純潔の菩薩姫   作:まだ半妖の夜叉姫観れてないんだよね

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半妖の弟

 

 母は情のない妖怪だ。

 

 より力を強くすることこそが至上であると考えている。

 私や殺生丸のことを自らの子だと認識しているらしいが、母親らしいことは一切しない。

 

 母と同じ寝床で語らったことなど一度もないし、手料理を振る舞われたこともない。ともに遊んだことだってないし、何か相談に乗ってもらったことだってもちろんない。

 母の体温を、私は知らない。

 

 私は姉でありながら、あまりにも情がなさすぎる母の代わりに、私のできる範囲内で殺生丸を寂しがらせぬように行動した。

 

 ともに遊び、ともに戦い、ともに眠り、ともに食事をする。

 お互いに口数が少ないため長文を交わすことこそなかったが、日々の折々にちょっとした会話をするようにもなった。

 

 

「お姫様のおかげで、殺生丸様は穏やかなお顔になりました」

「仲睦まじいお二人の姿を見ているだけで寿命が伸びるようです」

「殺生丸様のお姫様に対する想いは計り知れませんな」

「お姫様が殺生丸様へと目をかけたからこそ」

「なればお姫様の方こそが殺生丸様への想いが熱く……?」

「なんにせよ、将来有望なお二方が手を取り合うなんて、げに素晴らしきことじゃ」

「血のつながりがあれども潰しあうことのほうが多いというのにな」

 

 

 相変わらず家来達が姦しく会話している。

 私も殺生丸も、家来達が何の話をしていようがまるで気にしない。

 

 

 恐らくはそのお喋りな家来から母へと、世間話の一環で連絡がいったのだろう。

 

 殺生丸から私へ向けられる安心が、私が殺生丸へと向ける庇護欲が、それぞれの強さを阻むものであると母に判断された。

 

 唐突に夜闇のなかに現れた母親は、相変わらずの美しさで妖艶に微笑み、す、と白い指先で空を切った。

 

(ぬし)ら、少し離れて暮らせ」

 

 母が袖を翻しながらそう言うと、母のよくわからぬ妖術が発動した。

 

 ふわりと華の香りが充満した。数多の花弁が舞い乱れる錯覚を覚えたほどの甘美なニオイの暴力。

 鼻の利く私は瞬いた。刹那、世界は真っ白に染めあげられた。

 

 そこからは瞬きなどしなかった。

 だから突然白い世界の霧が晴れるように、見たことのない景色が現れたように感じた。

 

 慣れ親しんだ妖気が一つも感じられない。

 

 しんと静まり返った夜半、虫の鳴き声も聞こえない。

 天井高くで輝く冷たい月。

 

 地の果てに見える赤は篝火か。

 どちらも煌々と輝き、とても遠い。

 

 冷え切った夜の空気を肺いっぱいに吸い込むが、まるで見知らぬニオイだ。

 

 私は知らぬ土地で、家来の一人も連れることなく一人になった。

 

 どういう妖術かは分からぬが、母は転移のような術が使えるらしい。

 戦場でどれほど重宝する能力だろうか。

 

 そういえば以前も唐突に母が現れたことがあった。

 きっとこの能力を用いていたのだろう。

 

 情のない母親からしてみれば、感情など不要の代物。

 強い妖怪である母から、感情は強くなる障害だと判断されたのだ。

 

 私はこれ以上強くなるつもりなどないので別にいいが、殺生丸の成長を阻害したくはない。

 

 実のところ、ちょっと寂しかった。

 殺生丸と過ごす毎日はとても充実して楽しかった。

 

 必死に探せば殺生丸のことを見つけられるだろうが、再び母からの妨害にあう可能性は高いし、殺生丸がどう思っているのかも分からない。

 

 自分だけ一生懸命になって殺生丸を見つけ出して、冷たい顔で邪険にされたらちょっと立ち直れない。

 

 悩んだ末、私は殺生丸を探さないことに決めた。

 

 それが正しいのかは解らない。

 殺生丸にとって良いことなのかも解らない。

 

 だからこそ、私は己の選択を恥じた。

 恥じて、開き直った。

 

 いずれ、自然に会えたときの彼の成長を楽しみにしよう。

 

 人間とは比べるまでもなく長い妖怪人生だ。お互いそう簡単に死ぬこともないだろうし。

 

 

 感情を邪魔だと切り捨てた母にその当時は同意していた父は一転、人間の女に入れ込んでから変わった。

 

 それはもうめちゃんこに変わった。

 

 一人気ままに旅を続けることは変わらぬが、私は人里に人に擬態して紛れこむようになった。人間に興味があったのだ。

 

 物の道理をまるで知らぬ私に、人間達はよくしてくれた。白銀の髪色は目立ちすぎるため、黒に染め上げた。そうしてから、余計に人々は親切になった。

 

 色々な人里を転々とし、季節も一巡りも二巡りもする頃には、すっかり人間界にも慣れてきた。

 元来妖怪ではなかったので、人里の方が心地よさを感じさえする。

 

 旅を続ける私のもとへ、父親はよく訪ねてきた。大妖怪のくせにフッ軽すぎる。

 

 森の中にいるときはいいのだが、人里にいるときには、父の放つ濃密な妖気に焦りを覚える。

 普通の人間であれば妖気に反応しないが、寺のものや神社のものなどは妖気に気づくのだ。

 

 人に擬態する私のもとへ、人間にバレるかもしれない妖気を漂わせながら訪れる父。のっぴきならぬ用事があるならばまだ分かる。だが彼が来ているのは重大な理由からではない。では、何しに来てるのか。

 

 恋バナをしに来ている。

 

 良い歳して娘に恋バナ――というかガチな恋愛相談をしにくる父親は、十六夜とかいう人間の女に惚れ込んでいるらしい。

 

 たくさん家来はいるだろうに、なぜわざわざ私のところに話しに来るのか。

 白けた顔で相槌を打つ私だが、それでも父親はめげずに来る。

 あまり古手の家来だと人間なんかと窘められる。あまり最近の家来だと人間なんかにうつつを抜かして、と見くびられる。基本的に妖怪は人間を下等生物だと思っているため、そもそも会話が噛み合わない。

 人間界で暮らしているせいか、俺の娘だからか、お前はよく話が分かる。父はそう言って満足気に私のところへやってくる。

 

「恋は人を愚かにするとは聞くけれど……」

 

 思わず漏れた私の本心に、父親は怒るどころか訳のわからないところに反応した。

 

「こっ……恋……?! ちが、てめ……恋なんて浮かれたモンじゃねえよ」

 

 恋という単語に、頰を真っ赤にして否定する父親は十六夜に恋していることにすら気づいていなかったらしい。

 

 純情ぶる年増の妖怪に、可愛さなどまるでないし、威厳のカケラもなかった。

 

 それからも贈り物は何をしたらよいかだの、何をしてやったら喜ぶだろうかだの、人間が好む食べ物は何なのだろうだの、しょーもないことを延々と色々と相談しにきた。

 

 人間など大量に生まれる塵芥だと思っていた父親が、人間を襲わぬようにと私に願った。強制力のない、ただ一個人としてのちっぽけな願いだった。

 

「お前は一角の妖怪だが、不思議と妖力は人間のように抑えられている」

 

 隠遁生活である程度の妖気を隠せるようになっていたが、人里で人に擬態して生活するうちにすっかり妖気を隠せるようになった。法力の高い坊さんにも見抜かれなくなった。

 

 妖怪から無駄な戦を引っ掛けられることがなくなったので、そこそこうまいこと妖力を隠せているのではないかと思っていたが、父からお墨付きを貰って安心した。

 

 妖力垂れ流しの父に繊細なことがわかるのだろうか、と一瞬考えたが、……まあいい。

 

 

 時折人の身には余すほどの強い力を持ち得た巫女や坊主には正体を見抜かれることもあったが、時代を変えうるほどの力を持つ人間は、そうゴロゴロ存在しない。つまりはほとんどの人間から私は人間だと思われるようになっていた。

 

 私は戦いを避けて、人間に擬態して人里を転々とする生活がすっかり気に入っていた。

 

 喜怒哀楽をあらわにし、一生懸命に日々を生きる清い人間達に囲まれて。

 温かな人情に触れて、凍りついていた私の表情は少しずつ溶かされてゆき、口数も少しずつではあるが増えていた。

 

 情を持ちすぎる前に違う里へと移動するようにしているが、幾つもの里を渡り歩くうちに、私は人間が大好きになっていた。

 無条件に人間のために何かをしてやっても良いくらいには、人間贔屓になっていた。

 

 なにせ彼らの作る飯は美味い。

 調味料は文明だ。

 美味しいは、正義だ。

 

 此度の里では、村娘に擬態して城に奉公していた私のもとへ、再びこっそりと忍んで父が現れた。

 

 仕事を終えてぐっすりと眠る夜半のこと。

 

 私もまた相部屋で雑魚寝していたのだが、父の気配を察知して仕方なく外へ出る。身軽に屋根の上へとのぼると、父が片膝を立てて座っていた。

 

 ひんやりとした夜の空気が心地よい。

 

「あんまり頻繁にこられると困るんだけど」

 

 無口だった私は、父に対してそれくらいの軽口は叩けるようになっていた。

 

「まあそう邪険にするな。

 今日はちょっと、頼みがあって来た」

 

 何度も何度も私のところに顔を出す父は、以前よりもずっと父親らしい顔をしている。

 

 物理的にも人間臭さを漂わせながら実に幸せそうに笑う彼の姿は、今まで見たことがないものだった。

 

 間違いなく、十六夜という人間の女がもたらしたものなのだろう。

 

 それが良いものなのか悪いものなのかはわからない。

 

 月を眺めながらちょっとした今の状況をお互いに話し合う。

 会話のなかで、父は言った。

 

「護るべきものがあるからこそ、人は強くなれるのだな」

 

 今までの彼の生き様とはまるで違う台詞であった。

 あまりにも異質なそれをよく覚えているのは、彼から死臭がしていたからだ。

 

 きしり、と屋根の瓦が父の体重で軋む音がする。

 

「お前にしか頼めぬ。

 もしものことがあれば、我が子を――犬夜叉を、頼んだ」

 

 守るべきものがありながら、それでも戦いに身を投じるのは妖怪の性なのだろうか。

 もしもそうなのだとしたら、私の本質はきっと妖怪ではないのだろう。大妖怪の父と母から産まれた、紛い物のナニカだ。

 

 人間に近づき多感に過ごす妖怪がよきものなのか。

 妖怪は妖怪らしくあることがよきことなのか。

 

 私自身は、どうありたいのか。

 

 ぼんやりと考えながら人に擬態して過ごしていた。

 そんな折、風の噂で聞いた。

 

 どうやら父は死んだらしい。

 

 何故だろう。私は当たり前のようにその事実を受け入れていた。大妖怪である父が死ぬことなんて、普通に考えてあり得ないことなのに。

 

 もちろん涙は出なかった。

 

 

 私は父から聞いた里の場所を脳裏に思い浮かべながら、深いため息を吐いた。

 

 どいつもこいつも自分でこさえた子どもを私に押し付けやがる。

 

 そう思いながらも、自分の身体が動くのを止められないのが、とても不思議だった。

 

 

 

 

 

 

 私が半分だけ血の繋がった弟を見つけ出した時には、父を変えた人間の女はすっかり虫の息であった。

 城の離れに押しやられ、手伝いの手もなく死にかけている。

 

 掃除の行き届かぬ一室で、古びた毛布に横たわり、虫の息で胸を上下させる女。そしてその傍らでぴったりと母に寄り添う少年。

 

 まだ若い女に、迫り来る死の臭いがする。

 避けられぬ死の臭いだ。

 濃厚な死臭を久しぶりに嗅いだ私は、思わず鼻を袖で覆った。

 

 はっとする。

 その姿は弟の目にどう映っただろう。

 

 私の短慮な行動に、きっと鋭い眼光で私を睨みつけるのは白髪の少年だ。

 夢現を行き来する朧げな女の瞳には、私の姿が映っているのかさえ定かでない。

 

 少年は艶やかな髪をしていた。

 私の髪にも殺生丸の髪にも、さらに言うならば父の髪にも通ずる白銀のそれは、丁寧にとかれて暗闇のなかでも輝いていた。

 

 どう見たって自分で髪をとかすような少年には見えない。

 

 ならば答えは一つ。

 

 床に寝入ることがほとんどであろう母親が、丁寧に彼の――犬夜叉の髪をといたのだろう。

 

 これほどの死臭だ。

 身体を起こすことさえ、息をすることさえ辛かろうに、丁寧に丁寧に父親譲りの銀髪をといたのだ。

 そこには我が子に対する愛情も、その血を授けた父親に対する愛情も感じられた。

 

 瞬間、私は燃え上がるような感情の濁流を感じた。

 突発的に沸いた真っ赤な憤りの感情は、しかしながら私の表情には反映されない。

 

 父は強い妖怪がいれば戦いへ赴かずにはいられない、喧嘩っ早い性格だ。そういう性なのだ。

 

 だけれども。これほどまでに想ってくれる人がいて、その存在を残して逝くことに何も感じなかったのだろうか。無責任だとは思わなかったのだろうか。

 

 ――犬夜叉を、頼む。

 

 脳裏に父の声が響く。

 

 私は心のなかで首を横に振った。

 うるさい。

 

 だって、この娘とこの子が求めているのは、ただただ己へと差し伸べる手ではない。

 父の手を求めているのだ。

 それを解らぬ父ではないはずだ。それを分かってなお、戦場に赴いた理由はなんだ。自分は死なぬと、そう高を括っていたか。

 

 私の心は真っ二つに割れたようだった。

 父を憎むと同時に、憐れみを覚えた。

 

 きっと心残りだったことだろう。

 強い母や、その血を受け継ぐ私や殺生丸のことは、憂いにはならぬだろう。だが、弱くて幼い犬夜叉と、愛おしい人間の弱い女を残して死なねばならぬ大妖怪の気持ちは、如何なるものだったのだろう。

 筆舌に尽くしがたいものがあったはずだ。

 

 私の脳裏によぎるのは、人間の女に懸想する、人間じみた笑みを浮かべる大妖怪だ。

 もっと生きていたかっただろう。自分の生は無限のように続くものだと錯覚していたことだろう。

 

 唐突に現れた死神の口がぽっかりと開いて、一体どんな心地だったろう。

 

 私はさらに想った。

 父を尊敬する殺生丸は、父が死んだと聞いて、どんな気持ちでいるだろう。どうして私は彼のそばにいてやれないのだろうか。

 母が母らしいことをするなど、一切期待していない。私は己が殺生丸の側にいてやれないことを、いないことを選択した己を、酷く残念に思った。

 

 感情が濁流のように身体を駆け巡るのに、私の表情は何一つとして変わらない。

 

「おまえ――」

 

 突然、犬夜叉の瞳から敵意が消えた。

 

「おまえ、悲しいニオイがする」

 

 すん、と鼻を鳴らした犬夜叉が、溢れんばかりの敵意をすっかり消火して、私を真っ直ぐ見てそう言った。

 

 私の表情は、眉の一本たりとも動いていないはずだ。

 それなのにやけに確信じみた表情で犬夜叉が言う。

 

 彼のニオイが見せる世界は、私に見える世界とは違うものなのだ。私はそう悟った。

 

 突然現れた敵ともいえる私に対して、犬夜叉は敵対する姿勢を崩した。純血の妖怪であれば考えられない行動であった。

 

 相変わらず母のそばで、母になにかあればすぐにでも動ける体勢だけを維持して、私に対する敵意を完全に消した。犬耳を生やした少年が、まるで犬のように身体を丸めて母の側に寝そべっている。

 

 病床の十六夜は私へ向けて微笑んだ。

 

「あなたが――そうなのですね。

 あの方からお話は聞いております」

 

 弱々しいながらも、美しく響く声であった。

 

 痩せこけながらも美貌を損なわない十六夜は、潤んだ瞳で視線を細かく左右に揺らしながら、私の姿をその瞳に映そうとしている。

 

 私は足音を立てぬようにその近くへ寄った。膝でにじりよる私にぴくりと犬夜叉が反応したが、興味を失ったかのようにくあぁと欠伸をする。

 

「とてもよくできた娘なのだと、彼の方はいつも自慢しておられました」

 

 そんなことはあるまい。

 咄嗟に否定の言葉が口をついてでそうになったが、今にも死にそうな女に強い言葉をかけるのは気に病まれて、私は結局唇を少しも動かさなかった。

 

 寝転びつつ、十六夜は犬夜叉の頭を撫でている。丁寧に、丁寧に細い指先で髪をといている。

 

 うとうとと眠たげな犬夜叉は、その手の心地よさに微睡みつつあった。

 

「私の命が永久に続けば、と。

 そう願わぬ夜はありませんでした」

 

 静かで、とてもゆっくりな十六夜の言葉。

 

 すぅ、と小さな寝息が聞こえる。十六夜の優しい手に誘われて、犬夜叉は静かに眠りについていた。

 

「この子を残して逝くことがやるせなくて、無念で。

 ――怜悧さま、私の命よりも大切な犬夜叉を、貴女にお頼み申し上げることを許してください」

 

 赤の他人とも言える私に、大切な我が子を預ける十六夜の心を想うと、私は何も言葉を紡ぐことが出来なかった。

 

 ただ、頷くことしか出来なかった。

 

 半妖の身がどれほど疎まれるものであるか、想像しか出来ぬ。

 妖怪にも人間にも疎まれる彼の心を、私に守りきることなど出来るはずがない。

 

 だけど確かに愛されて産まれた弟の心に、少しでも寄り添って生きていきたいと私は願った。

 

 虫も歌わぬ静かな夜、眠るように十六夜は息を引き取った。

 何も知らぬ犬夜叉は、穏やかな寝息を立てていた。

 

 

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