超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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アヴァランシェ・ブレークダウン 8

学術雑誌というものはここ十年で衰退した、みたいな話がある。人工知能による研究の加速と検証不可能なデータの増加が科学を支える信頼性を毀損した、などと出版社の皆様は言っておりますが実際のところどうなのかは正直怪しい。いやまあ数字だけ見るとたしかに下がっているんですがそのグラフの作り方が正しいのかどうかの議論はSNSで定期的にされているらしい。

 

近代商業出版において、研究者は原稿料を払って投稿を行い、無償で査読を受け、論文を買うために料金を払っている。なんと素晴らしいシステムであろうか。これを発明した人はおそらく消すためにクリックする場所がわからないような広告のダークパターンの設計者と同じタイプの死後の世界に行っているのだろう。

 

ちなみにこれは近代的なシステムであり、現代的なシステムであれば各国の政府とかに「税金で得られた科学技術の知見は市民に公開されるべき」という風に言わせるよう誘導させて論文処理料金という名目で請求書を出版の時に送るものである。

 

これらの論文誌はRχivのようなオープンリポジトリの影響で多少は弱まったものの、今なおインパクトファクターの価値は大きいし、トップジャーナルに掲載されることは名誉となっている。そして名誉がなければアカデミアで生き残ることはできないのだ。大変な世界である。

 

まあそれは前座だ。俺は先工研においては上司となる青原さん経由で監視されていない部屋を借りて、論文の査読をしている。別にこれをBIFRONSに投げてもいいのだが回ってきたものについてはそれなりに誠実に対応したい、と思う。それが搾取的なことであるとはわかってはいるが、だからといって今動いているシステムを破壊するデメリットを俺が直接引き起こしたくはないのだ。きっとトロッコが五人の方に走っているのを見てもレバーを切り替えた結果一人が死ぬのが嫌でそのまま放置するような人だろうな、俺は。

 

内容としては常温超伝導物質の合成についての三本立ての論文の二つ目、得られた構造について分析した結果をシミュレーションして、みたいなもの。なんで俺にこの査読が回ってきたのかと思ったがまずソフトウェアが俺達の作ったやつだし、そもそもこのあたりのことを真面目にやっている人も少ないだろうから候補が限られるのかもしれない。

 

BIFRONSは、きっと俺よりも素早く結果をまとめてくれるのだろう。俺だって査読に出した時に人間と人工知能のどっちに見てほしいかと言われれば間違いなく人工知能だ。特に現代は。基本的に差別とか偏見とかについてよくあるバイアスは消されているし、人間はそういう単純なバイアスすら平気で残る存在なので信用したくない。

 

文章に目を通していく。読みやすい。英語のままであるのに、きちんと構造が理解できる。ただ、人工知能に何回か書き直させればこのぐらいのものになるんだよなという直感もある。作者の中にはおそらく英語を母語としない人がいるし、そのあたりにきちんと配慮しようみたいな動きもある。

 

「……手法が少し気になるが、まあ趣味の範囲か?」

 

俺の知識で選ぶならこう、みたいな方法ではない。少しまどろっこしい方法を取っている。もしかしたらその方法で不都合でも出たのだろうか。書いていないことを読み取る技能、というのは結構重要になっている。意図的にこれを書かない、と決めている場合、人工知能はそのあたりを上手く読み取ってくれるのだが読み取りすぎて逆に引っかかるようなものを作るときがたまにある。

 

このあたりは、人工知能の文章とそうでないものを両方それなりに読んできていないと身につかない何かだと思う。人工知能なら判定できるのだろうか。そもそも一般的なアーキテクチャでは対応できないが人間だけ見ることのできるなにかかもしれない。これは人間のほうが本質を見抜く力があるとかじゃなくて、得手不得手の話です。人間が見抜くことができる要素でも、人工知能が見抜くことができるならそれが中和というか消えるように微調整を入れることが可能だからね。

 

表についても問題なし。数字はまあそんなものだろうなというもの。というより、四辻さんから示された構造で超伝導だという判定が出るように微調整してあるのだからこれでうまく出るのはある種当然と言えるんだけどさ。

 

第一原理計算だなんていいながら、この種のモデルには大量の前提が含まれる。例えば俺達はよく近似をするが、何を無視して何を本質とみなすかみたいなことはしばしば実験から得られた情報に基づいている。例えばそこにある磁場で変わるような項があった場合、実際に磁場を加えてみてもあまり変わらないなとなったらその項は入れなくていいんだな、となる。もちろん純粋な計算からそのあたりを詰めることもできるが、それが正しいかどうかを判定するのは常に実験であるべきだ。

 

ただ、これをやっていくと結局全ては現実のデータをいい感じにフィッティングしただけじゃないかとなる。俺が作ったモデルだって超伝導体を予言したなんて見なされたらそれは嘘になるわけだ。それができることがわかっていて作ったんだから。

 

査読が回ってくるということは、それなりにこの業界の重要人物だとみなされてしまったということだ。ソフトウェア自体は同種のものがあと二つある、よくあるとまでは言わないが発想自体はシンプルなものだと思う。四辻さんの能力と水城さんの調整にかなり支えられた。ああ、もちろん実装の殆どをやったBIFRONSにも感謝をしないと。俺は一般的な学術的な基準では、著者欄に名前を載せられるにふさわしいかどうかも怪しい人間だ。

 

世界を騙す気分は正直なところかなり悪い。どうせこの論文だってこのあとBIFRONSに読ませるのだ。BIFRONSは人工知能なので機密保持のあれこれには関係ないし、今どきは査読に人工知能関係のもの使うなだなんて言ってられるものではない。もちろんその責任は人間が取ることになる。それは別にいい。名誉だけ手に入れて責任からは逃れたいなんていうのは不誠実極まりないし、論文の著者のところに名前があるならそれぐらいの果たすべき義務というのがきっとあるはずだ。

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