渡されたスマートフォンに通知が飛んできたのは、新幹線を降りた時だった。品川までしかいけないリニアよりも東京まで行ける新幹線のほうが楽だ。どうせ寝てしまえば時間は関係ないし。
今の俺は最低限の持ち物しかない。名古屋駅の書店で買った読みかけの文庫本と、須藤さんから渡されたスマートフォン。あとは財布と鍵。もちろん、これで追跡されることはないと考えるほど俺も馬鹿じゃない。
ちらりと視線を上げると、階段を降りる人を監視するカメラと目が合う。その先がどこに繋がっているかを、俺達は知らない。かつての日本は隣国のことを全体主義の監視社会だとかなんだの言っていたらしいが、我が国には裏で何かをする自由がある。このカメラの映像が民間委託されたサーバーに運ばれ、そこでどんな処理をされているかわかったものではない。
グローバル化によって、情報処理は場所に縛られなくなったと言われる。そんなことはない。どこかで必ず計算は行われているのだ。専用の発電所を備えたギガワット級データセンターは世界に十数か所あるし、もっと小さいものは世界中に分散している。その中のどこかで情報が記録されていてもおかしくないのだ。まあ実態は駅のどこかにある部屋のサーバーに数日記録されて上書きされるのだろうけれども。
スマートフォンに指示されて少し地下道を歩き、地下鉄に乗り換える。画面に表示されたコードを読み込ませればそれなりの残高とともに改札が開いた。いや、ここで駅そばを食べるのに使うような人はセキュリティ上危ないからこれ以上は立ち入れないっていうのはわかっているので誘惑には負けませんよ。一応現金だって持ってきているから。
国会議事堂前で降り、地図に示されたように歩いていく。そして知らない地下道を進むように言われている。大丈夫なんだろうかこれ。
言われたとおりに階段を進んでお日様の下を少し歩いてまた階段を登った先にあるのは科学技術省の受付。地平線の向こうにある技術立国を目指す我が国の科学技術の中心地である。もちろん地平線の向こうというのは進めば進むほど遠くに行ってしまうものである。
スマートフォンに表示された画像を見せるとすぐに奥に通された。いいのかこんなセキュリティで。このくらいの画像はいくらでも偽造できるぞ。そう不審がりながら送られてきているメッセージに沿ってエレベーターに乗って到着したのは科学技術開発局応用技術課。ここだよな、と確認していると須藤さんがやってきた。
「尾行者はいないようだな」
「幸いにして」
俺はそう言って口角を上げる。須藤さんの持っている鞄はそこそこ大きくて、黒く塗られているせいで見えにくいが鍵付きのようだ。
「ついてこい。移動する」
「はい」
須藤さんの足取りは軽い。一応俺はまだ二十代のはずなのだが、この体力とかはどうやって維持しているんだろうか。ジムとか行っているんだろうか。もし先工研で働くことになったら近くのそういう施設を確認するか、四十二さん用のそういうものを使わせてもらおう。
階段。階段。関係者以外立入禁止の階段を通って、警備員に一礼をして、また階段。かなり降りている。もう地下じゃないだろうか。
「体力に問題はないかね?」
「昇りだったら心臓が痛くなっていたところでした」
「そうか、鍛えておいたほうがいい」
それで須藤さんとの会話は終わり。そして残念ながら俺は方向感覚が強いわけではないので、もうどこにいるかわからない。ただ、周囲を見ればここがどういう場所か見当はつく。
響く足音。壁にあるヒビ。天井の明かりは静かで、すれ違う人もいない。専用の通路、という印象が強い。
途中にあったプッシュ式の鍵つきの扉を須藤さんが開けると、階段があった。ここからは昇りか。
「ついてこられるか?」
「ええ。しかしバリアフルな空間ですね。日本政府は健常者以外を排斥するような構造的差別を採用しているとは」
「合理的配慮の範囲外ということだ。この通路には営繕費用がなかなか降りないからな」
そうしてやっと到着した場所は狭い絨毯敷きの廊下。そしてそこに並ぶ扉の一つを、須藤さんはためらわずに開ける。
「……思ったより、少ないですね」
俺は部屋の中を覗き込んで言う。スーツを着た人が四人。男性三人、女性一人。老人と言える年齢が一人、女性を含む中年が二人、俺より一回り年上が一人。あと二人、清潔感はあるがカジュアルなスタイルの人がいる。これは男性と女性一人ずつ、俺より一回りか二回り年上。つまり俺が一番若くなるのか。とはいえ皺と表情の作り方で読んでいるだけだし、そもそも外見から性別をとやかく言うのはよくないか。便利なんですがね。
「彼が翻訳担当か」
須藤さんにそう言うのは取りまとめ役らしい老人。
「ええ、今日は皆様に無理を言って集まってもらいました」
「本来の用途外で、あなたの権限を使った理由について、納得できる説明があるのでしょうね……」
中年の女性が口を開く。文字とは裏腹に、その口調は責めるというよりはうんざりするというか、悲痛とも言えるものだった。まったく、BIFRONSがいないと詳しいものが何も読めないな。
「ああ、古瀬さん。こちら」
「自己紹介されても覚えられないかもしれませんが……」
俺の言葉に周囲の視線が飛んでくる。
「……苦手なのですか?」
そう言うのはカジュアルなスタイルの男性。
「相貌失認と呼べるほど強いものではありませんが、意識的にかなり苦労して覚えようとしなければこの部屋を出るときには半分は忘れるでしょうし、建物を出たときには次に会った時にも混乱するでしょう」
「……それはそれで構わない」
須藤さんが言って、俺が座るべき席に案内してくれた。紙コップとミネラルウォーターのペットボトルはあっても名札はないのか。
「わかりました」
ひとまずその場での立場さえ覚えておけばいい、ということだろう。そしてこの秘密会議に集まったメンバーを詳しく覚えておいたところで俺にとってはリスクでしかない。こういうときは自分の都合の良い頭に感謝するな。強度の尋問をされても心から知らないとしか言えないのは楽でいい。
「さて、お集まりの皆さん。現状について説明しましょう」
須藤さんはそう言って、鞄から取り出された紙束を俺達に配って回した。