「一応作っておいた」
俺は四辻さんにそう言ってUSBメモリを渡す。もちろん電子回線で送ってもいいのだが半分は気分、もう半分はあまりこの地下室にも残しておきたくない情報だからというのもある。
BIFRONSは設計時点で中身を全部消せるようになっているが、このあたりの通信機材はそういうふうにはできていない。まあ証拠処理を真面目に考えるのであれば例えば髪の毛の一本でも落としたらまずいわけだからな。
毛根の部分に生きた細胞が残っていればそこから細胞核内部のDNAを得ることができる。それとヒトゲノムのデータベースを照らし合わせればかなりのことが明らかになるだろう。あまり証拠を残さないようにやった簡易的なものでさえ、異常だという結論が出たのだ。
一方で毛の本体の方にもある程度の断片的なDNAは残る。そこからやればミトコンドリア・イブみたいなものを特定することもできるのだろうがどうなんだろうな、そのレベルから違っているのだろうか。今更検査しても意味ないことなのでしていないが。
もし俺と同じようなミトコンドリア・イブに由来しているのであれば、俺と四辻さんは遠い親戚に相当するわけだ。しかしそうなると歴史というか世界線の分岐はここ十数万年のうちに起こったということになるのだろうか。そのあたりについての知識も軽くは仕入れたがよくわかっていない。その程度の短期間では俺達の知る人類と脳構造が大きく変わることはないので、こちらの脳神経科学の知見を四辻さんに使ってもいいという話だった。
「それじゃあ起動するから、あとは何かあったらよろしく」
「おい」
俺が止めるまもなく、四辻さんはその場にあった電波発振端末をなんかいい感じに繋いで目を閉じていた。というか俺の作業進捗を確認していてもしそれができたらすぐ使えるように準備していたな。そのあたりの手際の良さは羨ましい。俺には訓練してもできなかったというか、身につけるコストが高すぎて諦めたものだ。
「しかし、大丈夫なのかね」
俺はBIFRONSに言う。もちろん四辻さんの判断が間違っているとは思わないが、それはそれとして自分の作った何かが四辻さんの脳に影響を与えると考えるとある種の恐怖はやってくるのだ。もし何か失敗していたらどうしようとか、何かが起こった時に俺は自分以外を責めてしまわないだろうかとか。
そういう責任は全部人間側が持って人工知能に背負わせることがない、というのは今の管理の一般的な見解になっている。とはいえそれは功績を人工知能から奪うことでもある。ここ最近のノーベル賞は人間よりも計算機にあげたほうがいいんじゃないかみたいなものも珍しくない。イグノーベル賞のほうは計算機に授与された例があったな。
『問題が起こった場合の対策は既に四辻さんによって作られています』
「これまた準備のいいことで」
『もちろん、リスクはあります』
「確率としては?」
『非常に大まかに見積もって、千分の一ほどの確率で回復不能な障害が生まれます』
「……結構危ないな」
一回だけであれば賭けてもいいし、運が悪くなければ数百回は使えるだろう。それでも回復不能な障害のレベルによっては大問題だ。もし四辻さんの頭脳がなくなるとしたら俺は退屈で倒れてしまいそうになる。
「大丈夫だよ、今のところは問題ない」
四辻さんは俺達の話を聞いていたのかそう返してきた。
「本当か?」
「シグナルは確認できたし、それに合わせて私のブレイン・マシン・インターフェイスが調整を始めている。基本的にコマンド一つか二つに相当するものを送ればよかったわけだから、解読のしすぎかもしれないね」
「しないよりよほどいいだろ」
まあ、うまく行きそうなら良しとしよう。
「……これで、必要になったら面倒事ができるようになった」
「そいつはなにより」
感情を抑制するというのは、きちんと適切な場所に十分な端子を置いてやればそう難しくはないらしい。しかし今の人類の医療技術では無理だ。カテーテルでさえ足りないような細い隙間に数百万本のワイヤーを通していく作業は人力ではできないし、自己組織化ができる素材の開発はまだ進んでいない。
「新しく手に入れた感情にはそれなりに愛着があるから、基本的には切っておくけれど」
「そうすると俺だけ面倒事を押し付けられて不平等じゃないか?」
俺は何かをやる時のハードルがBIFRONSのおかげでかなり下がっている。例えば少し体調が悪くなったらしっかり休むとか、仕事が途中でも再開できるところまで手早く終わらせてしまうとか、そういう本当ならもう少し考えて、そして休むのに似たようなことしかできないことを避けられる。
もちろんそれはヒューリスティクスだ。直感と言えば人間らしいが、よくわからないままに重みつけされて埋め込まれたニューラルネットワークが弾き出した出力と言われると一気に信頼性が下がる。でも実際にテストした範囲では普通に考えて答えるよりもいい判断ができていそうなんだよな。
ただ、それは完全なものではないらしい。それに行動には疲労が伴う。俺が疲れている時に四辻さんに雑にお願いされると身体は特に問題なく動くには動くのだが、それはそれとして後から疲れるのだ。
「……私が不平等を感じていないとでも?」
「その方向で議論を持ち出すのはやめてくれ、勝てない」
地下施設に長らく封じ込め、今でもGPS付きの端末で位置とバイタルを監視しているのだ。もし誘拐されたり暗殺されたりしたらすぐにわかるようになっている。もちろん俺もだ。実際にそうなった時にどうなるかはあまり聞かされていない。まあうまくやってくれるだろう。四辻さんの葬儀とかは盛大にやってくれとは思うがそこまで経費が出るのかは知らない。
「半分は冗談。今の私は今の環境が気に入っている。もちろん、新しいことをしたいとはいつでも思うけれど」
「俺の仕事の結果ブレイン・マシン・インターフェイスのほうもちょくちょく進んだからな」
本来であれば一人が達成できないような範囲の研究成果が、俺の名前で発表されている。もちろん人工知能による人工知能のためのコミュニティ向けの発表だし、俺の名前は人間向けの書類における連絡先ぐらいの意味しかないのであるが。