超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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トラヴェリング・セールスマン 6

俺はヘッドマウントディスプレイを外して、少し汗ばんだ目の周り拭く。

 

『今日の使用時間上限に到達しました』

 

BIFRONSの声が聞こえる。耳の周りの開放感があっても、それがどこから聞こえてきたものかがわからなくなる。さっきまで仮想現実の中にいたわけで、今見えているものがどこまで真実なのかもわからなくなっている。

 

「安全マージンあるだろ」

 

なんとか口から日本語が出できた。さっきまでずっと、英語で話す仮想訓練をやっていたから脳が英語の方に切り替わっていたのだが、まだ戻せる。いや、本来は戻せないぐらい本気でやらないといけないのかもしれないが。

 

『安全マージンは使わないからこそ価値があるのです』

 

「……あっそう」

 

俺の中には焦りがある。血糖値でも下がっているのか、あるいは狭い環境にずっといるからストレスが溜まっているのか、それはわからない。ただ、そろそろどう動くべきかを決めるタイミングになりそうだとは中根さんからは伝えられている。

 

「向こうに日本語で話してもらえば?」

 

四辻さんが俺のために淹れてくれたペーパーバックのお茶を出しながら言う。ありがたい。こういうときに緑茶の旨みが染み渡る。

 

「できないことを強要するのは普通に悪手だろ」

 

「私達は相手のために英語で話している」

 

「向こうが合わせるかこっちが合わせるかで、こっちが合わせる方が比較的楽だからそうするだけだ」

 

四辻さんとの関係と同じだ。最初、俺達は四辻さんが話す言語を解読しようとした。というか実際それには成功しているし、簡単な挨拶と基本的な構文であれば俺も話すことはできる。

 

では、それで得られるものはなにかという話だ。俺は四辻さんが語る数学とか物理の概念を、四辻さんの言葉で理解しているわけではない。それはかなり脳に負担がかかるだろうし、BIFRONSだって専用のモジュールを作らなければならなかったほどの難題だ。

 

「……その間で発生する齟齬は、どこで吸収する?」

 

「向こうも吸収してくれるだろ……多少は……」

 

そう言いながら、俺はかなり相手の善性に依存している計画を立てていることを自覚していた。俺達が無事なのはあくまで閉じこもっているからで、機会があれば相手はちょっとぐらい強硬手段を取ってくるかもしれない。

 

それでもなお、直接対話できるメリットは大きい。なにせ俺達が裏で色々やっていたことを、莫大な予算を投じてやってくれるのだ。そして今の時点で、日本がそこから実利の一部をかすめ取ることのできる構造はある程度できている。

 

材料、理論、機械。それら全てではなくとも、世界規模のサプライチェーンを作る時にはまず参画するだろうという規模で日本の各分野に投資がされている。材革工程戦略(ザイカクロドマ)はその直接の金額以上に、それを呼び水として起こる社会的動きが目的だ。

 

まあ経済規模からすればちょっと多めに利益が取れるだろうというあたり。しかしアメリカがこれをどう使うかは正直読めないんだよな。一国でブロック的に抱え込むこともあるだろうし、中国との国際的覇権争いのためにヨーロッパとか第三世界にばらまく可能性もある。中国側もこれで折れてくれれば楽なのだが、折れないからずっと面倒なことになっているのだ。

 

二十一世紀に入ってからというもの、中国は世界覇権を握ろうとしている。もちろんそれはかつてのソ連の椅子に近いのだが、アメリカが一強と呼ぶには没落して混乱して、しかしそれでも覇権と呼ぶには十分な力を持っているのが情勢をさらにややこしくしている。

 

アメリカとしては自分が力を持てている今のルールに従ってほしい。その中でナンバーツーになったり、あるいはアメリカを脅かすことも究極的には許容できる。しかし別ルールを唱えるのであれば、それは別だ。それはかつてロシアが通り、そして混乱を招いた道だ。

 

「BIFRONSが提示したシナリオと、政府のほうが分析したシナリオを比較し終わった」

 

「結論は?」

 

「概ね方向性は一致している。私達のほうが少し楽観的であったり、専門性を信頼しているところがあった」

 

「まあ国家意思相手だとそういうバイアスは出るか」

 

個人が意思を持つなら、個人の集合も意思を持つ。法人が意思決定をするなら、国家も意思決定を行う。過度な人格化は本質を見逃す可能性はあるが、それでもそこには顔を見ることができるのだ。もちろん、解釈の問題と言ってしまえばそれまでだが。

 

そして国家は巨大で、惰性を持っている。いきなり方向転換をするわけにはいかないのだ。積み上げられた行政文書とか判例とか国会答弁とか、そういうものは内部で蓄積され、人工知能に食べさせられている。それはたぶん良くないフィードバックとかハルシネーションとか起こしていそうな気がするが、人間だけであってもそれらは避けられないのでそこは別に問題の本質ではない。

 

「国と国の対立を、私は知識でしか知らない」

 

四辻さんが言う。まあ、彼女にとって国という概念は不思議なものなのだろう。俺が宗教的熱狂とか、自分の生きる意味を見いだせないことへの悩みとか、そういうものをあまり理解できないように、彼女にとってそれはあまり自然な、あるいは自明なものではないはずだ。

 

そしてそれは歴史の偶然によって作られたもので、必然的な要素は少ないのだろう。別にそれは企業と呼ばれているものに近かったかもしれないし、あるいは経済と呼ばれるものに近かったかもしれない。そこに民族(nation)という幻覚を、国民(nation)という虚構を、国家(nation)という記号を当てはめたのは、天才的だと思うけど、逆に言えば発明なのだ。

 

みたいな話はBIFRONSに叩き込まれました。確かにそう言う指示の方向を俺は出したんだが、ちゃんと体系的に理論化されて俺が納得できるぐらいのものを脳に流されると思想が変えられているのを実感する。俺は今まで通りに国際情勢を見ることができなくなってしまったんだな、という悲しみが少し。

 

「……俺も知っているわけじゃないし、それは結果として現れるもので、最初からあるものじゃないだろ」

 

「結果として現れるなら、それは多くの人の中にそう解釈するだけの下地があるのでは?」

 

「……そうかも」

 

一般的な自然法則と違って、社会の法則はそれをどれぐらいの人が信じているかにもよって変わってくるのだ。問題なのは四辻さんの示している理論が自然法則と俺達が呼んでいるものが有効理論に過ぎないって示してしまったことなんですがね。話を厄介にするな。

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