プロージブル・ディナイアビリティ 1
「やりたくない……」
俺はソファーにうつ伏せで倒れて、みっともなくじたばたと足を動かしている。大の大人がする行動じゃないな。
「仕事」
四辻さんの冷たい声がする。
「講演料なんてほとんどないも同然じゃん……」
俺達が作ったソフトウェアについての講習会をやることになった。頑張ってドキュメントとか整備したけれどもやっぱり人間から教わりたいんだって。ただその気持ちもわからなくはないのでやる。実際に今でも大学で対面講義は行われていますからね、録画を流すだけの教授がいないわけではなかったが文部省には黙っておいてねみたいなことを言っていたし。
オンラインでいいですか、それならBIFRONSに適当なアバターを作らせるので。具体的な事務は科学技術情報事業団の中にある
「……BIFRONS、スライドとか作るのってどれぐらい時間かかる?」
『練習を通して稀な不具合レベルにまで対応できるとなると130時間を見込んでいます』
「割り算」
『三週間と少しです』
「ぶっ通しで?」
『休憩時間も含んでいますが、基本的には三週間ずっとその作業にかかりきりになること前提です』
「ありがと……」
実際にやる日までは残り二か月。そしてBIFRONSのほうはやるって返信してくれた。俺も何も考えずにクリックしたのが悪いけどさ。クリックした後で後悔するというか面倒くささが一気に押し寄せてくるとは思わなかった。
「……脳を弄ったら、楽になると思う?」
『適切な刺激部位を特定すること、そこまで端子を差し込むこと、そして適切な信号を送ることの三点には未だにハードルがあります』
「そっか……」
四辻さんとBIFRONSが物騒な会話をしている。俺の自由意志とか選択権とかそういうものってないんですか。四辻さんからそれを剥奪してこの地下室に閉じ込めていたことを考えるとあるわけないよな。
『現状のブレイン・マシン・インターフェイス開発を行う
「私の脳を見せたら参考にならないかな」
『難しいかと』
「……わかってるよ、冗談」
四辻さんが冗談を言っている。冗談を楽しむという感覚を理解しているのか、あるいは模倣しているのか。あるいは模倣が楽しいのか。そんなどうでもいいことを考えたら疲れて眠くなってきた。このまま寝ていいですか。
「……やるか、作業」
そう言って俺は起き上がる。押し下げたソファーから跳ね返る反発のせいで少しバランスが崩れたがすぐに取り戻せた。決して四辻さんが変なことしたのでちょっと本気出さないとまずいかなと思ったとかではありません。
「BIFRONS、作業チャートを出して」
椅子に座りながら俺が言うと、やるべきことがずらりと並んだ。速読モードに切り替えると目を動かさなくとも瞬くように表示される。数分でやるべきことは頭の中に入った。本当に理解しているのかは怪しいが、BIFRONSの言うとおりにすれば大体のことはできる。
基本的には俺の作業を全部録画して、それをBIFRONSがいい感じに切り出してチュートリアル動画を作ることになる。あとはそれを現地で流しながら作業する感じだ。外部の計算資源と遠隔接続することを前提に考えているので、会場からどこかの計算機に繋がせるのもいいかもしれないな。
「というわけで候補地探しておいて」
俺は思考を口にしながら作業をすることにした。そうすれば効率がいい。あと脳の容量をうまい具合に使い切ることができるので、余計なものに気をそらされずにすむ。
視線を向けると素早く文字が切り替わって表示されるので、それに合わせて作業をしていく。別にBIFRONSでもこれはできるんだけど、説明するのが俺だというのを考えるとできるだけ自分で終わらせておきたい。
比較的調子がいいな、と感じる。普通はもう少し考えたりするのだが、それをさせてくれない。しかしこのペースで130時間もやったらかなり疲れるんじゃないか?基本的には作ったソフトウェアの仕様を俺がしっかりと理解しておくというための時間が多いようだが。確かに俺の知らないモードとか設定とかあったからな、このあたりはあまり進捗を管理しないでBIFRONSに丸投げしていたせいである。
集中力を維持できなくなりそうだな、となった時に作業は一旦一区切りになった。休憩は五分。短い。ぼんやりしていたらすぐに終わってしまうじゃないか。とはいえ過集中になってしまうと逆にミスが増えるらしいからほどほどにしないと。こういうのは自己管理するのが難しいので外部の優れた知性に任せるのが一番である。
「四辻さんは何を?」
「BIFRONSがこのあとに古瀬さんになげる計画の確認」
「ありがとう、あまり俺のことは気にしないで」
「わかっている」
ああ、エージェントに対しての慈悲とか情けとかがないんですよね。別にいいけど。そういう仕事の仕方は嫌いじゃない。指を伸ばして鳴らすと小気味の良い音がした。時間が来た。作業に戻るとしよう。
基本的には練習の時間のうちに終わらせなければいけないので、できる内容はかなりシンプルになる。だからこそ一般的な条件と普通なら破綻するような条件を組み合わせて提示すると面白いと思うんですよね。
十水素化ランタン。超伝導転移温度250ケルビン、必要な合成圧力は160 GPa。業務用冷凍庫なら出せるぐらいの温度で、シベリアでは常温超伝導と言ってもいいだろう。色々とドーピングをして低圧でも安定して存在できるようにしようみたいなアプローチはあるが、四辻さんがこっちに示してくれた洗練された手法に比べればまだ甘いところが多い。そもそも四辻さんの方法がかなり無茶でこれを無から思いつけというのが無茶な話ではあるのだが。
だからこそ、そのヒントを与える必要がある。あくまでこれは極限環境であっても破綻しないで、あるいは破綻する計算モデルを排除してうまく調整できるんですよみたいなデモンストレーションであって、理論的には行けるんじゃないかみたいな準安定相超水素化バナジウム内に分散されたニッケルドープ亜鉛超原子の酸化物の話とは特に関係ありません。いいですね?