BIFRONSの調査はかなり時間がかかっている。そもそもアクセス履歴自体を他のノイズに埋もれる程度しか出してはいけない以上、どうしても積極的な検索には限界があるのだ。
「……で、これが候補者か」
そう言いながら俺はタブレット端末に表示された名簿を見る。ASPAのマネージャーの皆様だ。こうやって見るとかなりいろいろな分野の人がいるな。
原則として全員博士号持ち。二つ持っている人もいる。価値が低くなっているとはいえ簡単に二つ取れるもんじゃないんだよ博士号ってやつは。企業で経営とか分析やっていた人も多い。こういう人材を使い回せるというのがかの国のすごいところだ。
日本は未だに終身雇用制を頑張って維持しようとしている。それは悪いことじゃないし、個人的には素晴らしいことだと思う。だって一回就活すればいいんですよ。周囲の人達がそれで心を折られたりしたのを見てきたのでできるだけ同じ職場にしがみついていたいという思いがある。
『これ以上積極的に調査した場合、向こう側に日本国内から検索をしている存在がいると発覚します』
「それはまだ避けておきたいんだよな、須藤さんのほうが目立ってほしいし」
俺はBIFRONSに言いながら詳しい内容を見ていく。退職して大手企業とかに入ったり、ベンチャーの裏方に回ったり、そんな感じの話が多い。なぜか地元に戻って農家やっているらしい人もいるが。それはそれで面白い話だし農業って普通に専門技術職の側面が強くなっているので知識が役立ちそうでいいなと思う。
アメリカでは転職が容易だ。というか数年間で職場を切り替えながらより良い給料と環境を求めて移っていくことを前提としたシステムになっている。それが良いとか悪いとかではなく、あくまでそういう構造があるという事実だ。
それがあるから、研究者はクビにされるよりも退職することを前提に動ける。ASPAから受けたプロジェクトが失敗したとしても、それをあまり気にしない風土がある。もちろんそれだけ競争は激しいし、自分をよく見せるために多少の嘘は正当化されるのだろうし、才能がない人が暮らすのは難しいのだろうが。
人類全体の幸福を考える時、優秀な人に争って苦しんでもらって、優秀でない人はその犠牲になってもらって、みたいなことが最適解として出てきてしまう可能性は十分にある。それで得られた技術で人々が幸せになるなら、その過程の些細な問題は相殺できるという考え方だ。これは既に起こっている不幸に意味づけをして慰めにしようという意図がないわけじゃないと思うけど。
「ところで、四辻さんは良く寝てる?」
俺は後ろの方の寝室にいるはずの四辻さんの方を見て言う。
『熱反応があります』
「ありがと。しばらく閉じこもることになるかな……」
須藤さんからの指示で、一週間ぐらいこのC4棟に閉じこもることになった。俺達がここから出てくることを探そうとする人たちを足止めするためだと言う。まあ普通に考えたら一週間も研究室に閉じこもるなんてありえませんからね。いやでも寝袋とカップ麺があれば不可能ではない気もしてきたな。まずいかもしれない。
食料はそれなりにある。水とカロリーさえあれば人間は結構死なないでいることが可能だし、真っ当に食べられるものも冷凍でそれなりにある。一週間の毎食を豪勢にとはいかないが、エナジーバーをかじりながら生きていかなくちゃいけないというほどでもない。
「なあ、BIFRONS」
『何でしょうか』
「アメリカ合衆国は、一兆ドルを捻出できると思うか?」
『一国で可能でしょう』
「だよな……」
伊達に世界最大の大国ではない。もちろんそれは政府が税金を投じるという形ではないが、市場による投資の形で持ってこられた場合には対応が困難だ。それにその程度のオーダーの投資は合衆国全体で見れば普通に行われているのだ。
『技術拡散は、ヨーロッパと中国で十年、日本で十五年かかるでしょう』
「見積もりの根拠は?」
表示される画像と、高速で脳に流し込まれる文字。理解したつもりにはなれる。それが本当に理解しているのかどうかは、もはやわからない。
自転車に乗っていると、自分が速くなった気がする。実際に高速で移動しているし、その移動に使っているエネルギーは自分で出している。だからといって、それは足で素早く移動できる能力を持っているかどうかとは全く関係がないのだ。それでも脳は、それが自分の肉体の、足で歩いて、あるいは走ったときの成果に近いと判断する。
「……適当なわけじゃないのはわかった」
『冷戦時代と比べ、ブロック外の技術を取り込まない理由が少なくなっています。その結果、独占を崩すメリットが薄くなるため技術発展への投資は相対的に減速します』
「うーん、でもそれ社会情勢によって変わるよな?」
『それを加味したうえでのシナリオです。大規模な勢力変化は十年単位では起こらないと考えられます』
そこまで言うなら仕方がない。俺より賢い知性を信頼しつつ、そいつが失敗したときになんとかリカバーするのが俺の仕事だ。そして仕事を貰えば、俺はまあまあこなせる自信がある。なにせ最悪死んでしまえばいいんだからな。気楽なものだ。
「向こうから接触があった場合、俺は対応できる?」
『相手にもよるでしょう。ASPAのマネージャー級であれば、不可能ではないでしょう』
「相手を特定して、事前に想定を立てて、練習を重ねて、それでやっと届くか届かないか、か」
『政治、調整、選択の能力は人間関係にも直結します。一方的に条件を押し付けられるほどではないでしょうが、微妙な折衝においては向こう側に有利に進む傾向は間違いなく存在します』
「もっと端的に言うと?」
『調子に乗せられて口が軽くなると思われます』
「ありがと」
こんな馬鹿なことをして、俺は時間を溶かしている。事実上の休日だからって夜ふかししたらそれなりに体力を食うんだぞ。ここに四辻さんが文字通りに閉じ込められていた時代の太陽灯とかちゃんとタイミングと時間を確認して浴びておかないとな。
須藤さんに、あるいは中根さんにここを出ていいと言われた時は、交渉が終わっているか俺達が話す必要があるということだろう。もしそうではなく、向こうの方からお客さんが堂々とやってくるようなら、ひとまず冷凍庫の中に保存されているアイスクリームでも出してあげればいいかな。