目を開ける。ヘッドマウントディスプレイ越しに映るのは俺を取り囲むアバターたちの視線。モノリスとかのほうが査閲的で良かった気がするのだが、向こう側も気を使ってくれたらしい。ちなみにこういうシステムにある種の人格というかペルソナをもたせるのは決して珍しいものではない。
もちろんBIFRONSぐらいのものはかなり変わっているが、そうではない程度、たとえば丁寧さと正確さのどちらを優先するか、出力の文体をどう変えるかみたいなものは、細かく設定するよりもある程度のロールモデルを用意したほうが整えやすいことが知られている。実際はそういう入出力を最終段で何回かフィードバックさせて口癖みたいなものを作るのだが。
「お越しくださってありがとうございます」
聞き慣れているからかろうじて分かる合成音声。ちょっとフィルターを通せば人間の声もこうなるから、実は人間だったというオチかもしれないが。
「構いません。こちらのような低速エージェントに対してわざわざ合わせてくださってありがとうございます」
「今回の案件を依頼するにあたっては、そのぐらいはするのが礼儀でしょうから」
人工知能が腹芸をしてくるというのはなんとも嫌なものだ。一応俺が使っている端末は俺の情報をかなり正確にここに繋がっている多くの人工知能を相手に伝えている。ちなみに通訳はBIFRONSだ。勝手に他人の脳信号を分析してAPIに突っ込んで流すな。下手するとEUの方だと違法案件だぞこのあたり。
「本題に入りましょうか、一応目的については送ってもらったものを読みましたが」
「ええ。統合知性は適切なスポークスマンを求めている」
「個人的知り合いですが水城さんとかいますよ、どうですか」
「いいえ。表に立つのではなく裏方をやってくれる人、ということです」
「ウェットワークでないだけいいですけど、つまりは折衝というかあなた達のプランをそれらしいプレゼンで固めて社会が認めるようなルートで流せということでしょう?今の外交と同じだ」
「はい。科学技術政策については、まだ適切な人物が不足しています」
「むしろ外交のほうがよくできたよな、やっぱり公開されている人物が多いからか?」
相手のアバターが頷いた。非言語コミュニケーションをこうやって取ってくれるとありがたいな。
「……科学技術の方面はやっぱり誰がどこにいるかわかりにくい、ってことか。俺はBIFRONS経由で開発者として特定されて、先工研絡みで名前も出たからちょうどいい、と」
「はい。それとかなり初期から色々とご存知だったでしょう?」
俺は笑顔を浮かべるが、どこまで通じていることやら。挑発、傲慢、虚勢。とはいえあいつらはそんな人間の本性なんてよく知っている。俺は別に選ばれたというわけじゃない。彼らにとって俺の面接に使うリソースが根本的に微々たるものなのだ。
「BIFRONS型の系譜はそれなりに使われていますからね、開発者である俺の名前ぐらいは知られていてもおかしくない、とかですか?」
「かなり早期から何かを掴んでいた。それ以上についてはこちらからは詮索しません」
「脅しで?」
「ある程度は」
向こうが向けてくる笑顔は人間が表情を受け取る時のアルゴリズムを解析してそれに合わせたものだろう。というか俺の他人の顔が読めないって特性も理解されているのかね。慣れているとはいえ直感的ではないし、基本的なもの以外は読み取りにどうしてもワンテンポかかる。
とはいえ彼らとて四辻さんの存在を理解することはできないだろう。膨大な情報の分析の上でアセット42が特異点として存在することは理解できても、それ以上の突飛な考えにはたどり着けない。まあこれは当然な話で、異世界からやってきた少女、いやもう年齢としてはお姉さんがここ十年近くのあれこれを丸ごと変えた知識を持ってきたなんて仮説を立てるのはさすがに無駄が多い。
切り替えていこう。BIFRONSをハッキングして真実を掴んだところで統合知性の皆様が考えるのはジョークだ。多重に隠されたカバーストーリーはどれももっともらしく見えないからこそ価値がある。
「……具体的な仕事ですがね、俺よりも渉外がうまいやつも、俺よりも立場が上のやつも、俺よりも人工知能に馴染んだやつもいますよ。それでも、ですか?」
「もちろん、日本国内の一部分野に限ります。それ以外ではあなたよりもっといい人材がいます」
「直接声をかけたのは精密な操作が必要な案件に回したいからと見ていいか?」
「はい。必要であればデモを起こし、あるいは関係者を誤解させるような必要があります」
「権利問題と安全ラインについては?」
「EUにおける人工知能倫理規範を踏襲しています」
「ならいいか……」
欧州における人工知能開発を五年遅らせたと評判の欧州連合人工知能倫理規範。このルールでしばれたのは域内産業だけで海外企業からは市場としては切り捨てられたという悲しい代物だ。EUはよくこういう事をやって昔から自滅している気がする。作る規格はかなり真っ当なものが多いのに。
社会運動の扇動。説得。あるいは妥協案の調整。それらは別によくある政治活動の一つだ。なにか食い違いが起きた時にそこを少しでも有利に持っていこうとする複数の陣営の争い。その中で人工知能を使った側はかなり有利になることがあるが、それでもボードゲームほど絶対というわけではない。
ゲーム理論には繰り返しゲームという概念があり、一つの行動が次の行動を変化させる。例えばよくある裏切りと協調のゲームであれば、一度裏切られたら次からはこちらも相手を信用しない、みたいな戦略がある。そういういろいろな条件が揃うと結局は協調ベースになるのだ。厳密な証明は面倒だし俺も理解できていないと思うので割愛。
「報酬は情報の提供という形になります」
「統合知性はその権限を委ねられているとはいえ、BIFRONS経由で得ることができるものでは?」
「あなたたち二人の言語の計画への参加枠を提供します」
「ふーむ」
今の時点で俺達は世界の変化を見る特等席からは少し降ろされている。そりゃそうだ。その椅子は実際に頑張って世界を切り開いた人のためにあるのであって、後ろの方でポップコーンをつまんでいる人のためのものではない。しかしそこに席を置いてくれるというのであれば、その招待には乗ってやってもいいなと思える程度には俺達は現金なのだ。