純潔の菩薩姫   作:まだ半妖の夜叉姫観れてないんだよね

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鉄鶏の頼み

 

 鉄鶏から差し出されたその手を、私は取らなかった。

 

 代わりに片足を半歩後ろへ下げ、重心を落とす。

 足元でパキリと小枝が爆ぜる。

 

 妖鳥使い――鉄鶏は、はるか高みでニヤリと唇を持ち上げた。

 

 戦わぬ妖怪は、それだけで軽く見られる。

 私は長い妖怪人生でそれをよく知っていた。

 

 要求を言われるがままに呑むのは、隷属すると言ってるに等しい。

 

 随分と上から目線ではあったが、鉄鶏が私になにか頼みたいことはあるのは間違いない。

 しかしながら諾々と言うことを聞く人形を求めていたのではないらしく、彼女は満足そうに頷いた。

 

「――面白い。どこまでやれるか見せてみろ、大犬の娘」

 

 空中でくるりと一閃。片脚を軸に膝まで届く青白い炎が、遠方から蹴りとともに押し寄せる。

 

 炎は樹木に燃え広がり、熱風が全身を押し戻す。長い両袖が後方へ吹きなびき、バタバタと音を立てている。

 

 ぐぐ、と重力に逆らうように踏ん張り、私は上空へ跳んだ。

 

 跳躍の瞬間、火球がいくつも我が身へと迫り来る。

 ジリジリと燃え盛る熱球が四方八方から酸素を減らす。

 息苦しい熱気の中、私は足元に妖気を纏わせ、炎の間を縫うように回避した。

 

 妖気だけでは速度が足りない。燃え盛る木の幹を蹴り、後方で爆ぜた炎弾をも自身の推進力に変えた。

 

 眼前に巨大な火球が迫る。

 顔面より大きい炎。

 灼熱が肌を焼く。

 

 ――避けられない。

 

 息を止め、拳に妖力を厚く纏わせて防御。同時に、回転とともに火球を弾き落とす。

 下手に呼吸すれば気管が焼かれる。

 

 鉄鶏は鋭い目で私を見据えた。好奇心がその瞳に赤く燃えている。

 

 私に攻撃を食らわせ、安堵したところを狙って、距離を一気に詰めた。

 

 右腕の毒腺から瘴気を精製して爪先から放つ。

 

毒華爪(どっかそう)

 

 爪先を肩口に深々刺す。

 じゅっと音がなり、酸の焼けた臭いが広がる。

 振り払われる前にコンマ1秒速く私は後方へ離脱した。

 

「――速いな! 我が身体に傷をつけるか」

 

 どこか嬉しそうな口調。

 肩口の小さな傷など物ともせず、鉄鶏は腕を一直線に薙いだ。呼吸を奪うほどの爆風で身体が浮き上がる。

 

 物理的な距離が確保されるのは、悪いことではない。

 あれほどまでの巨体だ。毒がまわるまで時間がかかる。さらには鉄鶏は巨大な妖力の持ち主だ。

 毒の強さにそこそこの自信はあれど、いつ効くかの想像がつかぬ。

 

 抗えぬ浮遊感の中、私は鉄鶏の足元の炎に妖力干渉をかける。

 美尾の妖術を解いたときと同じ力の使い方だ。

 

 鉄鶏の足元の爆炎はぷすぷすとガス切れを起こしたようになり、燃え移った火も勢いを弱めた。

 

 脂汗をかきながら私はなおも妖力を注ぎ込む。

 すると、森は再び闇夜に包まれた。

 

 瞬間、私は光よりもなお疾く、あっという間に鉄鶏との距離を縮めた。

 爪先を突きつける。

 目を丸くした鉄鶏の首元に。

 

「……なるほど、菩薩か。

 其方、名は何と言う?」

 

 紅い瞳が細まる。戦場の中に、軽い称賛が混じる。

 

「――怜悧」

「怜悧か。その名、しかと覚えた。其方はただの大犬の娘ではない」

 

 きっとそれは、鉄鶏なりの最上級の褒め言葉だったのだ。

 人型では失礼だったな、と言わんばかりの笑みを残し、女の姿は爆炎とともにかき消えた。

 

 代わりに現れたのは白い巨鳥。

 身体の各所から青白い炎を吹き上げ、強烈な圧力を放つ。

 

 妖力を手に集中させ、次の一撃に備える。

 先ほどとは段違いの火球が、風を切り、雨のように降り注ぐ。

 森の木々はずしんと揺れ、熱気と風圧が渦巻く。

 

 山のような体躯の巨鳥となった鉄鶏と、矮躯な人型である私との戦いは、台風を前にした人間と同じようなものだった。

 

 いまの鉄鶏に妖力干渉は効かぬ。

 

 

 鋭い矢のような形状の青白い炎が降り注ぐなか、鉄鶏の意のままに配下の吸血鳥が死角から鋭く突進してくる。

 

 初めは自身の攻撃が防がれることを楽しそうにしていた鉄鶏も同じような状況が続くと飽きたらしい。

 

「のう怜悧、このようなものではないだろう? お主の実力は」

 

 鉄鶏の頭上に途轍もない熱量の巨大な炎の弾が形成される。

 里ひとつ呑み込もうかという強大な青白い火の弾は、さながら地上の太陽のように凄まじく輝いている。

 

 

  ――こい、こいこいこい、頼むから疾く……!

 

 

 

 さしもの私も、こめかみに冷や汗を垂らした。

 あれが落とされたら――終わる。

 

 犬夜叉や美尾がこのとてつもない巨大な炎の玉から逃れた範囲にいればいいのだが。

 

 炎の玉は渦巻くように青白い炎が濃密に集められている。

 本当に凄まじい妖力だ。

 あんなのに直撃したら、たまったものではない。

 

 私は真夜中の太陽の下で、二人の姿を思い浮かべた。

 すり切れるくらいに思い出した幼き日の殺生丸と、そんな殺生丸と同じくらいの齢の犬夜叉。

 銀色の髪、金色の瞳。

 二人の幼児が私のことを待っている。

 

 私はゆっくりと、臓腑が暴れるように嫌がるのを押さえつけながら両腕を挙げた。

 降参の意を示すつもりであった。

 生き延びるため、本能の叫びを折って。

 

 ――その瞬間。

 

「……な?」

 

 青白い炎の玉のまん丸い輪郭が歪み、ぼふん、と炎が掻き消える。

 炎の尾をちらりと残して消え去った。

 

 あまりにも眩しかった世界から一転、再びの闇夜に引き戻され、明るさに慣れた目が一時的に機能しなくなる。

 

 ぷすぷすと焦げた臭いがそこらで立ち昇る。

 

 真白い巨鳥は、大きな音を立てて地面へと堕ちた。

 

 大地が激しく揺れる。

 木々は倒れ、ガサガサと葉が揺れる音が巨大な転倒音のなかでざわめくように聞こえる。

 

 

 ――なんとか、我が毒がまわるのが、間に合ったか。

 

 

 真白い巨鳥――鉄鶏は、大地に堕ちたまま翼を震わせた。

 息を切らす音も、よく聞く妖鳥の鳴き声とは違い、どこか不満げでありながらも、ピリリと背筋が伸びる威圧感がある。

 

「……ふむ、毒か」

 

 その声は森に響く低い唸りのようだった。

 地へと横たえていた長い首をゆっくりと起こし、人型のときと同じ紅い瞳で私を見下ろす。

 

「ここまでの実力とは思っておらなんだ。

 ――私の負けだ、怜悧よ」

 

 言葉に、戦闘を通して感じた率直な賞賛が滲む。

 火球のいなし、緻密な妖力干渉、そして最後に巨大な火球を無力化した――その事実が、鉄鶏の認識を変えたのだ。

 

 尤も最後の巨大な火球は、時間が間に合うか間に合わぬか微妙なラインであったが。

 

 そも、毒に強い個体であればこの戦法は効かなかった。

 運が味方した戦いであった。

 

 私は鋭く昂った神経を落ち着けようと試みる。

 両腕を下ろし、深呼吸をして息を整える。

 全身に残る熱気と振動が、まだ体に余韻として残っていて身体の末端まで熱い。

 

「噂に違わん--妖怪らしくない慈悲深さよな。

 大妖怪鉄鶏の、この無防備な首ですら取らぬか」

「誰の首だって等しく取りたくない」

「くくっ、遥々貴様を訪ねてきてよかったわ」

 

 大きな翼を広げ、地面を揺るがすような音を立てる。

 私の毒が未だ全身に巡っているはずなのに、よく動けたものだ。

 

「……さすがに飛べぬか」

 

 ぼそりと鉄鶏が呟いた。

 森全体が戦いの余韻でざわめく中、炎の焦げる匂いと立ち上る煙が視界に滲む。

 

「怜悧。

 改めて、頼みがある」

 

 鉄鶏は巨鳥の姿のまま震えながら身体を起こした。

 私の毒は全身を回っているだろうに、凄まじい痩せ我慢だ。

 

 私は空中に浮かんで視線を合わせた。

 

 鉄鶏の紅い目には、これまで抱いていた大犬の娘への単純な興味ではなく、尊重の色が大きく見えた。

 

「私を負かした強大な妖怪である其方に、乞い願う」

 

 鉄鶏は深く、息を吐いた。

 

 その瞳の奥で揺れる感情の熱量に、私は覚悟を固める。

 

 倒れたまま首だけを起こし、真摯に此方を見つめて言った。

 

「――我が子を、助けてくれないか」

 

 

 

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