純潔の菩薩姫 作:まだ半妖の夜叉姫観れてないんだよね
カンカンカン、とリズムよく鉄を打つ音がする。
なんだか歯が痛い……。
私は極限の疲労からの久しぶりの爆睡に、思考がなかなか戻らずにいた。
ここは何処だ……?
頭はぼんやりするし、やっぱり歯が痛い。
目を開けて、身体を起こす。
かけられていたボロキレがはらりと地面に落ちた。
「やっと起きたか」
痩せた丸い背中の老人。緑と黒の横縞模様の着物が身の丈ほどの大槌を振り回している。
「刀々斎」
何故刀々斎が私の前にいるのだろう。
頰を膨らませ、ぶぅーっと炎を刀へと吹き付ける刀々斎は、再びリズムよく大鎚をふる。
「牙をいただいた。……迎え賃と思えば安かろう?」
舌で歯をなぞっていくと、ぽこりと穴の空いた箇所があった。既に血は止まっている。
「……うん。助けてもらっておいてなんだけど、無断で牙を抜くのはどうなんだ」
「まあ、ほら。
細けぇことは気にすんな。すぐに生える。
それよりもお前の牙できちんとした鞘をこしらえた。ほれ」
刀じゃなくて、鞘?
ぽいと放られたのは刀身の長い刀だ。
塗り込められた漆黒。艶の深い鞘に長い刀が収まっている。下緒は深い赤色で、上品さが漂う。
刀の柄には煌めく紫の玉が嵌め込まれている。刀から漂う尋常でない妖気といい、業物なのは間違いない。
適当に放り投げて寄越すような代物ではないと思うのだが。
「そいつは
来るべき時におめーに渡せと犬の大将から頼まれた」
そう言われて思い出す。
そういえば、この剣。父が背負っていた記憶がある。
私は戦闘時、基本的には爪、時たま戦場に落ちている刀を用いていた。
父は自分の妖刀を腰に引っ提げていた。
父は私に適当な刀をよく貸してくれた。
彼は私と刀で手合わせするのが好きだった。
いつの世でも男は長い棒が好きなもんだ。
犬夜叉もよく手頃な木の枝を見つけては振り回していた。
これは父の刀の予備か何かだったのだろうか。
わざわざ使いづらい背中に背負っていたくらいだし。
まさか今になって形見とも言えるものを授けられるとは思いもしなかった。
「殺生丸や犬夜叉にもあるの?」
「まぁな」
カンカンカンと槌を振る手を止めずに刀々斎が答える。
「なんで今なんだ?」
「……わしの方でもお前のことを少し見極めさせてもらっとった」
おめがねに適ったということだろうか。
刀々斎の前では気絶したところしか見せていないが。
「お主の中には、一振りの刀と一振りの鞘が眠っておる。
鞘というもんは、“万人を傷つける刃の封印”じゃ。お前の理性の現れともいえる。
お前は妖怪としての
大妖怪を下してもなおその志を失わなかったことで、一段お前の格は上がった」
「そうして私の牙を勝手に引っこ抜いて作ったこの鞘ということか」
「そうだ。
お前の親父どのの牙からは鉄砕牙、そして天生牙という名刀が生み出された。
いずれお前の牙からも名刀を生み出したいもんじゃのう」
まるで悪びれることなく、飄々とそう言い、再び槌を振る。
刀はどうすれば私のなかから現れるのか。きっとわかっているだろうに、言わない。
相変わらず掴みどころのないジジイだ。
ナマクラではその辺に落ちている棒と変わりないが、私の妖力に耐えられるほどの刀であれば、素手よりも歴然に戦闘力は上がる。
犬夜叉を連れているとき。
鉄鶏と戦うとき。
この剣があれば、もう一段余裕のある戦闘が出来たかもしれない。
私は少しの高揚感を覚えつつ、高級感漂う鞘に手をかけた。
子ども達に一振りずつ刀を残すなんて、存外親らしいことをするではないか。
少しばかり父の評価を上方修正しつつ、刀を抜く。
『我が名は叢雲牙――小娘。力が、欲しくは』
わたしは刀を鞘に戻した。
頭の中に響く変な声が消えた。
再び剣を鞘からそうっと引き抜く。
『我が名は――』
チンっ、と鞘におさめた。
「何だこれは」
「…………」
尋ねても、刀々斎からまともな答えが返ってこない。
なんなら聞こえてないふりしてカンカンカンカン金槌を振り回している。
私は半眼になり、再び剣を鞘から抜く。
『小娘! この叢雲牙に対してぅぐぁぁあああああがががががががが』
凶悪に変じさせた妖力を叢雲牙の妖力の弱目--人間で言えば脛部分--に注ぎ込んだ。
「煩いよ」
今度は躊躇わずに鞘から抜いた。
『…………』
「お前、私のことを喰おうとしていただろう?」
『…………格は示された……』
クソみたいな妖刀を形見として渡されて、私は父に対する評価を大幅に下方修正した。上がった以上に下げたのは言うまでもない。
握った瞬間こちらを妖力で支配しようとする喋る妖刀。
どう見ても特級呪物じゃないか。
刀々斎の性格からして、この妖刀の扱いに困って私に押し付けてきた可能性も捨てきれない。
父の遺言だとか平気で嘘をついてる可能性もある。
「お前なら問題なく叢雲牙を扱えると思っておった」
しれっと刀々斎が言う。
私は怒りの沈黙を貫いた。
場所は代わり、西国街道の外れを静かに歩く男が一人。
人里から絶妙に離れつつ、人を探している。
「殺生丸様!! この邪見めが凄い情報を手に入れてまいりましたぞ! 褒めてください!」
緑のちょっこりとした体躯に黒い小さな帽。
身体の倍はあろうかという長さの杖を軽々と持っている。
てけてけと走り寄ってきた邪見を殺生丸は冷たい目で見下ろし、ふいと視線を逸らした。
「東国を支配する大妖怪――鉄鶏が、大犬の姫君により敗られたそうです!」
殺生丸は切れ長の瞳を大きく見開いた。
だが気持ちよく語る邪見はまるでその様子を見ていない。
「鉄鶏がその首を差し出したにも関わらず、姫はその首を取らなんだ――。
鉄鶏の炎で地獄のように燃え盛る戦場を瞬く間に鎮火し、妖怪達の住処を守った。
あえて人型のまま鉄鶏を下したのは、森を守るためやら、配下にする鉄鶏を必要以上に傷つけないためだとか、好き勝手に噂をされております。
夜叉のように強く、菩薩のような心を持った姫じゃと」
自分も菩薩姫の配下になりたいと全国から武蔵国に弱い妖怪どもが押し寄せているとか。
そう言われた殺生丸は短く返した。
「菩薩、か。……噂とは常に歪むものだ」
皮肉めいた殺生丸の物言いはいつものことなので、邪見は気にせず続けた。
「ええ、まったくその通りです。
噂を鵜呑みにして守ってもらうことを期待し、遠路はるばるこの西国から旅立った妖怪もおるようですぞ。……全く、情けない。
一部の妖怪から随分と崇められているようですじゃ」
手に入れた情報を嬉しげに語る邪見に、唇の片端を持ち上げた殺生丸が言う。
「邪見、よくやった。確かめる価値のある噂だ」
ぼそりと呟いた殺生丸にまん丸の瞳をキラキラと輝かせて邪見が声を上げる。
「殺生丸様が、わしをお褒めに……?!」
「行くぞ」
飛び上がった殺生丸のふわふわとした尻尾(の名残)に邪見は飛びついた。
邪見自身に飛ぶ力はなく、殺生丸が丁寧に抱えてくれるはずもない。
こうして捕まらせてもらっていることに感謝をしながら、邪見はどこまでも着いていきます、と恍惚とした顔をした。
邪見はふと思う。
どこへ向かって飛んでいるのだろうか。
まさか東国……?
いや、まさかな。
姉君を探していると仰っていた殺生丸様とて、そんな遠くまで出向いてまで会いたいと望むお熱い方ではない。
邪見は殺生丸様の冷たさをよく知っている。だがしかしそこがいい。
一瞬で否定した邪見のその考えは、残念ながら間違っていなかった。
何日もかけて空を飛び続け、東国に辿り着いた頃。
必死になってそのふわふわにしがみつき続けた邪見はすっかり干からびたようになっていた。
「なんだこりゃあ。とてつもねえ妖気の……文字? そうか、これは血文字か」
木の高いところに隠すように括り付けられていたものを、男は苦労して取った。
それなのに中身にまるで価値があるように見えず、落胆した。
「なんだよ。曰く付きの財宝かと思ったのによ……いや待てよ。
こりゃあもしかすると、ここに妖怪の宝でも眠ってるってことかもしれねえ」
雑魚妖怪を退治することで身を立てていたその男は、字も読めず、その地図が何を示しているのかもわからなかった。
ただ、並々ならぬ大妖怪がぶつかり合った跡地で、凄そうなものを拾っただけ。
「持ってくか」
無造作に袖の中へと突っ込み、男は他に落とし物がないか焼け跡の森を歩き続ける。