そばをずぞぞとすすっていると隣の方から声が聞こえた。俺はちょっと机を叩いて四辻さんの意識を引き、軽いハンドサインでお話聞いてみようぜと誘ってみる。四辻さんは頷いていた。
どうやら造園系の人達らしい。共通の作業着を着ていて、このお店の常連らしい人が年齢的には真ん中の人、あとは年上と年下の人。なるほど、そもそも俺は顔がわからないので少し目を離せば誰が誰だかわからなくなるし、そもそも常連という判断だってここの給仕のおばあさんとの話し方からみているものであって、もしかしたらものすごく距離が近くて気さくなだけかもしれない。四辻さんならそれぐらいのことを最初から詰めてやるぐらいはできるだろうな。
今日の仕事は休日出勤で大変だとか、いっぱい食べるだとか、そういう話がある。楽しい。どうしても会う人の層が限られるので、こういうところでこっそり聞ける噂話みたいなものは大事なのだ。
会話は年長の人の政治談義になっていた。おお、政治ですか。俺も少し覚えがありますよ。しかし一般的には通りすがりの人に政治学で殴りかかることは無礼であるとされているのだ。実に奇妙である。近代市民とは闘争と調整の上に権利を成り立たせるものであるし、権利とは放って置くといらないよねと勝手に回収されるものになるのではないだろうか、知らんけど。
そしてなんか現政権批判である。実に市民らしい。完璧な統治なんてないので文句はいくら言ってもいいのだ。まあ個人攻撃になるようだったりするのはよくないし、できれば専門家としての敬意を払うべきだとは思うが、そういうオプションルールを正式にするとそこの穴を突いて本質的ではない議論が始まるのでよくないね。
「だから儲かってる会社からちゃんと税金取るべきなんだよ、僕達はまだ稼いでいるからいいけどさ」
おお、楽しいことになっている。高いですよね税金。消費税が下がる下がると言いながらまだ二桁でございます。給与からもしっかり差っ引かれている。まあ安全保障と社会保障にいくら注ぎ込んでも底がないみたいなところがありますからね。雇用と産業ができているだけマシだと思いたい。
しかし稼げているのはいいことだ。もしここで首が回らないとかになっていたら俺が食べる蕎麦の味がなくなるところであった。いやまあ別に俺がそこまで責任を感じる必要は特にないのだけれども。
そもそも人工知能メインで色々と回っていたし、俺が実装できたということはそのために必要な諸々は既に存在したわけで、アイデアさえあればそこに到達しうるものだったというのは多くの人が疑っていないのだ。
今から思えば、BIFRONSというかアセット42に相当する謎の人工知能が世界をひっくり返す大発見をしてしまったこともまあそういうこともあるわな、むしろ時代を先取りしていたアーキテクチャを偶然積んだんだろうぐらいの扱いになっていそうだ。そもそもアセット42自体を知っている人が少ないのでそこまで考えている人がいなさそうと言われればその通り。
「そろそろいい?」
四辻さんが言ったので俺は頷き、会計へ。基本的に俺が奢るようにしているし、四辻さんも素直に奢られてくれているから助かっている。いやまあそれは解剖学的構造が社会構造においてどのような期待をもたらすかとかそういう話よりも純粋に俺のほうが給料が良いからです。高卒だと安いんだよ。四辻さんなら適当になにか書けば博士号狙えると思うんだけどな。
手数料とかあるのだろう、と俺は現金で支払うことにしている。あと足がつきにくい。何かあった時に完全に追跡できない要素を混ぜておくと助かるんじゃないかというおまじないに近い。九割の取引が追跡可能だという現実からは目をそらす。
「……面白い話だったね」
四辻さんが言う。しばらく歩いて、周囲に人がいなくなったタイミングだ。あまり公の場でするにはよろしくないというか覚悟のいる話題だが、盗聴されたところで困るわけでもないというラインである。
「隣の人達の?」
「そう。そういう仕事がしっかり残って、そこに価値を見出している人がいるのはいいことだと思って」
「まあ、本当に人工知能に代替されないものってやつだな」
ロボットが木を剪定することはかなり難しいだろう。いや、技術的には不可能ではないだろうし、実証レベルでは普通に行けるだろうが、それを商業ラインに乗せるだとか、あるいはやって営利を出せるかどうかとか、そういう意味で。
街の景観というものはある種の基準となるラインが一つ定まっていて、それに合わせて周囲の建物が植物を生やしている。というか大きな施設には大抵木が生えていたり生け垣があったり。条例とかで一定程度を緑地にしろみたいな話もあったはずだ。
もちろん、それはきっとそういう業種の人に仕事を回すという役割もあるのだろう。良い悪いではなくて。たぶんそれは、人工知能が回しているシステムの中でもある程度踏襲され続けるのだろう。あれらは新しいルールを作るよりもデファクト・スタンダードを踏襲するのが好みだ。人間と同じである。
いや人間も結構軽率に新しい規格を乱立させているな。その分過去に敬意を払うほうがいいのだろうか?あまり詳しいことはわからないので黙っておこう。このあたりで何が正しいかなんていうことを決めるのが正しいのかどうかを断言するのは正しいのかみたいな入れ子になった議論は哲学という分野に属するそうで、哲学というのはさんざん議論して形式化できなかったものの積み上がった代物であるらしい。
「私もああいう仕事の練習をしたほうがいいかな」
「スマホで簡単申し込み、三日以内に仕事が見つからなかったら八時間分の時給支給みたいなCMでやっているやつか?」
「もう少し技能があったほうが私の趣味に合う。何か資格取ろうかな」
「業務時間中に仕事と関係ない資格勉強するのはあからさまに何かに引っかかりそうだな……」
別に俺達は転職するつもりもないし、俺達の給与がどこから来ているのかも正直はっきりしていない。ぐるぐると回れば造園業と同じで法律とかがそういう人達にお金を払いなさいよと暗に言っていて税金とか企業の利益の一部が流れ込む先になっているようなものかもしれない。まあ俺達が買った何かも結局そういう流れの中に巻き込まれているんだろうけどね。