フィッション・プライマリー 1
俺達はなぜか先工研の会議に出ることになっている。青原さんから最低限の話は通してもらっているが、どうしてこうなったんだろうな。
「すなわち、この機構は再帰学習を前提としていますが一定以上の逸脱は構造上起こり得ないものとなっており、かつ基盤モデルを切り替えることで出力の確率分布の範囲を調整することが可能です」
流暢に説明しつつレーザーポインターを踊らせる四辻さんの前には、十人ぐらいの人がいる。二人ぐらい知っているというか先工研のウェブサイトのトップにいるような人がいるんだよな。今日は経営戦略とかの会議の場所です。通産省の人も来ているので、実質的にここで先工研の方針が決まると言ってもいい。
もちろん大半のことは事前に下の方で根回しとか調整とかがあって何をやるのかが決まっているのだが、それはそれとして全体で共有しておきたい情報みたいなものは存在するし、そこから下の方に回して実務レベルの調整をしたいみたいなこともある。少なくとも先工研のこの会議はすでに決まったことに判子を押すというよりももう少し議論とか状況確認とかに重点を置いているようだ。
「……権利の問題はどうなっている?」
質疑応答になると一人が手を挙げて言った。これは個人的に気になっているというよりも先工研としてこのあたりは着目する問題にしておきたいよねみたいな意思表示だと思う。
「はい。このモデル自体は人工知能技術促進基本法に基づいた第三類人工知能に相当し、学習に使われたデータは……」
そう言いながら四辻さんがスライドを見せている。すでに用意しておいたものをベースに俺が裏でBIFRONSとほぼリアルタイムで構築しているものだ。詳しい話は四辻さんの耳につけられたインカムで回している。もしこんなことを博士論文の公聴会でやったら不正だの何だの問題になるが、別にこれは個人の能力を測定する試験でもなんでもないのだ。
大事なのは判断の専門家たちに、その判断に必要な情報を流すこと。彼らは全体を見ることに比較的慣れている。俺だってそう言う視点を持っていないとは言わないが、日頃からそういうことを考えている人に比べれば劣るだろう。
経験というものを覆すためには、それ以上の形式知を積み上げて殴るしかないし、形式知というのは案外整備されていないのでその場で学ぶ有機エージェントとしての人間が有用なのだ。人間というのは人工知能がやりたくない面倒な仕事を押し付けられる存在に落ちぶれているが、これは技術革新があるとたいてい起こっていたことなので歴史のあるあると言っていいだろう。
「となると問題はそこの優先順位か、確かに導入すれば便利ではあるんだろうが運用しきれるかこれ?」
「いや待ってくださいよ、そもそもこの種のやつを導入している他の組織の例がないんですよ」
「あるにはあるが外に出せないんだと。まあこっちだって先工研の知識を丸ごと持った人工知能を他機関に渡せるわけがないわな」
「せめて国内の研究ネットワークぐらいでは協調しましょうよ」
「やだよ文部系列のやつらとなかよくすんの」
こいつら仲いいな。このぐらいの人数なら顔見知りなのだろうし、あまり堅苦しい議論になるよりマネジメントレベルの問題を整理して下の方に回せる形で切り出していくために使おうという考えだろう。
「……四辻くん、このシステムはスケールするのかね?」
「まだ実証を行っているわけではないため断言はできませんが、類似の構造を数万人規模の組織に応用した例があります。少なくとも大失敗にはなっていないので、対応可能と考えて良いでしょう」
四辻さんははっきりと言う。でもまだ二十歳ちょっとぐらいなんだよな。大学も卒業していない年齢の、まだ少女と言っても許されるぐらいの人がここまで知識を持っていることを誰も疑わないのだろうか。それとも彼らはもうイレギュラーには慣れきっているのだろうか。
まあ研究者なんてイレギュラーばっかだからな。このあたりを詳しく考えてもあまり意味がないだろう。常識人は研究でやっていこうだなんて思わないし、この椅子に座っている研究系の人は博士号取っている、つまり実戦経験者ってことだ。大抵は研究室とか持ってプロジェクト回したこともあったりするのでかなり強い。研究職ではなくても同じレベルの人がいるので油断するべきではない。
「断言できるほどではないと?」
さっき質問してきた人が四辻さんに言う。
「はい。私見ですが、五分五分よりは悪くない賭けだと思いますが、期待値を考えると投入するコストを過剰にすることはおすすめできません」
「なるほどね。なら汎用計算資源で回せばいい」
「あれは言語系の学習に使うって話だったろ」
「理論系の研究でも使いたいから上手く譲り合おうぜって話はどうなっているんだよ」
「汎用だから精度落ちるだろ、理論系でやりたいこと決まっているなら共同じゃなくてそっちの予算で買うのが筋ってもんじゃないのか?」
「理論でも結構幅があるので特化アーキテクチャとかあまり使いたくないんですよね、研究室スケールで用意できる資源には限りがありますし、数割性能が下がっても数倍のシステムがあればそっちのほうが助かることは多くあります」
わちゃわちゃと話が進んでいる。書記らしい人が隣でノートパソコンを叩いているが、人工知能の書き起こしをリアルタイムでショートカットキー駆使で修正しているのか、よくやるな。そしてできたものは処理されてちゃんとした文章に整理されてその様子は共有データとしてサーバー上に見ることができる。つまりBIFRONSにも聞かれているってことだ。
こういう会議は先工研では日々行われているが、その中でちゃんと読みやすいように議事録が公開されるものは少ない。大抵どこかにはあるのだが、個人のところに入っていたり引っ越しとか統合とかで変な階層構造になったフォルダになってたりで正直やりにくいのだ。
これをギガトークン処理できるようなモデルで無理に解決するみたいな話もあるのだが、そうなるとメモリの問題になってくるんだよな。複数の本から引用するような論文を作る時に全部の本の該当箇所を見たいので机の上がいっぱいいっぱいになる感じだ。あとギガトークンと謳っているやつでも実際は重み付きがいい加減で実質メガトークンだったりすることもあるのでこういう曖昧な値は比較にも使えないし参考にしないほうがいいだろう。