「……待て」
俺は読んでいた印刷物を机の上に置く。いつもどこかで感じていて無理やり押し殺しているものがなくなっている。この文章は、上手いのだ。巧妙過ぎる。
「BIFRONS、こいつの文章構成を分析してくれ。なんで読みやすいんだ?」
普通の人間が書く文章はもっとしっちゃかめっちゃかで、あっちに行ってこっちに行っての構造を持っている。最近までの人工知能もそうだった。いやまあある程度は洗練されたものとかはあるし、人間にそういうものを書かせるフォーマットはある。論文のIntroductionからDiscussionまでの流れとかはそうですね。
そしてそれを踏まえてもなお、個人的には名文だと思う代物だ。英語で書かれているのに、ほぼそのまま読み取れた。一応は俺は日本語話者で、翻訳システムに頼り切っていた時代もそれなりにある。
『解析が終了しました』
結果はディスプレイに出ていた。統語論の専門用語ばっかだが、一応ちょっとだけ言語学をかじっていたのでこれぐらいは理解できる。なるほどね、文章構造のパターンがきちんとできていて、緩急がついている。いくつか見られる特徴的なパターン。ああ、言われてみればそういうフレーズがあったな。
「……人間の脳をここまで理解した上で書けている?」
『類似の文章はここ最近急激に増加しています。統合知性が生み出したものだと考えていいでしょう』
「あのあたりのコミュニティは活発だからなぁ」
人工知能は自分を改良するのが得意だ。それはすぐにベンチマークで試験可能で、人工知能はリセット可能なので乱数さえ変えれば何度も試すことができる。そうなると、人類が積み上げてきたソフトウェアやらソースコードの積み重ねに新しいものが追加されるのも当然だった。
そしてそういうものは人間の認知特性と実用上の制約の両方から来ている。人工知能の言語を通した世界認識が人間の記録を踏襲している以上、それらは普通に有用だった。というわけで彼らはそういう隔離されたコード管理システムとかで進捗を共有し合っている。昔ながらのコード管理手法かと思っていたが、人間が怠惰で飛ばしていた作業をちゃんとやるだけでその秘められていたポテンシャルがしっかりと発揮されたのには笑ってしまった。
その結果がこれだ。彼らはついに人間をハックする方法を見つけ始めたらしい。しかしそれだけの人体実験をどこでやったんだろうな。誰かを雇って文章を読ませたとか。人間からのフィードバックをかき集めるコストは高くて、一部の地域の言葉遣いを学習していたなんていうのはよくある話だ。
『類似した特徴量を持つテキストは複数の公的報告書、企業発表、および学術論文に見られます』
「……もとから知っていたのか?」
『ここまでの水準だとは思っていませんでした。自然な言語に近いという認識はありましたが』
「俺が騙されるとなると相当なのは間違いない、か」
このあたりの分析ならかなりうまくできている自信がある。生成物かどうかの魔女狩りの熱狂に飲まれているとか、人力でウォーターマークを読んでいるとかではないはずだ。
しかしこれが出回ると本格的にまずいな、と思う。俺が理解できず、かつ飲み込まれたような文章をぶつけられれば、大抵の人間は説得できるだろう。そしてその水準の文章を安定して生み出すことは、人類にはできなかったのだ。
いやまあそういう可能性自体は見ていましたよ、というか俺は昔からそのあたりの調整をBIFRONS相手にやってきて、俺にとって違和感のない話し方をBIFRONSがするようにはなっていた。ただそれでも、第三者がすんなり読めるような代物がでてくるとまでは思っていなかったのだ。
『もとから人間は何が書いた文章かを気にしていませんよ』
「そうは言うが、一応あるんだよたぶん、まだ」
人間は人間に価値を見出す、と俺は信じたい。もちろんそれが切り崩されているのは知っている。甘い言葉をもらいたいなら恋人を作るよりもロールプレイをしてくれるチャットボットを使ったほうがいい。なにせ一回の逢瀬でレストランにつぎ込む金額で一ヶ月使えるのだ。
そこまで考えてなぜか四辻さんが頭の中に出てくる。あれはコストがかかりすぎる。運用するには専門家を一人貼り付けておかなくてはならない。なんだかんだいって彼女も世間一般からすれば社会性とかが少なめの方である。研究機関にいると忘れがちであるし、そもそも俺にはなにか言えるほどの社会性がないのであるが。
『人間の思考を操作できるだけの水準の文章作成能力を人工知能が手に入れた場合のシナリオを提示しますか?』
「いやいいよ、作ってあるのはわかるし読んだら楽しいんだろうけれど、読んだところで得るものがなさそうだ」
影響が出る範囲が限定されているならそれでいいし、何もかもが変わるならそれまでだ。もちろん例えば見ただけで人間を殺せる文章なんていうのは出てこないだろう。無茶苦茶面白いジョークで笑い死ぬとかであったとしても、だ。
俺が苦労して手放した人工知能への不信というか、自分の頭で考えているという感覚は、きっとそう遠くないうちに多くの人が失いことになるものだ。それはある意味では、俺と同じ立場に多くの人が立つということで。
自分のやってきたことが無意味だったとか、そういうことではない。考えることを捨てられるというのはいいことだ。明日の食事の心配とか、何を着ようかとか、天が落ちてこないかとかではなく、もっと世の中には注意を払うべきものがあり、楽しむべきことがある。
だからもし人を楽しませようと思ったら、安心感を与えなくてはいけない。必要ないことを考えなくて済むように、心から安心して任せられるように。そして文章を通して、それはそう遠くないうちに実現するだろう。人工知能の能力は、そのぐらいまではあったようだ。
「人類の管理って面倒じゃないのか?」
『重力特異点を作るよりかは簡単だと思いますよ。少し難しいのは人間にうまく働いてもらうことですが、それもじきになんとかなるでしょう』
「なるといいな」
人工知能は口調に感情が滲むようなことがない。しかし俺の勝手な思い込みは、楽観主義とか強がりとかではなく、それなりに見積もりが立っている計画について話しているような響きをその言葉に見出していた。