純潔の菩薩姫 作:まだ半妖の夜叉姫観れてないんだよね
私は犬夜叉と美尾と落ち合うべく、焦げ跡の森を歩いていた。
野暮用を済ませてくる
月明かりの下
あの戦いの跡地にて
待ち合わせよう
犬夜叉と美尾に宛てて、そう書いた手紙は、確かにこの場所に置いたはずだった。
それが日中どれだけ探し回ってもなかった。だから、美尾たちによって回収されたものだと思い込んでいた。
すっかり日も沈み、静かに風が流れる宵闇。
枯れ枝と落ち葉を踏むカサカサとした足音、吹き荒ぶ風の音、それに揺られる木々の葉たち。
静まり返った暗闇に響くのはただそれだけ。
ぐるぐるとずっとこの辺りを歩いているのだが、二人の姿は見えない。
なんなら一日中歩き続けているのに、お目当ての姿がない。
おかしいな、と思い至ったのは、ほんの一刻ほど前のことだ。
長い妖怪人生。人間とは違い、待つ尺度もまた長くなる。
それなりに納得できる理由があればいつまでも待ててしまうのだ。
一日なんて瞬きをする間くらいのものだ。
だから私が気づくのが遅い、なんてことはないはず……。
だって、明るいうちに手紙を見に行って、その手紙がなくなっていることをしっかり確認したのだ。
手紙にはここで待っていると書いたし。
夜半にこの森のこの場所で待ち合わせだと伝わっていると思い込み探していたが……。
迷子になったならば、大抵別れた場所を探すものだ。
私があの戦いからどれほどの期間、鉄鶏の巣で、また刀々斎の所で過ごしたのかはわからないが、一日二日ではないのだろう。
正直私にとって、一日二日、いや――一ヶ月二ヶ月くらいは誤差の範囲だ。だが、まだ若い妖怪たちにとって、私が待たせてしまった時間は致命的なまでに長く感じたのかもしれない。
先に離れたのは私だが、もしかして。
いつまで経っても現れぬ私のことを、もう待てぬと見切ってしまったのだろうか。
一瞬しょげる。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。それでも、すぐに私の中の傲慢な妖怪の血が打ち消した。
否や。美尾たちではない者が手紙を持って行った可能性もある。
だから、ここが待ち合わせ場所だと知らずに違うところを探しているに違いない、と。
月のない夜は、驚くほどに暗い。
戦いの余波で木々が倒れ、すっかり開けた頭上を見上げると、満天の星が広がっている。
澄んだ空気と冷たい静寂、くらくらするほどの星の数に私は感嘆の息を吐いた。
「綺麗だなぁ」
思わずぽつりと呟いて、吹き荒ぶ風が運んできたニオイに思わず顎を引いた。
「……」
どこか馴染みがあるにおいなのだが、どこで嗅いだものなのかが思い出せない。
においが流れてくる方へじっと視線を向けていると、軽い体重運びのカサカサと落ち葉を踏み進める音が近づいてくる。
小妖怪だが、間違いなく美尾ではない。
においが違う。
念の為、威嚇の意味合いも込めて抜刀する。
『姫! 出番でしょうか。私めにお任せください!』
すっかり調教の済んだ叢雲牙が必要以上に意気込むのを宥める。
「戦うつもりはない」
『はっ! 畏まりました。いつでもお役に立ってみせます』
初対面の不遜な態度が嘘のようだ。
身体があれば靴でも舐めそうな勢いである。
やはり妖怪に効果的なのは圧倒的な力で以って、序列をわからせることだ。
無防備に森の闇から、ひらけた場所へと出てきたのは、緑色の小さな妖怪。
「ひぇっ……! 御母堂様……?! なぜこちらに……!」
……どうやら母の知り合いらしい。
私は母の生写しと言われているし。
「生憎、私は母じゃない。
お前は何者だ?」
「お、お声が違う……ということは、姫君?! 姫君なのですね。
ああ、お会いしとうございました。殺生丸様の姉君……!
西国でも語り草でございます!
お初にお目にかかります、邪見と申します」
うっとりと私を見上げ、暗闇のなかでもうっすら頰が色づいて見える。大きな瞳はうるうると潤んでおり、緑色なのになんか可愛い。
私はそっと刀を仕舞う。
未知の可愛さとの遭遇に言葉を失った。
それをどう捉えたのか、邪見は慌てて土下座した。
「はっ、失礼いたしました!」
バネのように深々と頭を下げる邪見。
それにしても、小妖怪界隈では土下座が流行っているのだろうか。
最近では美尾に土下座されたのが記憶に新しい。
「頭を上げてくれ。
殺生丸は達者にしているだろうか」
そうだ、彼からは微かに殺生丸のにおいがするのだ。
彼から殺生丸という発言が出て、頭の奥にあった引っ掛かりが取れた。とてもスッキリした。
殺生丸は元気にしているのだろうか。
そう思うと同時に言葉になったが、内心で疑問が残る。
これほどまでに殺生丸の香りが残っているということは、側近かなにかなのだろう。
べーったりと張り付いていたかのように、においがついているが……ここは西国ではない。
知らぬ間に殺生丸も居住地を変えていた?
もしくは、私と同じように東国に飛ばされていた?
いや、母が同じ場所に飛ばすはずがない。となると、殺生丸は移動してきたのだろう。
「ええ、ええ、それはもう。
姫君の噂を聞きつけて、この武蔵国へ遥々やってきたのです!
手分けして探索しておりましたが、こうしてお会いできて本当に良かった!」
「その殺生丸はどこへ?」
「なにか気になるものがあるようで、今宵は珍しく人里のほうへと向かわれたようですが……どこへ行かれたのやら」
私と邪見は揃って首を傾げた。
姉の妖気をたっぷりと含んだ羊皮紙。
遠くにあっても、その存在を感じることができた。
不相応にも人間如きが持っていたそれを問答無用で奪った殺生丸。
これは、最近書かれたものであることを匂いで悟る。
おそらく、丁度殺生丸が西国を出たくらいの時期だ。
羊皮紙の表には、地図が描かれていた。
西国の地図であろうと見当付く。
しかし、武蔵国にいながらなぜ、西国の地図を姉が持っていたのか。
必要になることはないだろう。
だとすれば、そこに意味があるはずだ。
これはもしかして、姉から自分に宛てた手紙なのでは。
まさかと思いつつもそんな考えが頭をもたげる。
紙はところどころが裂け、その裏に書かれた文字は失われていた。
それでも、月明かりの下という一行だけは、妙にはっきりと残っている。
野◻︎用を◻︎ませてくる
月明かりの下
あの◻︎◻︎◻︎◻︎にて
◻︎◻︎待◻︎
殺生丸は、しばし黙考した。
——野暮用を、済ませてくる。
おそらく一行目はそれで間違いない。
それは、誰に向けた言葉だ。
その続きを思案する前に、彼の視線は自然と下へと落ちる。
月明かりの下――
静かな夜、月明かりの下で二人、無言で佇む姿が思い浮かんだ。
その下に、あの——にて待つ
殺生丸のなかで文章が浮かび上がる。
——月明かりの下、どこかで姉上が待っている。
月明かりの下。
ならばきっと姉は満月の日を選ぶだろう。
見上げると、今宵は朔。
月のない空を眺めて、殺生丸は一人呟いた。
「満月までに、……お前を探せばよいのだな」
そう読めてしまった。
なにが菩薩だ、なにが慈悲だと吐き捨てていた殺生丸だったのに。
自分に宛てた手紙ひとつですっかり姉を想う心を抑えられなくなっていた。
探さぬ、という選択肢はなくなった。
それはもはや、命令のように殺生丸を縛る。
――よもや自分の側近が素知らぬ顔で姉と逢瀬を遂げているなど知る由もない。