超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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ロジスティック・グロース 5

ヘッドセットを外す。人間性を吸い取るタイプの柔らかいソファーから立ち上がって、ゆっくりと身体を動かしていく。

 

自分と世界の境界線が狂っていくと、世界が自分にとって都合の悪いことが許せなくなってくる。VRゲームをやりすぎていると少し離れたところにあるアイテムを選択して取れなくて混乱するみたいな話があるが、似たようなものだ。

 

思考が現実を反映しない。自分のものではないものが自分ではないという事実を理解するのに少し時間がかかる。だから身体入力で自分がここにいるのだ、という信号を送る。

 

「身体、柔らかくなっているね」

 

四辻さんが頑張って脚を広げている俺に言う。

 

「……面倒だと思わなくなったから、かね」

 

昔はBIFRONSから何かをやれと言われても面倒でやらないことがあった。今は比較的それを受け入れられるというか、それが自分の納得するのが当然の思考の一つのように受け止めることができている。たぶんこれは楽でいいのだが、下手にその対象が拡大すると良くないやつだ。

 

「面倒という感情を身に着けた後の私からすると、なかなかおもしろいことを行っているように思える」

 

「切れないのか?」

 

「ブレイン・マシン・インターフェース側の校正が必要。それができるほどの機材はあと十年はできないと思う」

 

「必要ならそういう分野を伸ばすように調整するのを手伝うが……」

 

あくまで言ってみるだけだ。実際のところ、人間の意見がどこまで世界に反映されるかというのはそれなりに怪しい。昔から個人がどこまで世界を変えられるかみたいな話があって、二発の銃弾が殺したのは二人に過ぎない、第一次世界大戦を本当に決定したのはその後のドミノを次に続けることを決定した人達だ、みたいな。

 

人工知能の発展が外交的に見事なゲームを実現するようになっても、そのあたりはあまり変わっていない。未だに民意というものは大きいし、それはSNSのよくわからないアルゴリズムと流行によって左右されるところがある。バズるプロパガンダツイートをするというのは多くの陣営が挑んでいることであり、そして大抵はえっちな動画に負けるのだ。悲しい現実である。

 

「無理だと思う。私はそれに賭ける価値を見いだせない」

 

「……いや、反論してもらって結構だし、たぶん無駄になるんだろうなという直感があるが、やってみていいか?」

 

なんていうかいつもと逆だな、と思う。なんでそう言う判断を自分がしているのかを把握はできないし、おおかた失敗するだろうという認識もあるのだが、その上でちょっとやっておくかという諦め混じりの責務観がある。四辻さんが持っていた感情まわりでもあまりこの種の概念はなかったな。

 

「そのあたりについて、古瀬さんは私の判断を重視する?」

 

「……しないほうがいいな」

 

他人の言うことに従うというのは簡単だし、俺はそこで失敗しても別に恨んだりしないだろう。天気予報で雨だと言っていて実際降らなくて無駄に傘を持ち運ぶだけになったところで面倒だったと思うだけで、それで終わり。

 

というか似たような話が昔あったな。ASPAに四辻さんが送ったとあるベンチャー企業のあまりよろしくない状態についてのレポート。結局あの会社の話はどこかに消えたが、そこに四辻さんはそれなりに影響を与えていただろう。

 

あれに比べれば、俺がやりたいと思っていることはかなり辻褄が合わない。というかかなり個人に向けた行動であって、利己的と言ってもいいだろう。いやまあわがままを人間は言うべきだし、それらをすり合わせてマシな世界を作るということは大事なんだけど、そうではなくて。

 

「……何が起こっているんだ?」

 

別にやろうと思えばやることはできる。BIFRONS経由で人工知能たちが議論しているところに突っ込んでいって知性強化とかやったら人類の効率上がるんじゃないですかねと言えばいいだけだ。医学論文にできるぐらいには俺の認知改造の記録も残っているし。問題は倫理委員会に通せないタイプの実験をしていることだが。

 

『本システムは高度な倫理的概念を有しており、安易な発言が対象のアイデンティティおよび人格に与えうる影響を把握しています』

 

「おっハルシネーションか?偉くなったものだな」

 

俺は天井から聞こえてきたBIFRONSの声に言い返す。

 

『率直に言えば良くない人間関係の形成が疑われます』

 

「あー、それは良くない」

 

俺は呟く。まあそうだよな、長い時間を過ごしてよく一緒にいる人が困っていたら助けてあげたいという感情は別におかしくはないが、そのために世界を動かそうというのはちょっとやりすぎだ。もちろんそれを演る人を否定しているわけではなくて、その可能性とかコストとかを理解してしまったうえでもそれを選ぼうとするのは異常だという話で。

 

人間はどうやら恩義とか慕情のためならかなりの無茶ができるらしい。それが必要になる場面はわかるが、今じゃないだろうというのもわかる。その上で俺はどうやら四辻さんになにかしてやりたいらしい。

 

思ったよりこの種の感情は根源的なもののようだ。溺れた時に息を吸いたくなったりするのは理性では止められないし、訓練で落ち着くことはできても耐えられなくはなる。そういうレベルで埋め込まれた社会性本能なのだろう。実に困ったものだ。

 

これが直接四辻さんに危害を加えうる類のものであればBIFRONSの安全システムが俺を止めてくれるか四辻さんが俺を制圧してくれるのだが、それは期待できそうにない。じゃあこれが治まるまで無意味なことをしろと言われてもなにか違う気がする。

 

「止められる?」

 

『辞めておいたほうがいいと思います』

 

「そのレベルか」

 

『曖昧ながらも強い動機はひとまず動いてみてから対応したほうが侵襲性が少ないと考えられます。必要であればエビデンスも提示できますが』

 

「いらないよ」

 

俺はそう言って笑う。BIFRONSの言葉は俺が断ることを前提としたものだ、と俺は理解しているつもりでいる。本当はわからない。BIFRONSが俺が詳細を求める可能性をある程度高いと見込んでちゃんと整理された何かを要しておいてくれたのかもしれない。ただ、BIFRONSから追加の反応がないあたりは俺のBIFRONSに対する勘は大きく外しているというわけではなさそうだ。

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