正直言って、若者の運命を捻じ曲げるというのは少し申し訳ない気がしている。人類のための致し方がない犠牲だ、それなりの対価を払うので飛び込んでくれ。
一応自由意志による選択だと言い張れなくはないのだが、事前の調査とかをある程度やった上でこれだからな。ちなみにもっと攻略が難しいような人は下手な産業スパイを越えた工作が進んでいるようです。怖い。
考えてみれば産業丸々一つが成立するかどうかがかかっているような分野に大金が注ぎ込まれるのは昔からのことである。産業革命時代にもボトルネックになる分野にそれなりに投資がされて一気に発展が進んだみたいな例はあった。人工知能時代にもいわゆるハーネスとかのテクニックの発展はそのあたりだし、結局適切なマニュアルと監査さえあれば知性的な活動は作れるんじゃないかみたいになってオーバースペックの人工知能が一部業界向けのみにしかサービスとして売れなくなった時代も一時期はあったらしい。
「……いやまあ、私にとって悪くない条件だとは思うんですが」
アポを取って研究室見学にやってきた同じ先工研の職員が謎の組織からのリクルーターであるという事実を突きつけられてもこの院生さんはそういうものかと受けれいて俺達の示した書類に目を通していた。
「もちろん持ち帰ってもらっても、適切なシステムに読み込ませても結構です。必要であればトークン分の請求はこちらの方に回していただいても」
「……ええと、四辻さんと、古瀬さん?」
四辻さんの名前を先に呼ぶ彼女は、どうやらなかなか勘がいいらしい。ええ、俺は彼女の添え物です。BIFRONSの支援を受けてさえ、四辻さんの総合力には勝てていない。ちなみに四辻さんのブレイン・マシン・インターフェイスはちょっとした工作で普通の本を読むのと同じぐらいのペースでテキストデータがやり取りできるようになっています。スマートフォンの中の人工知能システムとの通信に偽装しているのでわからないはずだが、もし何か言われたら研究中のそういうデバイスのテストですとでも言えばいいだろう。幸い医療分野ではそのあたりの実験は着実に進行中だ。
「はい」
そう返すのは四辻さん。俺はしばらく黙っておくとするか。
「私って選ばれたんですか?」
「言葉の定義にもよります。具体的に謎の秘密組織があって、それがあなたをスカウトしに来たというわけではありません」
「……だよね」
彼女の声は明らかに落ち込んでいた。ああ、これはなんていうか俺側の人間だな。いやまあ何か専門分野を持っている人の少なくない割合がいきなり政府とか謎の機関に呼び出されて特別な仕事をやらされるとか夢見るんですよ。言語学と人工知能の専門家がどこかからやってきた宇宙人の言語の解読をするとかね。
まあ、そういう意味で言えば俺達は人工知能の集合体という人類全体の集合を超越しつつある知性の手足として色々と動くエージェントである。なかなか楽しい仕事だ。なお給料は先工研から出ているので給料泥棒な気がしなくもないがもう今更過ぎる話だな。
「とはいえ、あと数年以内にこの分野の問題を解決しようとなるとすでにいる専門家を使うしかありません。そのためにある程度の投資が行われるでしょう」
「私は使い捨て?」
「キャリアの一段階と思っていただければ」
「今どき研究職にキャリアがあると思う?」
そう言って、彼女は組んだ手の上に顎を乗せた。よく情勢を理解してらっしゃる。日本でさえ採用控えが起こっていて失業率がじわじわと増加しているし、もっと軽率に採用して軽率にリストラする地域では雇用が酷いことになっている。
学術分野はもともとイカれた人間しか行けない場所で、一時期は多少働き方が緩和されたが採用の属性問題とかがあとを引いて人口ピラミッドが完全に崩壊して少子化もあってその他諸々のせいでなんていうか、なんでまだ大学というシステムが生き残っているんだろうねという形になっている。大卒でなければいい職がないという圧力があって、採用する側も社会のそういう圧力を受けた若者を取りたがって。
まあつまりは過渡期のなにかが起こっているのだ。ただそれがどういう結末になるかはわからない。生活保護を増やすなみたいな話は相変わらず根強いし、かつて夢見られたベーシック・インカムとやらが実現する日は来なさそうである。
「……少なくともこの技術の運用を人工知能が代替するまでには、今しばらく時間がかかるでしょう」
「でもこの研究が成功したら、私はロボットの組み立てと実験の場所から追い出されるんだよね」
「……そうかも、しれません」
四辻さんはこういうときに嘘を吐けない。それが四辻さんの誠実でいいところで、不器用なところだ。たった十年しかこちらの世界にいなくて、そして頭の構造がまだ向こうにいたときの名残があるから、どこか社会と引っかかるものがある。
俺は生まれつきそうだったが、擬態によってなんとかなった。四辻さんは完全に擬態することもきっとできただろうに、意図的にそのあたりの隙間を残した。俺が後から判断するのなら、その決定は決して悪いものではなかった。
「……あなたたちは、面白いものを見ていますか?」
彼女が聞いた。俺は頷いた。四辻さんも。
「はい。おそらく世界が変わるのをかなり間近で見られる場所を、私達はあなたに紹介できます」
「わかりました、やりましょう」
そう言って彼女は手を出して、四辻さんはそれを握り返した。
「とはいえ普通に労働契約なので辞めたくなったら辞めてください。それと卒業前からインターンみたいな形で該当企業で働くこともできますし、研究の方についてもできるだけ配慮をするので……」
そういう風に言いながら四辻さんは彼女向けのキャリアプランを提示していく。このあたりの仕込みは四辻さんがちょっと頑張っていたところだ。選択肢があるべきだ、とか言って。
まあ俺達は四辻さんを閉じ込めて情報を提供するよう半ば強いた側だからな。それは彼女にとってある程度負担になっただろうし、結果がそれを正当化しきっているとは言えないだろう。被害者に救済手続きを作らせてそれを担当させるというのは比較的碌でもない行為だが、世界を変える定番の手法だというのはやはり嫌な気分になるものだ。