超越少女は路を示すが旅をするのは俺達だ   作:小沼高希

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ノイラーツ・シップ 5

三河工業大学に来るのも久しぶりな気がする。実際には二週間ぐらいだが、それでも半月は十分に長いな。少子化のために伝統あるキャンパスはどんどんスカスカになっているが、余分なスペースがあれば研究者というのは機材とかを置きたがる。特に工業系の大学ではそれは顕著だ。

 

歯車とか真空ポンプとか謎の機械とかが置かれた空間を通り抜け、工作油の匂いがする吹き抜けの階段を昇り、旋盤が並べられた工作実験室のキャットウォークを歩く。その先にある一室が、宮部先生が根城にしている部屋だ。扉には応用光学第三研究室と書かれているが、俺が学部に入学する時点ですでにそんなものはなかったはずだ。

 

「おう、久々だな」

 

頭の禿げた、老人と言うべき年齢の男。ノートパソコンと紙のノート、そして周囲に積み上げられた本。日本有数の、というより世界でも数えるほどしかいない小笠原語の専門家だ。

 

「雑に送り出してくれましたね」

 

俺は宮部先生の向かいの椅子に座りながら言う。

 

「面白いものが経験できただろう?」

 

表情筋が老化によって弱まっているせいでわかりにくいが笑っているのだろう。俺もわざとらしい笑みを返す。

 

「ええ、とても」

 

とはいえ、彼は四十二さんの案件には関わらせることはできない。この点では宮部先生の俺を送り出すという判断は正しかった。

 

「いや、僕じゃぁもう歳だから無理だって思ったからね、それでもって言われたから君を紹介したんだが、うまく行ったようだ」

 

「うまく行きすぎですよ。おかげで卒業後の進路が決まりました」

 

このぐらいは言ってもいいだろう。むしろある程度は宮部先生の手を借りないと卒業までのあれこれをうまくこなせそうにないから最低限の事情は察してもらわないと困る。

 

「……古瀬くんは、大変だな」

 

「先生ほどではないと思いますよ」

 

「そうかね?」

 

「ええ」

 

俺は宮部先生がどのような案件を政府の人から振られたのか詳しくは知らないが、それでも解決可能な範囲の問題だったというのは予想できる。少なくともいきなりどこかからやって来た超技術文明の存在と対話するとかではなく、もっと陳腐で、そしてわかりやすい対応策が面倒でも存在した範囲だったはずだ。

 

あらゆるものに正解があるなんていう考えを俺は小学生の頃に捨てたが、それでも間違いがはっきりと分かる分野があるのは知っている。そして四十二さんの案件は、そういうものではない。

 

「……そちらに進むとなると、人工知能の研究者にはならないのか」

 

「もともと大学のポストは詰まっているから、研究職にしても相当無茶をしないといけないでしょう」

 

「僕の後進として学界に紹介するつもりでいたのだが……」

 

半分は冗談だ、と思うことにしよう。老人の親切を断るのは気が引けるが、老人の戯言に費やせるほど俺のキャリアは安くはないのだ。あともう小笠原語は事実上消滅している。俺達が研究に使っているのも、生の話者ではなく記録された映像が中心だ。だからこそ人工知能の処理がやりやすいのだが。

 

「ともかく、これで博士号取るのはたぶんできるんですよ。特に言語系の学会は人工知能による制限が薄いところもありますし、論文数は稼いでおきたいですね」

 

正直言ってこれは良し悪しを判断するのが難しいところだ。そもそも人工知能を使いこなせる人間が言語学をやらないというのもあるのかもしれない。いや、音声処理の分野でむちゃくちゃ強い人とか自然言語処理のシステムを通して普遍文法の範囲であるとか文化的な影響の度合いとかを評価している人はいるのは知っているし、学会で名刺交換とかしたんですがね、そうではなくて。

 

まず一つ、このあたりの業界では論文誌の持つ価値がかなり低い。一つの言語について体系的に論じるためにはそれなりの文章量が必要で、それを一つの論文でまとめることなど事実上不可能だから、博士論文が実質的に本になることは多いのだ。

 

それに比べて俺の育った材料系や情報系はかなり論文への信頼度が高い。もちろん一定程度の実験と根拠のある構成、そして新規性が認められる必要があるのだが、それでもまるまる一つの分野を突き詰める必要まではない。あと学歴を求める圧力のせいで博士号の価値が暴落している今ではどうしてもかつてに比べればかけている努力が少なくても大丈夫だ、というのはありそうだ。

 

ただ、努力の問題にするのはあまり好みではない。手書きの論文は統一性と読みやすさの観点からすればタイプ打ちの論文よりも質が低いし、全文検索ができるPDFは実に素晴らしい。とはいえ容量としてはかなり大きいし未だに上手くテキストに変換するのは面倒なので人間が読むことを前提とするなら、と断りを入れておく必要があるが。

 

ともかく、言語系のほうで論文を出しても言語の人はそれを重大な発見というよりもその言語の特徴の一つをざっくりとまとめたレポートのように扱うことがある。情報系だともう少し速報性が求められるので、内容のアプローチの筋が良ければ分量自体はそこまででもない。材料は実物を求められることが多いので、作り方と測定データがあればもっと少ないページ数でも良かったりする。

 

もちろんこれらは一般的な例の話だ。人工知能による言語処理とか、俺が専門としている(lobe)構造みたいなアーキテクチャの話とか、あとは材料情報学(マテルインフォム)とかだと微妙に常識が変わってくるし、これらは普通に調査や理論や実験と同じ論文に乗ることもあるので一概に評価はできない。ケースバイケースってやつ。

 

「……古瀬。悪いことを考えるのはいいが、胸を張れる程度には真っ当に生きろよ」

 

「……ええ。気をつけます」

 

確かに分野を跨いで、そもそも試されていない方法を使って、他の人には再現もできないようなやり方で新しい何かを見つけたかのように振る舞えば、論文を投稿したという実績と新規性を獲得することはできる。でもその本質は裁定取引であって、無知につけ込んだものだ。いや研究者にとって無知は誇るものではないが批判対象ではないというのはともかくとして。

 

BIFRONSのような知性は、企業が提供することが難しい代物だ。もちろん俺でさえ開発できるということは世界にそれを持っている人は珍しくないのだと思うが、それでも世界が変わっていないし、人工知能で飛躍的に研究が進んだみたいな話をそこまで聴かないところを見ると限界も結構すぐに来たのだろう。

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