純潔の菩薩姫 作:まだ半妖の夜叉姫観れてないんだよね
怜悧は鉄鶏の白い毛並みに触れた。
毛先こそ固いが、奥の方は意外とやわらかい。
彼女の全身にまわった毒を妖力で中和しつつ、素直に横たわる彼女から話を聞いた。
「我ら妖鳥一族は、産まれながらに地獄の業火を身に帯びておる。ゆえに、炎は我らの身を焼かない。
その、はずであった」
なおも鉄鶏は続ける。
「炎を操ることは我らにとって手足を使うのと同じこと。
手足がなくては不自由するように、炎もまた、なくてはならないものだ。
其方にも分かりやすく言えば、炎は攻撃にも用いることが出来るが、我が身への癒しにもなり得るということだ。
それなのに。
――氾濫する炎に、阿毘は苦しんでおる」
鉄鶏の治療を続けながら私は尋ねた。
「いつからそうなった?」
そう聞いたのは、阿毘が産まれながらにそのような体質であったとは考えづらかったからだ。
弱い妖怪は噂にならぬ。
鉄鶏の噂が轟くのと同じように、彼女に一人娘がいることはそこそこ有名な話であった。
妖怪は自らの弱点となるものを晒さない。
阿毘のことを溺愛している鉄鶏ならば、彼女が産まれながらに欠陥持ちであったならば、誰の目にも触れぬよう大切に隠して育てたことだろう。
遠き西国にまで噂が届いているということは、阿毘が元気に活動していた期間がそれなりに長いということだ。
だから、今彼女が伏せているのには、なにかきっかけがあるはずだと踏んだ。
「……私を殺しに来た奴を返り討ちにして喰ろうてやったことがある。
毒持ちの個体でな。考えてみるとその後から調子が悪くなり出したように思う。
阿毘は、その毒の影響を受けているのやも、しれぬ……」
大妖怪の子が弱まっているなど、知られればどうなるかは想像に難くない。
鉄鶏は我が子を安全な巣に匿って自分が動くことで、娘を助ける手段を探していたのだろう。
「私は一時凌ぎのため……毒を与えてあの子を眠らせた」
鉄鶏は巨鳥の姿から人型へと転じた。
会った当初よりもずっと青白い顔をしているが、足元で燃え盛る青い炎は力強い。
毒を使った張本人である私が解毒を手伝ったこともあるだろうが、持ち前のタフさで鉄鶏は動けるまでに回復していた。
「こうはしておられぬ。怜悧、ついてこい。
我が巣へ案内する」
聞くところ、阿毘に残された時間は短そうだ。
私が何かを出来るかはわからない。行ったところで何もできない可能性だって十分に考えられる。
しかしながら、妖怪でありながら娘のために奔走する鉄鶏の力になってやりたいと思った。
たとえ助けになれなくとも。損得の感情なくそう思った。
私は懐に入っていた羊皮紙を取り出す。
煤がついて所々黒くなっているが、なんとか燃え尽きずに済んだ。
美尾がくれた西国の地図だ。殺生丸に会いに行く時に使おうと、大切に持っていた。
筆は持ち合わせていなかった。
少しばかり悩み、羊皮紙を裏向ける。
血液にたっぷりと自身の妖気を含ませて、血で文字を書いてゆく。
それを燃えていない木の高いところに括り付けて置いた。
……きっと、美尾たちが見つけてくれるはずだ。
「行くぞ」
飛び上がる鉄鶏。私はその後ろに続いて飛んだ。
何度か振り返るも、鉄鶏の炎が鎮火した森は静かで真っ黒で、なんの動きも見られなかった。
移動の間も、鉄鶏は流暢に話し続けた。
実に一方的に娘の話ばかりしてくる。
眩しいくらいに鉄鶏は一人娘のことを愛していた。
私の父も大妖怪と噂されていたが、一方的に恋バナを繰り広げる男だったし、大妖怪ってそういうものなのかもしれない。
「年々言うことをきかなくなってきたが、それもまた可愛くてな」
「私に刃向かい戦いを挑んできたこともあるが、負けて悔しそうな顔が愛らしくて」
「阿毘の相手には相応しくない雑魚妖怪を相手どったとき。あの子は何と言ったと思う?
母上の手を煩わせるわけにはいきませんから。だと」
それにしても語る語る……。
私は鉄鶏の子煩悩な語りの大半をただのBGMとして聞き流していた。
「あの子は私が手づから大切に育ててきた。
……だからこそあの子が倒れた時、私は情けなくて消え入りたくなった。
私が代わりになってやれたら。
あの妖怪を喰らうのを止めていたら。
生まれて初めて、後悔というものをした」
ちらりと私は鉄鶏へ視線をやる。
彼女はひたすら真っ直ぐに巣へと飛んでおり、その視線は此方に向いていない。
まるで一人で語り続けるラジオのようになっていた鉄鶏が初めて私へと言葉を向ける。
「……のう、怜悧。
愛情は自分の感情の押し付けだ。
本来であればここで尽きるのが我が娘の命運なのだろうが……私はまだ、あの子に生きていて欲しいのだ」
鉄鶏はとても優しげに、笑った。
私は、何故だか自分の母のことを思い出した。
親であることを放棄したような父母であり、鉄鶏とはまるで似つかない。
しかし、私は彼女らの生き様が嫌いではなかった。
彼女らは自由なだけだ。
己の欲望に忠実なだけ。
それは即ち、何にも縛られず、己がしたいと思ったことを、純粋に実行できる力があるということだ。
私とはまるで正反対だ。
どうすべきか、どの方法がベストか、こうすれば他者から悪く思われないか。
考えの一助にするだけだったはずなのに、いつのまにかその思考で雁字搦めになって、自分がどうしたいかを忘れてしまっていた。
犬夜叉に対して、私はどうしたいのだろう。
殺生丸に対して、私はどうしたいのだろう。
いつの間にか鉄鶏の語りはなくなっており、二人無言で空を飛んでいた。
いつから鉄鶏が話さなくなっていたのか、思考に集中していた私は分からなかった。
まあ、殆ど相槌を打つこともなく鉄鶏の話を聞き流していただけなので、なんら問題はないのだけれど。
「ついたぞ」
切り立った崖の隙間へすいすいと入り込み、ぽっかりと口を開いた洞窟のひとつへと案内される。
そこには、瞳を閉じて地面に横たわる妖鳥の姿があった。鉄鶏ほどに巨大ではないが、十分に大きい。
その妖鳥が痛々しいのは、あるはずの羽がないからだ。
浅い呼吸に合わせて嘴から赤い炎の粉が散る。
意識は失っているようだが、完全に眠りについているのでもなさそうだ。
体躯から漏れ出す炎はあまりにも弱々しい。
鉄鶏の青い炎とは正反対の赤い炎だった。
羽根の根本の隙間、嘴の奥、喉の内側から炎が逆流している。
呼吸とともに、喉の奥で湿った音がする。引っ掛かった呼吸音に、コヒュ、と阿毘が炎を吐く。
同時にぺちゃりと吐き出された細胞の一部は、洞窟の床に撒き散らされている。
本来彼女たちにとって、治癒となるはずの業火がその細胞を再生せず、内側から焼き潰し、イヤな臭いを出していた。
炎が“毒”に変質している。
その異常性が一目で分かった。
「……触れても?」
「勿論構わぬ。私の命を如何様にもできた其方が、いたずらに命を奪わぬことは信用している」
私は阿毘の首元に手を伸ばした。
――冷たい。
眠らせた結果、炎は抑えられたのだろう。
しかしながらその代わりに体温が急激に低下している。
指先に感じられる心臓の拍動が間延びしている。
「目を覚ませば、燃え尽きる。
眠らせ続ければ、凍え死ぬ」
鉄鶏は静かにそう言い、優しく阿毘の頭を自身の膝の上にのせて撫でた。
「私の炎では、この毒を焼き切れぬ。
むしろ炎に載せて毒を拡散させてしまいかねない。
私には、どうにも出来ぬのだ。
――頼む、怜悧。
私の大切な、一人娘なんだ」
病床の娘を目の前にし、一段感情のこもった懇願を鉄鶏からされた私は、唇を引き結んだ。