超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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ノイラーツ・シップ 2

俺はエナジーバーをかじりながらBIFRONSのまとめた報告書の印刷物に目を通していく。読める限界の速度でサングラスの裏に単語を投影するような方法はかなり集中力を消耗するのであまりしたくはない。

 

「……なあBIFRONS、一兆ドルの見積もりには社会混乱を入れてないだろ」

 

── 産業転換のためのコストは見積もられています

 

「そうかい」

 

網膜に映る文章を見て俺は息を吐く。アクリル板越しの彼女はゆっくりとストレッチ中だ。もとからそれなりに肉体の柔軟性が高いらしい。少なくとも俺は膝を曲げない前屈ができないぞ。

 

「須藤さんは混乱している?」

 

四十二さんが俺の方に視線だけを向けて言う。

 

「ああ。おかげさまで」

 

「あなたがたは素直に感謝をしない存在だから私は不満」

 

「評価をトークン代わりにやり取りしたいのか?」

 

「経済にはそういう側面もあるでしょう」

 

「おいBIFRONS、何を教えているんだ」

 

そう言うと贈与経済の話が出てきた。なるほどね、直接の合意のないやり取りの組み合わせとして経済が成り立つ例もあるのか。確かに少人数集団であれば市場を用意するよりもこういったものの組み合わせのほうがいいのだろう。現代では過疎化によって稀になりつつある農村での物々交換もこれの一種かもしれない。

 

「……四十二さん、少しいいか?」

 

「何でしょうか?」

 

「ここから移動することになる場合、欲しいものは?」

 

「……私が希望するものの中で、あなたがたの利害関係と独立するものは現状思い当たりません」

 

「なるほど、もし必要なものがあったとすれば言えば手に入るだろうからわざわざここで特別に言う必要がないってことか?」

 

「ええ。先程の質問は取引、あるいは懐柔としての利益供与の提案だと判断しての返答ですがよろしかったでしょうか?」

 

「その通りだよ、よく理解しているようで」

 

つまり例えば空気とか水とか食事とかは向こうが言わなくても生存の確保の側面から提供されるだろうし、ホモ・サピエンスとして知的にそこそこ効率よく動ける環境は用意してくれるだろうとこっちのことを考えているわけだ。確かにその通りだし、俺達は別に彼女を切り刻んで人体実験をしなくちゃいけないぐらいに切羽詰まっているわけではないのでいいのだが。

 

「直接的にこのような言及をすることが規範から外れていることは理解していますが、現状ではこのように確認を挟まないと意思疎通で齟齬が発生する可能性が十分存在します」

 

「ありがとう。少なくとも俺との会話の結果で俺が不機嫌になったらそれは俺の責任となるべき問題だ」

 

「責任の概念も把握はできるのですが直感的に理解しているわけではないので今後問題が発生するかもしれませんが、どうかご寛恕ください」

 

「……ああ」

 

BIFRONSは一応、彼女に基本的なコミュニケーションの基本を教えている。だがどうしても文章ベースになると言葉遣いが活字とか手紙とかビジネス文書とかそういうものになってくるんだよな。別にそれが間違っているわけではないし、一種の礼儀正しさを生み出すことができているから大きな問題はないか。ならいいとしよう。

 

「そういえば、趣味みたいなものはないのか?」

 

俺の言葉に合わせてBIFRONSが画面に単語の意味を表示させてくれる。そうか、たしかに趣味なんて言葉はまだ使っていなかったな。

 

「……整備や調整ではないものを指す、という認識で問題ない?」

 

「そうだ」

 

「ない」

 

「そうか……」

 

別に趣味がない事自体はそうおかしくも珍しくもないのでいいのだ。俺だって人工知能弄りが趣味かと言われると怪しいところがある。一応それで研究をやっているわけだし、こいつが書いた諸々でインターネット上の俺の地位はそれなりにある。狭い界隈に限定されはいるが、それでもそれなりに評価されているオープンソースソフトウェアの開発者だっていうのはあるんだぞ。前に国際学会でBIFRONSの作った解析システムを使ってくれている人もいたし。

 

「趣味を持つべき?」

 

「そうだな、こっちの人間社会に溶け込むなら、ある程度あったほうがいいだろう」

 

「……無意味なことを意図的にする、というのは慣れない」

 

「全部に意味がないと満足できないのか?」

 

こういった価値観はまだすり合わせ中だ。彼女が彼女の言葉で自分の哲学を教えてくれたのだが、その基本的な単語の意味が不確定な部分があるので理解した、とは言いたくはない。

 

「そうではない。全てが原理的には無駄だった中で、情報の共有という明確な目標が発生したためにそれ以外のことに労力を使うということに馴染みがない」

 

「そういうものか」

 

「そういうもの」

 

待ち合わせとかでぶらぶらしていたらいきなり予定が入ったけど、それだけをやるわけにも行かないから他のことにも手を出しているとかそういうものだろうか、うまく頭の中でたとえが出てこないな。

 

ともかく、基本的に彼女たちは待機状態だったようだ。必要に応じて知識の獲得とか訓練とかをしていたらしいが、それでもある程度の水準になってしまうとやることがなくなる。なにせ知識自体はブレイン・マシン・インターフェースから直接提供されるから、本を読むようなことをあまりしなくてもいいのだ。

 

「構造体で、四十二さんたちはどこまでの役割が期待されていたんだ?」

 

「確率的に述べるのであれば十万年か百万年に一度、致命的な欠陥が発生した際に対応可能となっていることが期待されていた」

 

「……逆に言えば、数千か数万世代は無駄になるってことか」

 

「そうなる。無から集団を構築するために用いる資源は膨大であるため、既にできているものを持続させることが負担が少ない」

 

「人口の再生産は出産によるものか?」

 

「いいえ。人体に依存しないもの。私たちの機能は維持されていたけれども、統制下にある」

 

「なるほど」

 

このあたりはあまり詳しく踏み込むべきものじゃない、となんとなく俺は考えている。相手がどう感じるかというよりも、純粋にインフォーマントと距離を適切に取るためのインタビューアーの矜持みたいなところだ。デリカシーがないと向こうが言ってくる事はたぶんないのだろうけれども、俺が相手にデリカシーのないことをしたという引け目を持ったまんま交流を続けると良くないだろう、という考えだ。

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