俺は須藤さんへと送るメールを確認した。内容としてはよくある、ちょっとした調査結果の報告。俺と須藤さんの繋がり自体はもうわかる人にはわかっているだろうから、四辻さんの一番の秘密さえ書かなければ普通にメールを送っている。
メールというのも考えてみればかなり奇妙な文化だ。あのあたりのプロトコルは昔から変わっていないはずだ。もちろん通信経路の暗号化はできるが、プロトコルが面倒なのでエンドツーエンドではそこまでしっかりされていない。というか俺は先工研のアドレスで科学技術省のアドレスに送っているので、ほぼ筒抜けと考えていいだろう。
その上で、今更もういいやと言わんばかりに俺は送っている。少なくとも覗き見については検知できるだろうとセキュリティ担当者の能力を半分信じているのもあるが、そもそも隠したところで仕方がないというのもあるからだ。
俺が今回アメリカのイベントで色々と確認してBIFRONSとも議論した感じ、あと五年ぐらいで人類はそこそこ安定した重力特異点を作れそうになっている。正直言って、これはどう考えてもおかしいペースだ。
例えば中性子が発見されてから最初の原子炉が動くまで十年かかっている。あっ核分裂系はだめだな、マンハッタン計画のせいで数字がおかしくなる。他の巨大プロジェクトで言うとジュネーブにある国際線形衝突型加速器はざっと計画承認始から建設が始まるまでで五年程度、そこから実際にできるまでが十年。そして計画承認までで十年ぐらいぐだぐだしていた。
核融合の方はもっと酷い。冷戦時代の会談から始まって半世紀以上、かなりの額を突っ込み、技術的には多くの成功を重ねながらも商用には至っていない。いやこれについては去年あたりに一気に加速できるんじゃないかみたいな記事を見たな。今はどうなっているか確認していないが、下手するとエネルギー源としてまず核融合炉を作ったほうがいいとかになるかもしれない。
そのあたりの計画のスピードが、およそ三倍から五倍になるというのが俺の見積もりだ。もちろんこの数字はそこまで的外れというわけではない。各国の政府が出している技術動向予測もそんな感じだ。指数関数的成長における時定数が半分になるというのは、実はかなり無茶苦茶なのである。
「終わった?」
「終わった」
四辻さんに聞かれたので送信する。別に人間の目で読めば何かあるわけではないし、今はもう儀式みたいなものになってしまった。俺の脳の中に情報を残すという行為のためという言い訳すらもはや通用しない。必要であればBIFRONSが引き出すほうが俺が思い出すよりほぼ間違いなく早いからだ。
「年齢相応の行動をするのは疲れる。私はまだ十代の語彙と行動を許容されたい」
「ちゃんと歳を取れ」
四辻さんはなんていうか、独特の空気を纏った人になった。ちょっと日本語に癖があるが、それはたぶん他の人にはわからない。俺はわかっているつもりでいるが実際のところ四辻さんの古い会話の記録と声色が変なふうに結びついて生まれている先入観ではないのかという気もしている。
「古瀬さんは?」
「俺はなんかもういい感じの中年に入りかけているからいいんだよ、口の悪い中年はそれはそれで一つのニッチを占めている」
とはいえ外見にもう少し気を配るべきかもしれない。しっかりとしたスーツを着ていれば渋い悪人の行動になるが、よれたシャツの場合だと駄目人間になるというのはよくあるからな。まだ人間は目で人間を信じる以上、そこをハックするのはある種の王道でさえある。
「……他人からどう見られるかを考えるあたり、変わったね」
さらりと言われた。俺からすれば四辻さんが一番変わっているのだが、そもそも四辻さんは俺の昔のことをどこまで知っているのだろうか。博士課程でノートパソコンを手に未知の言語を解読するのだと意気込んでいたら向こうのほうがこちらの言語を解読してきた俺の気分とか、知られていたらいたで怖いな。
「四辻さんは昔のことを覚えているのか?」
「記号的なものはかなりの精度で。心情的なものについてはそれを記憶し始めたのはこちらに来てからだから」
「そうか」
俺はキーボードを叩く。思考をアウトプットする装置としては声よりもしっくりくる気がする。もちろん読み上げと同速度でタイプできないことからもわかるように速度は下がるのだが。
「面白いものをそろそろ見ることができると、私はかなり期待している」
「人類の未来にか?」
「そう」
俺は少し四辻さんの言葉に笑ってしまう。というか俺からすればここ十年の世界はずっと面白い。それを裏側で見るというのは更にだ。それをできる特別な立ち位置にいるのは俺達を含めて世界で数えるほどしかいない。
とはいえ、だからこそ見えてくる責任というのもあるのだが。
「まあそのためには調整というか、火種消しというか……やらなくちゃいけないことがあるわけだがな」
俺はメールを開く。送信者はASPA。つまりはアメリカの応用科学技術振興の中心地の一つ。そこが名指しで俺と四辻さんに仕事をしてこないかと言ってきている。
かなりの額が注ぎ込まれるプロジェクトの一部として、国際協力の下で実用化のための課題を片っ端から潰していくというもの。ルイさんがさらりとメンバーに入っているあたり、ある程度意図的なものだろう。
今のところ、道筋は見えた。方向は正しいだろうし、進んでいけばそう遠くないうちに一回たどり着くことはできるだろう。しかしそれは産業にはならないのだ。何度も安定して、事故を起こさずに、既知の問題を整理しながら、新しい世代がそれを繰り返さなくても最初から手に入れられるようにする。それが最先端を突っ走る人達の一つ後ろで行われることだ。
当然ながら、これは調整が難しい場所だ。というか有能な研究者と高度な人工知能があってもなお潰しきれないような問題しか残っていないわけで、それに対応できる人員というのがかなりの無茶だ。先頭にいる人間とはまた違うタイプが求められるとはいえ、能力はいくらあっても足りないわけで。
このメールを俺が受け取っていることは、少なくない人にわかっているのだろう。そして俺達がこれに参加することで起こるような問題はもはやない。というよりなにか変な方向に進んだりとか誰も気がつかない第事故の元とかを潰すとなると俺と四辻さんが一番適任なのかもしれない。