだ幼い殺生丸には強敵だろう。

 知能も妖力も低いくせに、幼児という理由だけで幻影の勝機を見出して襲いかかってくる馬鹿な妖怪は意外と多いものなのだ。

 

 極上の妖気を垂れ流す幼い弟に釣られて、さまざまな妖怪どもが襲いかかってきた。昼夜を問わずに襲われる日々だ。

 私は自分が当たり前のように会得していた妖力を隠す術をいつまで経っても覚えない殺生丸に内心首を傾げていた。私は誰に教わったでもなく、妖力を身に秘めることを覚えた。そうでなければ休まる時間がないほどに雑魚妖怪どもが襲ってきたからだ。

 しかしながらよくよく考えると、殺生丸は私に守られている状態だ。わざわざ妖力を抑えることなど覚えなくてもよい環境なのではないだろうか。

 そもそもだ。妖怪のことをそういう目で観察したことがなかったのだが、私のように妖力を抑えている妖怪はいるのだろうか。……もしかしていないかもしれない。

 なにせ妖力を隠すことのメリットなど、妖怪界において皆無だ。強い妖力こそが慕われる要件であり、意図して己を弱く見せねばならない場面など、産まれてすぐの右も左もわからぬ数日間しかないのだから。

 

 妖怪は生まれてすぐの数日間、生と死が混濁した濃密な日々を過ごす。

 圧倒的な妖力を以って他者が近づけぬ高みまで昇るか、優れた血筋を汚されて数におされて、はたまた敵の計略で死んでいくか。

 

 これは後から気づいたことなのだが、殺生丸の妖力と、私の中途半端に抑えた妖力のせいでいつまでもいつまでも妖怪たちに追われる生活に陥っていた。

 

 当時の私は自分の妖力を全開にすることも皆無にすることも出来ずに中途半端に妖力を抑える生活を続けていて、まさか自分が原因でこれほどまでに妖怪たちに襲われるとは思いもしていなかった。

 幼い殺生丸から溢れ出す幼くも濃密な妖力に誘われて、妖怪たちがひっきりなしに襲ってきているのだと思い込んでいたのだ。

 

 1ヶ月後、私は精神的にすっかり参っていた。

 

 二、三日の徹夜は苦にならない。しかしながらそのような生活が一月にも及ぶと、さすがに精神的な疲労を覚えて私たちは人目を忍ぶように、森の奥で生活をするようになった。

 

 私は殺生丸がついてきているのを確認して森の中を色々と練り歩いた。

 

 森のなかの隠遁生活は、精神的な疲労を癒してくれた。

 昼夜を問わずに命を狙われるというのは、それだけでストレスだ。さらには幼い弟を必ず守らねばならないと過剰に気を張っていたため、私は疲れていた。身体的にはまるで疲れは見られないのだが、精神的な翳りが肉体にも影響を出し始めていた。

 

 森の奥深くで隠れひそみ、極限まで妖力を抑えて仮眠を取る。たったそれだけで随分と身体が楽になった。

 

 その頃には殺生丸はすっかり私に慣れて、子犬の姿でマフラーのように首に巻きついてきたり、幼児の姿で膝の上で丸まったりすることは常になっていた。

 

 自分を慕う幼い弟に、私は生きていく術を教えた。

 獣を捕まえるために罠を仕掛けたり、川で魚釣りをしたりして色々な食べ物を与える。同時に、取り方を教える。

 

 殺生丸はどれもよく食べたが、特に気に入っているのは焼いた肉であったり、焼き魚らしかった。

 

 一日中森の中を走り回る生活だ。襲ってくる妖怪は皆無とは言えなかったが、数週間に一度程度になった。

 

 今日は川で取った魚を焼いて、手頃な棒を串にして焼いた。

 一日中走り回り、腹もいっぱいになった殺生丸はあぐらをかいて座る私の膝にぽすんと横になり、子犬の姿になって眠った。

 

 無防備な毛皮を撫でつつ、私は目尻を下げて囁いた。

 

「おやすみ、殺生丸」

 

「…………」

 

 何かを言おうとしたのか、少しだけ唇を開き、数秒後に閉じて、健やかな寝息を立て始める。

 

 殺生丸、もしかして何か話そうとしてくれたのかな。

 

 そういやいまだに一言も話していない。

 ……まあ、なんだっていいや。

 

 私は殺生丸の温かさを感じながら、胸にほんわりとしたぬくもりを覚えつつ、彼の穏やかな眠りを護った。

 

 

 

 

 森でひっそりと生活をするなかで、抑えに抑えた妖力に惹かれた妖怪たちは現れた。身の程知らずの妖怪は殺し、陶酔したように頭を垂れる妖怪は次から次へと家来にしていく。(というか勝手に家来になりたがる)

 そうしていると、いつのまにか着々と派閥が出来つつあった。そうなると私が直接手を下すまでもなく、家来が敵対する勢力を殺すようになってきた。

 

 あまりにも妖怪に襲われる頻度が高かった頃、私は疑心暗鬼になって家来たちを置いて殺生丸と二人で姿をくらました。そのときの家来たちはずっと必死に私のことを探してくれていたようで、涙ながらの再会をした。泣いていたのは家来だけで、私はいつも通り無表情で、向こうがおいおい泣きながら語るのを無言で頷くだけだったが。

 

 隠れ住んでいたはずの森が、すっかり私の縄張りとして知れ渡るようになる頃にはすっかり殺生丸は妖怪としての頭角を表し始めていた。

 

 あんなに幼くて毎日べったりと私の後ろを着いてきていた殺生丸が、一人で森で狩りをするようになった。

 

 一人で、といっても、私はすぐそばでそれを見ているのだが。

 それでも大きな変化である。

 私からすれば腕のなかですやすや眠っているだけだった幼児が、自ら狩りをするようになったのだ。

 人間でいえば、0歳から6歳ほどまでの変化だろうか。

 妖怪は本当に身体能力が高いし成長も早い。

 

 殺生丸は自らの爪で仕留めた猪を軽々と持ち上げて、私の方へと掲げてみせた。

 

 無表情ながらもどことなく誇らしげな様子の殺生丸に「よくやったね」と声をかけると、無表情から一転、にこりと笑った。その無邪気な微笑みに心が浄化される。

 

 今日は殺生丸が狩った猪で鍋でもしようかと考えていたところで、スンと鼻を鳴らす。

 

 ――獣臭い。

 

「――嫌なニオイだ」

 

 同じくスン、と鼻を鳴らした殺生丸が私の傍に寄り添う。傍にあたたかな体温を感じつつ、私は殺生丸の肩に手を伸ばした。

 

 森の奥がガサガサと揺れる。伝令の小妖怪が軽い足音で木の葉を蹴散らしながら転がるように走ってきて言い募る。

 

「森のすぐそこまで!

 狼どもが攻め入ってきております!

 数は300といったところ! 特に強いのが3匹ほどおります!」

 

 伝令が引き連れてきた現場の空気(ニオイ)が私にさまざまな情報を与えてくれる。

 

 雄々しく雄叫びを上げながら進軍してくる狼の群れ。

 中には人型が3匹。

 

 私の家来達を食い破って、濃い血の臭いを撒き散らしながら進んでくるのがニオイで伝わってくる。

 

 普段は抑えている妖気が感情の高まりに呼応してぶわりと湧き上がる。濃密に爆発的に溢れ出した私の妖力に、家来の小妖怪が震えた。

 私はここだ、襲ってこいと自らの妖力を四方へとひけらかす。

 

 私はそこそこ強い。

 大妖怪の父や母にはまるで敵わないけれど、大妖怪の両親から生を許される程度には力がある。

 

「狼たちが自分たちの力を過信したようだ。

 少しお灸を据えてやらないとね」

 

 鉄臭い血の臭い。

 戦闘が始まった瞬間から、私はこの戦の終わりが頭に浮かんでいた。

 

 私は、彼らよりも、ずっと強い。

 

 宙にふわりと舞い上がった私の後を、まだ飛べぬ殺生丸が必死に走って着いてこようとしている。

 

 私は少し悩んだが、手のひらを向けた。

 

「ここで待っておいで、殺生丸」

 

 置いていかれ、ハの字に下がった眉尻。悲しげな彼が頷くのも首を横に振るのも見届けることなく、私は速度を上げて血のにおいの濃い方向へと飛んだ。

 

 下手に戦闘に巻き込むくらいならば、殺生丸が迷子になってでも戦場から離したほうが安全だと思ったのだ。

 

 濃密な妖気を漂わせながら、私は誘蛾灯となるつもりであった。

 

 あの幼い足ではついてこられまい。幼いが、大妖怪の血を引いた我が弟は、雑魚妖怪にやすやすと殺されるような器ではない。共に生活をしていて思ったが、殺生丸は本当に同じ血が流れているのかと思うほどにさまざまな能力が高い。

 

 近い将来、簡単に私を追い越すであろうほどに身体能力は高いし、妖力ももちろん高い。知的好奇心も旺盛で、口数こそ少ないが知力も高い。

 

 そうは思っていたが、幼子としては、という枕詞はもちろんつく。未だ年の功がある分私のほうが殺生丸よりも強いと、全てにおいて優れていると、そう思っていた。

 

 擁護される身でしかなかった殺生丸の姿しか、私は見ていなかったのだ。

 

 いち早く私の元へと辿り着いたのは、翼を持った小妖怪であった。伝令として雇われでもしたか。

 

「狼につくとは、勝機を見出せぬ雑魚よな」

 

 私は悪態づきながら、剣を振るった。

 弧を描いた銀の刃先が妖怪の首を刎ね飛ばす。

 

 逃げ出す小妖怪の背中を追って易々と命を奪ってゆく。虐殺としか言いようのない一方的すぎる戦場だが、情報を持ち帰られれば私が困る。

 生き死にに対して、若干麻痺しているところはある。

 飛び交う蚊を一匹ずつ潰していくのと同じ程度の面倒さを覚えながら、敵の雑魚妖怪を殺しつつ私は強い妖気を放つ方向へと進んで行った。

 

 向こうもまた私へと近づいてきていたため、遭遇するのはそこそこ速かった。

 

「辺鄙な場所に隠れ棲む犬っころが自ら出てくるとはな」

 

 毛皮を身体に巻き付けた細身の男が犬歯を覗かせながら不敵に笑う。その姿はすっかり血に染まっており、その血のニオイは私の見知ったものもある。そのことに、ふつふつとマグマのような怒りが込み上げてくる。

 

「自分の力を過信したな、狼ども」

「生意気言えんのも今のうち――っ」

 

 私は瞬く間に距離を詰めて、油断していた人型のうちの一人の胴体をすっぱりと真っ二つにした。

 

「雷剛!!!!」

 

 悲痛な声をあげる一匹。

 仲間の突然の死に衝撃を受けた様子ながらも、私の剣技には反応した狼だが、さらに力を込めて剣を振うと押し負けて地へと倒れた。間髪入れずに胴を踏みつけて喉仏へと剣を刺す。

 

 私の背を狙って素早く近寄ってきたのは、一番初めに私へ突っかかってきた男だった。瞳には溢れんばかりの怒りを燃え上がらせて、鋭く尖った爪で私の首を薙ごうとする。

 頭を下げることでその攻撃を避け、私は後ろ蹴りを繰り出した。突風のようにびゅんっと男は私から距離をとり、蹴りは空を蹴るに終わった。

 

「驚いたぜ。まさかものの数秒で二人もヤられるとはな」

 

 不敵な笑みこそ当初のままだが、憎々しげに、油断なくこちらを睨みつけるその瞳はまるで違っていた。

 

「なぜわざわざ襲ってきた」

 

 私は全ての妖怪にその質問をしていた。

 なぜわざわざ戦いを選ぶのか。

 なぜおとなしく暮らさせてはくれないのか。

 

 狼は言った。

 

「単純に気に食わねえからだよ!」

 

 狼の群れがけしかけられる。

 何の障害にもならぬが、面倒ではある。

 

 私は舞うように剣を振い、狼たちの血で紅く大地を染め上げつつ思った。

 もはやこれは作業だ。

 殺すことに何とも思わなくなったのは、いつからだろうか。

 

 妖怪は戦いが好きすぎる。

 そういえば自分の父親もそうだった。

 

 幼い子どもが夢中でアリの巣を潰すように、妖怪は自分よりも弱い存在を潰したがる。

 

 日和見菌が善玉菌にも悪玉菌にもその時々で力を貸すように、小妖怪もまた戦に繰り出す。

 

 今日はいい天気だし、釣りでもしようかと考えるように。

 そんなふうに妖怪は戦場を求める。相容れぬ種族であればちょっと足を延ばしてでも倒したがる。

 

 姿は見えずとも家の中にゴキブリがいるのが嫌で、それを滅そうと考えるのと同じことなのだろう。

 

 本能に従わぬ私こそが、妖怪のなかで異常なのだ。

 

 ――生と死の最中で生きることは、私には合わない。

 

 だってほら、また簡単に命を奪ってしまう。

 

 私は脳内で相手の人型狼を絶命させるまでのイメージが完璧に出来た。

 相手の蹴りを避け、身体を半回転させて剣を繰り出すふりをする。大ぶりに避けた相手と同じ方向へと加速し、繰り出した爪の斬撃を首を傾げて交わし、胸元に己の爪を突き立てれば終わりだ。

 

 明確な相手の死への第一歩を私は踏み出した。

 

「オレはここにいる。敵を前に何考えてやがる、このクソ犬っころが!」

 

 そう言って、想像通りの蹴りを繰り出してきた。

 

 鉄のにおいが鼻にこびりついた地獄のなかで、私はすん、と鼻を鳴らした。

 想像の通りに動けば、相手の絶命は間違いなかった。

 それなのに、思わず動きを止めてしまったのは無視できぬイレギュラーであったからだ。

 

 私の背後に、懸命に自分を追ってきた殺生丸が現れた。

 

 そこそこに能力が高いとは思っていたが、彼は私の前でほとんど実力を見せていなかったのだと、そこで初めて悟る。

 

 私の想定以上に彼の身体能力は高く、彼を引き離せる時間が短かった。

 

 雛鳥が親鳥を追うような賢明さで、飢えた獣が食事にありつくような必死さでもって殺生丸は私に追いついてきた。

 

 未だ敵と交戦中であった私だが、明らかに弱点である殺生丸の姿が見えた瞬間、敵の狙いは幼い生命へと向いた。

 

(ああ、いけない……!)

 

 咄嗟に身体が動いたことを、私は誇りに思った。

 

 瞬間背中に熱さにも似た痛みを覚えながら、殺生丸を庇えたことに心から満足していた。

 

 私の背から血飛沫が舞う。

 

 私は自分の死を想像したことはなかった。

 自分の父親ほどの強敵に襲われることなんて、大きくなってからは滅多になく、自分が死神のように他の妖怪の命を刈り取るだけの存在になっていたからだ。

 

 母から唐突に押し付けられた弟であるが、私は彼のことをきちんと家族として大切に思えていた。

 それが、勝手に動いた身体が証明してくれたような気がして。

 

 焼けるように痛むその傷口すらも心地よく感じながら、私は場違いにも笑みを浮かべた。

 

 この子を、護れた。

 

 その事実が齎した胸の温かみが、傷の痛みをかき消したのだ。

 

「ぁ……あねうえ……!!!」

 

 奇しくも、それが殺生丸が初めて話した言葉であった。

 

 私は殺生丸を庇いつつ、背に受けた攻撃の方向へと斬撃を繰り出していた。

 

「飛刃血爪」

 

 自らの血液と妖力を練って繰り出す遠距離攻撃。

 爪先についた血液に練り込まれた濃厚な妖力は凄まじい攻撃力となり、三日月のように飛ぶ。

 飛ばされた血液はぶつかった相手へ鋭利な刃物となる。十分以上に私との距離を取り、油断なく私を睨んでいた敵を血の刃が切り刻んだ。

 

 ちょっと攻撃を受けてしまった、くらいの心地であった敵が、呆気に取られた顔で両断され死んでいく。

 

 己の死にも気づいていないような呆気に取られた表情が、ことりと冷たい地面へ横たわる。

 

 司令塔を亡くした狼の群れは、ただ狩られることを待つだけの獲物でしかなかった。

 私の派閥の妖怪どもが、私や殺生丸に触れることは許さぬと血気盛んに残党を刈る。

 

「あねうえ……血が……」

 

 殺生丸が話している。

 小さくて白い綺麗な手が泥や血に染まっている。私を追ってくる間に敵を殺してきたのだろう。

 鋭利な爪先が震えながら私へと伸ばされる。

 

「あねうえ……あね、うえ」

 

 だんまりを決め込む私に、殺生丸がなおも言い募る。

 返事をしなかったのは、傷が痛かったからでもなんでもない。殺生丸の声の余韻に浸っていたからだ。

 

 ずっと話さなかった弟が、これほど必死に姉上と言い募る姿は、表情をなくし、心をもなくしかけていた私からしてもぐっと胸にくるものがあった。

 

 それにしても少年聖歌隊みたいに綺麗な声をしている。いやいや、それ以上か。

 優れた見目といい、妖力といい、唯一無二の大妖怪となる存在であろう。そんな可愛い弟が、姉がちょっと背中に傷を負っただけでこれほどまでに心配してくれるだなんて――慈悲の心がありすぎやしないだろうか。

 

 鈴のように美しく響く幼児の声に、私は背中の痛みを忘れるほどであった。

 

「すぐに治る」

 

 これは本心からの言葉であった。

 それほど傷は深くない。

 

 初めての殺生丸の言葉。

 真摯に私を心配するその態度に内心はデレデレと笑み崩れているのだが、長らく表情を亡くした生活を送ってきていたおかげで表情が全く変わらない。

 

 声だっていつも通り抑揚のない冷たい響きのままだった。

 

 姉上キモい、と避けられないためにも格好いい姉を演出できていればいいのだが。

 

 なんて。

 

 着々と弟との仲を深める私は、この生活がいつまでも続くものだと疑っていなかった。

 

 

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