純潔の菩薩姫   作:まだ半妖の夜叉姫観れてないんだよね

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人のモノ

 

 

 

 父の骸は、非常に目立っていた。

 巨大な骨は遠方からでもよく見えていて、私たちは迷うことなく父の亡き骸へと足を進めた。

 

 父は人型をよく取っていた。

 化犬の姿も好んでいたが、どれも変化した姿であったらしい。

 

 骨として残ったのは鎧を纏った人の身体に、化け犬の頭を載せた巨大な骨だ。

 

 私が死んでも、あの犬と人が混じったような不思議な骨になるのだろうか。

 ……なんか嫌だな。

 

「なあ、殺生丸。

 あの形態の父を見たことがあるかい」

「ない」

 

 やはりそうだよな。

 しかしながら、骨として残っているところを見るにあれが真の姿なのだろう。

 

「私も死んだらああなるのだろうか」

 

 軽い気持ちで聞いたら、物凄く睨まれた。

 

「――()()この殺生丸を置いていくつもりか」

「そういうつもりで言ったんじゃない。悪かった」

 

 なんだか昔よりもずっと素直に感情を表すようになった気がする。

 

 私は、ない右手で殺生丸を撫でようとし、そう言えばまるで傷口が痛まなくなっていることに気づいた。

 

 そのことを疑問に思う。

 

 傷は治っていない。

 腕は確かにないのに、まるで存在しているかのように痛まない。

 

 

 

 

 鉄砕牙は父の大きな亡骸のなかにあった。

 

 刃こぼれしたボロ刀が無造作に突き刺さっている。

 

「これが……」

 

 まるで強そうには見えないけれど。

 

 私はそれに手を伸ばした。

 

 バチリ、と手のひらが焼かれる。

 

 どうやら触れることを拒む結界が張られているらしかった。

 

 妖力を消したり、逆に増してみたり、試行錯誤しながら触れようとするもバチバチバチバチと鉄砕牙の結界に焼かれる。

 

 手のひらがボロボロに爛れていくのを見て、殺生丸が眉を顰めた。

 

「……よい」

 

 殺生丸が私の袖を引く。

 

 簡単に諦められるものではないだろう。

 先ほどは鉄砕牙に並々ならぬ執着を見せていた。

 

 それなのに。

 じっと鉄砕牙を見ているだけだ。

 

 そこにあるのはボロ刀だけ。

 父の遺志など見えぬ。

 

 それなのに。

 何かを見出せると信じているかのように殺生丸は鉄砕牙を見つめ続ける。

 

 

 不思議と、殺生丸から以前のような怒りは感じられない。

 

 殺生丸は鉄砕牙に手を伸ばさなかった。

 

 ただただ、眺めるだけ。

 

「……なあ、殺生丸。

 昔お前と人里に入ったときのことだ。

 子どもが歌を歌いながらお手玉で遊んでいて。

 それをじっと見ていたお前のことを思い出した」

「ただ見ていただけだろう」

 

 きっと、そうなのだろう。

 別に欲しいとは思っていなかったのかもしれない。

 

 だけど私には、欲しいと思っていることすら自覚できずに、視線を奪われているように見えて。

 

 あの時の私は、殺生丸にどうしたのだったっけ。

 

 

 

 

 考えていると、不意に、結界に触れて焼けた私の手を殺生丸が無言で引き寄せた。

 

「手当せねば、姉上。そう簡単に傷ついてくれるな」

「すぐに治る」

 

 低く叱られて、私は驚いた。

 私が殺生丸に叱られるなんて、初めてのことではないだろうか。

 

 じろりと睨みつける瞳が雄弁なのに、どこか不器用に私の手に触れる。

 

 傷口は浅い。

 妖力を傷口へと集中すれば、すぐに塞がった。

 

 殺生丸は傷の治った掌に優しく触れる。

 妙にそれが気恥ずかしくて、「もう治ったよ」と手をするりと引き抜いて、半歩後ろへ下がった。

 

 

 掌の汚れを着物でぐいぐい拭って殺生丸の髪に触れた。

 

 さらさらの髪が絡まっている部分があって、それを丁寧に梳いてやる。

 

 殺生丸は意外にも、目を伏せてされるがままであった。

 

 私は気分を良くして、丁寧に髪に触れた。

 

 十六夜が犬夜叉にそうした気持ちが、なんだかわかる気がする。

 

「……昔より、随分と甘えたになったのではないか」

 

 私が茶化しながらそう言うと、ちらりと後ろへ視線を寄越した殺生丸が言う。

 

「悪いか」

「いいや」

 

 言いつつ、髪から手を離した。

 

 その瞬間。

 

 弾かれるように振り返りながら、殺生丸が呼んだ。

 

「姉上……っ」

 

 なんだ、ビックリした。

 置いていかれるみたいな幼児みたいな目をして。

 

 すっかり青年の見た目をしているが、中身は私のよく知る殺生丸なのだ。なんなら、以前よりも甘えたになっている。

 

 私は思わず微笑みながら、そっと殺生丸の手に触れた。

 

「どうした、殺生丸。私はここにいるよ」

 

 殺生丸はわずかに頰を染め、すぐに鉄砕牙に向き直った。

 恥ずかしくなったのかもしれない。

 

 

 それからしばらく、二人して鉄砕牙を眺めていた。

 

 

 

 

 

「もう、よい」

 

 殺生丸はそう言って、鉄砕牙を背に歩き出す。

 

 最後まで一度も鉄砕牙に触れることを試みなかった。

 

 それどころか、自分の腰に帯びた刀も鉄砕牙の近くにぽいと投げ捨てた。

 殺生丸は自らに与えられた刀に辟易とした視線を向けている。

 

 鉄砕牙だけでなく、天生牙もまた見切りをつけたのか。

 

 

 それがいいことなのかはわからない。

 だが彼のなかで、少しは心の整理がついたことを喜ぶ。

 

 離れゆく足取りはさっぱりとしたものだった。

 

 

 私は転がった二振りの刀へ目を留める。

 ボロ刀の鉄砕牙と、脈打つ天生牙。

 

 

 

 殺生丸の背中が遠ざかってゆく気配を感じ、私もまた、踵を返した。

 

 彼の後を追うようにゆっくりと歩く。

 そうしていたはずなのに、気づけば殺生丸が隣にいた。

 

 肩が触れるほどに近い。

 昔なら、振り返ることもなく先を行ったのに。

 

 驚いた私が視線を向けると、殺生丸は視線を前に向けたまま言う。

 

「遅れるな」

 

 ゆったりとしたその歩調は、最後まで変わらなかった。

 随分と、優しくなって。

 

 

 

 

 

 

 ふと、思い出す。

 お手玉を見つめる殺生丸が、どうしたのか。

 

 あの時彼は、これが欲しいのかと幼児を殺して奪った。

 私が欲しがっていると勘違いしたのだ。

 どう扱えばよいのかもわからず、愚直に私に差し出したのだ。

 

 慌てた私は、殺生丸と一目で死んでいるとわかる幼児を連れて人里から逃れた。

 

 悲しいことに、幼い子どもは山ほど死ぬ。

 

 死体がなければそこまで大きな問題にならぬと踏んで、私は温かいその亡骸を山へ持ち帰った。

 

 

 穴を掘り、埋葬する。

 一緒に血濡れたお手玉も入れた。

 

「せっかく手に入れたのに、埋めるのか」

 

 心底不思議そうな殺生丸を悲しく思った。

 

お手玉(これ)は、この子のものだからね」

 

 妖怪である殺生丸に私の価値観を押し付けるのも如何なものか。

 

 それが道理(ルール)であると教えて、妖怪の世界で生きる殺生丸に何の得がある。

 

 得など一つもない。

 ただ、生きづらくなるだけだ。

 

 しかし、私は本能的に拒否感を覚えてしまうのだ。

 そんな自分の価値観と、世界の違いに打ちのめされる。

 

 だからあの時の私は、ただただ困った顔で殺生丸を見つめるしか出来なかった。

 

 それだけだった。

 

 

 

 

 そのままゆっくりと二人で歩いた。

 

 父の亡骸から離れて、火の国の門へと向かう道すがら。

 天生牙に斬られた場所へと戻ってきた。

 

 特に目印はないが、確かにここに腕を落としたはず。

 それなのに、何もない。

 

 私と殺生丸以外に、生者の姿は見当たらなかった。

 ただ妖怪の亡骸だけが在る静かな空間で、一体誰が私の腕を持っていくというのか。

 

 単純に疑問に思い、私は尋ねた。

 

「腕はどこに行ったんだろうね」

「……」

 

 殺生丸は何も答えない。

 そりゃ知らんわな。

 納得していた私だったが、意外なところから答えがあった。

 

主人(ひめさま)の腕は冥界にございます』

「冥界?」

 

 ぴくりと肩を揺らす殺生丸。

 殺生丸が腰に下げていた刀はもしかして、会話しないのだろう。

 

「すまぬ殺生丸、叢雲牙と話をしていた」

「……」

 

 じっと私を見つめる殺生丸。

 

『はい、冥界に。

 主人の身体は、冥界に引き寄せられますゆえ』

「……言ってる意味がよくわからぬ」

『そのままの意味でございます。

 生者が現世で生きるように、死者があの世へ運ばれるように、主人は冥界に引き寄せられるのでございます』

 

 ぞくり、と背筋が震えた。

 何か取り返しのつかぬことをしてしまったような、途轍もない不安を覚える。

 

『あの世とこの世の狭間にあった主人は、冥界に楔を打ち込まれました。

 しかし、あの段階ではまだ主人は現世にも所属する権利がありました』

 

 その言い方はまるで、今は現世に所属する権利がないとでも言いたげな。

 

『あの世とこの世、その狭間にあった主人を完璧にあの世のものと定義したのは天生牙です。

 ()()()()()()()()()を斬る天生牙に斬られたことにより、主人は世界からそう認識されたのです。

 ゆえに、主人は冥界に引き寄せられるのです。

 離れている時間が長くなるにつれ、引き寄せる力は強くなりましょうぞ。

 

 現に、落ちた腕は、冥界へと呑み込まれました』

 

 いつになく丁寧な説明をする叢雲牙は、心から私に服従している。そう、ありありと伝わってくる。

 

 決して嘘を言っているのではなく、冥界に属する刀として知る事実を淡々と述べているのだ。

 

 ――私は、殺生丸と一緒に現世へ帰れぬ、ということか。

 

 殺生丸の髪の艶やかさ、手の温もりが思い出される。

 あれほど近くに在ったのに、生きる世界がすでに違ってしまっていた?

 

 そんな。

 

 未だ現実感がない。

 

 

 私は、酷く安直な気持ちで冥界を通る道を選んだ。

 

 天生牙が私をあの世のものと定義したと言ったが、いま思えば。

 殺生丸に手を掴まれていなければ、あの時にもう死んでいたのだ。

 

 ならば今の私は、一体なんなのだろうか。

 わからぬが、こうして側にいることができる奇跡を噛み締める。

 

「――行こうか、殺生丸」

 

 私は何事もなかったかのように、火の国の門へと歩く。

 殺生丸は何も言わない。

 

「犬夜叉と話したかい?」

「半妖と話すことなど何もない」

「まあ、そう言わずに。

 せっかく血が繋がった家族なんだ」

「……家族など、必要ない」

 

 殺生丸からすれば、そういうものか。

 私は「そうか」と短く頷いた。

 

「私は殺生丸と犬夜叉の姉で在ることができて、とても幸せだよ」

「……」

 

 私たちは並んで歩き続ける。

 

「――そうだ。

 鉄砕牙は与えてやれぬが、代わりにこれを刀々斎のもとへ持ってゆけ」

 

 私は犬歯を抜いて、殺生丸に差し出した。

 

「きっと喜んで良い刀に鍛えてくれるはずだ」

 

 叢雲牙に認められること。

 すなわち、冥界に属するものとなること。

 それこそが新しい刀を生み出せる条件だ、と私は本能で悟った。

 

 この刀は、きっと業物になるはずだ。

 叢雲牙をも越える冥界に因んだ大技が繰り出せると確信する。

 

「姉上が持っていけばいい」

 

 殺生丸は視線を前方へ固定したままに吐き捨てる。

 

「そう悪くない刀になると思うのだが……いらぬなら、その辺に捨てるといい。

 そうすれば、じきに消える」

 

 私はそう言いながら、殺生丸の手を取り、大きな掌のうえに牙を落とした。

 

 その辺に捨てたら腕と同じように、冥界へと呑み込まれるはずだし、処分にも困らぬだろう。

 

 刀、といえば殺生丸は手合わせが好きだった。

 よく稽古をつけてやっていたことを思い出す。

 

「なあ、殺生丸。久しぶりに手合わせをしようか」

「刀がない」

「――それがな。お前の腰に天生牙が戻ってきているのだ」

 

 どういう理屈かはわからぬが、殺生丸にも気づかれぬように天生牙は舞い戻っていた。

 ギョッとした殺生丸がめちゃくちゃ嫌そうに腰に差さる天生牙を見下ろしている。

 

 まあ、捨てても戻ってくるって、ちょっとホラーだよな。

 

「ほら、お前。手合わせが好きだったろう?

 ――叢雲牙、わかっているね」

『この叢雲牙にかかれば、現世の存在を斬らぬことも出来ます』

 

 殺生丸は刀に手をかけ、視線を揺らした。

 

「……気分が乗らぬ」

 

 もしや、私の腕を落としたことを気に病んでいるのか。

 本当に気にしなくていいのに。

 

「そう易々とこの姉を斬れると思うな。

 あの時は少しばかり気を抜いていただけだ」

「片腕の姉と戦って勝って、何になる」

「これ。勝つ前提で話を進めるんじゃない。

 本当にこの私に勝てるかどうか、試してみぬか?」

「せぬ」

 

 殺生丸は、ぽいと再び天生牙を放り投げた。

 

 ――おかしい。

 

 戦うのが大好きな殺生丸が、私との手合わせを嫌がるなんて。

 

 私は、殺生丸にしてやれることを全部したいのに。

 

 どれもこれも拒絶されて、意気消沈した。

 所詮私がしてやれることなんて一つもないのかもしれない。

 

「わかった。

 では殺生丸、なにか聞きたいことはないか」

「今は思い付かぬが……また聞こう」

「父と母のことでも、妖力の操り方でも、なんでも良いのだぞ」

「現世へ戻ってからな」

「殺生丸……」

 

 

 ――今しか、ないのだ。

 

 

 それを伝えるべきか、悩んだ。

 伝えるにしても、どう伝えればいい。

 

 冥界へ落ちて、私はもう自我を保てぬかもしれない。

 もう二度と、会えぬ可能性が高かった。

 

 

 いつになく寂しげで、縋るような瞳を向けられた私は、ふと悟った。

 

 

 殺生丸は聡明な子だ。

 きっと既に、何かを察しているのだ。

 

 そういえば、ずっと様子がおかしかった。

 

 久しぶりに会えて、姉を恋しく思ってくれていたのかと勘違いしていた。

 甘えてくれることを、ただただ喜んでいた。

 

 殺生丸に比べて、私はダメな姉だ。

 それにも関わらず、慕ってくれる可愛い弟。

 

 

 私たちは何も言わずに歩き続けた。

 

 こうして、当たり前のように側にいられたら。

 まだ彼にしてやりたいことがたくさんあるのに。

 

 私の気持ちとは裏腹に、あの世とこの世を繋ぐ門が見えてきた。

 

「――火の国の門だ」

 

 太い鎖が厳重に巻かれた重厚な門。

 その傍には門と同じくらいに大きい門番が二体。

 

 私は、足を止めた。

 

「――姉上」

 

 行こう。

 差し出されたその手を、私は静かに見つめた。

 

 




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