「……以上がISEULTのあらましだ」
カジュアルな服の男性が資料の一つ目に付いての説明を終える。レプトン試験における電子・陽電子利用のための統合システム、Integrated System for Electron-positron Utilization in Leptonic Testingの頭文字を取って
「そして問題が起きた時、高磁場下での反応測定が行われていた」
メガテスラ磁場をマイクロチューブ爆縮で作ろうというものらしいが、単語がよくわからない。BIFRONSがついていない俺は正直言って物知りなガキに過ぎない。この部屋にいるのにふさわしい真の知性というやつを持ち合わせていない空っぽな存在である。
画像はない。それらは全て削除されたそうだ。箝口令が最低限引かれ、爆発事故として処理された。関係者のリストもついている。幸い、真っ先に飛び込んだ彼の適切な判断によって侵入者がテロの疑いのある爆発に巻き込まれた、むしろその人物自体がテロリストかもしれないという形になっているらしい。よかったなBIFRONS、お前の予測は当たっているぞ。
彼の説明を聞きながらページをめくる。どうやら異常が起きた、ということはわかっているらしい。いくつかのニュートリノ観測施設が何かがあったらしいことを検知している。そもそも強い重力の下で電子と陽電子をぶつけた時に何も起こらないことが想定されていたのに、何かが起こっていたということは興味深いものになる。
だが、どう考えてもそれは少女を一人どこかから連れて来る理由にはならない。物理的考察については彼もお手上げのようで、それがいかに既存の物理学的常識から外れているかの解説もついていた。
「あとは須藤さんに任せました。それで僕の話は終わり」
彼の肩書は高エネルギー科学研究
「ありがとう。さて、次は彼の医学的情報について説明をお願いしたい」
そう須藤さんが言うと、カジュアルな服の女性が立ち上がった。なるほどスーツの皆様は官僚とかのほうなのね。というより実際に関与した部外者を事実上三人に抑えているということか?恐ろしいことである。
彼女は赤城大学附属病院の非常勤の医師。遺伝子分析と感染症を専門とする人だそうだ。彼女による四十二号の分析は妥当だが、事実を知っている俺からすればうまく隠されている情報がある。
「……つまり、彼は人工的に、あるいは何らかの目的のもとに作られたヒトであると言えます」
性別と推定年齢がすり替えられている。矛盾を起こす要素はたしかにないが、これがもし流出したとしてもあの四十二さんだとは思われないだろう。文面からすれば若い男性である。でも情報の多くは変わっていないんだよな。
この嘘を知っているのはカジュアル側の三人と須藤さんだけ、か。いいのかこれ。確かに本質的な情報ではないし、それを知ることはあまり関係者に影響を与えないだろうが。
「それでは彼との対話内容とそこから得られる知見について」
そう言って須藤さんは俺に手を向ける。おい、事前の打ち合わせぐらいしておいてくれよ。とはいえ手元の資料をご覧ください以上のことはあまりないんだよな。ひとまず段落ごとの最初の行を読んでおくか。
彼女の背景は伏せられて、彼女が持っている知識が重要視されている。その分野は多様だが、我々が社会実装できるまでには時間がかかりそうだということ。予算をつければいいというレベルではなく、大規模な組織構築が不可欠であることを述べていく。俺は言語の専門家なのか、技術の専門家なのかわからなくなってくる。というより物理学とか医学とかならその専門家がそこにいるだろ、俺は材料ならかろうじてなんとかなるがそれ以外は無理だぞ。
「えー、ということです」
話を聞いていたスーツの皆様は、配られた書類の内容が一通り口頭でも説明があったのを確認してそれぞれに疲れた顔をしていた。
「……この話を知っているのは」
そう尋ねるのは老人。
「彼が特殊な知識を持っており、普通の人間でないと理解しているのはこの部屋の人だけです」
そう答えるのは須藤さん。
「……内閣情報局局長と総理と蔵相にはこちらで話を通す。真っ当な理由をつけた技術開発にできるか?」
「可能です」
「なら頼む。他国の機関がどの程度動いているかはこちらで担当しよう。ただ、調整の権限はこちらでもらうぞ」
「お願いいたします」
なるほど、この情報系の人かなり偉い人だな。内閣情報局と言えば日本の諜報の元締めみたいなところではある。まあその傘下というか協力団体が官民問わず分散しているので色々と大変だという話はよく聞くが。
「科技省と通産省のほうはあなたがやるとして、それ以外はどうするの?」
尋ねるのはスーツの中年の女性。詰めているような口調に思えるが、怒りの表情はない。むしろ呆れとかのほうかな。勘違いされやすそうだ。
「私の本来の仕事で対応できないのは法令と組織作りです。そのためにお二人にお願いしたいと思っております」
「……わかったわ。図書館の調査員にそちらのほうの人を増やしておく」
彼女の口ぶりからすると、たぶん国立国会図書館の人事に絡むあたりの人なんだろうな。法制審議会とかかもしれないが、詳しいことはわからない。
「人事に口出しをするのはあまりしたくはないんだがね」
そう言うのは彼女と同じぐらいの年齢だろう男性。たぶん総理府人事局か人事院の人だろう。日本の省庁には正直詳しくないからな。必要だろうからという理由で少し前に頭に入れておいたが、細かい機関まではわからない。
「じゃあ、調達はこちらである程度はやります。金については多少はこっちで持ち出しますが、補填はできればしてほしいですね」
スーツを着ている中で一番若い人が呟くように言う。ええと、誰だろう。紹介はされていないんだよな。俺と須藤さんが最後に入ってきたから、それまでに部屋にいた人で自己紹介がされていたとしてもおかしくはない。
「……基本方針は決まったようだ。皆様のご協力に感謝する」
そう言って須藤さんは頭を下げた。情報を知る人を最小限にして、そしてその人達が知る情報も行動を起こすには十分だけど四十二さんを狙うのには不十分なぐらいにして、そしてそれなりに機能するだろうものを作り上げるというのは、理解はできるがどう頑張っても俺にはできそうにない芸当だった。