「……まあ、ここからは世間話です」
東京のとある喫茶店。奥の方のパーティションで区切られた場所に俺と四辻さんは呼ばれてブリーフィングを中根さんから受けていた。それが終わったので紅茶とケーキを楽しみながらの時間である。
「いいですね、何の話ですか?」
俺はフォークでチーズケーキを切りながら言う。
「国家財務」
「……世間話ですね」
まあ、本職の官僚の皆様にとっては天気とかと同じぐらいのものなのだろう。というかそうか、俺達の予算を取ってきているのは間接的に中根さんなんだよな。彼女の上にいるはずの須藤さんは普通に折衝やら何やらであちこち飛び回っている大変な人だ。
「ひとまず人工知能が簡単な仕事ばかりやるせいで、人間に残されたのは骨の折れるものばかりですよ、根回しに挨拶、あるいは解決不可能な問題を先延ばしして、そして弱みを上手く使うこと」
「弱み、ですか」
俺はあまり政治らしくない言葉だな、と思いながら言う。もちろん何かの弱みを使って人を動かすというのはよくあることだが、少なくない場合でそういう事をした人は他人を弱みで動かすような人間だと見なされる。つまり将来的には切りたい存在となってしまうのだ。
もちろんそんな取れる手に常に余裕があるわけではなし、使えるものは何でも使えという立場にいれば弱みだろうが何でも使うべきなのだろうが。
「ええ。色々と面倒な立場にある人が増えたもので……このあたりは詳しく言えませんので、ご容赦を」
「そちらの専門分野に踏み込むわけではありませんが、官僚が政治家に対して工作をするのは面白いですね」
「必要なことですから」
必要の名の下でシビリアン・コントロールを逸脱している、という話だ。一般的にシビリアン・コントロールは暴力組織の話だが、軍隊というのは内部で育成と選抜を行うエリート集団でもある。そしてそれは、高度に官僚的な代物だ。官僚の上に総理大臣が選ぶ大臣がつけられ、議員も立法ができるように、基本的にこの国の憲法は官僚を縛るように作ってある。まあとても正しいことだ。ポピュリズムは民意があるだけエリート主義よりマシなのである。
「……具体的に、今の財政についてどう思いますか?」
四辻さんが口を開いた。
「個人的な意見でよければ、ですが。ひとまず、政府としては歳入と歳出をだいたい同じぐらいにする必要があります。信用のために」
「信用……」
そう呟くのは四辻さん。
「ええ。もちろん国債を発行すれば歳出を増やすことができます。とはいえマクロ的に見れば、通貨はたんなる財の移動を補助するトークンに過ぎません」
「見えざる手は財の分配には直接は寄与していない、と?」
俺の言葉に中根さんが頷いた。
「ええ。もしそれを見える手に置き換えたところで、無からパンや車が生まれるわけではありません。市場ではなく完璧な知性であってもそれを代替できるなら、通貨がなくても議論はできるはずです。もちろん、需要と供給のバランスの調整であったり、あるいは景気の変動といったものを表現できなくなる以上、その範囲は限られるでしょうが」
「信用というのは?」
四辻さんが聞いた。
「通貨が無限にあるなら、金銭で計る価値は暴落します。我々は金銭が希少財であるという共同幻想を維持する責任を持つがゆえに、たとえ財政破綻をしないとしても無限に通貨を発行することなどできないのです」
インフレをそう表現するのか、と俺は頷きながら考える。
「あーじゃあさっきの入る分と出る分を『だいたい』同じぐらいにというのは、あくまでオーダーの話であって赤字多めで市場に余剰資金を流すとかを否定しているわけではない、と」
「はい。あと、これはあくまで私の中の経済理論ですので必ずしも大蔵省とかがその理念で動いているわけではないことをご理解ください」
「ご理解させてもらいます」
俺はそう言いながらここからどう話が来るかをざっと読んでいく。というか今の御時世だと一つぐらいしかネタがないんだよな。
「……法人税の増加、所得税と消費税の減少。公債の割合が増加しましたよね」
四辻さんがここしばらくのトレンドを言う。このあたりは色々と問題になっているのだ。
「ええ。貿易赤字は拡大の一途。知性が安上がりになり、半導体と自動車の価値が向上したとはいえ、我々はまだアメリカと中国から膨大な量の知性と資源と製品を輸入せざるを得ません」
日本はまだ電力の多くを化石燃料に頼っている。データセンターは国際的なネットワークに組み込んで市場原理を活用すればある程度一定の消費電力を維持できるとはいえ、別にデータセンターだけが電力を喰うわけではない。というか普通の生活とか産業とかのほうが今でも多いのだ。そうすれば一日の間に色々と調整する必要があって、そうなると火力発電というのが良い選択になる。
そして問題は知性だ。ここ数年で輸入額の上位に躍り出た情報サービス赤字問題。つまり富がアメリカの企業に集中するというやつ。
「国営ファンドで企業の株を買うというのは?」
これについて我が国が打ち出した素晴らしい解決策というのは国の予算でインデックスを買うという実に素晴らしいものだった。まあ経済的には出資者として富を取り戻すということなので言うほど悪くはない。
「富の搾取だとかなんとか言われるんですよ、お前が言うなと言いたいところではありますがね」
中根さんは苦笑いをした。俺も一応笑っておこう。四辻さんは気にせず冷たいレモン入りの紅茶を飲んでいた。
「……そうすると財政も難しくなるのでは?」
「はい。正規雇用率の低下、ブルーワーカーへの偏り、そして我が国でも短期労働市場の拡大が進んでいます。一昔前ならギグワーカーと呼ばれていましたが」
「法改正でかなりあのあたりは労働者に優しくなりましたけど……かつて夢想家の唱えたベーシックインカムではなくて税金をギャンブルに入れてパンとサーカス代にするとはただの北欧的な福祉国家の仕事ではないですか」
俺が言うと中根さんが頷いた。いいのか。かなり雑なまとめ方をしたし色々怒られそうなんだがな。
「調整がすぐ終わる範囲はもう一瞬で終わるようになりました。これから国会で行われるのは誰を犠牲にするかのババ抜きみたいなものですよ。相手の自爆によって生まれる損失すら加味した、ね」
そう言う中根さんは官僚の目をしていた。理念を深くしながら、現実を前に必要なことができる人間。こうなるのは嫌だなと思うと同時に、こういう人がいないと上手く世界が動かないんだろうなというちょっとした悲しさがあった。