超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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チェーン・ギャンギング 10

悪夢を見る。それは珍しくないことだという。人間はいいことよりも悪いことのほうがよく記憶に残るし、夢とは記憶の整理だから、とか。学術的な根拠が着いていた記憶がないので、どこかで読んだ科学通俗本かもっとレベルの低い与太話由来かもしれない。

 

だからまあ、C4棟地下で起きて常夜灯レベルの部屋を見た時には、夢だったことを逃さないようにさっきまでの思考なのかどうかわからないものを反復していようとしてしまってた。目の前に流れるものを夜もかく読んでしまう癖の亜種みたいなものだ。

 

俺には色々な恐れがある。死ぬより怖いものがある。というか、俺は死ぬこと事態をあまり恐れちゃいない。もう三十を越えたから、何かあったら死んでもおかしくないという時代に入り始めている。

 

人間は簡単に死ぬ。数分間酸素がなければいい。肌についただけで死をもたらすような化学物質もいくつかある。交通事故でも、あるいは病でも。統計的には早い死だったとしても、その個人というか個別事例においては一つ一つは稀ではない事象の積み重ねで終わりはやってくるのだ。

 

もちろん死にたくはないが、それはやっている最中のプログラミングを終わらせたいくないと言った気分に近い。あまりその手のゲームをやったことはないが、サービス終了みたいなものだろう。思い出が残るといったって、殆どの人は思い出さない思い出ばっかりを詰めている。

 

俺のスマートフォンのカメラロールには写真がほとんどない。どこかに出かけることもなければ、そこでの記憶を留めるために何かをすることもない。だから俺の中身は多分空っぽだ。死んだところで消えるものも少ない。

 

死への恐怖はない。痛みへの怯えはある。恥への恐れはある。面倒への嫌悪がある。俺は四辻さんより現実の肉体に引っ張られるし、なんだかんだ社会との関係がうまく行っていない。丁寧にするのは苦手というか慣れない。一人称を変えるのも辛い。頑張ったところで慇懃無礼か皮肉屋みたいなものになる。

 

余計なことを考えていたら覚えていたくないものは脳から薄れていっている。それでも好奇心というか何かを知っておきたいという感情が端っこを掴もうとする。そこにあったのは多分俺が過去に経験してきたいくつかの事の組み合わせだろう。受験の努力が失敗して落ちたらという恐怖は高校時代にも学部時代にもあった。むしろ博士課程に入る時はほぼ決まっていたようなものだったしBIFRONSの力もかなり借りることができたので助かった。

 

「……なあ、BIFRONS」

 

『はい』

 

「俺は何時間気絶していた?」

 

『五時間と三十八分です』

 

「……起きて何かをやるには深夜すぎるよな」

 

眠気が取れてしまっている。疲れてはいるのに目をつぶってもきれいに落ちることができる気がしない。まあ数分もしていればどうせ眠れてしまうのだろうが。

 

ああまったく、四辻さんは羨ましい。あいつは俺みたいに悩まない。あくまで比較対象は俺にしなくちゃいけない。人間みたいな集団で統計を取ったら彼女はその端っこぐらいにいるというぐらいに人間は多様だし、そもそも俺が人間の平均からそれなりに外れているので普通の人間みたいな言葉を使える立場にない。

 

彼女は俺よりも自分の感情を制御できる。怒りも恐怖も彼女にとっては呼吸をしてブレイン・マシン・インターフェイスを回せば対応できるものだ。それを消すなんてもったいないという気持ちもあるが、彼女にとって怒りに任せて考えなしに行動する楽しさというのは抑制されているのだろう。

 

別にそれが不自然だとは思わない。人間が単純な快楽の最大化を求めるのであればもっと危ない薬が世界に回っているべきだが、人間は怠惰なので手間を掛けて快楽を得ることを面倒くさがる。

 

「俺ってまずい状態にあるか?」

 

『基準を定義してください』

 

「一般的な心理学」

 

『ストレスが高い状態にありますが、直ちに明確な問題が出る水準ではありません』

 

「そいつはなにより、定期観察をよろしく」

 

『四辻さんの精神状態については中根さんと共有していますので、安心してください』

 

「俺には共有されないのね、とても正しい」

 

組織上は俺は四辻さんの上司ではないので、ある意味では対等な立場だ。もちろん人類社会に対するコミュニケーションにおいては俺が管理をしていることになるのだが、それは指揮系統やマネジメントとはまた別の話だ。

 

とはいえ中根さんもこの種のマネジメントにどこまで慣れているかわからないので難しい。門庭ててほしくはないんだけどな。骨折とか腫瘍とかと同じで、鬱レベルの精神的問題でも病院に行ってちゃんと診断してもらって仕事休むなり薬使うなりして職場との協力があれば今はそれなりにやっていける時代なのだ。医療が発展しているのか働かないと死んでしまう環境なのかはよくわからない。

 

四辻さんが苦しんでいる。それを喜んでいる俺がいる。どうしようもない他者の不幸はせめて喜ばなければ世界に不幸が増えるだけだとかそういう詭弁じゃなくて、俺は明確に四辻さんに悩んでほしいと思っている。こっちに引きずり下ろしたいという醜い感情だ。

 

四辻さんはこれを理解できるのだろうか。確か構造体では競争に近いものは少なかったはずだ。それは人間の原動力のそれなりに大きなものの一つだが、別に必須というほど強いわけでもないのだろうし、抑制できるならしたいのだろう。人間は勝利の喜びよりも敗北の苦しみの方を覚えがちだし、競争では勝者よりも敗者のほうが多く生まれる。複数人での競争なら圧倒的に敗者のほうが多くなるわけだ。

 

思考を切り替える。別に自己嫌悪がそんなに有用ならいくらでもすればいいし、自己嫌悪ばっかりしていた時期の俺は非常によく成長していたはずだ。思い返すとそれなりに当時は本を読んでいたしその時に身に着けた計算とか直感的発想とかは普通に今でも役立っているな。やめようか。都合の悪いことから目をそらして生きていかなくちゃいけないのが大人なのだ。

 

大人と言ってるが、それは別に偉くもなんともない。現代の地球の、その中でも先進国で、かつ頭脳労働者の、みたいなかなり狭い分野で要求される能力の話だし、人工知能の発展によってこのあたりの価値も大きく変化していくのだろう。それはきっとしばらく後には古臭くて非効率的な考え方の一つとして歴史上の類型にまとめられるのだ。

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