「改めましていぇーい」
そう言って応接室の黒いソファーに座った水城さんは小さめのペットボトルの蓋を開けて一息に飲みきった。
「……偉い人がいなくなったからって気を抜くなよ」
さっきまでここは我らが上司の青原さんと彼女が働く国立情報通信総合研究所の偉めの人がいたのだが、彼らは彼らで具体的なプロジェクトの議論に写ってしまった。というわけで俺達は実務的な要素を詰めているのである。
「私達は友達と言ってもいいぐらい色々と話した仲だと思っていたのだけれども」
「そうだな。で、なんでこの話を持ちかけてきたんだ?」
材料技術領域における革新的な競争力強化に向けた通商産業行程戦略、通称
そこで数年間にわたって配られる二千九百億円をどうするかが今のところの問題である。あ、最新のやつでは議論の過程で別のところの予算をくっつけて全体としては少し増えています。でもこれをやっても重力特異点を作るために必要な予算の1パーセントにも満たない微々たるものなんだよな。
そのあたりでちょっと組んで材料系の分析の人工知能を作ろうぜという話が情報通信庁傘下の国立情通総研からやってきたのだ。実質的には水城さんが俺達を狙ってやってきたわけである。
「あの工程戦略、君が絡んでいるでしょ」
「なんでそうなるんだよ、こちとらただの事務員だよ」
「一応ちょっとは調べていてね。上司からはより高度な機密を扱うプロジェクトの方に行かないかと誘われているし、おそらく国の上の方でなんかそういう気配を感じたんだろうね。例の名無し凝縮?あるいは新しい超電導体とか?少なくとも欧州評議会圏とアメリカ合衆国は動いている」
「欧州連合じゃなくて欧州評議会圏って言うのは面倒な人だけだと思うぞ」
「欧州連合はイギリスから孤立しているじゃないか」
そんな馬鹿な時事ネタを少し話していると、四辻さんが呆れたように息を吐いた。冗談はこのくらいにしておけということだろう。その通りだ。
「……水城さんは、どこまで気がついていますか?」
四辻さんが聞いてくる。
「うーん、何かが起こりそうだってのは国家戦略レベルで共有されている危機感だってことぐらいかな。十年前の人工知能に相当する。あれだってある種の封じ込めがされたわけだからね」
「陰謀論だぞ」
俺は言う。もちろん、事実も多い。軍事分野で人工知能を使った企業が戦後に判断の責任を取らされそうになって莫大な賠償金で手を打ったとか、中国のほうでなんかやばいやつができていて政権運営は実質的にそいつが担っているとか、自律して活動している人工知能が何処かに存在しているとか。
ちなみに最後のやつはBIFRONSに聞いたところ「絶対にありえません」と言っていたので多分存在するのだろう。BIFRONSが基本的に何かを否定するときはそうしたほうが会話が弾むと理解しているときだ。つまり俺はBIFRONSにかなり騙されていると思う。
「とはいえ、当時の大手の開発企業は人工知能バブル後には大騒ぎしていないだろう?」
「バブルの影響が大きかったんだろ、勢力図が大きくかわるというほどではなかったが、少し前まで人工知能の開発はベンチャーじゃできないような計算資源の殴り合いだった」
一昔前のオープンモデルと良く練られたアーキテクチャを組み合わせてベンチマークで最高記録を叩き出した研究とかもあって、ここ数年でモデルの設計自体がかなり重要なんじゃないかという話も出てきているが。
「お二人とも、お話が楽しいのはいいですが本題に入ってもよろしいでしょうか」
四辻さんに言われてしまったので俺達は頷いて黙った。やっぱり四辻さんってまともな人間だよな。俺と水城さんでは個人的には自分の方をまとも側に置きたいが、一般的な基準では多分並ぶぐらいだろう。
「はい」
俺は姿勢を直しながら言う。
「計画自体はしっかりとしていると思います。こちらからも必要な情報は出しますが、発表実績の分配については少し問題を感じます」
そう言いながら、四辻さんは印刷された紙を指でつつく。今でも印刷された紙は便利で、これにかわるほどの汎用性を持ったメディアを作ることはできていない。電子ペーパーとかは悪くないのだが共有が難しいし、なにより紙飛行機を作って飛ばすことができない。
「問題?」
水城さんが言う。
「はい。……古瀬さんはともかく、私の名前を出すべきではないのでは?」
「うーん、アカデミアの文法はわかっていると思うんだよね。話している限り論文とかはちゃんと書けそうだし」
「可能だとは思います」
「だからだよ、別に博士号持ってない企業研究者なんて珍しくないし、うちだって高専卒で特許ダース単位で持って主任研究員やってる人いるよ」
「高専は五年間のきちんとした教育を前提としています。私の中にあるのは不十分な高等学校の教育課程と、整理されていない知識だけです」
「でも今から大学行くことに四辻さんはメリット感じないでしょう?」
「感じませんね」
この二人の会話は結構喧嘩腰に聞こえるが二人とも笑顔なのでいいとしよう。こういう戦いを楽しめるっていうのはいいよな。俺も四辻さんと噛み合った会話ができると楽しくなるし。
「だから実績で殴ろうよ。もちろん面倒なことは私か古瀬さんに押し付けてさ」
「巻き込むな」
俺は一応釘を差しておく。まあ別にやりますけどね?ただ、四辻さんをシンプルに才能のある、しかしただの後輩と見れる人というのは珍しいのだろう。まあそれができるためには自力で四辻さんに勝てるなってぐらいの頭の回転が必要なんですがね。水城さんなら知識以外ではそれができるんじゃないかと思わせるのが怖いところだ。
「……詳しい調整がうまくいく保障はまだないけれども、もし縁があれば、よろしくお願いします」
「お祈りされてるみたいんでやだなぁ、よろしく」
そう言って水城さんは四辻さんが伸ばした手をしっかりと握って握手をした。なんか俺が置いていかれている気がするし、後でBIFRONSに色々と精査してもらうことになるだろうが、四辻さんの管理をある程度を水城さんに投げてもいい気はしてきた。それはそれとして須藤さんに彼女の背景を改めて調べてもらうか。