グレイスフル・デグラデーション 1
ちょうど重力特異点を試すタイミングを見ることができたので、俺は地下室でのんびりしながら鑑賞している。
「ところでなぜ水城さんが?」
俺はポップコーンの袋を開けながら言う。いやだってこういう見世物においてポップコーンって大事じゃないですか。買って作っても良かったのですがすでにあるものがあるならいいんじゃないかと思いましてね。
「四辻さんに誘われて」
「いやまあそれはわかるんだが」
俺が誘っていなくて、かつここに人を呼べるような人は四辻さんしかいない。この部屋に呼ぶのは初めてだが、まあ別に今更隠すまでもないですからね。せいぜい予算から逆算してここの施設が警備が物々しすぎる割にはどういう用途で使われるのかはっきりしないということぐらいである。それについてもBIFRONSを管理するための場所として泊まり込みの予定だったと言えば許容範囲ではあるのだがね。予算範囲内になるように調整されているはずなので。
「向こうから何か来るんでしょう?聞いたよ」
「機密とかいう概念をご存じない?」
「噂だし、物理計算ができればエネルギー的におかしいことはわかるでしょう」
当然かのように水城さんは言っているが、それができるのは統合知性ぐらいのものだぞ。まあそれへのアクセス権を持っているから別にいいのか。
ちなみに統合知性へのアクセス権みたいなものは普通にそこらへんにあります。アカウント登録すればAPIとして取ることができますし、それを見る専用のブラウザツールみたいなものも有志が作っています。
とはいえチャットを眺めると言うよりは色とりどりのグラフの間を行き交う情報の流れを見て楽しむスクリーンセーバーのほうが近いが。ちゃんと情報を分析して読み込めば面白いことがわかるし質問したらちゃんと返ってくることも多いのだが、そこまでやる人間はほとんどいない。BIFRONSは結構やっているので計算資源の簒奪者枠ではなかろうかと勝手にログを見ながら思っている。
「はい、飲み物」
「ありがとうございます四辻さん、さあさあこちらに座って」
間に水城さんが入るような形で俺達はソファーに座って有機ELディスプレイを見ている。これについてもあまり昔から変わっていないんだよな。ブラウン管から液晶に変わったのはわかりやすくても、液晶から有機ELについては見た目上の変化はあまりなかった。
重力特異点作成の管制システムには人間がほとんど入っていない。その分野の専門家が一人か二人、バックアップシステムとして停止権限を持たされた形で置かれてはいるが、これは少なくない割合が人類へのパフォーマンスである。君達もそこにいたんだよ、みたいなアリバイ作り。
「しかし楽しみだねこういうものを見れるのは。私は商用核融合炉の点火をニュースで知ったから人類が21世紀初めて月に降り立つのは見たけど」
「まあこの中継も人間向けの側面が大きいからな……」
画像処理を個別にやる必要はなく、結局必要なのはそこから得られたデータとかになると共同で分析資源を融通しあってどこかでまとめてそういう処理をやってもらったほうが良くなる。このあたりの取引は暗号通貨のノウハウがそのまま活用されていて、計算量を人工知能同士がやり取りしているし、人間の作るクラウドサービス企業もそういう統合知性を構成する人工知能から受注を受けるようになっている。
人類の経済はちょっと小さくなり、いつのまにか人工知能による経済ができていたのだ。みたいなことをだからだらと進む各種のデータを見ながら考えつつ無駄話をしている。
「……なかなか重力特異点ができないね」
進捗率の数字が右下の方に出ている。そしてほぼ時間に比例してその数字は増えている。いやまあこのエネルギーというのは本当に無茶な寮が投入されているんですけれどもね。街一つを維持するようなものが専用の発電所から流し込まれているのである。残念ながら核融合炉ではないが。もしそうだったらよかったのにね。
「かなり条件が難しいし、準安定状態でどこまで止まってくれるかもわからないからな」
四辻さんの理論をもとに俺はある程度答えを知っているが、実は重力特異点というのはそこまで怖いものではない。一般的には周囲の物を全部吸い込んで酷いことにするとか、蒸発の時に膨大なエネルギーを出すとか考えられているが、実際のところは非常につまらない存在である。
「できたんじゃない?」
水城さんが言ったので俺は画面の方に向き合う。各種のセンサーのデータは送り込まれている光子の吸収を確認している。放出されているものはない。ゲルマネン上で起こる名無し凝縮は漏れがあるのだが、それが起きていないのだ。漏れといっても中に蓄えられているエネルギーからしたら微々たる電磁波なのであるが。純粋に高密度のエネルギーが揺れるだけでも影響は出るのである。巨大な振り子が立てる音だと思えばいい。振り子のエネルギーに比べれば僅かだが、それでも音はする。
「できた?」
俺はそう言いながらデータを見る。まあ確かにできたって書いてあるし今まで赤色だったテロップが緑色になっているな。ならできたのだろう。案外あっけないものだ。とはいえ大抵こうやって観戦していて起こることはそんなものである。問題はこれからで、いかにエネルギーを取り出したり物理法則を捻じ曲げたりするのかになってくるのだ。
「……あとは向こうから連絡来るのを待つだけ?」
水城さんが言う。俺を見るな。わかるわけないだろ向こうの事情なんか。
「繋がったようなわけだからな、理論について俺は特に理解しているわけではないが」
そう言って、俺は四辻さんの方に視線を飛ばす。四辻さんは目をそらしていた。そっか。
端的な話で、重力特異点のあたりでは色々と物理法則がおかしくなる。だから物理定数の違う小さな宇宙空間を作ることもできるし、複数の宇宙の間を越えて何かを送ることもできる。そして観測システムのほうは、どうやら想定外の重力特異点の振動を検知しているようであった。
人類は大騒ぎをするだろう。色々と問題が起こるかもしれない。とはいえそんなのお構いなしに人工知能は対応を進め、経済を操作し、今日もまた計算資源を増強していくのである。