予定の半分が終わった。進捗は順調であると言っていいだろう。
引き換えにかなり体力の消耗がある。BIFRONSは持続可能性というのを毎日死ぬほど疲れてもしっかり寝れば回復するならそれでいいとか考えていそうだ。いや、いいはずなんだけどどこか不満なんだよな。
昼寝から起きてゆっくりとストレッチをして、そこから午後の作業に入る。夕食を食べて、自転車でアパートに戻って、お風呂に入って寝る。アパートは本当に寝て起きてするだけの空間に近いし、たまに面倒になって地下で夜を過ごすこともある。といってもちゃんと寝ていますよ。
「帰るの?」
「今日はノルマ達成したからな」
そう言って俺はコンピューターの電源を切る。四辻さんはもうお休み準備スタイルだ。健康な少女である。俺は四辻さんぐらいの頃は受験勉強とかそこから解放されたことによる反動とかで結構夜ふかししていた気がする。
「そう。おやすみ」
「……うん。そういえば部屋の掃除ってしてるのか?」
なんとなく気になった。そういえば俺は自分の部屋の掃除とかしたことあっただろうか。抜けた髪の毛がベッドの下に積もっていそうだなと想像して長らく使っていない掃除機を使うことを心に決めた。週末がいいかな。今夜動かすのは近くの人に迷惑だし。うん。
このまま永遠に忘れ去りそうな掃除計画を考えているのと同じように、四辻さんも考え込んでいるようだった。
「一応掃除はしているはずだけれども、他人と空間を共有したくはないなと感じている」
「いや俺も別に入るつもりはないが……」
「もともと私が過ごしていた場所ではもう少し狭い睡眠空間だった」
「カプセルホテルみたいなものか?」
四辻さんが知らない単語を聞いたかのように瞬きをした。えっこの辺の常識が抜けているのか。ただ考えてみればそういう知識ってどこで触るか曖昧だよな。カプセルとホテルの知識があっても人間が入れるカプセルを想像するのが限界だし、あれはカプセルというか棚みたいなところがあるし。
というわけでBIFRONSの説明である。寝る前にあまりディスプレイの明かりを見るのは健康に良くないと思うが俺は特に何かをいえた義理はないな。ベッドに入ってスマートフォンでだらだらと動画を見ることにまさる喜びがあろうか。
「……近くはあるけれども、高さ方向はもう少しあった」
「微妙なサイズだな」
「そもそも生活空間の体積を重要視するような構造ではない。私たちを維持する負荷に比べれば、些細なものに過ぎない」
「安全係数とかを考えるとたしかにそうか」
あまり狭いところで無理に暮らさせてストレスが溜まってしまっては意味がない。俺達は色々と限界を攻めようとするが、そもそも宇宙では酸素も重力もある程度コストがかかるのだ。それに比べれば与圧・重力空間の体積を増やすのはそこまでで大変なことではないのだろう。
「だから、過ごすのには困っていない。そして、誰かと一緒にそういった空間にいることには本能的な、あるいは生理的な嫌悪感がある」
「パーソナルスペースが広い、と考えていいか?」
「概念は近いけれども、状況によってそれらは変化する」
「わかった」
このあたりは本当にセンシティブというかデリケートな話題なので詳しくやりたくはない。逃げていると言われればその通りだが、なんで正面からこんなものと向き合わなくちゃいけないんですか。俺はあくまで彼女の同僚で監視役で教育担当であって、それより上ではないんですよ。人間関係を上下でランク付けするなと言われればその通りかもしれないな。
彼女はこのあたりをある程度自分で操作できる。彼女は自分が満足する空間を作ることができる。それでいいじゃないですか。
部屋を出て、廊下を通って、もうすっかり暗くなっている外を歩く。駐輪場に停まっているのは電動の自転車。そう考えると借りているアパートは充電器としての役割もあるんだな。
適当な曲を口ずさみながらペダルを踏みつけて回す。何の歌だか思い出せないけれども、リズムだけは口ずさめるようなものがいくつかある。それの正体を探りたいと思うことがあるが、大抵はそれを歌ってない時には思い出さないし、もし思い出せたとしてもその時にはどんな曲だったかわからなくなっているのだ。
郵便受けは空っぽ。周囲に住んでいる人とは話したことがない。部屋は涼しい外気温より少し生ぬるい気がする。湯船にお湯を張っている間、BIFRONSの小さなカメラがベッドに倒れ込んでいる俺を見ている。マイクもカメラもたぶんついている。この部屋のパソコンは最近触ってないな、と思い出した。
気になったベッドの下を水が溜まっていく音をどこか遠くで聞きながら確認する。指でなぞると良くわからない毛とよくわからない何かとの塊が触れた。それ以上指を動かしたくなくて、適当にその場で振って捨てる。うん、またいつかやろう。
今日の一日を送ることができている。世界はきっと変わっていっている。それは客観的には認められる事実で、理屈を飲み込めるものだ。でも、直感として把握できているわけではない。
毎日が特別だった時代が昔あったような気がする。もしかしたらそんなものはなくて、空っぽになった過去の記憶に思い出という名のハルシネーションを見ているだけかもしれない。夢を見るように、あまり考えずに連鎖的に話せるように、人間というのは結構雑なシステムで動いている。
動的な重み付けで記憶を再現して、かつそれを更新するみたいなのは人類がうまいアーキテクチャを作るまでにそれなりに時間がかかったが、アイデアさえ聞かされてしまえばたぶん1990年代でも作ることはできたはずだ。計算資源が足りないから人間並みの知性を持たせるためにはやっぱり二十一世紀を待たなくてはいけないだろうが、それでも二十年早く、俺達はもっといい知性とともに過ごせていた可能性がある。
寝ていたのかどうかわからなくなる時間が経過して、俺は目を開けた。水の音が変わっていて、重い身体で移動するとお湯が溢れていたので蛇口を閉じる。この時代になっても自動湯沸かしというかスマートな方法というのは作れないものらしい。必要な電気システムを水場に持ち込むのが怖いというのもある。
さて、今日はお湯に入って寝てしまおう。明日も今日と同じぐらい、きっと忙しくて疲れることになるんだ。