「そちらのほうは?」
通信は良好。俺は先工研の屋外、木陰の下でノートパソコンを覗き込んでいる。隣には四辻さんがアイスバーを持っている。今日は少し汗ばむぐらいに暑い。
「やることが多いよ、そもそも私は一応は計算屋であって、実験屋ではないし、実験屋としての君を彼らに紹介してやりたいぐらいだ」
画面の向こうの水城さんの後ろには何やら色々作業をしている人達がいる。機密とか関係ないのだろうか。あるいは俺は内輪だから大丈夫という判断とか。まあ、どれもありそうなのが嫌だな。
今のところ、重力特異点の作成に必要なロードマップは共有されている。だからと言ってそれができるかどうかはまた別の話だ。人類は火星に色々なものを送り込んでいるし、それなりの時間を無重量状態で過ごしてもそれなりに生命を保てることもわかっているし、組み合わせれば人類を火星に送って戻すだけの技術を持っている。だからと言って、人類はまだ火星には行っていない。
「色々と問題も多いようじゃないか」
「基本は英語で、翻訳ができるとはいえ、色々な文化の人が集まるんだ。問題が起きないわけないよ」
「ジュネーブはそのあたりの知見が詰まっていると思っていたんだが」
「理論だけで実装ができるなら苦労はしないよ」
そう言って向こうの水城さんは苦笑いをしていた。
「それもそうだ。で、今のボトルネックは?」
「どこかのタイミングで共有したいんだが、制限の問題があってね。OCEAの名簿に古瀬さんを入れたい」
「外部協力者としてなら普通にサインをするが……」
「言ったね」
そう言うと、ノートパソコンの右下にポップアップが出た。先工研のメールアドレス宛に何かが到着した合図だ。
「……手際が良すぎないか?」
「ここの人工知能システムはなかなか良くてね、私が少しアドバイスしたらうまいこと承認をやってくれるようになった」
「権限のハックじゃないかねそれ……」
とはいえ人間より素早く、そしておそらく確実性の高い判断ができるなら組み合わせないのは良くないのだろう。短期派遣とはいえ向こうに送るのを実験とかの物理世界に干渉する人ではなく水城さんみたいな理論というかシステム系の人にして大丈夫かと思ったけど大丈夫なようだ。
「というわけで適切な署名をしておいてくれ、先工研には確かそのためのシステムがあるはずだ」
「あるけどさ」
俺はそう言いながらBIFRONSに手続きを確認させる。基本的にはオーソドックスな機密保持契約だ。あくまで個人として結ぶものであり、所属機関とは関係ないとのこと。こういう抜け道をちゃんと用意して、向こうで面倒な折衝が起こって遅くなることを回避しているのだろうな。
というわけで俺と四辻さんが署名をして登録をして送信。あとで中根さんと須藤さんにも共有しておくとするか。
『よぉミクス・ミズキ、そちらが例の日本の……』
なんか声がして、水城さんの後ろから顔が覗く。
「アラブ系の人だと思う」
「どうも」
四辻さんが言ってくれなかったら俺はなんか肌が黒目の男性だなぐらいの雑な認識で挑んでいるところだあった。英語に少し訛りがあるのはわかったが、俺はそれがどの地域のものなのかを認識できるほどの知識はないからな。
『そうそう、私の弟子がこっちのレディ、隣のおっさんはその保護者』
『へぇ』
『おい、俺だって英語わかるんだからな』
一応ツッコミを入れておこう。というかミクスって呼ばれているあたりこの男の人に見える人もいろいろあるのかもしれないな。ここらへんは安全寄りでやるとしよう。
『始めまして、水城さんにお世話になりました四辻と言います。今は日本の先工研にいまして』
『名前は聞いたことあるぜ』
そんな感じで俺と水城さんを横に、四辻さんと向こうの人が楽しそうに話している。画面とカメラ越しにアイコンタクトを交わすと、水城さんは呆れたように肩をすくめていた。
『つまり問題はタイミングではない、と?』
『そこまでは言いませんが、タイミングを合わせること自体を目標にしないようにしたほうがいいと思います。具体的には同期というよりも……』
四辻さんがさらりと危ないことを言っている気がするが、とはいえ伝わるということはアイデアの段階なのだろう。実装して試すためにはそれなりの時間とコストがかかる。
隣で聞いている様子からすると、向こうの人は爆縮のための装置の管理者らしい。中東で高エネルギー密度物理学をやっているとなると、あまり良い気配はしないが気にしないでおこう。あらゆる科学がデュアルユースされているか、まだされていないかのどちらかに過ぎないのだ。されやすい分野があると言っても、それは普通の爆薬の制御とか核融合のあたりとかで使うという形で慣れているということは多いだろうし。須藤さんのせいで裏を読みすぎてよくない。
四辻さんが説明している理論を、俺は知らない。ただ、どこかで四辻さんが公開していたものなのかもしれない。どこかに根拠があるかと聞かれて何かオンラインで読んだ、探して文献を送ると言っていた。例の名無し凝縮まわりの論文とかを持ってくるのかもしれない。
『ありがとうな、ミクス・四辻。いい話ができた、もしよければ招待させてくれ』
『こちらの予算で行きますよ、そこは安心してください』
『なぁにこっちには金がなぜか無駄にあるんだ、そして問題は金では解決できないことばっかだ』
そう言って画面向こうの人は笑って去っていった。
「……騒がしい人でしょう?アカデミア的な実績は少ないんだけれども、こと運用についてはここに集まった技術者がほぼ全会一致でこの人に任せようと決めたぐらいの腕前はあるんだよ」
「強いな……」
俺は水城さんの言葉に呟く。つまり実力で全員ねじ伏せたってわけか。
「あとさっきの人も言っていたけど、金はかなりあるんだよ。必要な機材を買うことはできるんだけれども、問題は多くてね」
「実装の問題は俺や四辻さんがあまり得意としないところだがな」
そう言ったら、四辻さんの足が俺の脛を蹴った。ああはいはい、すみませんでした。修理の専門家として準備されてきた存在をそう言う扱いするのはよくありませんでしたよ、情報の隠蔽ということで赦してくだされば幸いです。