子供の頃に見ていた世界は、どうにも変に思える。それは思い出す時は三人称だったり、再現ドラマみたいなぼんやりとしたものだったり。人間の記憶が信頼できないことはよく知られているが、あまりこのあたりを突き詰めると人間の連続性という錯覚が失われてしまうから程々にしたい。
俺達は錯覚の中で生きている。そしてある程度学ぶと、それが錯覚だというふうに理性で理解できる。あるいは理解したつもりになれる。本当に理解ができているのかというのを確認するのは難しい。単純なニューラルネットワークは手書きの文字を判定することができるが、それは本当に文字を理解していると言っていいのかは難しい。もしそれは理解ではないと言うのであれば、人間の脳のメカニズムが生み出しているものが理解ではないということになるだろう。
「……相変わらず深夜のカップ麺はうまいな」
俺は細麺をすすりながら言う。季節限定の豆乳味噌味である。なかなかクリーミーで美味しいが、何度も食べたいかと言われると別だ。
『不健康ですよ』
「ちゃんとQoLの観点から評価しているか?」
『評価関数が不適切に定義されている場合、そのような議論は不可能です』
「それはそうだ」
俺は息を吐く。そもそも人間の幸福を数字にするのは難しいし、数字にしたら大抵碌でもない方法で達成される。いい感じのドラッグを使えば死ぬまで幸せでいられるのかもしれないが、俺は愚かなので未来の自分が感じる幸福を気分で拒むのだ。
『世界への認知の変化の実感はありますか?』
「ない……はずだ。そりゃまあ色々あって変わったなと思うことはあるが、正確な測定とかテストとかができるわけじゃないだろ?」
『本システムは対象者の行動パターンの有意な変化をここ半年で確認しています』
「……変化の規模は?」
『非常に粗雑な推定ですが、成人期におけるおよそ十年分の経験に相当します』
「もう四十代の考え方か、嫌なものだね」
四十代の考え方とは何なんだろうな、と思う。誰しもが同じような四十年を経過するわけではない。人によっては十代のうちにそれぐらいのことを経験することもあるだろうし、のんびり過ごしていればその逆もあるだろう。
そして経験が素晴らしいことだ、とは俺には思えない。強いストレスを受けた人間が精神を変化させるのはよく知られたことだ。それを「成長」だなんて言って無条件に肯定するのは俺には難しい。そもそも何がいいことであることかみたいな価値観は個人的なもので、絶対的な規範として洗えられるものではなし、社会がそれをどれだけ保証できるかもかなり幅が広いだろ、みたいな思考が頭の中で勝手に回る。このあたりはBIFRONSとか四辻さんみたいな視点が混じっているのか、そもそも俺がこういうやつだったのかはもはやわからない。
『参考までに、四辻さんの変化は測定不能です』
「具体的なモデルで説明しろ」
俺が言うと目の前のディスプレイに簡潔な情報が表示される。かなり心理学の専門用語混じりのはずなのだが、かなりすんなり読めるな。成長かもしれない。これが自分がわかったつもりになる能力だけが高くなっているとかでないことを願おう。それは陰謀論者の得る快楽であって、俺が非合理的に拒むものだ。
「これは無理だわ」
人間の成長の方向性とは全く違う。そもそも彼女は精神的な成長がほぼ終わったタイミングでこっちにやってきたのだ。もともとの文化というか、想定されていた発達との食い違いみたいなものが結構複雑なことになっている。見えている分には楽しいが、実際に経験する側からすると大変だったのだろうなということはおぼろげながら思う。
俺がやってきたことは、あくまで俺の価値観の調整に過ぎない。俺はまだ日本語で考えているし、今までの感覚も維持されている。四辻さんが経験したものとは比べ物にならない。彼女は思考のための言語を切り替え、新しい感覚に慣れ、そしてその技能を活用して形になるものを複数作った。
それは、きっと称えられるべきことなのだろう。俺は努力を評価するよりも成果を見たほうがいいとは思うが、それでも努力を無視するべきではないという微妙な立ち位置にある。重みの問題とでも言うか。
ただこれは俺が褒められたいからかもしれないな、と考える。自分がしてほしいことを他人にしろみたいなことは悪くないと思うが、それは人間は結局どこか似たりよったりだという前提に基づいている。四辻さんが俺と似ているかどうかはわからない。多少近づいたせいで、その違いがはっきりしてきた気がする。
俺は自分を騙せる。自分を一度騙してしまえば、あらゆる判断が不確実になる。そうすれば、何かがしたいなんて意思とかは全部曖昧になる。こういう事を考えるのは良くない傾向だと認識している自分がいるのを認識できる。思考しながら、それを認識しているというのは少し変な気分だがエンジンの音を聞きながらメーターを見るようなもので、そういう感覚が一度繋がってしまえばそうだとしかいいようがない。
「……四辻さんは、どうしたら自分が評価されると思うんだろうな」
『十分彼女はそう感じているので、問題ないと思います』
「じゃあこれはあくまで俺の問題か……」
『過度な干渉は先工研のハラスメントガイドラインに抵触することに注意してください』
「気はつけるが限界があるからな、もし危ないことしそうになったらレーザー銃でとどめを刺してくれないか?」
半分は冗談だ。もう半分はBIFRONSなら致死性のレーザー銃ぐらい持ち込んでいてもおかしくはないよなみたいな俺の偏見。
『四辻さんはあなたを十分無力化できるほど強いですよ』
「……鍛えているし、ちゃんと知識があるから、か?」
『知識はこちらに来てから学んだものがほとんどでしょう。彼女の過ごしてきた環境では、相手を無力化する必要があるような場面はありませんでした』
「……そうか」
彼女が趣味でそういう制圧とか無力化とかを練習している、というのはうまい説明ではないのだろう。一番危害を加えてきそうな存在は俺だし、俺が危害をまだ加えていないのは幸運と環境によるものだ。それをちゃんと直視できるし、そこで生じる嫌な感じをそのまま受け取りながら嫌な気持ちにならないというのは、たぶん成長なのだろう。