「……簡単に手に入ってしまった」
俺は画面に浮かぶ模様を見る。公開鍵の
なんやかんやで、俺達は先工研の高性能演算資源群へのアクセス権限を手に入れてしまった。というかこれはアセット42の管轄として独自に取られている。一応責任者というか協力者として先工研で理論物理をやっている人の名前もあるのだが、この人の上にも青原さんがいるので実質的に青原さん案件だ。なんか青原さんの権力が強くないか?
この演算資源はなんと量子コンピューターとも繋がっている。すごい。ただし量子コンピューターの関係者以外の使用は今のところ無期限に延期中だ。購入した配位者の調子が悪くて動かせていないらしいという噂を四辻さんは食堂で聞いたらしい。いや、俺はたいてい四辻さんといっしょにいたはずだがそんなのを聞いた覚えはないぞ。
「これで繋げるの?」
「そのはずだな、まずは軽いタスクでも投げてみるか」
そう呟くと画面の右下にポップアップが出る。BIFRONSから間接的に送ることができるファイル共有システムだ。このシステムを作ったのもセキュリティを管理しているのもBIFRONSなことは置いておこう。
自動でコマンドを実行するところまで準備されている。一通り目を通して多分変なものは入っていないだろうと確認してからジョブを投げる。高性能演算資源群のほんの一角だが、それでもBIFRONSと同程度の計算能力で、専用のハードウェアを使っている。俺達がやりたいことのためにあるようなものだ。時間帯とかを調整すれば今の数倍ぐらいなら安定して動かせる。
「……帰ってきた」
「見せて」
ログファイルを開きながら、BIFRONSが送ってきた別のスクリプトを走らせる。四辻さんみたいにそのまま出力を読むことのできない人間向けにちゃんと可視化してくれるものです。
計算速度やらノード関係やらが色々と出てくる。ちょっとした行列計算の精度とか計算処理の順番のばらつきとか。このあたりを気にするのは結構レイヤーが下というか、数%の最適化のために数ヶ月を掛けるような人のような気がするが。
「あとはこれにほしい計算を投げればよし、と」
「必要な計算入力はできた?」
「まだです……」
何をやるべきかをまず人間の脳が理解する必要がある、というのはまどろっこしい。マネジメントで重要なことは自分が抱えるものをできるだけ減らして全体を見ることだみたいな話があるが、人工知能のやり方がおれの趣味と食い違っていると色々難しいんだよ。
「進捗は?」
「こんなところだな」
俺のクリックで表示される画面を四辻さんは一瞥で理解したようだ。地力の違いを見せつけられているが、慣れてきたので劣等感を抱くものではなく自然現象だと思うようになってきた。そよ風って実は相当の体積の空気を動かしているのでエネルギーとしては膨大なものになるんですよね。
「……この部分は矛盾していると思う」
「高エネルギー粒子で観測するのは別におかしくはないだろ、その作り方がちょっと奇妙なだけで回折用の中性子源だの逆コンプトン散乱だのはあるだろ」
何かを試料に当てて様子を見る、という手法は観察やら分析やらの基本と言ってもいい。目で見るのだって光を当てて反射したり透過したりした光を見ているわけだし、これをもう少し学術的に言えば電磁波が起こす相互作用を観察していることになる。
となれば、もっと電磁波以外のビームっぽいものやエネルギーの強い電磁波をつかってみたくなるのが人情というものである。特に物理学はエネルギーを高めれば高めるほど高解像度になるという素晴らしい仕様を実装してくれている。あまりやりすぎるとエネルギー密度が高くなりすぎて特異点ができるのだが、まだ人類はそれに成功していない。ジュネーブの国際線形衝突型加速器が稼働して集まったデータを分析した結果、まだブラックホールを作るにはエネルギーが足りないとなったのは結構最近の話である。
そう、世界最大の加速器を持ってしてもその作り方すら目処が立たない代物が、指先サイズの部品で作れてしまう可能性があるのだ。なお必要なエネルギーは巨大加速器の消費電力と同じぐらいのオーダーになるのでならずもの国家が頑張れば作れなくはない、という程度だ。
ただこの基準だと六ヶ所町にある
「それだけのものが当たれば構造は破壊される」
「……相互作用なしに観察ができない、か」
「非破壊にすると透過力が下がるのは仕方のないところだから、別の手法で観察するか、あるいは破壊前提でその補正を加味するべき」
「純粋にこのエネルギー凝縮で既存の観察機材を強化したほうがいい気がしてきたな……」
ボース゠アインシュタイン凝縮に似ているが相互作用の存在を前提とした補正を入れた系としてこのエネルギー凝縮現象は説明できる、というのが今のところの物理界の見方である。残念ながら匿名掲示板の有志の貢献は相対的に軽視されているようだ。とはいえあの導出は結構綺麗だからそっちでそろえた物理学の教科書とかでてくれないかなという期待が少しあったりする。ようやく物理法則の綺麗さという概念を理解できるようになってきた。
「そちらの方向でやってみて。私は私の知識をもとにやってみる」
「あまり飛躍しすぎたものを作るなよ、シミュレーター自体が成り立たないからな」
この種の計算では大抵は近似だのモデル化だので切り落とされる要素があるが、俺達がやろうとしているものではそれらが重要になってくるので計算資源の量をぶつけて無茶をしようとしている。幸いにも数学的トリックを使えば精度をそこまで下げずに計算量を下げることができ、かつ誤差の補正も実験でよく知られた値からできるという普通に便利なものがあるので使わせてもらおう。こういうところで四辻さんのブレイン・マシン・インターフェイスが持っていた雑多な知識は役に立つのだ。