「早期に移動させるべきだ」
須藤さんはいつもの先工研の本部第一棟事務室で言う。
「彼女の重要性に他の人たちが気がつく前に、ということですか」
「そうだ。残念ながら彼女に十分な交流可能性を与えながら安全を保証できるだけの施設はほとんどないが」
「……そんなにないものですか?例えば防衛省の装備施設研究所とか、重工の研究施設とか、あとは原子力系のところならある程度は」
そう言った俺に、須藤さんは首を横に振る。彼が首を振るなら駄目なのだろう。
「足りない」
「……須藤さんが求めるセキュリティが過剰という可能性はありますか?」
「警備がされているという情報すら相手に与えたくはないことを考えると、どうしてもな」
「……俺が純粋に知識不足だと思うので、前提を確認させてください」
須藤さんは俺の言葉に頷いた。人間はBIFRONSや四十二さんほど頭が回らないので、こうやって時間をかけて話し合いをしなくちゃいけない。面倒だ。
「まず一つ、相手は彼女を積極的に殺そうとしてくるとする」
「彼女の存在は相手に知られている前提ですか?」
「ああ」
なるほど、かなり不利な状態からのスタートだ。俺達は守勢に回ることになる。攻撃のタイミングも手法も向こうが決められるということだ。
「向こう側が殺すことで得られるメリットは?」
「警告、追加の情報がこちら側に提供されることの抑止、あるいは政治事件の手札として」
「……ろくでもないですね、それを考えなくちゃいけない立場というのは」
俺だってあまり倫理的なことに縛られている方じゃないと思うが、それでも須藤さんの思考は基本的に邪悪なものだ。というより敵を理解しなければ勝てないということなのだろう。できればあまりそちらに染まらないでくれると雇われている側としては助かるのだが。というか俺って雇われなんだろうか。一応食費と宿泊費とその他諸々の相当分はどんぶり勘定で出してもらっているが。
「幸い、銃器の持ち込みが困難な日本では狙撃を考慮する可能性は相対的に低い。それでもできるだけ彼女には室内にいてもらいたいところではあるが」
「ビタミンDの産生のための太陽灯とかのコストは考えておきたいですね。閉鎖環境ですと宇宙ステーションとかのほうでそう言う研究はないんですか?」
「まだ確認していないな、調査リストに入れておこう」
そう言って須藤さんは手元のタブレット端末に何かを入力している。
「衣食住のうち、食と住が問題になりますね。宿所施設と直結した場所にするか、あるいは研究施設内に宿泊場所を作ってしまうか。あと中庭とかがあったほうがいいですか?」
「ある程度条件を満たす場所の候補はあるんだがな」
そう言って須藤さんはタブレット端末を俺の方に見せる。
「あかぎ南新事業所第三研究群C4棟は現在改装工事中だが、概ね終わっている。周辺は警備がされていて、敷地外からこの建物の周辺は視認できない」
須藤さんの言葉とともに映されるのは地図とその周囲の様子、そして建物の図面。地下二階、地上四階となっている。
「入る予定の研究分野は?」
「余っているものを色々と、というのが現状の想定だ。だが、調整はできる」
「大きな機材とかの搬入予定は?」
「電子顕微鏡や試験装置の搬入予定はない。そういったものは専用の建物で管理する設計になっていて、このC4棟では化学分野と生物分野の基本的な研究設備に必要な環境を中心に、半分が実験室、半分が事務室のように用いられる予定だ」
「まだレイアウトはどうにかなる、と……」
そう言いながら俺は図面を見る。一応学部時代に製図をやっているので読めないわけではないのだが、部品系と建築系はまた別だ。それでも頭の中で三次元に起こすことはできる。
「……地下二階への階段を一つ塞げば、一本道になりますね。そうすればセキュリティ的にはやりやすくなる」
「逃がすのが難しくなるがな」
「逃げられるような攻撃を相手がしてきてくれることをどれぐらい期待するべきですか?」
「……深夜、十分訓練された三十人程度がやってくることを想定している」
「そのぐらいのものを突っ込めるのは、我らが同盟国たるならずもの国家ぐらいのものでは?」
俺は頭の中で規模を考えながら言う。軍事については趣味以上の知識はないが、三十人を訓練して、標準的な警戒がされている民間施設に突っ込ませることができるような組織はそうそうないことは理解できる。確かに有志が集まれば可能かもしれないが、そこまでの有志を集めることができる組織は十分大きいんだよ。
「我々が彼らに対して無条件の分別を期待するとしたら、ナイーブ扱いされても仕方がないとは思わんかね?」
「あくまで国益、国家単位で考える、ということですか」
「あくまで暫定的なものであるが、な。もし彼女をより共同管理できる場所に移動できるなら、それはそれで望ましいことだ」
須藤さんの言いたいことを頭の中でまとめていく。彼はあくまで日本のためという単位でしか動けない。しかし、同盟とか協力ができるならそれに越したことはないということだ。だがそこでこっちが弱腰に見えるようなことは困る、と。
正直に言って、俺達は彼女の幸福とかを特に考えているわけではない。情報を聞き取るためにはある程度の環境と協力体制が必要で、それは彼女にとってある程度の幸福に資するだろうという前提で動いている。大きく外れているわけではないだろうが、何かを選ばなくちゃいけない時に致命的なミスをする可能性は十分にある、といったところだ。
「彼女をどこまで出すかは決めておきましょう。地下にするか、C4棟に留めるのか、あるいは適切な護衛がいれば移動を許可するか。……そういえば俺は彼女の外見をあまり詳しくは分析できないんですが、彼女ってこのあたりをうろついても大丈夫ですかね?」
多くの人は顔から人種がわかるし、よく観察できる人は民族グループまで特定できるらしい。今の日本文化の少なくない割合が遺伝的に純粋と言えるような大和民族ではないというのはあるが、そもそも俺にとって把握できないものは他人の話を聞いたほうがいいだろう。
「ああ、ここは赤城だぞ。日本語が流暢に話せない程度は珍しくない」
「……それもそうでしたね」
一応は日本最高の学術都市なのだ。海外からの研究者も多いし、多少若かろうが留学生で説明がつくか。