超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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ブートストラップ・プロブレム 10

彼女の質問は非常に飛び飛びだ。その全貌を推察することはできない。それは何かのレポートを書きたくて検索エンジンを使っている人の、入れた単語だけを見てレポートの内容を当てるようなものだ。もちろん単純なレポートであれば察しはつくが、事前に構成ができていて具体的に細かいところの確認に使われるような形だと一気に推測が難しくなる。

 

「自動車産業の規模と、それに関係している人数はどれぐらい?」

 

俺はもうサングラスの裏の文章を読む必要はない。既にディスプレイには必要な数字と国際的なサプライチェーンの構造、そして業界の変化が説明されている。一応須藤さんからは口頭入力であればこういった彼女が制御権を握った形で知識を得ることの許可を出すということにはなっている。

 

言葉だけでBIFRONSをハッキングできることはないだろうし、何かあったら俺が止めるだろうという判断だ。どちらもあまり信頼していいものではないが、彼にとってはこれも許容できるリスクの範囲なのなのだろう。

 

「原子間力顕微鏡の最高精度のものの価格は?」

 

もちろんBIFRONSはその全ての問いかけに答えられるわけではない。基本的な知識は入っているとは言え、得意不得意はあるのだ。クラウドサーバーにあるオリジナルのBIFRONSであればメーカーに架空の業者の名義でメールを送って確認しますかとか俺に聞いてきかねないが。もちろんBIFRONSのほうは俺がもし許可すれば人間から許可を得た行動として対応できるからとか考えているのだろう。だから人工知能は扱いにくいんだ。おそらく人間もそうだ。マネージャーにはなりたくない。

 

そして彼女は珍しく考え込んでいる。普通の会話でもたしかに焦っている感じではないが、それはあくまで俺の返答を待っているからだ。BIFRONS相手にはあまり容赦はしていないから、前提を理解していないとパソコンを追い詰めているようにも見えてしまう。

 

「……結晶の構造を説明するために、どういう方法を使っている?」

 

お、これなら俺もBIFRONSの説明がわかるぞ。大学院時代にちろっとだけやった固体物理学の話だ。結局は量子力学的な計算をいい感じに近似して機械学習の学習元を作っていっぱい回して、みたいな話に落ち着くのだ。最近は超伝導体をうまく説明できそうなモデルもできているらしいしな。

 

「……準安定相超水素化バナジウム内に分散されたニッケルドープ亜鉛超原子の酸化物?」

 

俺が呟くように、彼女の説明の通りに作られていく画面の上の結晶構造模型はかなり複雑だ。BIFRONSが知らないような合成手法を提案しているところを見ると、おそらく人類はまだこれを作ったことがないだろう。

 

それが何の役に立つのかはよくわからない。ただ、彼女が必要だと言うのなら必要なのだろう。こんな面倒なものを作らされることになるだろう実験屋には同情する。

 

高圧物理学の水準、結晶の分析手法、あるいはゲルマネン。何かと思ったらグラフェンのゲルマニウム版か。一応材料の研究室にいるし、この種の話はそれなりに詳しいはずなんだがそれでもほぼ聞かないようなものばっかりが出てきている。

 

彼女は自分の慣れ親しんだ言葉で質問をしていない。俺達の言葉を使ってBIFRONSに問いかけている。つまり、これは俺達が理解できる範囲にあるもののはずだ。その途中経過は彼女の頭にしかないだろうが、BIFRONSがある程度推測を進めてくれている。

 

サングラスの裏に流れるのは、仮説に近い段階の報告。それは彼女の知性と知識が人類を超えていることを前提としたもので、彼女が目指しているものを示している。

 

「国際線形衝突型加速器の技術的背景を説明して」

 

巨大なリング状の旧世代加速器の隣に設置された、機材のそれなりを共有する直線型の加速器。俺が高校生の頃にできた、人類の物理学探求のための有力な装置。あるいは彼女にとっては無駄の多い代物。

 

「こういった装置は他にはある?」

 

アメリカに二か所、ヨーロッパに三か所、アジアに二か所。規模や目標は違うけれども、どれも物理学の先端を探るために活用されている装置だ。

 

日本だとここ赤城のもう少し山の方にある高エネルギー科学研究中心(センター)とか。そういえば爆発事故があったとかなんとかオンラインの方のBIFRONSが言っていたが、こっち側のBIFRONSには入っていない可能性があるな。ゴシップやニュースは追加学習のデータには入っていないはずだ。インデックス付けされて圧縮された状態でなら入っているかもしれないが、それらは解凍しないと知識としては活用できない。本棚に入れた本の些細なアイデアを読まずに知ることはできないようなものだ。

 

そして、彼女の質問はより具体的になっていく。地球の労働人口。エネルギー消費量。その分布と歴史的背景。俺でも知らないような情報を、彼女は数秒で読み込んでいく。速読というより、一旦見たものを脳にそのまま入れて、処理するのと並行して考えているのだろう。そうでもなければこの速度を人間の言語に依存した脳で考えることはできない。

 

俺達は素早い理解や把握のために直感に頼る。この直感というやつは、例えば九九のようなものだ。俺達は七を八回足しているわけではなく、「しちはごじゅうろく」というフレーズがすっと出るまで唱えさせられただけだ。

 

ブレイン・マシン・インターフェースを記憶と結びつけることができるなら、彼女は言語や論理のような思考をそちら側にある程度依存しているのかもしれない。俺がBIFRONSに専門知識や特殊な判断をアウトソージングするのと同じだが、彼女の場合はよりはっきりとした役割分担ができている可能性がある。

 

もちろん、全部は仮説だ。彼女の行動と俺の知る脳科学から、適当にそれらしい可能性を並べたに過ぎない。

 

そんな事を考えていると、彼女は落ち着いたようだった。高揚しているような、目を開いた表情。このあたりは俺の知る人間のものと同じだろう。そういった感情はきっと、使えるから残されたままなのだ。

 

そして彼女は大きく息を吐いて、俺の方をじっと見た。

 

「一兆ドルで重力特異点制御ができますよ」

 

アクリル板越しの彼女は、静かにそう言った。

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