超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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ブートストラップ・プロブレム 2

BIFRONSがしているのは感情分類史とでも呼ぶべき内容である。それらはスペクトラムで、明確な区切り目もわかりやすい分類も存在しない。

 

それでも、ある程度は共通した感情がある。喜びと悲しみ。好意と嫌悪。驚きや怒り、恐怖。

 

一方で、四十二さんの方も彼女の言葉で彼女たちが持つ心理的パターンの分類を話してくれる。いくつかは共通していたが、いくつかは説明が複雑だった。

 

確かに、我々もシャーデンフロイデのような複雑な感情を持つ。他人の不幸を受動的に見て、安堵と正義心から生まれる快さ。ただ、これはあまり年齢にかかわらず社会的生物である人間なら持ちそうな感情だ。

 

俺もそう思っていた。だが、BIFRONSが示した三次元グラフはそうではないことを示している。

 

二つの世界の語彙をまとめたものだ。四十二さんの言葉はラテン文字転写されている。これについてはすぐにアルファベットを彼女が覚えたので問題なく使われ続けているが、本当は相手が使っている文字をそのまま採用するべきじゃないのかとかいう面倒な話が頭に浮かんでくる。

 

話を戻そう。確かに、彼女と俺達の感情の語彙はある程度は一対一対応させることができる。空腹が満たされた時の安堵、未知に向き合った時の好奇心、あるいは失敗した時の意図的な自分への励まし。ただ、それらは落ち着いていて、「良い」感情だけしかないように見えるのだ。

 

「……なあ、心理学モデルの発達段階でそういったものってあるのか?」

 

そう言って出されるのは十年以上前に出された論文のアブストラクト。行動療法による情動調整のケーススタディだ。宗教家と農村の老人を対象としているが、ろくに研究例がないところに無理やり理論を作っているようなところがある。引用もそれほどされていない。ただ、BIFRONSがこういった物を出してきたということは本当にその手の理論がないのだろう。

 

「……俺達から見れば、あなたの心理は珍しい。それはかなり整った状態で、理想的に近い」

 

「訓練が不足している?余裕がない?体系の欠如?あるいは他の理由?」

 

「色々混じっているだろうな。宗教っていう思想体系があって……ああ、意味は後からわかると思うから置いておいてほしいが、いくつかの宗教ではそういった状態を到着すべき理想って置いている」

 

日本人に馴染みが深いところだと三昧(サマーディ)とか解脱(モクーシャ)とかだろうか。じゃあ異世界転生者じゃないんだな、と嫌な理解が走ってしまう。もちろんこの種の思想はユダヤ教にもキリスト教にもイスラム教にもある。神秘主義扱いされていますけれどもね。

 

「発生から時間が経過していない、訓練が不足している場合にはある」

 

「期間で言うとどのぐらい?」

 

「十五歳程度」

 

俺はその時代の頃を思い出そうとする。中学生か高校生か。人工知能をおもちゃに色々議論していていたから知識を詰め込むような授業ではそれなりに点が取れたが詳しい思考とか計算とかは手を動かした経験が少なかったからあまりいい点が取れなかったとか、そういう過去が浮かんできて息を吐きながら脳裏から消し去ろうと試みる。

 

「心理的発達の加速?人類はあまりその辺の知識がないからな……」

 

そう呟くと文化人類学に基づく通過儀礼とか心の理論とかの説明が脳に流し込まれる。俺が悪かった。知らない分野のことを安易に言うもんじゃなかった。反省しよう。なお俺の説明のミスについてはちゃんと画面の方で説明してくれていた。ありがとう。

 

「私の感情と、あなたの感情は大きく違う」

 

「違うってほどではないと思うな、たぶんあなたから見れば俺達は全員子供みたいなものだ。気に食わないことがあれば泣きわめき、意味もないのに他人が苦しんでほしいと思う。自分の欲望を相手のためだとすり替えて、相手の苦しみをそれが正当なものだと自分に言い聞かせてそれを信じ込んでいる」

 

「……それも、正当化?」

 

「その通り」

 

嫌な説明を自分ですることになってしまった。改めて感情地図とで呼ぶべきものを見ると、ある程度の範囲は重なっている。

 

「共通点は、私たちが同じ祖先を持っているから?」

 

「進化を考えればそうなのかもしれないが、そもそもこっちの知っている人類の起源とは違うんだよな」

 

そう俺が言うと今の人類学が示しているアフリカ起源モデルが表示される。人類がいかにして世界を破壊しながら地球に広まっていったか。

 

「私はこの惑星を知らない。合理的に考えればどこか起源となる場所があるはずだけれども……████████████████████████████」

 

翻訳しきれないか、あるいは下手に翻訳して意味が定まってしまうと困るだろう概念だからこそこういう言い回しをしたのだろう。何回か聞いたことのあるフレーズがあった。一応は単語と発音の中で重要なものは暗記している。

 

「構造体」は、彼女たちが暮らしていた場所だ。そこにはおそらく数万人がいた。コミュニティ同士はそこまで連絡を取っていたわけではなかったが、それでも共通の言葉を話していた。

 

彼らの仕事は修理だった。そして何かがあって、彼女は目覚めたらここにいた。というところまでは翻訳ができている。もちろん俺の耳がこれを全部聞き取れたわけではない。BIFRONSなしでこれをやろうと思ったら、文字通りに天賦の言語学者の才能を持った人が二週間ぐらいかかるだろう。全く異なる概念をすり合わせるというのはそれぐらい難しいのだ。

 

それに、相手が教えたがっている知識についても完全な共有ができているわけではない。物理学とナノテクノロジーのあたりを中心に色々と尋ねてきているが、彼女の単語の概念がうまく我々の物理学の概念と一致しないのだ。もちろんいくつかの翻訳を通せば対応物はあるのだが、それを理解できるほど俺は賢くない。

 

基本的に、これらの問題は人間の専門家がやるのに向いていないことだ。彼らは学ぶ過程で自分たちの頭の中に言葉の地図を作ってしまって、それを変えることができなくなる。だからある程度柔軟性がある人か、あるいはBIFRONSみたいにそれを気にしないぐらい賢い必要があるのだ。俺はあまり向いていないのだが、俺以外はたぶんもっと向いていないのだろう。

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