立場逆転転生パロ。
記憶ありつよつよ令嬢真依(16)×記憶なしよわよわ私生児直哉(15)。
前世の記憶持ち財閥令嬢・真依の前に現れたのは、記憶を持たない前世のドブカス従兄・直哉だった。
今世では圧倒的弱者の立場にある直哉を、真依は悪辣な慈悲で飼い慣らす。
空を飛べない二人が、互いのエゴと生存本能を擦り合わせ、共依存関係を結ぶ話。
※pixivにも投稿しています。

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箱入り道中

 放課後の旧校舎はだらりと弛緩した夕日と人気のない籠った空気に満たされている。橙色に染まった廊下を歩き、目的地へと一歩一歩近づく毎に漏れ聞こえてくる音の羅列が繊細な旋律を成してゆく。

 通い慣れた音楽室に辿り着くまでの間、真依はいつものように目をゆるく閉じてただ絶えず生まれる音の陰影だけに聞き入った。

 足を止めて目を開ける。すぐ目の前の扉をがらりと無遠慮に開けても演奏は何事もなかったかのように続き、重厚な和音が直に押し寄せてくる。 

 埃がちらつく橙色の光がピアノの黒と白い背中とを照らしている。薄いシャツ越しの背中は今日もぴしりと伸びているが、注意深く観察すると肩が僅かに強張っていた。ほんの僅か、揺れる音色。──震えているのだろうか。鍵盤を滑る指か、ペダルを踏む足か、それとも連なる音に乗って流れ落ちている、心が。

 何にせよ真依はあらあらと意地悪く目を眇めて忍び笑った。タイミングを合わせたわけでもないが、ちょうど曲が終わり漂いゆく残響と共に軽薄な嘲笑を部屋に響かせてしまう。我ながらなかなか最悪な聴衆である。

 

「ごめんなさいね。邪魔しちゃったかしら」

「ええよ。そろそろ休憩しよかな思てたし」

「頑張ってるのね。まあパトロンのご機嫌とらなきゃいけないんだから必死にもなるわよね」

「俺も好きでピアノやらしてもろてるからな。おばあちゃんには感謝しかないわ」

 

 譜面をめくる背中は振り向きもしない。この程度の皮肉をぶつけられるのは日常茶飯事なのだ。真依からも、周囲の人間達からも。

 

「いい子ね、直哉」

 

 歳下の従弟へと、真依は唇だけで低く笑った。

 

 

 真依には前世の記憶がある。

 同様に記憶がある、または記憶を持たずとも前世に近しい姿で生まれ変わった人間は他にもいるらしい。だが基本真依はその手の関係者には関わらない方針でいる。例外は最近再会した元双子の姉と、何の因果か元歳上の従兄で現一歳下のこの従弟ぐらいだ。

 何しろ真依にとって前世はひたすらパッとしない人生だった。姉の真希は真依の死後なんやかんや真の力に目覚めたり一族を皆殺しにしたり呪いの王とバトルしたりと派手にやっていたようだが、その結果に貢献はしたとて所詮は真依自身の武勇伝でもない。というか一族皆殺しが自分の遺言だったとか言われてもえぇー……とは正直思った。アレは個人として自由になれ的な意味であって別にそういう方向性のつもりではなかったのだが。ともかくも過ぎた話であるし実行犯は真依ではない。数少ない友人達には会う機会があれば、ぐらいは思うけれど。

 対して、今世の人生はやることが多く充実している。生まれついた先は呪術師家系ではなく、政財界に人脈を持つ財閥系企業の創業者一族の一人娘というチート級の大当たりだった。一応前世でも良家の令嬢という立場にはいたが、家中の扱いは雲泥の差である。無論生まれつき周囲から傅かれる立場には付随して相応の能力も求められたものの、幸いそれは前世と異なり努力でどうにかなるものだったので、今世の真依はそれはそれは恙無く蝶よ花よと育てられ人生を謳歌することができていた。

 そんな至れり尽くせりの日々の中、カスのような前世の残滓はある日いきなり真依の日常にぽんと投げ入れられた。──頼りなげな母親に寄り添う痩せた子供の姿で。

 

 祖父と仲違いをして関西あたりに出奔した叔母がいたらしいとは聞いたことがあった。その叔母が恥知らずにもどこの誰とも知れぬ男との子供を連れて出戻ってきたのだとひそひそ囁き交わされる声にはわりと悪意がふんだんに盛られていたが、前世ほどの暗黒因習要素はなくとも今世のこの家だって名家である。そういった醜聞にはそれは厳しい目を向けられもするだろうと特に関心もなく件の叔母と馬の骨の息子とやらに引き合わされた瞬間、真依は前世と今世で叩き込まれた礼儀作法を総動員してアルカイックスマイルを維持する羽目になった。

 ──そう。前世の従兄。姉に殺された男。禪院のほぼ頂点に君臨しながら家人からは満場一致で嫌われていたクズ野郎。

 禪院直哉だった者の生まれ変わりがそこにいた。

 

 祖父と父を中心とした一族の者達とのほとんど吊るし上げのような話し合いを経て、叔母親子は屋敷の片隅に住まうことを許された。当然の如く家中での地位は底辺である。前世の生家基準の底辺と比べたら遥かにマシな待遇ではあったが。

 お姫様の気まぐれを装い接触してみれば、直哉に前世の記憶がないことはすぐに知れた。そのまま引き続き気まぐれであちこち連れ回したりしていると、思わぬ展開が舞い込んできた。

 音楽室のピアノを戯れに弾かせてみたのは、前世の直哉がたまにピアノを弾いていた姿をなんとなく思い出したからだった。その記憶が残っている風でもないのに、適当なポジションで鍵盤を押した直哉は耳コピしたというCMソングを意外に危なげなく奏でてのけた。

 この子才能あるのかしら。と思ったのは真依だけではなかった。ちょうど居合わせた音楽好きの祖母もまたその才を見初めた。『この子にはちゃんとしたレッスンを受けさせるべきだわ』と浮世離れしたところのある祖母は周囲の微妙な反応も意に介さず祖父に主張し、そうして厄介者の雑種は祖母の寵愛と音楽教育を受ける権利を得るに至った。

 だからといって底辺から地位が向上したかというと面倒な話で、家中の大多数の者にとって“才能がある”とは目に見える成果ありきの事象なのだ。具体的にはコンクールで入賞を重ねるぐらいできないようでは祖母の厚意に応えられない穀潰し扱いされて吹っ飛びかねない危うい足場である。そんなものを居場所にせざるを得なくなったと早々に理解した従弟は無邪気に喜ぶ叔母を余所に幼い面差しを不安に翳らせていた。

 さすがに真依もきっかけを作ったことに責任を感じなくもなかったので、以来何かと便宜を図ってやっている。自分の立場上あからさまに直哉に肩入れするのは逆効果になりかねないため、嫌味7:親切3ぐらいの割合で。直哉が同じ学園に通うようになってからは使われていない旧校舎の音楽室で自由に練習ができるよう密かに計らっているのもその一環だ。

 私って慈悲深いわよね、と後に真希に語ったところ、大変疑わしげに眉をひそめられた。遺憾である。元より真希は今世での真依の日常を教えてやればやるほどにうわー……みたいなリアクションをしてきた無礼者だが。どうも前世の直哉と今世の真依の振る舞いに似通うところがある点が受け入れ難いようで、オマエよくアイツに近づこうと思えるな、などと苦言を呈してきたりする。つくづく理解のない元姉である。

 

 そもそも真依は前世の直哉のことがそれほど嫌いではない。立場が逆転したような今世に対する違和感もさほど感じていない。

 こればかりは真希には理解できないだろうことも分かっている。それでいいのだとも思っている。空を自由に舞う生き物に地を這う生き物の視座など分からなくて当然なのだから。

 真依は何も変わっていない。直哉も何も変わっていない。ただ周りの環境に合わせて相応しい振る舞いをしているだけ。そうやって自分を守っているだけだと弱者の嗅覚が同じ弱者の匂いを嗅ぎ取ったから、そんなところは嫌いではなかった。

 ああ、でも。やっぱり直哉は可哀想だ。前世ですら、今世の真依のように好き放題に振る舞えていなかった。悪意に順応し過ぎて無闇矢鱈と周囲を煽り倒していたくせに、五条悟を見る目はいつだって弱者の湿度を宿していた。地を這う生き物が手の届かぬ空に焦がれる目。そんな目をしている時の直哉が実は結構好きだった。

 

 

「アンタの弁えてるところは好きよ」

「おおきに」

 

 いつか聞いた言葉が頭の奥に反響する。橙色に染まった縁側、仄かに薫る香、気まぐれに放られた飴玉の甘さ。

 

『真依ちゃんはよう弁えとるええ子やね』

 

 軽薄に笑った従兄は今の真依と同じ気持ちでいたのだろうか。今となっては確かめようがない。

 

「でも、アンタ呪術師の才能があるんですってね」

 

 譜面をめくる手が止まった。

 神経質に整えられた指先がわななき、自らきつく拳を握り込む。真依はその動揺をじっくりと味わうように観察していた。

 前世の災禍を経て今世では呪霊の存在も呪術師という職業も一般社会に認知されるようになって久しいが、呪術師がやることは結局一緒だ。人手不足解消も未だに課題のひとつで、才能ある人間を探知する手段の研究は日々進んでいるのだとか。

 

「良かったじゃない。呪術高専に行けばもう家で肩身狭い思いをしなくていい。晴れて自由の身ってわけね、おめでとう」

 

 歌うように、いつかの従兄のように軽やかに、委細構わず言葉を紡ぐ。うつむく直哉に歩み寄り、ピアノの黒く滑らかな表面へと慰撫するように指先を滑らせる。

 

「……何がめでたいねん」

 

 絞り出すように発された声は震えていた。怒り、だけではない。のろのろと顔を上げた直哉とようやく目が合う──青白い顔。追いつめられた表情。

 あぁ、とたまらず零れ出そうになった感嘆を抑え込むのは大変だった。

 この子、怯えてる! 本気で怯えて、怖くて怖くてみっともなく震えているわ!

 何よりも、この目だ。鏡写しみたいな弱者の目。今世ではいつもこんな惨めな目をしているから、今世の直哉はいつも真依の好きな直哉なのだ。

 まったく、この子ときたら──なんて傑作。

 

「呪術師の殉職率の高さ知らんのか? 死なんでもバケモンに手足食い千切られでもしたらもうそこで人生終いや。誰も責任取ってくれん地雷原行かされて自由やなんやて浮かれるほど俺はお気楽ちゃうわ」

 

 ──呪術師なんてなりたくなかったと叫んだ、いつかの真依がそこにいた。

 

 捨て鉢に吐き捨てられた言葉がたまらなく心地良い。狂おしいほどの愉悦が込み上げてきて、はしたなく笑んでしまう口元を淑やかに手の甲で押さえる。

 真希なら嬉々としてその地雷原へと飛び込んでいっただろう。不安なんてないみたいに。五条悟なら地雷を地雷とも思わず笑いながら全てを踏み潰すだろう。たとえ非術師の世界で生まれ育とうとも、彼らならばきっとそうする。

 でも、ここにそんな強者はいない。そうよね、とひとり納得する。与えられた箱に入って自分を合わせていただけの弱者から箱を取り上げ別の箱を与えたなら、それはそうなる。前世から感じ取っていたこととはいえ、眼前でまざまざと暴き出されるとやはりとてつもなく愉快だった。

 

「そう、それはご愁傷様」

 

 真依は女王のように悪辣に笑ってみせた。傲然と見下ろした先、直哉が息を呑むのが分かった。その気圧された心に甘い声で現実を塗り込む。

 

「アンタを厄介払いしたい親戚は今頃お父様に色々吹き込んでいるでしょうね。呪術総監部に貸しを作れる、だとか。もしお父様がその気になったら……」

 

 含みを持たせて言葉を切ると、直哉の顔色がますます悪くなった。握りしめた拳が白く震えている。怯えと怒りの混ざった目で真依を睨みながら、唇は固く引き結ばれている。

 

(いいわね、それ)

 

 胸が踊る。嬲る悦びのみならず、明らかに苛立ちを滲ませながら黙り込むしかない直哉を見つめるのが楽しい。自分の立場を心底理解している臆病者。真依にはこの従弟の頭の中の怯懦も冷静さも手に取るように分かった。

 ふと思う。この子は私。じゃあ、私は?

 前世の従兄に、今の真依はどれだけ近づいているのだろう。真希は嫌がるし全方位から反感を買っていたやらかしまで倣う気はないけれど、重なるものはあると思う方が気は楽だった。その方が自分の生き方を肯定できる気がした。

 

「助けてほしい?」

 

 だって、ひとりはとてもさびしい。

 直哉の肩が身じろいだ。返事はない。身を固くして、哀れなまでの警戒心に満ちた表情で真依を凝視している。何よその反応私がいつもいじめてるみたいじゃない失礼な子ね、などと思いながら真依はそのまま畳みかける。

 

「おばあ様の道楽を取り上げるなんて可哀想って、私からお父様に言ってあげてもいいわよ。そうしてほしい?」

 

 直哉はじっと真依を見続けていた。垂らされた救いの糸を前にして、しばしの後。ふっとため息を洩らす。夕日はそろそろ沈みゆく頃合いで、橙色が翳りを増していた。

 

「俺、これからは君のことご主人様て呼んだらええ?」

 

 躊躇いなくプライドをかなぐり捨ててきた潔さに堪えきれず吹き出してしまう。

 

「ふ、あははっ、それはいいわ。呼び方なんて関係ない。アンタはちゃんと分かっているもの。そうでしょう?」

 

 くすくすと微笑み、従弟に手を差し伸べながら、従兄のことを思った。過去の情景で彼の中にあったものが共感でも嘲笑でも構わないと思えた。どうせ行き着く底は決まっているのだし。

 鬱屈した瞳に縋るような色をよぎらせて、直哉も慎重に手を差し出す。しなやかに鍵盤を走り、未来を託した一音一音を歌い上げる手。今の彼にとって唯一の生きるよすがを委ねられて、真依は優しく握り返した。

 賢明な判断だ。この手はとうに役割を定めている──本当は、また別の箱が与えられればそれはそれで順応してしまえるのかもしれなくとも。

 見出されない可能性なんてないのと同じ。だから彼は正しい判断を下せるし、真依の言葉に嘘はない。

 




真依の今世にもそれなりにしんどさはある。前世の実家よりはマシ精神で大体乗り切るつよつよお姫様。
直哉は飽きられるまでは全力で犬をやる覚悟でいる。なんか生存コストが増えたけど命綱も一応増えたからまあええか…。
直哉が呪術師になるのを嫌がる理由は呪霊と戦わされる恐怖に加えて、今世の母親(真依がクリアした能力判定をクリアできなかった人。息子との親子関係は良好だけど社会人としては致命的に要領悪い。前世の直毘人と対照的なイメージ)を残して死ぬのを危惧しているから。この点用心深い直哉は表に出さないし、真依も自分と共通する弱者ポイントにだけ着目しがちでその範囲から外れたところは見えていなかったりする。

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