「……楽しそうだな」
地下室にやって来た須藤さんがおしゃべり中の四十二さんを見て言う。
「思考と挑戦が彼女が本来求められていた機能ですからね。それができる状況になればこうもなります」
そう言って俺は須藤さんに紙束を渡す。BIFRONSが整理した、世界を変えうる情報のパッケージだ。ちなみに俺には半分ぐらいしか理解できない。これでも相当頑張っているし、BIFRONSも良い説明をしてくれていると思うんですけれどもね。
「……不明点ばかり、か」
「自明な点はBIFRONSがある程度人間の言葉に翻訳したんですけれどもね、計算資源だけでも数桁不足している」
そう言って、俺はちょうど須藤さんが見ていたページの表を指を置く。大規模計算施設を貸し切るぐらいのことをしなければ、計算を通してほしい物質の性質の予測ができない。もちろんもっと計算量を抑えられるアルゴリズムがあるのかもしれないが、それが四十二さんの頭の中にない以上はどうしようもない。
「このあたりは適切な研究項目があれば対応はできるが……そうではないわけだろう?」
「ええ。必要なのは一度の研究ではなく、幅広い分野。BIFRONSがオフラインで叩き出したプランがありますが、彼は官僚ではない」
そう言って俺はBIFRONSのカメラに視線を向ける。未だに人工知能はその道数十年のプロに勝てていない。人間は恐ろしく汎用性が高く、あらゆる情報を分析できるシステムだ。そして本だけから学ぶのではなく、様々な方法で知識を取り入れ、それを組み合わせ、自分とは異なるエージェントとの相互作用を通して知識体系を洗練させる。
もちろん、それは人工知能が創造性や自主性を持たないということではない。今のところ独自に行動して世界支配を企む人工知能の話はないが、それは人間だってそうだ。俺は世界征服を企んでいる人や組織を知らない。なんで人工知能だけが特別にそれを望むのかについて、納得できる説明を聞いたこともない。
「……叩き台として使うより、一通り読んでから一から作ったほうが楽だな」
「おや、お気に召しませんか」
「趣味の問題だ」
「……趣味は、大事ですからね」
俺ならこう書く、というような部分が多いのだろう。とはいえ、それは他人が書いたものだってそうだ。自分が主導する計画においてはできるだけ自分が後から対応できて、責任を自分で取れるようにしたいということだろう。
「ただ、助かるとは言っておく」
「どういたしまして。できれば俺ではなくBIFRONSにどうぞ」
『所詮私は魂なき機械ですので、気にしなくても構いませんよ』
「拗ねているんですよ、気にしないでやってください」
人工知能は人間よりも賢くコミュニケーションができる。もちろんその場の空気を完全に読める訳ではないが、人間だってそうだ。ヒントも与えられずに考えていることを当てるだなんてことを多くの人は相手に要求してくるが、それは情報学の観点から不可能とまでは言わなくとも困難だとなる。中型国語辞典の単語を一つ当てるためには、二十回のクローズドクエスチョンが必要なのだ。
「……人間にするような懐柔や交渉が、BIFRONS相手に可能なのかね?」
「さあ。それを受け入れているように振る舞う事はできるでしょうが、たぶん自分がそう振る舞っていると認識できるぐらいには賢いでしょうね」
「人間より優れているな」
「
少なくとも俺はリアルタイムで自分のエネルギー消費状況を把握できない。もしそうできたら過集中のせいでちゃんと昼食を時間通りにとるのを忘れるなんてことは起こらないはずだ。
「……論文は目を通してみたが、そんなに画期的なアーキテクチャなのか?」
「画期的ってほどではないですね、複数の人工知能のシステムを組み合わせること自体は昔から色々試されていましたし、マルチモーダルを実現したものの中にはそうやって作られたものもありました。ただ、それらの多くは言葉を仲介にしていたんですよ」
「中身を見ることができなくなるかわりに、効率的な連携ができるわけか」
「一応解読はできるんですが、ジャーゴンみたいなものになっているんですよ。専門家同士の会話を一般人が聞いて理解するのが難しいようなものです」
そしてその解読をしている間にも計算は進んでいくのだ。雑な計算では、俺の百倍程度こいつは優秀だ。ただ、俺が百人集まったところで勝てない人間は山ほどいる。例えば須藤さんとか。
「……つまり、シンクタンクのように考えればいいのか」
「大日本電算が出してるPDFみたいなものだと思ってください。もちろんシステム上の限界からバイアスはありますが」
「少人数でやる以上は仕方のないことだろう。たった数人で決めた政策に穴が見つかるのは珍しい話じゃない」
須藤さんが実感のこもった声で言う。確かに省庁は巨大組織だが、日本が抱える問題の数で割ればそこまでの人数を割けるわけではないのだろう。そうなればどうしても顔見知りの内輪同士で作ったようなプランが実行されることになる。
「……それでも、個人としては良くやっていると思います」
「罵ってくれても構わないのだぞ、実力不足は事実だ」
「罵って改善するものなら一市民としてそうしますが」
俺は一応、それなりに社会に対して意思表明をしているつもりだ。毎回投票には行っているし、ニュースサイトの政治欄をたまには見るし、駅前で街宣車が止まっていればちょっと聞いてみるぐらいの余裕は持ちたいと思っている。特に政党に入っているわけでもなし、陳情した議員さんがいるわけでもなしと考えるとそこまで気合を入れているわけではないのだが。
「……そういう態度は嫌なんだよな」
「なら仕事をしましょう。俺はここで過ごさなくてはいけませんが、あなたは霞が関で忙しいのでしょう?」
「ああ、今日はこっちのほうで色々ヒアリングだ。だから私がここに来た深い理由はないぞ」
「わかってます。行動からこの場所が割れないように注意してくださいね」
「そこは任せてくれ」
俺なら須藤さんを追跡すれば重要人物の居場所が割れるとか考えるが、須藤さんならどうにかなるのだろう。例えば他にも候補をいっぱい用意したり、須藤さん以外のもっとわかりやすい動きをする人を動かしたり。そういう計画を練るのも、経験と才能がない人がどれだけ集まっても難しいことだ。